母のタイムスリップ日記
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2002年05月08日(水) 力まず、焦らずに。

昨日よりパソコンのご機嫌斜め。買って間も無い頃より機嫌がよくない事が
あった。所謂、当たりが悪いのだろう。甥子に言わせるとこの機種はトラブル
が多いよ。といっていた。
数日前、別の用で電気屋さんに行くと、そろそろ買い換え時かな...。と言われた。まさか、その言葉がパソコンに聞こえた訳でもないだろうが、....。
修理も数回ある。もう、5、6年経つから....。
 仕方ないのかな。でも、もう少し使い続けたいな。

この所、施設では体操をしていたり、歌を歌っていたりする。
帰ると騒ぐ声も少なくなり始めているように思う。何かをしていると、幾分気が
紛れて帰りたい事をしばし忘れられるようである。              これは、母だけでは、なさそうだ。
 いつもいつも、帰りたいとさ迷う人をみると胸が痛んだので、少しほっとしている。 何事も思い詰めて行くと身体的によくない様に思う。痴呆の人は、自分では
なかなか変えられないのだから、周囲の手助けが必要になるのだと思う。
 帰りたいと言う思いを口に出せる人はまだよいほうなのだ。
言葉すら忘れてしまう例もある。そうなっていくと、細かな心を読み取ることが
介護者に求められてくる。
知り合いに、若年性アルツで寝たきりに近い状態の方を介護なさって居られる方
がいる。その方は、目から読みとっておられる。まだ、大丈夫。とおっしゃる。
 いかに上手な助け手となれるかを考える事は、介護者の技が磨かれてもいく時
でもあるのだと思う。力まずに。焦らずに。今日も自分に言い聞かせる。





 


2002年05月07日(火) 喜ぶべき状況。

帰りたいなあ の母のつぶやきに、問うて見た。
何処に? 家に。あんたも帰るのでしょ。私も一緒に行きたいな。
私の家? うん。
私の家は、この近くで、お父さんと娘がいるのだけどそこ。?
ん?違う。ああ、私一人ででも帰らなければならないかな。
処で、私の名前なんて言うのかな? 喉まで出てるのだけど、......。
そして、いとこの名前で私を呼んだ。
 今日の母は、娘の家で過ごした日々などすっかり忘れていた。
施設入居して間もない頃は、あんたの家に行きたいな。と言っていたのに。
 
 どうして帰りたいの?  つまらない。
怒られた?誰かと喧嘩した?  そんなことはない。つまらないの。
 ..。  私の我侭だね。我慢しなくてはね。あなたは、早く家にかえりなさい。
そう言って、私を玄関まで送りに来て、さよなら。ありがと。と手を振った。
母に涙は無かった。

 在宅の時、時々母に向けて楽しい?と尋ねていた。うん、楽しい。幸せ。
その時だって、私はいとこだった。
帰りたいの訴えもあった。何か嫌なことあった?と聞くと家が恋しい。といった。

 今日の私は湿っぽい。
在宅の日々が、淡々と過ぎた訳ではない。苛々もしたし、怒った日々もあった。
訳の判らぬことことを言って、お互い口も聞かず、だんまりとしてしまうことも
あった。我慢はその時だって在ったのだ。
 施設の我慢と在宅の我慢。 我慢の質が違うと思うのは、私の傲慢かな。

母は、落ち着いていたのだ。そして、私を、初めて見送ってくれたのだ。
冷静に考えれば、これは、喜ぶべき状況なのだ。
 

 





2002年05月06日(月) 息抜き。

朝から庭木の手入れ。
沈丁花、ドウダンつつじ、皐月、ブドウ、等伸びきってしまいどうにも見苦しく
なった庭木を剪定。鉢植えのシクラメンも花が終わり種がついた。暑くなり、
これも場所をかえてあげなければ....。始めると次々としなければならない事が
増えてくる。
2年前は、母も切り落とした枝の片付けを手伝ってくれた。最近は、故郷に帰る
事のみが頭の中を占め、作業などできなくなっていた。一緒に作業が出来ないと
母のいるときには、この作業を避けなければならなかった。
 昼食後、母の所に出かけようと思ったが、まだ終わらぬ作業を片付ける方を
優先することにした。
在宅だとこうは行かないなと思った。
 夕方、買い物に出るとご主人のご両親を介護している方と偶然出会った。
 数か月振りの出会いだった。
この所の忙しさ、介護保険の申請などに追われたこと等を話された。
連休はご主人のご兄弟の来訪などで忙しさは加速し、おかあさまの介護で、胃が、
きゅうんとして来て、娘さんに見守りを頼み気分転換に外に出てきたのだそうだ。
 私も過去に幾度も同じように胃がきゅん。頭クラクラ。があったのでただただ、
頷いて話に耳を傾けた。話し終えると、あなたは、もう何年も為さったのよね。としみじみ云った。 この人は、今、心を介護スイッチに切り替えたな。と感じた。 性格上、逃げる事も、投げ出す事もできずにいる人の心が不思議によく見える。
体を壊さぬように....。と言い合いお別れした。


