2007年12月29日(土) |
杉谷みどり /石飛博光『ほっとする禅語70(続)』★★★★☆ |
『ほっとする禅語70(続)』 著者: 杉谷みどり /石飛博光 出版社: 二玄社
心に残ったところ。
「無心でする仕事。これが一番自然で美しく、長続きしていて疲れず、世のためになり実も結びます。」(p24)
「花は無心にして蝶を招く 蝶は無心にして花を尋ねる」(良寛詩集)の項目より。
いい習慣を身につけたいと思っているけれど、めざすところはこの無心。 手紙を書かなくちゃ!ではなくて、ちょっとしたことがあったら自然と手紙箱を出してくる。この自然と、ができるようになりたい。 それには、修行あるのみ、と。
「不安を消す方法は、不安のモトを探すことからはじまります。だまされたと思ってやってみて下さい。あなたの不安さがし。コツは不安の本当のモトのモトまで突き進んでいくこと。不安の種の一歩手前で止まってしまうと、不安が不安を呼んでしまう。」(p72)
「達磨安心」(無門関)の項目より。
イライラや怒りの元は実は悲しみであることが多い。 何かを言われて頭に来た!というのもそれは言われたくなかったという悲しみを伝えられないことにいらついて、表現としては怒りになってしまう。 自分がほんとうに感じたのはどこに、どのようになのか、じっくりと、自分の心の声に耳を傾けることがポイントのように思います。
モノも人間関係も精神的にも身軽になりたい、と思っている私にぐっときたのは「碧巌録」の「下載清風」。
「心の中の迷いやこだわり、嫉妬心や心配や執着心も、ぜ〜んぶ港に降ろしてしまったらどんなに気持ちがいいものかと。 もう、余計なものは積まないようにしよう。いつのまに心にあんなに荷物をしょいこんでしまったんだろう。こんど荷物に出会ったら、目をつむらずに向き合って断ろう。(略)この船以外に生きていくのに必要なものなどないはずだ。そう、船が健やかなら人生は自然の清風が運んでくれるはず。」(p76)
だいぶ手放せるようになってきたけれど、まだまだ。 まだ陸から離れられない。背負い込み過ぎ。 というか、まだどれだけ何をしょっているのか、きちんと把握していない。 これからも「下載清風」を心に留めておきたいです。
さらに激しくきっぱりといくための言葉は「百雑砕(ひゃくざっぱい)」(景徳伝燈籠録)。
「嫉妬する心。人をうらやましいと思う心。どうしても手放したくないと執着する心。人に尊敬されたいと願う心。人を差別する心。人のせいにする心。 こんな心を思いっきり破壊してください。」(p84)
どれもこれも、こっぱみじんにしたい、私の中にある、心。
参考になるやり方、考え方を聞くとそうなりたいと思うけれど、どうしてもなれない、無理!ということもあります。 そんな落ちこぼれた気分になった時に沁みるなあと思ったのが「鶏寒上樹鴨寒下水(とりさむくしてきにのぼりかもさむくしてみずにくだる)」(景徳伝燈籠録)。
寒いと木に登る鶏もいれば、水に入る鴨もいる。 だから十人十色でいいんだよ、という禅の言葉。
「どちらがいいとか悪いとかではなく、人の勧めでもなく、自分が納得して自分の体質に合った方法を選べる自由が大切です。」(p97)
「自分のやり方をひとつひとつ見つけることで、人生は少しずつ過ごしやすくなります。」(p97)
禅、といえば座禅を組んで心を無にして煩悩から自由になる、くらいのイメージしかないのですが、この本を読んでもっと触れてみたい気になりました。
禅の教えをわかりやすく、「挨拶」「光陰如矢」「単刀直入」他もっと教養のある方ならあああれね、という知られた言葉を元に、やさしい文章と美しく力強い書で説く、贅沢なコラボレーション。 書好き(お習字レベルですが)、格言好きの私にはかなりツボに入った一冊でした。
「千里同風」、遠い空の下、同じように感じてるあなた、同じことを考えてくれるあなたの存在。心強いです。
「歩々是道場」、どこにいても誰からでも何からでも学べる自分でありたい。
「夢中夢」、夢を現実にするのもしないのも、自分自身。
「悟無好悪」、先入観や偏見から自由になって素直にまっすぐ見よう、接しよう、感じよう。
これは続編なので、一冊目の『ほっとする禅語70』も読んでみたいと思います。
『ほっとする禅語70(続)』
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