母のタイムスリップ日記
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ラジオに耳を傾けていると「今日は、おまけの日なんですよね」と幾度も耳に入ってきた。確かに、特別の日だけど…「おまけって 何だ?」と言う気分になった。
TBSラジオの伊集院氏の番組のゲストが坂本教授で…その中で「イラクの事 アメリカではどう捉えられているのですか?」と聞いていた。その答えが「アメリカでも『おかしい』と言う声が多いのです。『ブッシュは石油の利権欲しさにイラクを攻めた』と言う人多いですよ。ただ、あの国は特殊で『大統領のいう事は正しい』と声高にいう習性があるから…消えてしまうのですね」と言う話をしていた。 伊集院氏は「それを聞いてほっとします」と言っていた。
ニュースの映像を見る限り「おかしい」と言う声が一部に少しあるだけのような感じがしていたけれど…そうでないのだと判って嬉しかった。 イラクの紛争が始まった頃 娘が渡米していて「戦争って感じ全くない」と言っていたし 留学中だった姪っ子だって「戦争なんて感じしない」と言っていた。だから「そんなものなのだろう…」と思っていたのだけれど坂本教授は見事に打ち消してくれた訳である。
先日 外出前に電話をくれた友人に電話をした。 急いでいたので「後で…」と切ってしまったからである。 暇のある時にかけておかないと、何時になるか判らないからである。 友人の家族は日曜在宅でないので 今日で良かったのだった。
友人は、ご主人のおじさん夫婦の所を訪ねてきたと言う。 「高齢で 子供もないおじさんなので気になっている…」といつも言っていた。「養子縁組して欲しい」と言われた時期も有ったけれど、それを断り役所に相談する事を進めた友人である。 財産は必要ないけれど…訪問はするという基本線を崩さずにいる。 近くに住まわれて居る訳でない。3時間かけて出かけるのである。 それも、ご主人のおじさんなのである。 他にも親戚はいるのである。 おじさん、おばさんの愚痴をいっぱい聞いて、運んだ手土産でお食事してご近所さんにご挨拶して…帰宅したそうである。 「ご夫婦で車が見えなくなるまで見送ってくれて…それが辛かった」と言っていた。
ふと、昔の両親を思い出した。 両親は 寒い冬でも外まで見送りに出て、車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれていた。涙でぐっしょりの母を想像して辛かったし、お付き合いで見送ってくれたお嫁さんには 申し訳なくなくて…。 離れて住む者が優遇される不快さは 充分理解できていたので極力お客様にならないようにしていたけれど…あの見送りだけは 避けられなかったなぁ。
今の母の見送りって そんなに感傷的にはならないだろう。 目の前から居なくなっても 居た事すらぼんやりとしか思い出せないのだから…。そういう点では 寂しくもあり、助かってもいる。
味噌は寒仕込みが良いのだけれど…忙しさにかまけて味噌仕込を忘れていた。材料は準備していたのに…早くしないと麹が駄目になってしまう。 来週中には ちゃんと片付けようっと。
さっき、弟から電話があった。 今回ばかりは、きちんと経過報告してくれた。そして、母の様子も聞いてきた。 おまけに「桜が咲く頃にでも 1度ふるさとに連れて来ようかな…」とも言っていた。実行できるかはさておいて、そういう気持ちになってくれた事が判っただけでほっとする。 でも、いつも これで騙されるのも事実で…。おっちょこちょいのアンポンタンな私は、嬉しくなってつい 過度の期待をしてしまうんだよね。 だから、これはこれ、言葉遊びのつもりでいようと思う。 安心するのは、全てが片付いてからの事にしよう。 でも、すこしは 良く眠れるかも…(笑)
今日は、リハの日だった。 先週は、Ghに出向いて貰って居室でリハを受けた。療法士さんが初めてGHに足を踏み入れたのである。 彼が言うのに 家と施設では表情がかなり違うと感じたそうである。 娘と認識できないけれど 自分を大事にしてくれる人とは判っているので 安心してるという事もあるけれど…。 おそらく、言葉かけの多さとスキンシップから安心感が生まれているのだろうと思う。 施設では、どうしても個に対しての言葉かけが足りないのである。 自分の事すら判らなくなりつつあり 何をするかも判らないのだから 誰も居ない事は 相当不安であろうと思う。 いや、療法士さんに言われるまで、母の表情の変化は私の中で感じるエゴかもしれないと何処かで思っていた。 だけど、他人からみてもそう感じるなら…確かなのだろう。 リハを始める前に 療法士さんに挨拶をした母だけれど…。リハを受けてかなり時間が経って太もものほぐしに入った時「上手だねぇ〜」と突如言った。頭を起こして療法士さんの姿を確認してから「男の人なんだ」と言った。…なるほど 母の中の時間と言う物は 繋がってなくて細切れなんだなと感じた。ほんの15分前に挨拶を済ませて同じ作業を受けていてもそれが繋がってないのだなぁ〜。 そう言ったあと 母は また 眠ってしまった。 療法士さんと私との穏やかな会話を子守歌代わりに聞きながら 安心して眠っているのがわかる。
今日の母の手足はすごく冷たかった。寒さは そんなでもないのに…施設にいる時から「寒い」と言っていた。実際 着ているものも薄着で…着替えた折、下着等を足したのだけれど…それでも変わらなかった。 入浴して 温まって貰いたかったけれど…寒いと感じる時に入れて外に連れ出すのは偲びなかった。仕方ないので洗髪だけとした。 洗髪だけでも、浴室は充分温めた。 顔にクリームを塗ってもらった。「良いにおい」と喜んでいた。
施設の玄関をくぐる時「また 来たか」と呟くのを聞いた。
昨日の書き足しから。 久々に地元の農家の人たちで運営する市に立ち寄った。 生協の配送日に留守が続くので 新鮮な野菜を手にしたかった。 母と会ってからでは市も終わってしまうので行く前に寄った。 すると農家の方が「お久しぶり…お母さんはお元気ですか?」と声をかけてくださった。その拍子に芽キャベツが目に留まった。 茎に付いたままの芽キャベツだった。 「これなら、入居者と一緒に摘めるなぁ〜」と思い購入した。 施設に付いて 施設長の了解を得てできる人とひとつづつ摘み取った。 それを、入所者と共に洗い、鍋で茹でた。夕食の1品にして貰った。 施設長は「やっぱり 野菜作りたいなあ…」と言った。 芽キャベツの話題が同じフロアに広がった。 出来る限り 簡単な作業を取り入れて貰えれば…それが私の願いである。 ただ、興味が出ない人を無理に引き込む事はしないけれど…新しい風を吹き込む事が必要だと思う。職員が出来ない所は家族がカバーすれば良いだろう。
今日は、ネットワークの会があった。 電車を乗り継ぎ1時間余…。 車椅子でお母様を連れて参加なさる方(男性)と門前で出会った。 介護の日々で大変だろうと思うけれど…。会の意義に賛同なさっての参加である。お母様にあいさつするとニコニコとなさった。会場に入る前に「トイレは大丈夫か?」と聞かれていらした。
会では、それぞれの会の報告があった。 何処でも 自治体の予算削減のあおりで青息吐息状態との報告だった。 自分の所で大変な事は、他でも同じなのである。 それぞれの介護も同じで 苦しいと思うところは 誰もが共通する事であり、痴呆者自身が苦しむ箇所もきっと多少の違いはあっても根底では同じという事かな…なんて思った。
その中で唯一「自治体の事業として認めてもらえそう…」と言う報告が聞けた。これから、議会にかけらるそうである。 そこの会は、会場確保が難しくなった時自治体の長に直談判して場所の確保に成功したと言う経緯があった。 毎月発行の会報を主なる役職(長も含めて)に直接届けていたそうである。 やはり、こまめなアクションが実を結んだという事だろう。 でも、自治体主導になるといろいろの制約が生まれる事もあり、課題も多いと思う。
わが町の会場確保の方法、あわせて自治体主催で各支援センターと保健士さんが参加の会を残してもらう事が出来た事を報告。 介護は 福祉と医療の両面からの支援が必要である。 出来る限り両者に参加して貰った方が良いと感じる。ここの調整がうまく行ってこそ介護がスムースに流れるような気がする。
実は、会に会報と会の案内書を30部程準備して行かなければならなかった。 プリントアウトで簡単に出来るからと忙しさを理由に 当日まで準備しないで居た。が、プリントの最中にアクシデント「インクが切れてます」の表示でピタッと止まってしまった。 インクが少ないと言う警告も見ていたのだけれど…まさかこんな時に…。 時間は迫るし、行く前の用もあるし…パニックとなる。 途中、コンビニによってコピーすれば良いと出かけたのだが…。 こんな時は注意力も欠如するもので、同じ物を30部コピーしてしまった。 一部10円も高いな…と思ったけれど…その30倍の無駄をしてしまった。 猛反省である。 準備は 余裕を持ってするべし…と。 でも、きっと近いうち また同じドジをしそうな気がする…。(ため息)
今日は、夫も娘も未だ帰宅していない。 夫はお通夜に。娘は仕事。
昨夜、夫が「親が亡くなったと言うのに…あいつ会社に来たんだ。『休んで』って言ったのに…何考えているんだか?」とぼやいた。 「人の見送り方は様々だから…そんな言い方しない方がいいよぉ〜」と言うと「俺が間違っているのか」と気色ばんだ。 「違うのよ。見送り方は人それぞれで、正しいとか正しくないとかの話でないの」と伝えた。 介護にしても、見送りにしても…人それぞれで…それで良いのだと思う。
