2016年03月10日(木) |
ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』★☆☆☆☆ |
ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』
半ば意地で読み通した一冊。 久々に読みながらざわざわしました。(あ、イケダハヤトさんの本でも感じた)
基本的に上から目線の語り口が嫌いなのかと思ったけれど、そうではなく、のらりくらりと結論を提示することなく展開していく書き方が嫌いなのだと気付きました。
結局メモしたのは、選択理論やアドラーと共通する部分。 だったら選択理論の本でいいじゃないかと。わかりやすいし。
メモ。
「あなたは求めるものを手に入れられないし、欲するものを得ることもできない。求めるというのは、自分にはないと言いきることであり、欲すると言えば、まさにそのことー欲することーを現実に体験することになる。 したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。」(p32)
「『正しい』とか『間違っている』とかは、ものごとの本質ではなく、個人の主観的な判断だ。その主観的な判断によって、あなたは自らを創り出す。個人的な価値観によって、あなたは自分が何者であるかを決定し、実証する。」(p87)
「さて、いまの自分とこうありたいと望む自分の違いがわかったら、考えと言葉と行動を気高いヴィジョンにふさわしくー意識的にー変えようと決心しなさい。 それには、とても大きな精神的、肉体的努力が必要になる。一瞬も怠らず、つねに自分の思考と言葉と行為を見張っていなくてはならない。つねにー意識的にー選択を続けなければならない。このプロセスは、意識的な人生への大きな一歩だ。」(p134)
「『天国へ行く』のではない。自分がすでに天国にいると気づくだけだ。受容と理解があるだけで、そのための努力や闘いがあるのではない。」(p168)
「悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。」(p169)
nowhereではなく、now here.
「その選択の基準は何ですか?
自分が何者だと思うか。そして、何者になりたいと思うか。 これがすべての選択の基準であるーこれまでも、これからも、すべての人生の選択基準である。」(p178)
「つねに現在があるだけだ。あなたが自分を経験しつづける永遠の時があるだけだ。」(p179)
「間違っているとか正しいとかいうことはないのでしょう。
そう、そういうものはない。ただ、あなたにとって有益なことと、そうでないことがあるだけだ。『正しい』とか『間違っている』というのは相対的な言葉で、わたしも相対的な意味で使っている。」(p278−279)
「人生で何かを経験したければ、それを『欲しい』と思ってはいけない。それを選びなさい。」(p309)
ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』
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