母のタイムスリップ日記
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2002年04月30日(火) 残る力。

 今日で4月も終わり。
母が、施設で過ごすようになり、ほぼ1ヶ月が経過する。
 母は、入居ということは、認識出来ない。私は認識できる。
この認識の差は変わることがないのが、少し辛い。
 この所、おかあちゃんが心配してるから、の言葉が出ない。
でも、ここは、何時までいるのだろう?はやく帰りたい。帰っていいかな?
とは言う。何処に帰りたいのかな。
 今年の1月頃、母に絵を描かせてみた。ぬいぐるみや人形等実に上手く
描いていた。それには、とても驚いた。私だって描けないほど。
私の知らない能力が残っていたことにびっくりした。
 今日は、雨で散歩は無理なので、久々に絵を描いてもらった。すごい集中力で、
絵を描き始めた。形、色使い、よく観察していた。
こういう能力は、残っているのが、実に不思議に思える。
勿論、脳が侵されている場所が違うからなのだろうが、何年掛かっても、残されている力に驚きを覚える。
これは、言葉でなく、実物を見るとああなるほど。と感じることだが....。
 私は、まだ、映画、折り梅 を観て無いのだが、折り梅は、絵がかける痴呆の
老女の映画らしい。母だけでなく、そういう方が、きっと方々にいらしゃるの
だろうな。実は、能力があっても、引き出せないでいる人も案外多いのではないかなとも思う。
 絵に夢中になってる母に別れの挨拶をせずに帰ってきた。
職員の人に相談したが、言っても、言わなくてもどちらでも混乱するときはする。
しない時はしないのだそうだ。  
どちらが、混乱する確立が高いか記録を取ってみますと言っていた。    

つけてみます。




2002年04月29日(月) 切ない別れ。

 昨日の後ろめたさを引きずりながら面会へと急いだ。
母は、昨日の事など頭になく、善く来てくれたねと喜んだ。
実は、これが、1番堪える。怒られたり、脹れたりしてくれた方が対等でいられる
ような気がする。
 何で来たの? 自転車。 そう。乗られるようになったんだね。私より、
上手になったのでしょうね。私も乗れたけど、此の頃は、怖くて乗られないよ。
何時の時代に戻り、誰と話してるつもりなのか、掴めなかった。
でも、自分の事を良く知っている人という認識なのだろう。
体調もよい様子なので、散歩に出る。
今日も、Iさんが、玄関までお見送り。ついで、自分の靴を確認していた。
一緒に外に連れ出したい所なのだが、そうも行かぬらしい。もう少し慣れてから
と言う事か。
 桜並木の川辺りは、故郷の景色と似ているので母も気に入っている。
ベンチに腰掛け、おやつ。 私、お昼食べてないからおいしい。と御満悦。
あなたも、食べなさい。 わたし、食べたのよ。あんまりおいしくて、これは、
おばあちゃんにも食べさせなくちゃ。と持って来たのよ。  ありがとう。
そんな会話でおやつタイム。
更に散歩は続く。歌いながら歩く。身振りも付いてくる。母が安定しているのが
わかる。身振りが付くときは、心安らかな時なのだ。
ホ-ムに戻ると、今日は長かったのね。とOさんがむかえてくれた。歩いてる2人
の姿みえたのよ。  そういえば、彼女は、ベランダでお布団を取り入れていた。
ホ-ルのテーブルに落ち着いた母なので、その場を離れ帰ろうとしたら、気付かれ
てしまう。また一人になるの?だって、Oさん Iさん も居るじゃない。
また、明日来るね。待っててね。 きょうも切ない別れとなる。
 こんな日が暫らく続きそうな気配。  
 