娘の仕事は、以前ほどハードではないけれど…。 やはり、残業は付いて回る…。以前の職場とのお付き合いもある。 「嫌だなぁ〜。××(娘の呼び名)に敬語で電話しなければならないのか」と言っていた上司…。もう数回も電話のやり取りが有ったらしい。元上司は勿論敬語対応。後ろから「××だろう…何も…」と言っている声が聞こえるらしい。娘もそう思っているけれど…。几帳面な上司は、タメ語が使えないようである。 昨夜の話だと元上司は4日も泊まり込んでいるらしい。7時半に「帰宅します」と言うと「うそ。うそ。帰るんだ」と。 以前の職場は、相変わらずサービス残業の日々のようである。
母の所に出向くと…。 母の頭は「帰宅モード」だった。 私の顔をみて「未だ荷物を整理していないのだけれど…」と言った。 「いいよ。私が纏めるから…」と応じた。 散歩に出ようとすると「何も持たないで 良いの?」と言う。 「大丈夫よ。後で送って貰えるからね」と応じた。
初期の頃の帰宅モードは 大変だった。 一日のうちで何回も荷物を纏めた。見える所に置いてある物は「袋頂戴」と言ってその中に詰め込んだ。幸いな事にとても丁寧にたたんで入れるので戻すのは楽だったけれど…でも繰り返し行われる荷物纏めには、疲れ果てた。 「いい加減にしてよ。お母さんは、ここに住みたいって言って来たんでしょ。」と腹立ち紛れに言ってしまった事も1度や2度ではない。 「帰るならどうぞ」と玄関まで荷物を運んであげた事もある。ドアを開けて母を送り出して、後ろからずーっと付いていった事も…。 果てしも無く続くこの行為に 気持ちが落ち込んで行くのを感じた。 怒っても、後始末は自分でしなければならない。なだめるのも自分の仕事なのである。ほんとに自分が情けなくなって行った。 そんな 風景を思い出したら 今の母の事は「なんてことない」のである。むしろ「拘りまで失ってしまったか」と哀しさすら感じてしまう。
居室を出ようとした時「着替えをして 外に連れて行かなくちゃ」と母が言った。「誰を?」と聞くと「小さい子」と言う。 「孫」なのか「お人形」なのか はたまた「母自身」の事かとしばし考えてしまった。 でも母の言葉からヒントを得た。 お人形に着替えがあれば面白いかも…。自分の服はうまく着用できなくなったけれど…。これが、人形だったら…。 これから作ろうかなぁ等と考えたらふと思い出した。 母が孫2人に作ってくれたお人形が有ったのだ。 娘は「おばあちゃんの作ってくれた物」として大切に使い今も大事に残している。お人形の洋服、セーターなども作ってくれていた。 そのセットを袋に入れるように…と袋も縫っていてくれている。 あれなら、着替えさせられるかも…と思った。 お人形には 娘が「やよいちゃん」と命名している。おそらくお人形を貰ったのは3月の誕生日だったのかも知れない。
外に出た母は 梅もさくらも言えなかった。 「これは何だろうね」と聞くと 「白いね。花としていっぱい咲いているから…」と答えにもならなかった。 でも、「白いって言える。花って言える。」それで良いだろう…。
たくさん歩いて、果物食べて、お茶飲んで…。トイレで排泄できて…。 排泄のリズムが掴みかけてきたので嬉しい。でも外出時には トイレが直ぐあるとは限らないんだよねぇ〜。悩ましいなぁ〜。
昨日、施設で介護サービス計画書を提示され「確認の上書き足す事があれば書いてください」と言われた。 「母との面会中で…?」と言う顔をしていたのだろう「いえ、コピー差し上げますから家で見て下さっていいですよ」と言われた。 その方が 助かる。 大分前に ササッと見せられた覚えがある。書いてあったのは、着替えの事、トイレの事だったと記憶しているが…施設の具体的計画まで読みきれなかった。
気になる事は いっぱいあるけれど…。 メモを取ってみて、書き込む事の選択をしてみてからだなぁ〜。
今日は、利用者さん訪問だった。 訪ねると買い物メモの準備があり 散歩でないのだと判った。 信号を渡るのは やはりギリギリだった。 「杖を使う」と言われていたけれど今日は持たなかった。きっと、忘れているのだろうと思った。杖も危険な場合があるので、一緒の時はなくてもいいだろうと思い指摘しないで置いた。
近くのスーパーで買い物を始めると瞬く間に買い物篭はいっぱいとなった。 「一人で食べるのに…こんなにいっぱい食べられるだろうか…?」と感じた。購入のバランスは良く取れていた。 出来る限り余分にならないように少な目の食材購入をお勧めした。 会計を済ませて袋に詰めると、ズシッと重かった。
戻ってから冷凍できる物は、取り出してラップで小分けにしてトレーに戻し冷凍庫に収めた。
時間が来て 月末の活動表に記入して印を貰っていたら 話し込み始めた。 「このごろ、家族が来なくなった…。その方が 気が楽だし…」と話された。退院為された直後は ご家族が せっせとおかずを運んでいらしていた。 今日のお買い物が 大量になったのは そういう事だったかと思った。 利用者さんも 何処かで不安と寂しさを感じていらっしゃるのだろう。 口と心とは 同じでないなぁ〜と思った。
暫くお話を伺った。 誰かに話しておけば、何かが治まって行くだろうし 血圧だって上がる事もないだろう。
一人で暮らす事、暮らさせる事、立場によっていろいろの思いが有るのだろう。
午前中 北海道の友人から電話を戴いた。「お雛様出したよ」との話に ハッとした。うだうだとつまらぬ事に拘っている自分をみた。 いつも、季節に目を運んでいる友人で教えられる事が多い。 彼女だって 大変な毎日だけれど…そうやって視点を変えているんだった。
と言う訳で、急いで屋根裏に上って母の作った雛人形を探した。 数年にも渡って作った 折り紙の雛人形である。 数種類ある。私と二人で色紙に貼り付けた物もある。 でも今日は、赤い布の上に貼り付けた物を選び出した。 家にも段飾りは あるのだけれど…(恥ずかしくてこれより先は書けない)
早速、母の居室に飾った。勿論母は、自分で折った事等忘れていて…「綺麗なお雛様 良いなぁ〜」と喜んだ。「自分で作ったんでしょに」と言うと 「ははっ。忘れちゃった」
急ぎ着替えを済ませて我が家へ向かう。 おやつ 果物 トマト、昆布煮を食べてコーヒーとお茶もたっぷり摂って貰った。10時から排尿がないと職員が言っていたので水分摂取は拘りをもって飲んで貰った。おかげで30分後にはトイレでしっかり排尿できた。 その後 入浴、洗髪をする。 入浴前にしっかり大の方も済ませたのでゆっくり入ってもらった。
風呂上りに 番茶をたっぷり飲んで貰う。 おかげでまたしっかり排尿できた。
帰路は少し遅い時間となった。 でも、晴れた日なので歩いてみた。 今日の母の足取りは軽い。途中「痛くない?」「疲れない?」と幾度も聞いたが晴れやかな顔で「大丈夫」と言う。 ふと気が付くと私がゆったり歩くペースなのだ。スタスタという感じ。 「こりゃ、途中休憩かな?」と思ったけれど息切れもせずに歩いていた。 おまけに女子中学生に抜かれそうになったら「抜かれると先に場所を取られてしまう」と言い出して更に早歩き…。駅に着いて時計を見ると20分掛かってなかった。普段、休息も含めて3.40分は掛かるのになぁ〜。 これじゃ、元気な人と同じペースだ。 「ちょっぱや」だった。
施設の外玄関に入った時「ここに入るのは嫌だなぁ〜」と言った。 施設内の人間関係 うまくないのかな? この所 こういう言葉が多い。 考えれば 昨年も同じ時期 中でゴタゴタしていて…母をだましだまし いたら脳出血を起こしたのだった。 2月って そんな季節なのかなぁ〜。 気分転換には 充分気をつけようと思った。
風が強い日が多くなった。季節が確実に移りつつあるんだなぁ〜。 軒下のシンビジュームが咲き始めた。昨年は、3月に入ってからだったので早めである。今年は たくさんのつぼみを持っている。これから 暫くの間は 楽しませてくれるだろう。 夏も冬も外で過ごしてもらっているのに 咲いてくれて有難うである。
身支度を整えて利用者さん訪問したのに…強風を受けて まるで寝起きのような頭となってしまった。(笑) チャイムを鳴らすとしっかり身支度を整えられて出迎えてくださった。 口紅もつけていらっしゃった。 こっちはグロスを塗っただけのスッピン状態で頭はグシャグシャでちょっと恥ずかしかった。 身支度を整えてくれていたおかげで 通院の為の時間が短縮できて助かった。
洗濯機を回して通院。「診察が済んだら電話ください」と言って利用者さんたくへ戻った。 洗濯物を干して、煮物の下ごしらえをしてごみ分別をした。 今月初めまで訪問していた木曜の利用者さんの所は、ヘルパーさんが分別しなかった。今日の利用者さんの場合は、本人が出来ない。 ゴミ箱は2種類あるのだけれど…分け切れないのである。 様子を見て 分けやすいように工夫する必要がありそうである。 利用者さんが嫌な思いをせずにお伝えする方法を考えなければならない。 ごみ処理が終えた頃に電話があった。 急ぎ迎えに出た。
利用者さんは、歩くのがかなり遅い。母より遅い。 大きな交差点を渡りきれない。事業所に連絡しておいたらご家族にも伝えてくださったようで「通院は介助して貰う様に」「杖を使うように」とご家族から言われたようである。 「私と一緒の時は杖を使わなくても良いですよ」と言うと「いえ、危ないからと言われたので使います。決めたらちゃんとやるんですよ」と言われた。 ご家族が関ってくださっている事…良い効果が出ている様である。 ご家族も上手にお話下さっているのが伝わってきた。 他人が入るとこんな具合にうまく意思の疎通が出来るようになる事もある。