2002年05月05日(日) 今が楽しければそれでいいね。

今日は私の誕生日。
お母さん、私をこの世に送り出して下さり有難うございます。
少し残念なのは、あなたが、私の誕生日はおろか、私の存在すら無くなりつつあることです。
 でも、あなたと約束しましたね。あなたの記憶から私のことが抜けてしまっても
私は、あなたのことを忘れない。とても、大切な存在であるのだと。
それは、今も変わりありませんよ。
 
 今日はとても暑い1日だった。
そんな中、娘と2人で自転車に乗り面会にでかけた。
ドアを空けると珍しく中から皆で合唱している声が聞こえた。
母の声も聞こえた。しばらくそっと聞いていた。
1曲終わったところで、皆と顔を合わせる。母も気がついたが動かず。
私と娘は、居室に入った。しばらくして、介護士さんに促されて母もきた。
どうやら、歌って居るうちに私の来たことなど忘れていたようだ。暑いので
半そでに着替えて、外出。ここは、なんという町か?と尋ねられた。
どうやら、私たちの家に母が遊びにきたと思い込んでいる様子だ。
こんな風に母の記憶は、繋がらず、断片的になっている。
母自身もそうなっている事に気がつくときがある。そんな時の母は、とても
不安そうになり自信をなくしてしまう。
病のはじめは、年をとってきたから仕方ないね。と話してあげ、違っていること
は指摘してあげた。それで、母も忘れないよう努力していた。
だんだんに、忘れる事に不安を感じ始めて、気落ちしたり鬱になったりしてきた。
そのころより、いろいろの間違い忘れに気がつかない振りをしてあげるようにした。聞く時には、先に今はバスに乗ってきたね。疲れなかった?等と話をして、
それから駅に行ったけど、何に乗ってきたかなあ...等と答えやすいようにして
質問をした。関連事項を話し始めたらそうそうとと肯定してあげた。
少し自信がつくと表情もゆたかに成って行くのが見て取れた。
 少なくとも1年前まで話のヒントで何とか記憶をつなげられたように思う。
今も調子のよいときはピントが合う。
緩やかにゆるやかに忘れることが多くなるな。





2002年05月04日(土) きれいですね。

今日も面会にいけなかった。
気になりながらいたが5時近くになると、ああ夕食だな。あまりに遅いと
興奮が、夜まで引きずって迷惑をかけられないと自己規制をかけてしまう。
面会時間は、常識の範囲内でと言われていて、その範囲を掴めないでいる。
 我が家の夕食は遅かったし、就寝も遅かった。だから、こちらの常識は、
施設の常識でないのだろうと思ってしまう。
 一昨日、Oさんが私を見るなり今日の頭はきれいですね。と言った。
今までとても気になっていて、言わないでいたけど、髪を結えばいいのにと
いつも思っていたの。 本当にいいわ。
私は、髪が長く、上の方だけ束ねているのが通例。今は、美容院にも行けず
パ−マも伸びきっている。見苦しくない様ににとは配慮してるつもりだったが
自転車を走らせるので乱れていたかもしれない。

Oさんには、心配かけましたね。私もだらしないですね。と謝った.
母も私の娘によく言ってた事を思い出した。もじゃもじゃの頭をみて、櫛で
梳かせばいいのに...。と。今、これが流行よ。と言うと変なことだね。と
笑っていた。
それを、思い出して帰り道はくっくっと思い出し笑いをしてしまった。
 
病になると、ある面では実に率直になる。近しければ近しいほど。
とすると、彼女もきっと、私のこと娘を見る思いだったかなと思った。



2002年05月03日(金) 来客あり。

 今日は、来客有りで母の所お休み。例年、この時期の来訪がある。
母の在宅の時は、母と遊んでくれる友人だ。
 気兼ねせずおしゃべりしながら母の事もみられるのだが、母のことと
同時進行するので、少し忙しかった。
私自身のリフレッシュになるので、嬉しい訪問ではあった。
今年は、母の事がない分少し楽だった。
 明日もまた来客予定有り。
今度は、夫の友人。これは、今朝言われたので少々びっくり。
 でも、今までいろいろ、夫に不自由な思いをさせていたので、仕方ない。
2日続けて、母の所お休みは、できる限り避けたい。
 