2002年04月28日(日) 母さん ごめんね。

 ここから、どうやって、帰ればいいかご存知ですか?
母は、Iさんに尋ねていた。私を見つけると、ちょうど良い所に来てくれた。と
喜んだ。私帰ろうと思うのです。と訴えた。帰る事以外の話は、耳に入らず、
外に出て、話題を変えるしか無い様に思えたが、ひとまず、トイレへ。
運よく、排便ができ、一息つく。居室から出るとHさんが、仕事に行かなければ、
そわそわしていた。Hさんお部屋に入って...と、うるさそうに、部屋へ入れて
しまいたいOさん。これを、数回繰り返していた。
 見かねたので、Hさんを誘い、3人で風船飛ばしを試みる。うまい具合に、
母もHさんも笑いながら遊びに興じてくれた。止められなくなった.
ふと見ると、Iさんが、じっとこちらを見ていたので声をかけ4人で続けた。
1時間以上続けて、疲れ始めた様子なので、解散とした。
久々に遊んだ。風船もたのしいね。Hさんは言った。
母も落ちつた様子なので、帰ろうとしたら、私も行く。と涙目。
 明日来ますね。明日帰りましょ。だから待っててね。と振り切るように
帰ってきた。
 少しめまいがある様子で、不安だったのだろう。
可哀想だが、仕方ない。母さん、ごめんなさいね。





2002年04月27日(土) 友人との語らい。

 今日は、久しぶりに旧知の友が来訪。
2人がきた。2人とも独身。自由の身。
手作りの料理で昼からワイン、ビ-ルを楽しむ。
友は、フル−ツ、をたくさん買い込んできた。
 居間でゆっくりと思っていたが、1度ダイニング座ると
もう、そこから動かなかった。
こんなにも、おしゃべりができるのかとおもうほど、しゃべった。
女3人寄れば、姦しい。というけれど、なるほどこういうことかと思った。
アルコ−ルの影響もあるのだろうけど。心地よく酔う。

 職業柄、施設の事も話題の中心となる。老人の施設ではないが。
母の施設の出来事。例えばカイロの事。医療色が強ければそうなるかね。
そんな話になる

 私が毎日面会に行くこともいろいろない?とも聞かれた。
私自身、別の施設見学をした時、毎日面会にこられるご家族がいますが、
自宅でも介護できるのでは?と言ってたので、それも気になり、
 周囲との関連で迷惑ではないですか?と尋ねたが、心配ないですとの返事。

 初めのうちは何を聞いてもグル-プホ-ムですから、との但しがついた。
でも、此の頃、そのガ−ドが消えつつあるように思う。

終わりのないほどに、話は続いた。
まあ、現実的な話題ばかりだね。もっと、私たちの夢、希望そんな話にしなくちゃね。と言いながら、それは、若い人に任せるか?となる。
 
 この世代は、微妙な年齢。
友人の1人は夜勤明けでの来訪。それでも、10時過ぎまで、ワイワイとすごす。
泊まっていけば。と誘うが、明日の予定があるとかで帰って行った。

 お腹いっぱい。心いっぱい。久々のくつろぎタイムだった。

 



2002年04月26日(金) ん〜。

 どうにも動きが取れないことが生じてしまった。
Yさんの事。
 彼女は、施設ではなく、病院に入所してたのだった。
けれど、面会が出来ない。家族の了解がいるのだ。
私は家族を知らない。家族は遠く離れていて、住所も知らない。
でも、今彼女は私の所から徒歩3分の所にいる。(前はバス12分+徒歩5分)
 彼女はそこがどういう所かきっと判ってる。痴呆の進んだ母が1度通院したが、
母だってあの時わかり、なぜ自分が?といやな顔をした。それからは、連れて行かない。あの時の母より理解できるのだから、不安と混乱とでグニャグニャに
なってないかと気掛りなのだ。それにより、病が急激に進行しないか心配。
 運良く、面識のある医師がいたので、手紙、電話は良いのか確認した。
それは、自由との事。ただし、電話の場合此方からは駄目なので、彼女から掛け
なければならないと。番号のメモを持参したかわからない。すると医師は、手紙に
書いてあげればよい。とアドバイスしてくれた。でも、電話探せるかな...。とも
言った。
ん〜〜〜〜。もう少し知恵を絞らねば。誰にも迷惑を及ぼさずに事を運ばねば。
 やはり、もう少しの時間が必要かな。気が急いてしまう。落ち着かねば。