利用者さん宅に戻り煮物を仕上げて 掃除して 水遣りをした。 留守の間に枯れかけていた鉢植えが元気を取り戻して花を咲かせ始めていた。利用者さんの慰めになっている様子だったのでほっとした。 今日は、時間内で終了出来た。
が、気の重いプライベートな用で銀行へ向かった。 弟への送金である。 複雑な思いがする。 母が痴呆でよかったとこの時ばかりは感じた。 若し正常だったら 心配と不安で大変な状態となっていただろう。
正直の所 合点が行かない。それが、私の心を重たくしている。 さ、切り替えよう…。何とかなるさぁ〜♪
今日から娘が新しい勤め先に出勤。 「これから1週間は仕方ないなぁ〜」と嫌々とスーツに身を包んで出かけた。 会社で「えーっ 今更 何でスーツなの?」と驚かれたようである。 「顔合わせの時だってスーツじゃなかったじゃない。今更 なあに?いつもの格好で良いんだよ」と言われたらしい。 内心では ほっとしたのだろうけれど…会社の反応に逆に驚いたようであった。 という事で、明日からはスニーカー、ジャンパー、パンツでの通勤となるようである。 清楚な服装での通勤姿…と親として願っていたけれど…無理みたいである。
朝5時前に起きて夫を送り出した。 何だか2度寝をするのもはばかれて…片付けをした。 洗濯機を回して…取り置きして貰った新聞3日分に目を通した。
留守がちだったので、久々に友人に電話した。 今日なら家族がいて電話の取次ぎをしてくれるだろうと思ったからである。 病の為 電話のベル音すら耳には届かない。
久々に話した。こちらは友人の具合が気になるし…メールより声が聞きたくなってしまう。友人も母の事で忙しくしているだろうと遠慮する…メールシステムが好きでない友人でもある。 ご無沙汰を詫びると「電話が嬉しい」と手放しで喜んでくれた。 「母の事より、弟たちの事で忙しさでね」と愚痴を零すとこれまでの経過を知っているので「えっ」と驚かれた。 世の中には似たような話があるから自分だけが不幸と思って居る訳でない。 友人の知り合いにも同じような事が起こって その方は心労の為体をこわされたそうである。「あんたも気をつけてね」と言われた。 「あはははぁ〜。仕方ないんだよね。なるようにしかならないもの…」と笑っていると「あんたって人は全く…」と呆れられた。 友人は、娘さんがアッシー君になって近々家まで来てくれる計画が有ると言っていた。自分の体だって大変なのに…そのあったかさが嬉しかった。 お互いかを観るだけ、声を聞くだけでホッと出来てしまう。 暫くは それを楽しみに過ごそうと思う。
母は、ホールのソファーで指人形で遊んで貰っていた。 洗髪したのだろうシャンプーの香りがした。 着替えて外に出た。「何処行きたい?」と聞くと考え込んでいるのが判った。でも目の前の看板の文字に興味を示して聞かれていた事を忘れてしまう。何回か繰り返したけれど同じ反応だったので今日は町には行かない事にした。2停留所程先のスーパーまで歩いた。疲れはなく強風にもめげずに元気いっぱい歩いた。 梅の花の固有名詞は出なかったけれど…はっぱすらないアジサイの木はちゃんと「アジサイ」と言った。相変わらず不思議な感覚である。 スーパーの店先でおやつにとお菓子を篭に入れようとしたら「もっと良く観てから…」と言われた。 面会をサボった後ろめたさで気持ちが上滑りしがちな自分を恥じた。 ゆっくりとお店を回っておやつを買って休憩所で小休止した。
「お腹が空いた?」と聞くと「前の方が少しね」と言う。「へぇ〜。じゃ後ろは?」と冗談ぽく聞くと真面目に「後ろはそれほどでないよ」と。
帰路は川べりをゆっくりと後ろ向きになってみたり 前を向いてみたりしながら歩いた。 公園で親子ずれがサッカーをしていた。 必死でボールを追う親子の姿を見ていたら「良いねぇ〜」と母が言った。 やはりガップりと向き合っている姿には心打たれる。 高齢者だって親子だって真に向き合えてもらえば伝わる物である。 母の感じ取る力はますます研ぎ澄まされていくのかなぁ〜。
空に黒い雲が出てきたので施設に戻った。
散歩でもたっぷりと水分補給したのだけれど施設に戻ってからもペットボトルのお茶を離さなかった。全て飲み干して満足げな様子となった。
今にも降り出しそうな気配となり、急ぎ施設を後にした。 変わりなくて良かった。
昨日、時間のやりくりをしながら イノダコーヒーを探して豆だけを買い求めた。コーヒーを飲んでいる時間はなかった。
夫は、自分の価値観が中心になるのでコーヒー店なんて論外となる。 そんな所で時間をつぶすのは「おかしい事」なのである。 で、豆だけ買って急ぎ約束の場所に戻ったのだった。
今日は、京都駅で1時間の自由時間…。 その間にイノダコーヒーに走ってコーヒーを飲んだ。 これで、念願達成。(単純です)
高速バスで伊丹の飛行場へ。 伊丹空港は、今 家具屋さんのアウトレットが有名との事で…待ち時間に見て回った。若い頃ヨーロッパで家具を見て回り「ハビタ」の家具にも詳しい夫なのだが…。一緒に家具を見て回る事など滅多にない。 今日は、久々に家族で家具を見て回る。 「何だ、うちの地域にも有るんだな…」と案内書を目を通して言った。 「家具を見に行かない…?」と誘っても聞き流されていた娘と私は目が点になる。
思いもかけずに こんな機会が出来てびっくり…。
今回の旅行で、感じた事。 それぞれのお買い物タイムで夫も娘も私へのプレゼントを買ってくれていた。でも、私は夫、娘の為には何も買わなかった。 こんな所が私の冷たさかな?
いつも食事の時間もバラバラで家族3人が揃うなんて 滅多になくなった我が家でこの2泊3日はべったりと着いていた。 息切れ寸前。(笑) 我が家の場合 もう少しこんな時間を持つ必要かな? 大人3人 歩調を合わせる事しておく必要がありそうだなぁ〜。
娘は行きたいところをチョイスする。今回もMac持参だった。 これには、カルチャーショックって所かな? 夫は 史跡をゆっくり観て回りたい口。 私は夫と娘の間をとっている。史跡も買い物も…。 こういうところで微妙に違う家族が足並みを揃えるってなかなかハードである。
おしゃれにも縁がなくなってきている夫と私…。 こんな機会でもないとお出かけ着なんて着ないなぁ〜。
夕方、家に着くとご飯を食べる暇もなく夫も娘も用があって直ぐ外出。 私も母の事が気になったけれど…もう疲れ果てて出る元気なし。 弟からの留守電もありその対応もあったので 片付けながら電話をした。
施設からの留守電がなかったのでほっとしたのも事実である。 纏まらない日記となってしまったけれど…。 介護から解放されての2泊3日の旅の顛末はこんな所でお開き…。
具合はイマイチだけれど、京都を歩く。 夫のお勧めの場所を案内して貰う。 ルート的には、20数年前と重なる所が多い。 金閣寺は塗り替えが終えたばかりでピカピカだった。 大好きな竜安寺で石庭を眺めていたら 初老のご夫婦を案内中のガイドさんが隣に来て…しっかりただ聞きをしてしまった。(へへへ)とてもお話のうまいガイドさんで学ぶ事が多かった。時間が有れば石庭を眺めながらお昼寝したい程よいお天気だったけれど…時間に追われる旅人としてはそうも行かなかった。 それから嵯峨に向かった。念仏寺やお庭のお勧め祇王寺から落柿舎を回って中ノ島公園に行き新京極へ…。 夕方となり、お店はどんどん閉店時間となって大急ぎでお買い物…そしてお食事…ホテルに戻った。 前日ほどの調子の悪さはないけれど…疲れ果ててマッサージを受ける。 普段からすごい肩こり症のの私だけど ワザワザ マッサージを受けると言う贅沢はしない。でも 今回だけは夫と娘の勧めもあって受ける事にした。 案の定 コリコリを指摘された。 贅沢のきわみを体験して…就寝した。
娘の招待で家族旅行。 目的地は京都だけれど…大阪に寄って貰った。 私だけ未踏の大阪である。 伊丹空港→梅田→天守閣→心斎橋→梅田→大宮(京都)
ほんの数時間だけ走るように見て回った。 天守閣に上り大阪の町を見下ろして秀吉さん気分を味わった。 ミーハーだけど心斎橋でニュースの定番の場所を見て回った。
通勤ラッシュの時間に京都に向かった。 体の調子がイマイチで家族に迷惑を掛けながら…お宿で早めにzzz…。 幾度も目が覚めて…。
新聞の記事に刺激されて実行してみた事がある。 後ろ向き歩きである。 母にして貰おうとかんがえていた。けれど 自分でやってみもしないでは危険と思いまずは我が家の階段で後ろ向きに上がってみた。 「怖い」正直そう感じた。 自分の家の事だから何とか出来たけれど…外では慣れるまで大変だろうと思った。 母の所に行き散歩に出た折、自分の経験をもとにまずは人通りが少ない平らな歩道で母と後ろ向きに歩いてみた。数歩歩いただけで 母は怖がって止まってしまった。無理もないので小休止。 少し経ってまたチャレンジ。今度は数メートルチャレンジ。 それで平らな所は終了。今度は緩やかな坂でチャレンジ。これも数メートル出来た。次は急勾配の山。これは 1メートルくらいでやめて正面歩きに変えた。これから、少しずつチャレンジして脳を鍛えて見よう。 母だけでなく 未来の私の為にも良さそうである。