 今日の来客は、総勢8人。とてもにぎやかな1日だった。
明日は、5人ぐらいだそうだ。静かな我が家が、笑い声でいっぱいになる
連休の日々。
 こんな日があるのも楽しいな。


2002年05月02日(木) 昼食後なのに...よく食べた。

 五月晴れのよい天気。
いつもより、早めに面会に行った。
母は、折り紙をしていて静かだった。Oさんに依ると、昨日は、夕食後より、
ウトウトと始めたので、早めに就寝し朝までよく寝ていた。とのこと。
夜間の事は事実かは定かでないが、...。今日は、腹痛を訴えていたらしい。
居室に母を連れて入りトイレに誘う。下着から、排便の有ったことがわかる。
更にお腹をマッサ−ジすると、排便。腹痛の原因はこれ。介護士さんに報告。
着替えをして散歩に出る。バスに乗って少し遠出。
昼食が済んで間もないが、お腹が空いている様子なので、早めのおやつタイム。
ケーキセットにする。あっという間に、平らげる。母には、珍しいこと。
空腹だったのか?私のも、少し分ける。それで、お腹は満たされたようで、更に
分けようとしたら、もう、大丈夫。と言った。
また、外に出て、公園でつめを切る。母自身爪が伸びて苦痛だったみたいで、
私に爪をみせたのだ。切り終わると、ああ指が軽く成った。と言う。
伸びていたのは、気付いていたが施設より先走ってもなあと遠慮していたのだが、
その気配もなかったので...。それから、大きな広びろした河川敷きの公園でセキレイやツバメ サギ等のバ−ドウォチング。青い空の白い飛行機雲を眺めたり。おな
 入居前には、ここも良く訪れた。この景色がいいなといつも母は言ってた。
今日の母は気持ちよさそうだ。
 軽く疲れた様子で、夕食の時間もあるので、施設に戻る。

 介護保険更新手続きの続編。
今朝役所に電話で問い合わせると、自分で手続きして下さい。と言われた。
日程の調整もあるので、施設と調整して下さい。とも。
施設側に申し出ると、私がケアマネですから、私がやり(れ?)ます。
 それが、微妙な言い回しに感じた。
 以前の所なら、私もできますが、個人でも、他の所でも自由に選んでください。
それは、利用者の権利です。とはっきり前置きしてくれた。それは、私以外の
利用者も同じだった。
また、ケアマネさんは、実によく、利用者を観察していて下さるのがわかった。
 でも、今の施設では、今まで何回も会い、電話でも話しているのに、ケアマネ
と聞いたことはなかったし、母の様子のコメントもなく、介護の場で姿を見た事も
ないのだった。
家に戻り、他の施設を利用している先輩に聞いてみた。
結局、クレ-ムを付ければつけるほど、扱いが厳しくなるようだとの事だった。
今の施設がそうとは言えないが、やはり今回は、ここのケアマネさんに頼もうと
思った。 
 介護保険というものは、ひとつ、ひとつがはっきりしなくて、その度に役所とか
にたずねなければならない。少なくとも、今、持っている手引書には、書いてない。ケアマネさんの仕事の規定はどうなっているのか、今までの方はサ−ビスが、
良かったのか?その辺も、いろいろ調べてみる必要がありそうだ。



2002年05月01日(水) 介護保険の更新のための手続き。

雨上がりの庭に、草が伸びていた。
ほんの少しのつもりで始めた作業が大掛かりとなる。 
明日は、塵回収日という事もあり、後始末まで手を出した。
 介護保険の更新の手続きのお知らせがきていて、ケアマネ−ジャ−さんに
電話する。どうやら、これからは、施設に相談して決めなければならない様子。
慌てて、介護保険の解説書を読む。
其れによると、施設入居の場合は、今までの所から自動的に契約解除となるらしい。今までのケアマネさんに大分助けて戴いたので何だかさびしい。
それにしても、わかっているようで、わかってない介護保険の仕組みと思った。

 気がつくと、母のところに行くには、遅すぎる時間となった。
そんな訳で、今日は、片付けなければならない事に取り掛かった。
 銀行。買い物。図書館。郵便局。荷物出し。途中、お花屋さんも覗く。
美容院へも行きたいな。けど、時間が足りないから、今度にする。
 帰り道、デイでお世話になった介護士さんと出会う。
その方は、母が細かい仕事がすきと早くから気付いて下さり、いろいろの作業を
させて下さったのだ。施設入居が母にとって良いのかなと心配しても下さった。
母の様子を簡単にお話をした。安定するまで、やはり時間がかかりますね。とまた心配してくださる。
こんな風に、母は今まで暖かい方々にお世話になり今日まで来たのだなと思った。
  
 母は今日、どんな1日を過ごしたのだろうか。
何も連絡が入らないから、身体的には変化がなかったのだろうな。


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