母のこと。
 母は腹痛で布団に横になり、軽く寝入っていた。
すぐに目覚め、お腹痛いのと訴えた。トイレへ誘導。お腹マッサ−ジ。コロン。
コロン。コロン。と3個でた。看護婦さんと症状について軽く話をして、散歩に
連れ出した。歌を歌い、おやつを食べ、更に散歩を続けた。もう、腹痛の訴えは
消えた。私の着く前に温湿布も処置していただいてるのが判った。我侭聞いて
貰えた。嬉しかった。施設に戻っても、腹痛は訴えなかった。
 今、私はこういう、訴え事や処置から解放されてるのだなあ。と感じた。
これが、1日に何度も繰り返され,
その度に外に出たりしてたのだなあ。
 毎日施設通いで不自由さを感じていたが、...。やはり、楽になってるのだな。
今日のYさんの事を思うと、今の母は幸せな方かなとも思った。


 





2002年04月25日(木) 私の年は娘に聞かないとわからない。

今日は、ホ-ム内が静かだった。
入浴後だったらしく、居室で休まれていたり、外出なさっている方もいた。
母は、塗り絵に熱中していて、私の来訪に気付かなかった。
このようなことは、在宅時にも在り好ましい傾向と思った。
そんな訳で、入所している方としばらく話をした。出進地を尋ねると、其々
の記憶を辿りながらお話して下さり、若い頃の話まで花が咲いた。
昨日、外出の少ない、また面会の少ない方の表情に張りがないように感じ、
少し気掛りだった。
そんな方が生き生きと話して下さり嬉しかった。
 Iさんは、昨日、ここにいれば1人じゃないからいいよ。と散歩に出る私と
母に声をかけてくれた。でも、今日は、娘さんが外に連れ出していた。
戻った時の笑顔は、晴れ晴れとしていた。ほんとに、良かったね。
周囲と話してる内に私の年は娘(名前をいった)に聞かないと判らない。と
母の声がした。どうやら、塗り絵に名前と年を書くらしかった。目と目が合い、
手招きしたので86歳というと、へえという顔をした。大正5年生まれの人は、
皆そうよ。ふ−ん。みると、母の描いた塗り絵は、旧姓だったり、孫と同じ年
だったり、様々だった。それに、自分で気付き、何をしてるのだろう?と言った。
 今日の母は普通に近い母だった。
散歩に出て、私はあなたが来てくれ呉れるから嬉しい。淋しくないよ。有難う。
あなたも、忙しいのにね。とまともな言葉。
 こんな日があるから、励みになるのだなあ.....。



2002年04月24日(水) 今日は長くなります。

 1人暮らしのYさんの事。
昨日彼女に電話した時、前日の電話を入浴のため短時間で、
切り上げた事をまず詫びてくれた。それは、記憶通り。
次に、明日入院するから、電話をくれてもいないよ。
でも、心配しないでね。と言った。
半信半疑で聞いていた。この間の事もあるし、明日電話
すれば解る事と思った。どこかで、妄想だな。と思っていた。
でも、今日の電話は通じなかった。
ちゃんと、お別れの挨拶をして行かれた。
実は施設入居の話が進行していたのだ。彼女は知らないだけ。
こんな事なら、何処へ入居するのか今日出かけて確かめて
置くのだった。近くなら、時折面会に行けるのに.....。
まっ仕方ない。その内何処からか情報が流れてくると信じたい。

 母のこと
 今日も母は比較的落ち着いていた。いろいろ指導のチャンス
を与えて戴いたようだ。洗濯物の畳み方。母の畳み方は、天下
一品なのだ。手アイロンなのだが、本物のアイロンがいらない。
その手順を指導させて貰ったみたいだ。後は鯉のぼりの仕上げ。
これも、お得意。
少しずつ活躍の場を与えて戴き安定してきている。
 記憶は1秒前ですら分からない事が多い。風呂から上がり、
浴室で体を拭いている状態でも、風呂入ったっけ?となる。
けれど、昔経験した事、おそらく、誉められていた事は、
できるのだ。本当に不思議な病だ。
 いつもの如く外出。お天気もよく、バスででかける。
いつもの美容院。空いていたので、カットしてもらう。
ここは、何度か来ていますね。と確かな記憶だった。
美容院では、時折急に不機嫌になるが、今日は大丈夫だった。
美容師さんも、今日はよい日ですねと分かったみたい。

 母と私は対。   
母と近所を散歩しなくなり、お母さんは?と聞かれる。しばらく
行ってなかった和菓子屋さんでも、母の事を覚えていてくれた。
 何処の誰かも知らないが、買い物に出ると出会うおばさんがいた。
その人はいつも、母を撫でて、幸せ、幸せ、しあわせを分けてね。
と言った。
今日 そのおばさんとすれ違った。おばさんに声を掛けたのに、
全く気付かず通り過ぎていった。 やはり、母在っての私だなと
感じた。