散歩の時 母が話し始めたので「うん」と相槌を打って聞いていた。 いや 何を話しているのか判らない…。お腹に饅頭が有ってこっちの人が…といった具合である。うんうんと聞いていたら途中で母の方が「話すのが面倒になった」といって止めてしまった。 言葉探しが大変で嫌になったようである。 きっと考えている事は頭の中にあるのだろうけれど…言葉を引き出せなくてもどかしくなってしまったのだと思う。「えっ。頭の良い○○チャンにしては珍しいね」と言うと「頭は 悪いの」と返って来た。 「謙遜だねぇ〜」と言うと「いや、ほんとに判らなくなってしまって…」と言われた。慰めようと思ったのに…追い込んでしまったみたいだ。
さて、明日と明後日の日記の更新は、ありませんので…。
2004年02月17日(火) |
事故責任とプライバシーの壁 |
施設で過ごす人は 事故の責任とぷライバシー保護の下 ある程度の制限が掛かってしまう。 在宅で過ごしていると「お散歩連れて行きましょう」と気軽に言えるのだけれど施設は万が一の事故を避ける為に出来ない。 実際、そうやって来たのに…施設に入ったというだけで出来なくなる。 また、家なら立ち上がる時に何かに掴まれば立てるという時椅子とかを自由に使える。でも施設では 万が一を想定して椅子は危険物とされてしまい使えない。こういうジレンマが家族にはある。 入所する時には、特に話されなくても…。 万が一の事故は実際判例としてあり施設の責任が問われた事で施設は慎重になっている。 昨日もその事に話が及んだ。 私は望んでしてもらった事で事故が起きた場合 訴訟なんて起こそうと思わない。でも判例としてあるのだからそういう家族も実際はいるのだろう。
ただ、家族の了解があるから目を放していても良いという事では無いのでそのあたりでの攻防が生まれるのかも知れない。
もうひとつはプライバシーの保護。 例えば誰かが入院したとして入院先はしっかりガードされてしまう。 それまで一緒に生活していて交流があったとしても隔離状態となってしまう。新しい環境で寂しい思いをしてるだろう…と思ってもそれまでである。 家族の了解があれば…とは言うけれど、家族の住所すら教えては貰えない。 とても難しい。
ある保健士さんのお母様がGHに入所なされた。 立ち上がったばかりのGHで1年経過して、家族会が立ち上がりそうだという事だった。施設側か家族側から言い出したのかは定かでは無いけれど、立ち上げには施設側が関ってくれてくれているようである。 家族が横に連絡できないのだから 施設側の前向きな対応が無いと実現は難しいだろう。 利用者の立場になって考慮して貰えるって とても有り難い。
以前のデイ利用でとても暖かい家族の交流が出来ていた。 何処でもそうやっているのだろう…と思っていたけれど、実は違うという事がわかった時愕然とした。 見渡せば きっと利用者の立場で動いてくれる施設はある筈。 でも残念ながら わが町にGHはひとつしか無い。 GHの可能性を探る意味でも後一つは欲しい…。いろいろ 働きかけ中である。
今日、TBSラジオの「誰かと何処かで」で永六輔氏が話していた。 静岡と山梨の境の施設では農地を持っており痴呆者も作業していると言う。 今の高齢者は戦争を経験しており農作業の経験はみんなあると言う。 だから、リハビリを兼ねているらしい。 そこの医師曰く「痴呆とは 忘れて行く物でなく、持っている能力が戻らなくなったとみる」のだそうである。 リハビリとは、本来持っている能力を取り戻す為の作業だそうである。 母を見ていてそう感じていた。 事故が無いように…とガードしていく事と本来もっている能力を取り戻す為のリハと…家族はどちらを望むだろうか? 私が介護を受けるとしたら後者を選ぶ。
みんな同じとは言わないけれど…痴呆者と言えども生きるのに快適さを選ぶのは当然だろうと思うが…。
ラジオを聴いてると電話が鳴った。「TBS聞いているか?」と夫からの電話だった。痴呆者の介護という番組には とても関心が高い夫である。 でも私がどんな介護をしているかは、知らないのである。 夫婦ってこんなものかな?
2004年02月16日(月) |
そんな筈無いんだろうけれど… |
ここ数ヶ月母が微妙に変わっている。 悪くなっているというより良くなっている?と思う事が度々あるのである。 現実には、能力が後退しているのだけれど…。 どうにも矛盾した表現で申し訳ないのだけれど、何かが改善されていると感じるのである。 「良くなっている」と感じた時はいつも「気のせい、気のせい」「子の欲目」と否定してはいるのである。 重症の痴呆症が改善されたなんて聞いた事が無いのだから、有り得ないんだと思う。
数年ぶりのスキップ ここ数年「スキップしてみよう」と言っても「出来ない」と言うか 出来ないけれどしたつもりになったりするか 「忘れちゃったぁ〜」と言うのが殆ど。実際にスキップしたのは3年位前までだろう…。 でも 今日「スキップしよう」と言うと「いいよ」と言って8歩くらいきちんとスキップが出来た。「すごいね」と言ったら「はぁ〜はぁ〜」と息を弾ませて言葉を口に出来なかった。
公園の山登り 公園の山を指して「登ろうか?」と言うと「うん」と言って手を放して登り始めた。先日の斜め登りがあったので肩が触れる距離で隣を登ったがてっぺんまで一人で登った。
しだれ梅 少し離れた所から「あれなんだろう?」と聞いても「?」だった。 手の届く所まで行くと「あ、梅だぁ〜」と言う。「そう、しだれ梅よ」と言うと「しだれ桜なら判るけどしだれ梅ってあるんだぁ〜」 梅に背を向けて「梅 綺麗だったねぇ〜」と言うと「うん、綺麗だった」と言った。
排泄 排泄の感覚が鈍っている。でも出てしまってからの感触の悪さを伝えるようになった。「何だかぐしゃぐしゃしている」と言うのである。 今日も排泄の誘導をしてから散歩に出た。排尿はきちんとできた。が排便は なかった。 途中で「何だかグシャグシャする」と言ったので予想は着いたが トイレが無いので施設まで我慢して貰った。 施設に着いて「トイレに行こう」と言うと「うん」と言う返事。 出てしまっている事は忘れていて排尿したくなった様子。 トイレで勢いよく出していた。気が付かれないようにパンツを替え様としたら「あなた、大変だね」と言う。 ほへっ。気が付いていたんだぁ〜。 いつもなら「有難う」とか「すみません」としか言わないのに…今日は違う言葉を使った。
今の母は、通常からはかなりかけ離れた状態ではあるけれど…。 でも、何かが違ってきてる。 そうそう、こんな事もあった。 いつも通り「○○ちゃん 元気?」と聞いてみた。 「元気よ」と返ってきたので「良かったぁ〜」って言ったら「私の事で喜んで貰えて嬉しい」って返ってきた。 これも普段無い言葉であった。
季節のせいだろうか…何となく疲労感が取れない…。 利用者さん訪問、家族の会、母の所と動き通しだったせいかな? でも在宅介護で夜もゆっくり出来ない人を思えば…苦労という事でも無いだろうなぁ〜。
2004年02月15日(日) |
いろいろ在り過ぎて… |
どうにも こうにも…まとまりが着かない。 介護なら納得いく所まで…と自分の力量と相談できるけれど…。
自分の力で太刀打ちできそうもない事ばかりの話が続く。
♪こんな時もあるさぁ〜♪と思っては見るけれど…。 果報は寝て待て…って言うけれど…寝ていて居ればいいのかな? だったらいいけれどなぁ〜。
こんな状態なのに…今週はちょっと旅行に出る。 娘が夫と私を旅行に連れ出してくれるのだ。 折角連れて行ってくれるのだから…あれこれ考えずに行こうと思うのだけれど…。この2月が心配で…。
と言いながら 旅行先の情報のある冊子に目を通してみる。 これも娘が準備してくれていた。 「美味しいもの食べなきゃ…」と思って郷土料理のお店を見ていると…「そんな馬鹿な…その地域でしか食べられない物だったら郷土料理に拘る事無いでしょ」と怒られた。 若いもんと親世代の違いかなぁ〜。
旅行先は、夫の得意とする地域ゆえ 案内役は 夫に依頼する事に…。
いえ、私にも旅行プラン作れるのだけれど…。 このたびは ぐっと後方に下がって…みんなに負んぶして行こうと思っている。
そういえば、母は研修旅行の時は いつも私にプランを依頼していたなぁ〜。時刻表を広げてプラン作りながら…「こんな事誰にだって出来るでしょ」と母に文句言ったなぁ〜。 あれは 今の娘より若い頃の事だなぁ〜。 母の方が全国津々浦々…歩いているんだなぁ〜。
さ、明日も忙しくなりそうだから 準備だけはしっかりしておこう…。
2004年02月14日(土) |
決まりだし、仕方ないのだけれど… |
介護仲間のお母様が亡くなられた。 在宅介護なさり 亡くなる前日までお変わりなく過ごされていたとの事だった。今月初旬お会いした時もサービス利用の仕方等いろいろ考えられて居られて前向きに介護なさっていらしたのに…。
在宅での突然の死は 検死が入る。 これは、私も知っていたけれど…今回改めてその事を考えさせられた。 いや、警察の対応が悪いとかいい言うのではない。 決まりだから 仕方が無いのだけれど…。 死者を前にして戸惑いがいっぱい有るのに…検死を受けて…。 責任を感じてしまう…自分を責めてしまう…。
これが嫌で病院の看取りになるのだろうけれど…。
介護にをしていれば、疲れて夜間に様子を見切れない事だってある。 何事もなく過ぎる夜の方が圧倒的に多いのに…。 たった一日見られないその日に亡くなってしまう事だってある。
他人事は無い。 何れ 在宅に戻るだろうし…わが身に置き換えてみて母を看取る事を考えて見なければ…と思った。
仲間には「哀しいけれど よく介護なさったのだから…」と声をお掛けしたけれど…。慰めにもならないだろうなぁ〜。
