2013年03月28日(木) |
塩沼 亮潤/板橋 興宗『大峯千日回峰行 修験道の荒行』 |
塩沼 亮潤/板橋 興宗『大峯千日回峰行』
心に残ったところ。
「物はまったくなかったのですが、常に笑いがありました。心は豊かでした。このようなことが、もしかすると出家のきっかけ、原動力になったのではないかと思います。」(p13)
「誰にも必ず人生の岐路というものがございます。(略)人間が決断しなきゃならいことはたくさんあると思うんです。 (中略) ストレートに行くのもそれはそれで感謝ですし、回り道をしても感謝です。」(p37)
「人間というのは、人の目はごまかせても、自分自身の心は絶対にごまかせません。どこで手を抜いたかというのは、自分が一番よくわかることだと思うんです。」(p75)
「本当の修行とは、何気ない日常生活がそのまま修行であることに納得していることです。」(p174)
「『素直』と『謙虚』のわらじを履く」(p180)
「行が始まる前の発心がすべて行を決めると思うんです。いかに純粋に、いかに目的をきちんと間違えず明確に持っているか。その発心が一番大事だと思います。菩提心は日々培っていくものだと思います。」(p202)
「しかし、どこから来てどこへ行くのかはわからなくても、大事なのは今なんです。」(p208)
愚痴について。
「ええ、昔はあってかもしれませんけれども、いまは因果応報というのですか、やったことは必ず返ってくるということを自覚しておりますから、絶対に愚痴は言わないようにして、ありのままを受け入れ、急がず、焦らず、背伸びせず、大らかにのびのびと、というふうに変わってきました。」(p209)
「近所の人でも、近所の子どもが遊びにきても、何か一つその人の持っているいいものを自分に取り入れさせていただきたいということで、人がものすごく好きになりました。また人と話すのが好きになり、そこからいろいろなものを学ばせていただくという楽しさを知ってしまったので、毎日が楽しくてしようがないという日々でございます。」(p214)
「自分にとっていやな人でも、きらいな人でも、自分の心の成長のためには大切な仏様のお使いかもしれない、そういう考え方ができるようになりました。」(p216)
呼吸の大切さ。
「今は、呼吸という一息一息を大切にするようになりました。 例えば、座禅をしている一定の時間だけ呼吸を大切にしても、座禅が終われば呼吸を大切にしないようなものです。そうではなくて、本を読んでいても、ご飯を作っていても、歩いていても、今という一息を大切にするようになりました。」(p218)
「行じていた時は、目標とするものが遠くはるかかなたにあるものだと思っておりましたが、だんだん、こんな近くにあったんだと気づきはじめました。」(p219)
「最後の一息まで私たちは修行なんだと思います。」(p222)
塩沼 亮潤/板橋 興宗『大峯千日回峰行』
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