2002年04月23日(火) たかがカイロされどカイロ

 腹痛の時、ホッカイロを使用させてください。
こちらで、準備しますから。と介護職の方に申し出た時
返ってきた言葉は、看護婦に聞いて見ます。だった。
看護婦さんは、低音やけどのおそれがあるので...。
でもご家族からのお願いであれば、日中なら、看護婦が、
必ず居りますから対応できます。取敢えず、温タオルで
対応します。夜間は.....。
私、なおも食い下がり、申し送り事項で、3時間以上は、
駄目とかで対応できないのでしょうか?
 タオルの温かさとカイロの温かさの持続時間は違う。
冷めたら逆に冷える。事故を心配するのならカイロカバ−
もありますから持参します。
ということで、カイロとカバ-を届ける。
 カイロは医薬品ではない。腹痛の頻繁な母は、夏でも、
必需品なのだが。いやはや、難しい。
 腹痛により心が安定しないと奇行に走り、対応が更に
大変になり、本人も苦しむし....。
在宅時には重宝したものが、施設では容易に使えない。
たかがカイロされどカイロ。
 
 今日の面会時は面会者が多く賑やかだった。
Oさんの娘さん、お孫さん、ご兄弟等いらしていた。
こんな日もいいな。と思った。
穏やかな空気に満ち溢れていた。母も穏やかだった。
いつもの如く散歩に出る。散歩の時は在宅時より、母と
腕組み。子供のころから、母と手を繋ぐ事等皆無の私。
転倒防止と心の安定のため腕組みするようになったのだ。
 爽やかな風。柔らかなお日様。心地よい散歩ができた。
ホ-ムに戻っても穏やかな空気は変わらなかった。
面会者はもう誰もなかった。
oさんからの報告では、朝の歯磨きの声がけ、拭き掃除の
声がけ等をして戴いて仕事をした様子だった。
今は3人で手分けして掃除をしてるみたい。
役割を得ると母は生き生きしてくる。在宅時もそうだった。
よかったね。
明日また来るね。  ありがとう。  いいえ。






2002年04月22日(月) 失礼ですね。私水虫なんてありません。

 今日の面会は、Oさんが、娘さんとお孫さんと外出する所に
かち合った。どうやら、おいしい物を食べに出かけるらしい。
報告が無いのは、少し物足りない気もする。
けれど、彼女の輝くような笑顔に出会えて清々しい気分になる。
 Fさんは、息子さんの迎えを待っていた。おそらく、今日は、
来られない日なのだろう。職員の方が、道が渋滞してるから、
少し遅くなるってよ。と対応していた。
 母はいなかった。違うフロアで塗り絵をしてるという。
ああよかった。母の好きな事が出来てるな。
Fさんが、戸口に座り込みそうな気配なので、風船遊びに、
付き合って貰った。いろいろとお話を聴かせてもらう。
 
看護婦さんの話。
 母は、爪の水虫のため、薬を持参して入居した。
 在宅時には、入浴後ちょっとお薬塗るねと断れば、
特に水虫だからと言うこともなかった。
 施設では、母の機嫌の善い時は、まあまあ薬まで塗って頂いて
すみません。と恐縮するが、機嫌が悪いと、失礼ですね。私水虫
なんてありません。と怒り出すのだそうだ。
勿論、最初に水虫の薬塗りましょうと声を掛けるからと思うが。

謎が解けた。
 息子が海で...の話。
何故あんな話になったかと、あれこれ考えてみた。
結局、TVのニュ-スかドラマが妄想の原因かなとおもった。
母もそうだった。台風がくると予報が出れば、大水になると、
パニックを起こした。洋画をみれば、アクション系だと、
怖い人がくると一騒動起きた。
おばあちゃんもそうだったよねと娘も懐かしげに話した。
 そして今朝、ラジオから似た話のニュ-スがきこえた。
あっやっぱりね。これで謎が解けた。