母のリハの日だった。 浮腫みが強く出ていた。 昨日の水分補給は意味がなかったのかな? やはり運動も必要みたい。今週は、散歩の時間が少なかったから…。 今週は手足が冷たくて…今日もそうだった。 療法士さんも「血の巡りが悪そうですね」と言っておられた。 私もそう感じる。 他にも 心あたりはあるのだが…。 なかなか 難しい。 帰路、駅までゆっくり歩いた。 排便の関係もあったけれど、施設に着いた途端母の表情が変わった。 つまらなそうな表情になった。 良心の咎めを感じた。 「ごめんね」と心の中で謝った。
金曜の活動を受けて自分の首を絞めてしまった感じがしている。 2月は何かと忙しくて…苦戦中である。 これを乗り越えれば きっと落ち着く筈である。 暫くの辛抱である。
いろいろ、予定外の事があって…。
利用者さんを訪問して 訪問日の調整をさせてもらった。 勿論事業所の許可を得ている。 先週の入浴介助 今週の通院介助も報告している。当然のことながら様子を見ながら自立を目指すので…暫くは見守り扱いで行きたい…とお話ししてある。
金曜は連続して用が出来たので休みにするか、曜日を変えるかの選択をしていただいた。が、利用者さんは利用者さんで心配事が有った。
話し合いをして水曜訪問として入浴見守りと散歩を交互にすることに決めた。
状況から考えてもその方が良いという事になった。
活動を終えた足で母の所に向かった。 もう4時を回っていたが…それでも水分補給とストレッチはしておきたかったから。
母はそれほど不穏にならなかったようである。 でも今日写真を見せたら弟の名前をスラスラと言った。 やはり思い出したんだ。息子という言葉はなかったけれど…呼び捨てで言ったのだから体で覚えていた感覚が甦ったのだろうと感じた。 私の事は 相変わらずだけれど…悲観なんかしない。 何もかも思い出せない母の方が 哀しいから…。
弟から電話が来た。 母の事を聞くかと思ったけれど…違った。それも…。(ため息)
母は息子立ちに会った時「お〜っ」と言う表情をしたが直ぐにテレビ画面に視線を戻した。部屋に移動するまでそれは変わらなかった。 私が訪問しても同じ事が起きるので…弟たちを知った顔と認識できた事の方が嬉しかった。
弟たちは、どうしたらいいものか…と外の景色に視線を移しており…それもまた可哀想かな…と思った。私なら直ぐ部屋に連れて行くけれど、久々に出会う弟たちはそれも出来ないのである。
母を居室に連れて入った。職員が人数分の椅子とテーブルを運んでくださりお茶も入れてくださった。テーブルを囲み何となく家の雰囲気が広がった。 母に「どなたでしょう?」と聞くと考え込んでいる。それぞれの頭の一字を教えてあげると名前は出た。でも関係までは言えない。判っているのか無いのか…判断はつかなかった。 でも今日 娘が写してくれた写真をみて感じた。 表情が和らいでいるのである。 これは言葉で表現できないけれど判っていたんだなぁ〜と感じた。 とても嬉しそうな表情なのである。 この変化はその場で感じ取れなかったけれど…カメラは確実に捉えていた。
弟達と連れ立って散歩に出た。私と母。後を着いてくる弟たち…。 先を歩く母には、後ろの弟たちの存在すら思い起こせない。 いつもの私と母だけの散歩と変わらないのである。 折角来ているのに…残念と思い 度々後ろを向かせた。 「あれ、誰か来るよぉ〜」するとじ〜っと見つめている。名前の一文字を言ってあげると名前が言える。繰り返しやっていたら、母もようやく繋がりを感じ始めたようだった。
それは、弟たちが帰路に着く為に施設から帰ろうとした時だった。 弟たちが、母にさよならをしようとしたが止めて貰った。哀しすぎるから…。でも気配で感じたようで「私も行く!」と言った。 おそらく家族と認識したのである。 弟が母を連れてきて母を置いて帰路に着く時いつも言っていた。「私も帰る」その言葉と同じである。 良かった。そこまで理解できた事が嬉しかった。
母の気を私の方に向けて その隙に弟たちに出てもらった。 それから 母に仕事を依頼して集中しだした頃合をみて私も外に出た。 職員には、「今夜、ひょっとしたら不穏になるかも知れないけれど…宜しくお願いします」と詫びた。
今日は、夫の誕生日。 弟たちが来るのは今日の予定だった。 でも時間を早めてふるさとを経ったようだった。 目的は、経営相談である。
夫は会社の決算を仕上げて 手打ちの為飲んでいたようである。「行くよ」と連絡が入った時には もう夫に連絡の取れる状態では無かった。かくして私が出迎える事に…。
私に経営相談をしても始まらないので 弟の娘の話や家の娘の話、母の様子の話となった。 私は、彼らに要望したい事はあるけれど、弟が母と向き合う事であって私が介入するという事はやめている。 この事に関して夫から「おかしい」と責められた事もあるけれど 今は了解していてくれる。 言って変わる見通しの無い人に言っても始まらない…という結論だからである。ここに来るまでいくつもの山坂を越えて到達した結論である。 そんな訳で 私からの要望は口にせず母の現状報告のみに留めた。 それも日記に書くような細かな事は口にしないで置いた。 夫の帰りを待ってみたけれどその気配も無くて…。 そのうちに何とはなしに「アルコールコール」があり…準備した。 どうせ、夫も飲んでくるのなら長距離運転の疲れでも取ればいいだろう…という姉心である。 程よく酔ってきた頃に夫が帰宅。午前1時であった。 それから 更に飲み会が続き…。 夫も母の事で姉がどんなにあれこれしてるかとか親を見るのはこの勤めだろう…と話始めてしまった。 見ろと言うのは介護しろという事ではなく思いを馳せろ…という事だったのだけれど…。 「言うな」って言われているし愚痴すら零さないのだけれど…親といえども大変なことをさせているのだぞ…とコンコンと話す。 母に対する介護の認識は 夫とは違ってあくまでも「私と母の事」とすでに割り切ってしまっているので夫の話す事はちょっと外れているのだけれど…。でも夫から見たらそう見えるのだろうから…と止めずに置いた。 夫にもガス抜きして貰わないといけないだろう…。
長男が反論した。 姉の介護の向き合い方と嫁の向き合い方は違うのだ…と。 夫も「こうしなさい」とは言わなかったのに…弟が弁解に走った。 介護に関る関らないという次元の話ではなく親への思いという観点からの話だったのに…。次男は「そうです。義兄さんの言う通りです。したいけれど して無い…今の現状は意に反しているのです。でも見たいと思うし見なければならない…といつも思っているんです。自分が悪いのです」と言った。
酔いの回った夫の話は同じ所を回りだしたので…そこいらで休止して貰った。そこで、誕生日の手打ち。 弟たちは、夫の誕生日とは知らなかった。 酔いも手伝い 一応丸くおさまった。
私から長男には ひとつだけお願いをした。 「お嫁さんのフィルターで母を見ないで欲しい」と言う事である。 自分の親としてこれまでの関りを思い出して母の素の姿と向き合い 母を捉えなおして欲しい…。それが子供としての勤めだろう…」 お嫁さんには、お嫁さんの視点があって当然だからそれは否定しない。とも。 いや、息子たちと母は特別に悪い関係ではなかった。恨み言も無いのである。
がその晩…飲みすぎた方々が様々な奇行が…。 争いごとでは無い。 長男は お風呂に入り1時間半も長風呂。何とか一人で引きずり出した。 夫は先に寝たものの途中目覚めて…トイレ探し…。(こんな事一度も無かったのに…。) 布団に入ったのは 午前4時少し前だった。
今朝は、肝心の用があるので早く起きるだろうと食事の支度に掛かったが…お酒の残った体では起き様にも起きられず…時間だけが過ぎてしまった。
それでもみんな頭には残っているようで起こさなくても順次起床してきた。 昨夜の奇行など本人も周囲も全く記憶に無い様子で…何だかなぁ〜って感じだった。
肝心の話も延々と続き解決策が見え出したのが3時近くとなった。 それから、弟たちと娘と私で母の所に向かい 話したり…散歩したり…。
2時間近い時間を過ごして弟たちは帰路についた。 母の様子は、明日へとまわすことに…。
折角の夫の誕生日に込み入った話とはなったけれど…。奇行もあったけれど…。おそらくお互いの何かがひとつ吹っ切れたのでは無いか…と感じた。 形だけでも誕生日のお祝いの言葉を貰い「おめでとう」と言って貰えた事はきっと良かったのだろう…氷が解けると言う所まではいかなくともおそらく歩みよりは出来たのだろう…と思う。 勿論 弟対夫である。 そう考えれば、いい誕生日だったのだろう…と思う。
本来の母の姿の無い日だった。 痴呆となってもそれなりに母らしい所が変形しながらもある日々だった。 落ち着きが無く 気持ちや話がごちゃ混ぜになってしまっていた。
外に出る時「何処に行きたい?」と問えばそれなりに言えた。 たとえ「おかちゃんの所」も存在しなくとも 立派に行ってみたい場所に変わりは無い。 でも今日の母は言い表せないのである。考えると言うよりこちらが何を話しているかすら理解できていない風なのだ。 心ここにあらずといったものではない。一緒にいる事がとても嬉しそうなのだ。思考力停止状態というか纏まらないのである。
やはり面会を2日続けてお休みしてしまったのがいけなかったのだろうか? 良心がチクリと痛む。
何れ こういう風になるだろう…と想像は付いていた。 それは、母の言葉が後退していたからである。 だから、面会を休んではいけないな…と何処かで感じていた。 話しかけて 言葉を使う事が維持に繋がるだろう…と感じていた。 戻るだろうか?
