2014年12月19日(金) |
山本ふみこ『朝ごはんからはじまる』★★★☆☆ |
山本ふみこ『朝ごはんからはじまる』
心に残ったところ。
「わたしには台所ですることがある。 台所はまた、わたしを待っていてくれるものたちが、いる。」(p13)
「家族は親しいのに越したことはないが、遠慮がないのはうまくない。よき同居人として、気をつかい合いたいというのが、ひとつ屋根の下で暮らす際の、目当てである。」(p47)
「目に触れるモノ、毎日使う道具は、ほんとうに気に入ったモノであってほしい」(p103)
「うちには客用の食器がない。食器ばかりでなく、わたしには『客用』という概念がない。」(p104)
「持ち過ぎることは、不足と同じ位困ることでもあるんだな。両者の困り方はちがうけれども、どちらも困る。」(p117)
「子どもをもつ母親として、いつのころからかわたしは、この子どもらといつか『気持ちのいい隣人』『佳きよそのひと』になることをめあてとするようになっている。」(p128)
「誤解をおそれず言うなら、だんだんに、子を子とも思わぬわたしになりたい。そうして子どものほ うでもわたしを、親とも思わないようになってもらいたいのだ。」(p128-129)
選択理論的な接し方のできる親子に。とても共感。
「伝えたいことは、静かに自分がしていればいいのだ、と、この頃考えるようになっている。子どもはいちばん身近にいる大人を、どこかでじっと眺めている。いや、じっとは見ていないだろう。ついでに、しかし、要所をつかんで眺めていそうだ。」(p129)
「ひとたび、出かける、というと、とつ然、息せききって、片づけに走りまわる。 寝る前も然り、台所のシンクに、使った食器や器具類が置きっぱなしになっているなど、だめー、なのだ。 家に帰ってきたときのわたし、朝目覚めたときのわたしを、がっかりさせてはまずいからである。やる気を殺ぐことになる。」(p198)
じぶんをがっかりさせない、という考え方は大切にしたいな。
天とつながるとはどういうことか。 「自分がさせてもらっているすべてのことを、無心につとめる。それに尽きる、と思った。」(p199)
山本ふみこ『朝ごはんからはじまる』
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