今日の母。
 鯉のぼりの塗り絵に夢中だった母なので、このまま帰ろうと、
思ったが、運動させなくては...と思い直した。
外に出かけて見ない?と誘った。行くとの事。
今日は人混みに入ってみようとバスを待った。そこを偶然我が夫
が車で通る。これ幸いとばかり、同乗しデパ−トに出向く。
母は大きく伸びをして、ひろいなあ...。
そうですね。こんな広い所は17日ぶりですね。それまでは、毎日、
来ていたのに...。ちょっと、お茶でもしましょうね。
戻り道は私と宿に泊まるモ-ドになっていた。が施設では丁度夕食。
食べ始めた母を見て、そっと帰路につく。







2002年04月21日(日) 息子が亡くなり明日葬儀。

 今日は母の話から逸れる。
私の周りには、気になる人が少しいる。
その一人Yさんの事。
 Yさんは、軽い痴呆のある1人暮らしのご婦人。
この所、母の事にかかりきりで、彼女の所に訪ねて
行けない日々が続いた。
1週間前、突然電話がきて、主人が預かった子を
連れて出かけ帰って来ないの。どうしましょう。
と相談だった。
彼女のご主人は3年前に亡くなっているので、妄想
であると直ぐ気付き、大丈夫。ご主人きっと帰るわよ。
と話を合わせた。そして、あなたが外に出てしまうと、
帰っても、家には入れなくなるからじっと待っていてね。
と付け加えた。
彼女の家の近くに私の友人が住んでいるので、翌日、
様子を聞いた。
この所彼女は気持ちが安定せず、夜も外に出ることも
在ると知る。
それから、毎晩電話訪問を続けているのだが・・・・。
昨日のこと。長男が海で自殺したのよ。それで、明日遺体が、
戻り葬儀なの。私悲しくて涙が出てね。
私は事が事だけに、一通り話を聞いた後に電話を切り友人に
電話をしてみた。友人はしばらく考え妄想かも。明日訪ねて
みるとの事。
今朝1度訪ねた時は留守。2度目にはいた。変わりなかった。
ああ、妄想で良かった。
さっき、電話したら何事もなく元気な声が聞けた。
風邪気味で入浴せずに、うがいをしてもう寝るよ。との事。

 彼女の姿は明日のわが身。といつも思う。
彼女は先のことを教えていてくれると思う。
76才(自称)の彼女に子供は2人。私にも子供がいる。
何がどうなるかわからぬこの時代の事。
 1人に成らぬと言う保証は無い。

重い痴呆なら仕方ないが、軽ければやはり自由に過ごしたい。
先日、母のかかりつけの内科医より、早期発見が大切と言うけど、
早く見つけて痴呆だからと決め付けるよりも、そこそこ生活
した方が善いと思わんかい?と聞かれた。
そういう側面もある。
そう思うからケアの隙間の応援をYさんにしてるのだからなあ。








2002年04月20日(土) 母、説教した?(日記を付けた訳と母の事)

今日もOさんからのご報告。
 お母さんね、Fさんが帰る帰ると言って
いたら、我侭は言わない方がよいよ。と
止めておられました。との事。
そういう母も手招きで居室に呼び、帰りた
いなあの連発。
体調も比較的良好。居室で、Oさんの淹れ
てくれたお茶でお菓子を頂いた。
 数人が散歩に出る様子だったので、一緒
に外出。皆さん安全第一でゆっくり歩行。
母はテンポを上げたい様子なので、途中から
別行動。それから更に2キロほど歩いて戻る。
帰りたいの言葉は消えていた。
今日は歌いたい人が歌集を使い歌っていた。  

 前説なく日記を立ち上げた訳。
これは、単純で2つの訳がある。
1、パソコンに慣れてない。
2、整理すると率直な感想でなくなる。
 これまでの事。
母、86歳。要介護5.(実際は3か4かな)
  混合型痴呆(アルツ+多発性脳梗塞)
  発症時期。10年ぐらい前。
  父。9年前他界。    父亡き後、
  母納得の上(生前父からも依頼あり)所謂
  呼び寄せ老人。
  故郷には息子2人在住。
  希望により母を呼び寄せたが、故郷を恋し
  がるので、話し合って、子供たちの家を2ヶ
  月毎まわることにする。
  4年の時を経て、娘家族が戸建に転居。
  それを期に息子からの迎えが自然消滅。
  以後、娘家族と共にすごす。
在宅での助け人。
  初期 有償ボランテア(1)、訪問看護(1)、
     デイサ-ビス(2)
  介護保険開始時 デイサ−ビス(4)
          ショ-ト(2ヶ月毎5日)
  6ヶ後  デイ(4)ショ-ト(月7日)
  他娘の友人数人の来訪。娘夫の兄弟。
グル-プホ−ム入所に至るまで。
  1年ほど前より娘体調不良。ストレス性
  のもの。及び要注意事項あり。
  家族の者、勤務が深夜に及ぶこと多くなる。
  丁度、広報でホ−ムの入居者募集がある。
  