そんな調子なのに…バスターミナルでバスを待っている時の事。 10分ほど待たなければならなかった。 いつもなら 周囲の人々、看板等に目が移り待つという事は全く気に掛けなかったのに…。 今日は、3分程で「こんな事していてもしょうがないでしょ」と言い出した。 「あと少しで来るよ」と言うと「なら待つね」と言いながら直ぐ「こんな事していてもしょうがないでしょ」と繰り返す。 「じゃ、歩いて行こうか?」と聞くと「遠いんでしょ。大分あるんでしょ」と言って来た。「そうだね、近くでは無いよ」と言うと「じゃ、しょうがないでしょ。嫌になる…」とまた振り出しに戻る。 たった10分の事だけれど何回も繰り返していた。 仕方がないので違うバスが移動する度に「あれかな」「「これかも知れない」「あ、間違ったね」と気を逸らせる様に言葉を掛けていた。 バス待ちの人は前後に並んでおり「何だろう…」としげしげと見られた。 そうだよね。でも病だから…仕方ないんだよね。 母も見られる事に不快感を持ったようである。相手だって同じ…。 こんな時見知らぬ人に聞かれもしないのに「痴呆です」なんてわざわざ説明してもねぇ〜。
そうこうしている内に、バスが来て母も納得して乗り込んだ。
母は、ほんとに「遠い」って判っていたのだろうか? この所歩いているので。何処かで覚えているのかも知れない。トイレの便座に座る時だって「冷たいの?」と相変わらず聞いてくる…。 それを思うとやはり記憶されているのだろう。 そう、火傷の事だって忘れているけれど…先日の健康診断で採血した後の止血のばんそうこを入浴時外そうとしたら「これははがしてはいけないものなの」と言っていた。これも火傷の時の事を覚えているのだろう。
記憶力とは違う 判断力が鈍って来ているのだろうか? こうやって痴呆はいろいろの能力が徐々に衰えて行くのだろうなぁ〜。 一気に悪くなる事も無いのだろうから…諦めずに母と楽しんでいこう。
今、弟2人がこちらに向かって車を走らせている。 午前零時あたりの到着らしい。 母に会うために来る訳ではないのでとても複雑な思いがする。 怒りは無いけれど…また失望してしまうのでは無いか…不安である。 ま、神様が母に会わなければならないように機会を作ってくださっているのかもしれない。そう思うしか無いだろう。
2004年02月09日(月) |
瞬時の判断力を保つには? |
予定と違った事に直面した時…相手によって対応が違ってしまう…。 条件も違うので同じレベルで考える事は出来ないけれど…。
月曜利用者さんを訪問した時 通院介助を頼まれた。活動項目には無いのだけれど拡大解釈して「散歩の応用」という事にして同行した。 それでもしなければならない事もあるので、医者に送り届けてから、直ぐ利用者さん宅に戻り洗濯物を干したりごみを捨ててまた迎えに出向いた。 活動時間終了後話し込まれたので…耳を傾けた。時間オーバーである。 利用者さんも判っていて気になさっていたが、老いて行く先の参考になるお話だったので耳を傾けた。これって、他の訪問者との兼ね合いもあるので良くないのだけれど…。生きている人相手だから…予定と違っても「時間ですから」とはなかなか出来ない。
利用者さんのお話は 入院なさった直後の話だった。 環境の変化、何が起きているかもわからない状況下の事。 どうやら看護士さんに頼んでお嫁さんに「今すぐ来て…。直ぐ来てください」と催促の電話をなさってしまったらしい。 その日息子さんも面会にいらして帰られたのに…。 自分の記憶には無いけれど…そうしてしまったらしい…と言うのだった。 お嫁さんには「ごめんなさい。嫌な思いさせてしまって…」と謝っておられたようである。 落ち着いて周囲を見てると自分の家族はよく面会に来てくれている…。良くしてもらっているんだと気が付いたらしい。
このお話を伺って、これだけ穏やかな方でもそうなってしまうのだなぁ〜と感じた。痴呆の程度が重ければ もっと強く出ても当たり前なのだなぁ〜。 健康に暮らしている身では 今の自分儘を想定してしまうけれど…。 体も心も弱ってしまったら…思いも寄らない行動に出てしまう事があるという事を自覚しておかなければならないなぁ〜。 そして そうなった時に「ごめんなさい」と謝れる柔らかな心を育てておかなければ…。行動に責任はもてないけれど、間違いは素直に謝るという事は出来るだろう…。(先の事だからわからないけれど…そうなりたい…)
活動を終えて家に戻ると娘がいた。 予定では、友人と会うため外出している筈だった。 娘から矢継ぎ早に話された。留守中の電話2件と旅行の日程の組み方…。 私の頭の中は「30分予定をオーバーしているので、早く昼食を取って母の所に出向かなければ…」という事でいっぱい。 それなのに…電話の件といい、旅行日程の事といい予定外の事で頭が回らない。直ぐに反応しないので娘はプンプンである。 電話の事が解決して落ち着いて来た頃には、娘の方が「予定通りにする」と決めていた。ヤレヤレである。
予定と違う状況になって 利用者さんの所ではうまく処理できたけれど…。 これが、娘となると対応が違う。 同時にいろいろの事の対応になると…更に混乱。 いや、考えさせられてしまった。 娘に対する甘えだろうか?それともやっぱり 年齢のせいだろうか?
気が付くと時計が3時を回っていた。この季節 母の所に出向くには遅い時間となってしまった。 娘からの用もあり 今日の面会は止めにした。
いや、年のせいにするには早すぎる。 もう少し 頭をやわらかくしておかないと…これから平均寿命までの道乗りは長いのだから…。瞬時の判断力を保つ努力をしなければ…。 さて、どうやればいいのだろうか?(ため息)
2004年02月08日(日) |
あなたには投票して無いけど…○長さん… |
町の介保事業者の協議会主催で市民フォーラムが有った。 昨年も大勢の人が参加していた。参加者は 昨年同様 保険利用者に近い年齢の方が多かった。 勿論 痴呆について…地域で安心して暮らすために…のフォーラムである。 講師となった先生は、かの有名な長谷川式スケールを作られた方の後を受けて居られる方。
時間の制約もあっただろうけれど…イマイチ家族の悩む現実から乖離していた。例えば薬。「痴呆は薬で対応でき その効用で主症状を抑える事が出来 介護保険利用の点数が減るのだから…通院してみることです」 理屈は間違い無いけれど…そこで薬服用の結果 骨、筋肉の低下、意識の混濁の加速…そういう諸問題で悩む家族はたくさん居るのである。 そこの補足説明も無かった。 地域での助けに関しても、何処そこでこんな企画が始まってます。 それなら、ニュースで知っている。 どういう経過や変遷を経て そこに至りその結果がどうなのか…そこが知りたいのに…。「自分たちで試みてください」だった。 全部ためにならなかったという事では無いし 参加者が痴呆の入り口に差し掛かるすれすれの状態の人たち対象なのだから仕方ないので有るのだけれど。
でも、やっぱり薬で全て解決するような言い回しは 避けて欲しいと思った。
それでも、質問者が昨年より より深い内容を聞いていたのでフォーラム効果は広まっているのでは無いかな?いや、それよりも介護保険というシステムを理解し始めてきたのかも知れない。
パネラーのケアマネに対して鋭く突っ込んでいた先生。 介護保険は、本人と事業所の契約です。あなたは、本人の意向に沿ってと言われたけれど…何処まで汲み取れていますか?どんな風に対処しましたか…と。「痴呆の方の気持ちは一定では無いので…」と言葉を濁してもさらに突っ込んでいた。 家族の休養、本人の意向…これは介護者の永遠のテーマになるのだろうなぁ。
痴呆者の人権についても触れていた。 2003に高齢者介護研究会の報告書にも触れて新しいケアモデルの確立なども2015に向けて動き出している…という事もあった。
こういう会にわが町の○長さんも見えていた。 家族達の会でぶつかっている問題がなかなか解決しないのでこの際だから…直訴してみようという事になり、会が終わるのを待って走るように○長さんに駆け寄り「会の案内」を渡してお願いをしてみた。 勿論役所の方も懸命に動いていて下さっている事も伝えたのだ。
それなのに隣の役所の係りの方を差して「こちらの方にご相談ください。たくさんの方を要望を受けてますので、そちらの思いだけを聞き入れるわけには行かないのです」とにべも無かった。 他所では、直訴して解決したところもある。それは、高齢化社会に向けての準備という事で受け止めて貰えたのである。先取り事業でもある。 わが町の○長さんは、話を聞く姿勢すらなかった。 痴呆の事を学ぶ会に来て、これからモデル事業に着手しなければならない…という講演を受けたその会場である。 介護畑を歩いてきた…というのがこの人の売りのひとつだった。 私は、この方には投票して無いけれど…。 でもこりゃ あんまりで無いかい? もう少し、介護者の困窮した状況を学ぶべきだと思うのだけれど…。一番身近に居る○長さんでもこれだから…国を代表するライ○ンさんになんかもっと見えないだろうなぁ〜。(ため息)
母は、居室で一人お人形に声をかけていた。「この子ちっとも話さない」と言いながら窓から入るお日様の当たる場所に置いて「可愛いね」「良かったね」と話し掛けていた。笑顔いっぱいの母だったけれど…その笑顔…痴呆の加速に思える最近なのである。 ぬいぐるみに声がけをする日が来たのだなぁ〜。 ちょっと 複雑な思いがした。