  介護度5では無理と思っていたが、一応、生活
  は自立。歩けるので大丈夫との事だった。
  希望者が多すぎて、選考でなく先着順となる。
  (施設側の説明では)
  という訳で、思いも掛けず決まってしまう。
  おまけに、終身型のホ-ムであることを入居が
  決まってから知る。
  但し、娘家族はここ2年位の目処で在宅に戻す
  つもりでいる。(状況にも依るが)
  

 

    



2002年04月19日(金) 伝わらないもどかしさ。

今日の母は腹痛だった。
これも、在宅時より日常茶飯事のこと。
私にしては あ またね。と言った所。
でも施設では心配事となる。
昼食も半分摂取、軽く横になっていた。
いつもの如くOさんの報告。
あなたに食べさせたいと昼食のパンを半分
残しているから貰ってね。
如何にも美談風であるが・・・・・。
そうじゃ無いのだけどなの言葉を飲み込む。
入所前の聴き取りで話したことだけれど、
細かいニュアンスが伝わっていなかった。
訪問看護、デイサ−ビス、ショ-トステイ利用
介護保険の更新の度に伝わらないもどかし
さを感じる。
話し方がいけないのかな?
今日も看護婦さんに具体例をあげて説明。
腹痛の原因はその都度違うし対処も違う。
実の娘の私でさえ????なのだから、
仕方ないと言えば仕方ない事なのだな。
 腹痛を紛らせて貰おうと散歩に出ようと
思いましたが娘さんと行き違いに成ると、
と思いまして取りやめました。との事。
昨日の猜疑心が伝わったみたい。
でも、いなかった事が問題でなく内履きで
ホントニ散歩?と言う事だったのだけど。
これも変な伝わり方。
難しいなコミニケ−ション。
 4時から夕食になります。
えっ、もうすぐですね。じゃ散歩は無理?
居室でひたすら母の帰りたいと言う話を
聞き、風船と体操で気晴らしを図る。
持参したおやつも駄目ね。
ごめんね。も少し早く来れば良かったね。
入浴して、全て着替えていた。頭も匂わな
かった。それはよかったね。

 突然に前説もなく記しはじめた日記。
読んでくださる方は状況が判らない事で
しょう。
今日、それに触れようと思いましたが、
長くなりました。これは次回に回します。



2002年04月18日(木) 一体何処行ってたの?

 面会に行くと、母はいなかった。

今、散歩に職員と出かけてます。

ああ、善かった。えっ。でも外履ありましたよ。

じゃ上履ででかけたのですね。

あんなペラペラの室内履きで?と気になる。

持参したボ−リングセットで入居者の方と遊

ぶ。 間もなくすると、母が帰ってきた。

何処行ってたの? 散歩よ。

外から戻った筈なのに、履物を拭くでもなく?

別の人も外出より戻る。ちゃんと外履から内履

に履き替えていた。

一体何処に行ってたの?少し猜疑心が湧く。

母の記憶は辿れない。ちょっとした事だけど、

隠すこと在るのかな?

ま、お世話になってるのだし、勘違いかも。

昨日、気になりながら下着をかえてあげずに、

帰宅した。今日の母、なんだか匂うな?

居室に入りトイレへ。う−−−ん替えてない。

アルコ−ルの清拭紙できれいに拭き取り、下着

洋服全て替える。出せば洗濯して貰えるけど、

取り替えてないとアピ−ルするようで嫌だな。

持ち帰ろうっと。

入居者の人に聞くと、順番に入ってますよ。と。

でも、血圧の上昇以来入浴してる様に見えな

い。頭も匂う。もう少し様子を見よう。

散歩したとは思えないので、ささっと散歩。

多少のふらつきはあるが、歩きは早くしっかり

としていた。

今日はFさんの息子さんが来ていた。

帰りたがるFさんに、家は売り1千万でここを、

買った。ここは、皆面倒見てくれるから安心だ。

と息子さんは言い聞かせてた。

息子さんが帰られた後、ありゃ、何を考えてい

るものやら・・・とFさんぼやく事しきり。

人のこと笑えない。私だって後少しで帰れるよ。

と言い続けているのだから・・・。

在宅なら毎日入浴できて、着替えも直ぐ。

汚れた状態にせずにすごせるけど、委ねたの  

だから仕方ないか・・・。














2002年04月17日(水) 母よ偉いぞ。

 昨日の面会時、他の人も帰りたくなるから

帰ると言わないであげてねと忠告をした。

今日の母は1度言ったきり言わなかったとの

事だった。 覚えていて努力して偉いぞ。

私と居室に2人になると帰りたいを連発。

よく我慢したと思った。

眠そうで、横にならせてみたけど、眠りそう

もなく、散歩にでた。公園で遊ぶ子供をみて、

心和ませたり、藤棚の下で歌をうたい過ごす。

施設に戻るとFさんが帰り支度をして、ドアの



前をうろうろ。職員の声も耳に入らない。

Fさんボ-ル投げの仲間に入って下さらない?と

誘うと ウンいいよ との返事。

炭坑節やソウラン節を歌いながらボ-ルで遊ぶ。

途中、職員の方や入居者のかたがFさんを探し

にきた。皆一安心の様子だった。

 夕食の時間となり帰宅。

母 相変わらず血圧高めだ。でも一緒にいる時

2回も小があったので水分を取るようになったな

とわかり、ほっとした。

 これから少しずつ安定してくれればいいな。





2002年04月16日(火) 私のいとこです。

 面会に行くと(私の従姉妹です。)と紹介。

今日は従姉妹モ-ドで対応。

良く来てくれたわね。私、帰ろうかと思うのよ。

いえいえ大事な人だし、会いたいしね。

ありがと。

いえいえ。どういたしまして。

帰る手続きが未だなので後少しまってね。

どのくらい?      ん。後少しよ。       

 血圧も安定してよかったね。

血圧なんて高くなかったよ。  ・・・・・・。

 今日は血圧上昇の訳を考えた。

散歩
 
 家 毎日、1時間半の徒歩。

 施 数日置き、30分程度。

   気分転換と運動量の差。

水分摂取

 家 飲み残し確認などでき量が確認できた。

 施 確認できてない。

   利尿効果の差。

作業

 家 無理のない程度の作業があった。

 施 自主性を重んじるため特にない。

   生活の張りの差。

こんな所かな。でも、施設の限界もあるし・。

今の所、面会で解消しているものの、他の人

より頻繁に面会するのも気が引けるし・・。

どうしようかな。

   
  
 


2002年04月15日(月) ここは何もしない所。

今日、面会に行くと、怒っていた。

ここは、この通りボ−と過ごしている所で何もする事はない。

こんな所にいても仕方ない。家に帰る。

こんな訴えが一方的に始まった。

血圧も下がり退屈病が始まった。話を充分に聞いた後、

辞める手続きをとるからも少し待って。と対応。

 気が休まったようだ。散歩をして気分転換を図り、

さよならをした。

施設入所のはじめは、ショ-トステイより大変だ。

 ほんとに慣れる日は来るのかと不安。



 


2002年04月14日(日) 血圧の急変。

施設入所10日目。
昨日より血圧が急激に上がる。
施設からの連絡を受け、在宅時にお世話になっていた内科医へ通院。
ストレスからのものだろうとのこと。

点滴を受けて施設に、戻る。

施設職員の心配は脳梗塞。
一応、通院によりその心配は薄れたので施設側も私もほっとする。
在宅時には水分の摂取、散歩などかなり配慮してきたが、
施設となると、個々への対応がなかなか難しいのかもしれない。

予測の範囲内の出来事である。
母自身、施設職員、私、共に不安定な時でである。


  


2002年04月13日(土) 初めての記入。

日記は若葉マーク。
どこまでやれるかわからないけれども、

まずは試運転。


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