職員のお話に拠ると 昨夕 玄関の所まで行き「××(私の名)は未だかしら…」と言っていたそうである。 昨日は面会する筈の日だったけれど、行かなかった。 でも母が明確に覚えている訳はない。体で覚えた感覚が瞬間過ったのだろう。
リハのため我が家に向かう。 外に出た時信号停止の車の列を見て「自動車が並んでいるね。どうしたんだろう?」と言った。先日は「自転車が並んでいる…」と言って間違いに気が付き笑っていたのだから…今日は調子良いのかな? 足の上がりが悪かった。でも、痛いと言う訴えも無いし転ぶような事も無かった。バスも乗り継いだけれど ステップもちゃんと上がった。
家で昼食。中華餡かけを作り、おかずは「浸し豆」と「切干大根煮」「トマト」「佃煮」浸し豆は、母の好物である。 今朝夫が「少し固いな」と言っていたので母の様子を見ていると「美味しい」と問題なさそうだった。トマトジュースとお茶を飲んで片付けた。
折り紙を渡すと切り抜きをするように折り出した。判っていたけど確認の為「何を作るの?」と聞くと「お花」と言った。 頭で考えた事と動作は一致している。でも折り方が違った。 おそらく何処かで何かが違うと認識しているのだろう…幾度も折り方を替えてみていた。これは、母の性格で以前から納得できないと必死で思い起こそうと思考錯誤するのだ。痴呆になってもそういう所が消えないのはとても不思議である。 鋏を出してあげると「良い鋏だね」と言う。施設では 切れない鋏だものね。切りにくいよね。 正式では無いけれど 母の望み通りの花が出来上がった。良かった。
その後入浴、洗髪。少し冷え込んでいるので洗髪時「寒い」を連発。いえ、浴室暖房で暖めてからなのだけれど…それでも寒いようだった。 仕方ないのでバスタオルを肩からかけてあげて洗髪した。体を洗い終える頃には冷え切ってしまいお湯をかけると「熱い」と訴える。「ごめん、ごめん。ちょっとだけ我慢してね」と掛け湯を続け、体がお湯に慣れたところで湯船に浸かってもらってセーフ。
湯が上がりに体を拭くのが最近の課題である。 母に待ててねと声をかけて浴槽に蓋をするのだけれどこれが待っていられなくなっている。一人で移動してしまうのである。何事も起きなければいいのだけれど湯上りは滑りやすく転倒の危険が増すのである。 これから、だんだんに浴槽の蓋は後回しになるだろうなぁ〜。 言葉を理解できなく成ったのか、記憶の定着が鈍くなったのか…。
リハを受けている間に すっかり寝入ってしまった。かなり眠かったのだろう…。昨日の睡眠はどうだったのかな? リハの時右の足、腰の痛みを訴えた。療法士さんは「右側筋肉がいつもより硬い…」と言われていつもより長い時間ほぐしていらした。 やはり散歩が不足してるかな?
リハを終えて 室内をきょときょとしてるので「どうしたの?」と聞くと「ここを開けるとどんな景色か…こっちはどんな景色か…と考えて見てたの」と言う。なるほど障子戸を閉めてあった。 開けてあげると「あー良いねぇ」とほっとしたようだった。 外に出たいんだな…と感知して 施設への帰り支度をして外に出て駅に向かって歌いながら歩いて行った。
娘が沖縄に遊びに出かけている。 予定では Mac連れの筈だったが…。ピッチと相性が悪いようで…。 どうしても繋がらなかった。業者さんに持ち込み見ていただいたけれどMacではケーブルが悪い…ケーブルの扱い業者はMacの問題…と埒が明かなくて… とうとう、お供を諦めて出かけた。 きっと、戻ってから PC用のピッチを買うことにするのだろう。
携帯での写真で昨夜ゴーヤチャンプルーの画像を送ってきた。 「見るだけチャンプルーなんて…」と送信し「買い物リスト」もついでに送った。夕方の話では 3つのリストの内ひとつだけは無理らしい…。 しょうが無いね。
今日は、月曜利用者さんの入浴の見守りの日だった。 1時間で入浴見守りの活動である。が、お湯を張るのに20分以上の時間を要した。洗髪したい…という要望も…。退院して1週間 洗髪はなさっていないという事だった。ここは、踏んばって洗髪をした。 浴室も狭いので二人が洗い場に居るのは困難。夏ならドアを開けてもいいけれど…この季節は開け放しは寒すぎるし…。 いろいろ 工夫しなければならない事もあるなぁ〜。 こうなると見守りでなくて身体介助になるのだけれど…頑張りやさんの方だから何れ自分で出来るなる事を祈り、退院のお祝いという事で報告はやめた。これはいけない事なのだけれど…。 ついでに背中を流した。 お風呂の介助…いつもどれくらいの湯量で入浴なさっているのかわからないので利用者さんにお聞きしながら湯量を決めた。温度は設定されているので心配は無かった。 洗髪後、ドライヤーで乾かした。 お湯を張る間、留守中に枯れかけてしまった鉢植えの手入れをした。 ギリギリの1時間だった。
用が出来て、事業所に電話した。 すると昨日のヘルパーさんがいろいろ報告なさっているようだった。 短期で入る形になるのだろうなぁ〜。これで、利用者さんが気が付いてくれるかな?やんわりとお話してはいても伝わらなかったし…無理だろうなぁ〜。 高齢とまで行かない男性の利用者さんは 出来れば同姓の方の方がいいような気がする。でも、男性のヘルパーさんって未だ出会ったことが無い。 一人暮らしの方のご苦労は充分過ぎるほどわかるのだけれど…。
今週は、予定が予想外に立て込んでしまった。 そんな訳で 今日の母の訪問は諦めた。 明日は、リハの日である。
本日をもって木曜利用者さん訪問を終えた。 今日は、引継ぎの為 入った。 利用者さんには 申し訳ないけれど…。やはり、3時間の活動は無理だと判断した。 引継ぎを受けてくださる方が見つかるまで かなりの時間を要した。 皆さん 酒、タバコ、気難しいと嫌がるのである。 次を受けてくださったのは、ヘルパー2級の資格を持ち現在も活動なさっておられる方だと言う。 でも木曜の訪問は、ボランティアで入られる。 引継ぎ中 機嫌の悪い利用者さんは、新しい方を数回怒鳴っていた。 訪問者が変わるという事での不機嫌もあるのだと思った。
今日も書けないようなアクシデントがあった。 それでも、一人の時でなくてよかったと思う。 私は、引継ぎを受けるという事もなく初回から利用者さんからお話を聞きながらだったので戸惑いがいっぱいあった。 アクシデントに対しての対処も伝える事も出来たので良かったと思う。
1時間で引き継ぐ予定だったが伝えなければ成らない事がたくさんあり2時間にしてもらった。この費用は事業所持ちである。 2時間もあっという間に過ぎてしまい 次を受けてくださる方が買い物に出るのを機に終了した。 ただ、買い物先への案内もある。ここは、活動にせず同行。 外に出た途端 次を受けてくださる方が「よく1年半も活動できましたね」と言われた。「いや、1回限りで終わり…という事はしないけれど…」と不安そうである。「嫌で休みたくなる時もきっと出るでしょうから、その時はピンチヒッターで入ります。不安、不満出ましたら、いつでも言ってください」と伝えた。
いろいろ、問題が多い所である。他の曜日に入るヘルパーさんとの仕事のバランスが悪いとも感じられたようであった。 実際、ヘルパーさんとして活動なさっておられるので比較できるのだろうと思う。いや、そうでなくても判るのだけれど…。 この調整は、やはりケアマネさんの領域であると思うが…。 個人の意識でいろいろ異なるので仕方が無いのだけれど…やはりケース会議で調整しないと…。
誤解の無いように付記しておくが…。 ヘルパーとして入る場合もボランティアとして入る場合も 重い、軽い等はあまり考えない。ただ、木曜の利用者さんは普通をはるかに越えた気難しい方なのである。道理が通らないことが多すぎるのである。痴呆では無い。 初回にして弱音が出るのも無理からぬ事である。
引き継ぐ方とお会いした時は「一人暮らしだから…お辛い事もあるでしょうに…」と話されていたのだが「お金を貰っても合わないなぁ〜」と言われた。 大丈夫かな…。また、頼まれてしまうかなぁ〜。
2004年02月04日(水) |
やっぱりタコですかぁ〜 |
家に向かう途中でスーパーに立ち寄った。 ケースの中を覘きながら「食べたいものある?」と聞いてみた。丁度お惣菜売り場の前だったので芋の煮転がし、天麩羅等を見ながら「みんな食べたいよ」と言った。 施設を出る時「お昼食べてないなぁ〜」と言っていた。昼食は済んでいる時間である。「お腹の空き具合は?」と聞いてみた。「まだ、張っているよぉ〜」とお腹を撫でた。おそらく程よく満たされているんだなと感じていたのだが…。30分と経たないうちに お腹が急激に空いたとも思えないので…目が食べたいのだろうと思った。 母のために「トマトジュース、トマト、蛸」を買った。 魚売り場の前で また 蛸をしげしげと見ていたのだ。「どれにする?」と母に選んでもらった。ほんとは、母の歯を考慮して「明石の蛸」にしたかったのだけれど…母は、真だこのパックを手にして「これにする」。母が選んだ逸品だからきっと美味しいだろう(いや、どれも違いは無いのだけれど…)
家について直ぐ蛸を切りトマトと一緒に出した。やっぱり一番先に蛸に箸を付けていた。でもあらかた食べても口の中には蛸が少し残っているようでくちゃくちゃしていた。「出してもいいよ」と言うと「勿体無い…」というので有った(笑) やはり、おなかペコペコと言うほどでも無いようで、程よい量で終えた。
今日は、理解できない話が目立った。 トイレに誘導して「おしっこは?」と聞くと「あれ、何処に置いて来たかしら?」「だって、置くも何も○○チャンの体の中の事でしょ」と言うと「体の中ねぇ〜」とお腹を撫でだした。 結局、出なかったのできっと出ないという事を言いたかったのだろう…と受け止めることにした。 テーブルにすわりキッチンを眺めて「あれは、こう まとめて家を作る時に使うといいのかな…」視線の先を見てせりの水栽培の事かなと思い「これ?」と聞いてみると違っていてプラスチックに入っている豆型のコップ洗いだった。「でも何故?」の疑問がクルクル…。 ま、しょうがないよね。こういう風になっていく事は、他の方にも有ったし その方、まだ お元気だし…。
入浴 洗髪は無事終了。 ただ 体のバランスを取るのが不安定だった。 今日などは、片足立ちだって難しかった。足のむくみは強くないのに…。 バランスが悪いのは、むくみのせいでなく脳の働きのせいなのかも知れないなぁ〜。 風呂上りにトマトジュース…でも母の気持ち的にはさらっとした方を望んでいたようだった。ま、仕方なく飲んだ…という事だろう。
話はそれるけれど…今日のジュースは○△○のトマトジュース。前回は娘が母に…とユニクロ(スキップ)のトマトジュースだった。スキップの方が甘みが強いようで母もすーっと飲んでいた。でもね、ちょっと値も張るんですよ。だから、いつも…という訳にも行かないのですね。
こんな調子で、母をGHに送って行った。
今日は、精神科医を交えての会と成った。 こういう場合、普通医師に対して謝礼をお渡しするのが通例である。 でも、精神科医は手土産を持って来て下さった。勿論貧乏な会なので謝礼等は無くて…純粋に医師のボランティアなのである。 医師曰く「お勉強させて戴きたい…」と謙虚である。 家族の質問にも嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えてくださる。 参加家族には 前もって医師の参加を知らせて質問のある方は準備していらしてくださいと知らせてあった。 次々に質疑応答があった。
ある方が、アルツの場合少し乱暴になるようだけれど…それには理由があるのだろうか?と聞かれていた。 医師の話に拠れば…。 脳の中の記憶を掌る場所と怒りを掌る場所が近い所にあり 思い出そうとした時に怒りの方と連動するのでは無いかと思うと言われていた。 アルツの場合、怒りの時期は有るけれど…徐々に消えていく事が多いとも言っていた。けれど その期間等は個々によって異なるし例外というのもあると話されていた。薬の質問等も出ていた。
今日の課題は、もうひとつ有った。 それは、各自が利用している施設利用の明細書を持ち寄って その違いを比較する事だった。 一口に介護保険利用といっても何が何処にどう使われるから…○点に成るのかが良く理解できていないからまずは比べてみようという事になったのだ。 今日1日で終わらなくて次回も引き続き比較してみる事に成った。 持ち寄った事で「不思議?」が増して「どうして?」という事になっていった。当たり前の疑問が聞けない…おそらく聞いても納得できるように答えられる人はケアマネクラスだって難しいだろうと思う。 一番判りやすい事例では デイケアでの送迎バス利用とデイサービスの送迎バス利用では、デイケア利用の方が2点高いのである。 同じ条件下で何故違うのか? これは、デイケアとデイサービスの併用をしないとわからない事である。
いや、先日のニュースのように架空の利用者を立てて不正を働いていた…というような施設は関係する所では無いと思うけれど…。 でもこんな事すら個人ではなかなか聞く事が出来ない。 施設と利用者が対等といえる所まで 家族も勉強を積む事も大切かもしれない。一人だと諦めてしまうけれど…纏まれば聞ける事も増えてくるだろう。 会としても 少しずつ関係者から聴いていって疑問を解いていってみたい。
2004年02月02日(月) |
やったぁ〜の3連ちゃん |
今朝 メールだけのやり取りとなっていた病の友人から電話が来た。 嬉しかった。友人も「耳の具合を理解してくれるあんたなら話せる…誰かとしゃべりたくなったのぉ〜」 私も彼女の声を聞きたかったけれど…乾燥しきった日々 つばだって出にくい時期におしゃべりは辛かろう…とずっとずっと我慢してきた。 訪問活動前なので、少しだけお話した。 いいスタートで一日が始まった。
利用者さん訪問…。2ヶ月を経てお会いするのでお話がてんこ盛りの筈と予想して早めに家を出た。やはり 転倒した事から始まり通院、入院…詳しくお話下った。病院でのリハビリで皮細工のお財布を作り上げたと見せてくださった。病院でのリハビリは何処でもやってくれるものではない。10年以上前、ある病院で見た事があった。言語リハもやっていた。仲間に加えていただき見学させて貰った。 そこは、本数の少ない電車を乗り継ぎ乗り継ぎいかなければ成らない遠い所だった。でも今回は、便は少し悪いけれど そう遠い所ではない。 但し、病での入院は待機者がいっぱいという事だった。 利用者さんの場合、通院履歴があり緊急入院という事で叶った様だった。 やはり 通院履歴と言う物は 必要だなぁ〜。 病院でのリハ…もっと多くなればいいのになぁ〜。 利用者さんは、大きな変化はなかった。 特に麻痺などが無いので順調に回復なされたようである。 医師にも言われたらしい「前向きだから…ここまで回復できたのですよ」と。その通りなのである。家族の方も気持ちを起こす工夫をなされたのだろうと思う。 金曜に入浴の見守りが加わった。ご本人たってのご指名が有ったとケアマネさんから聞いて、恐縮するばかり…。 利用者さんの機能低下は否めない。ちょっとした事で躓いたり…が有った。 「慣れるまでは、立ち上がる前に足首をよく動かして…立ちあがったら直ぐ歩かないで足踏みしてから ゆっくり歩き出してくださいね」とお願いした。金曜まで…何処まで回復できるだろう…。 予想通り時間枠をオーバーしてしまった。でも、元気に退院できたお祝いだもの…。 何故時間がかかったか…。歩行がゆっくりだった事。そして方向感覚が違っていた。慣れた場所ではあるけれど 勘が鈍っている。「間違ってますよ」と否定せずに本人が選ばれた通りに付いて行き 気が付いた時に戻った。 その方が利用者さんのため…と思ったから。
活動を終えて 家に戻り急ぎ昼食。 娘が家にいるので もしや昼食の準備でもしてくれているのでは…と淡い期待を持っていたが…「が〜ん」だった。育てたようにしか子は育たない。 食事を終えて直ぐ 母の所に向かった。 今日は、雨降り…こんな日はきっと空いている。 これなら、風邪菌の浮遊率は低い筈…。 勘は的中。母と私の顔を見るなり診察室に呼び込まれた。 診察券、健康診断の書き込み等全くなし…。 このあたりが、罹り付けのいいところである。 診察室に入ってから、保険証、診察券を渡した。 血圧は、高め。先日の血圧は…何だったのだ? 懲りずにトマトやジュースは飲んだり食べたりしているが…。 体重が元に戻っていた。入所前の状態に成った。良かった。 これからは、あまり太らないように現状維持に努めよう…。
検診項目全て無事終えて 終了。 遅れたおやつを「タリーズ」で摂って施設に戻った。
オチ 買い物を済ませて家に戻ったのは7時少し前。暗い庭で手探りでふきのとうを摘む気力は失せてしまい…天麩羅は明日に伸ばす事に…。 誰も居ない家の中にエアコンが付いていた…。あたしゃ、エアコン入れて無いぞぉ〜誰だぁ〜。心当たりは…あるんだ。育てたようにしか育たない1匹だよねぇ〜。
今朝の朝日新聞に東京世田谷区で高齢者世帯に対してヘルパー派遣 終日可。要介護限定せず。と言う記事が有った。 対象は高齢化の進んでいる地域に限ってのようであるが…。 モデル事業の成果を踏まえて区内全域に広げ 更に介護保険事業の見直しに向け国に対しても提案して行く姿勢のようであった。 利用者のニーズに合わせたこの姿勢…広がってくれればいいなあと思う。 福祉予算の削減、サービスカットのニュースが多い中 心地よいニュースだった。
明日から利用者さん訪問開始である。 12月初旬に転倒し入院なさって居られた方である。 今後、入浴の見守りも1日入れていいだろうか…と打診があった。 細かくは 暫く様子を見て…決まっていく事だろう。 入院先を訪問しようかと悩んだけれど、結局お見舞いには行かなかった。けれど、利用者さんの近くを通る時 部屋を見上げて密かに祈っていた。 特に大きな変化は無いと聞いている。 でも、訪問してみないとわからない…。
少しのんびり加減で過ごしてきたけれど…気持ちを切り替えて取り組まなければ…。
昨日、メールに菜の花の画像が添付されていた。 画像全体が黄色身を帯びて春が広がっていた。 穏やかに介護なされて居られる方の思いがじわっと伝わってきた。 あ〜春ですねぇ〜♪ そういえば、昨年手入れしている時に折れてしまったシンビジュームの青いつぼみを持った茎…室内の一輪挿しに挿していたら…つぼみが大きく膨らんできている。 相変わらず外に放置して虐待気味のシンビジュームはまだまだつぼみは固い。それにしても 今シーズンは、霜よけの100均の傘もかぶせない儘なのにたくさんのつぼみを持っているのだ。それだけ暖かいという事でもありまた虐げられた環境に慣れて来たという事でもあるのかな? 沈丁花のつぼみも一輪ほころび始めた。 ふきのとうだって出ている。 明日あたり「ふきのとうの味噌汁」か「ふきのとうの天麩羅」でも作ってみようかな…。
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