刑法奇行
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もうすぐ春休みも終わる。春休みは子供の頃から好きである。まったりとしていて、それでいて何か明日への希望がある時期である。永遠に春休みであればいいと思うが、それは定年後の楽しみにとっておこう。
授業がはじまるということは、教育をする時間が多くを占めるということである。そして、ローにおいては、その教育力が重要となるのである。 しかし、われわれは、教育力など一度も訓練されたことはないのである。研究するために大学院に入ったのであり、教え方の勉強などしたことがないのである。大学に就職して、試行錯誤で少々身に付けてきたに過ぎない。
教育とは何かってことを議論したら、ネバーエンディングストーリーになってしまうだろう。そもそも、われわれの時代は教師に対して要求することはほとんどなかった。そもそも、教師とか教授とかに関心がなかった。関心があったのは、目の前の教師ではなく、会ったことのない漱石だとか太宰だとかであった。
また、教えないことが教育であるという定義が一番好きである。自分の勉強があって、ぎりぎりのところで先生に聞く、しかし、先生は教えないか、禅問答的なことしか言わない。
すなわち、教師は不作為犯でなければならない。しかし、不作為とは何もしないことではなく、何かをしないことであり、何かとは何かという問題が再び生じてくる。
まあ、いずれにせよ、4月から授業が「とんでとんでとんでとんでまわってまわってまわる〜」のである。
ジャーニー to 夢想花
昨日は、研究会の後、前任校のゼミOB・OGと7年ぶりに再会し、新宿で1次会2次会であった。もっとも、平成3年卒のグループだけであるが、とても仲がいい。
思えば、ドイツから帰国した直後のゼミ生であり、こちらもまだ若く、ドイツの興奮から覚めやらない時であった。あの頃はよかったなー、とまた回顧である。
みんなもうアラフォーである。考えてみれば、当時の学生とは年の差がそれほどなく、こちらは兄貴的存在だったのだろう。今の学生にとっては、父親あるいは爺さん的存在なのかもしれない。
警察官が2人もいて、警察の仕事を(話せる限度で)いろいろ聞くことができた。そのうち1人は、西早稲田に住んでいて、ラーメン店、居酒屋などについての比較法的考察を行った。
それにしても独身が多いのには驚いた。結婚してもしなくても、おそらく、人生のトータルな幸せ度は同じだと思うが、まあ、いろいろ経験するのが人生だとすれば、結婚を経験した方が良いかもしれない。
学会に、クラウス・ロクシン教授が来日するが、こちらには「暮らす独身」が多いのである(古いギャグでした)。
ジャーニー to 今年の駅伝、T大とW大への応援の観念的競合
今日(昨日)は卒業式だった。例によって、学部卒業式に出て、ローの送る会に出て、さらに、学部ゼミ生との最後の飲み会に出た。
学部の方は、例年より人数が少ない感じだったが、定員を減らした学年だったからかもしれない。われわれの頃は1200人か1400人だったか。石を投げれば早大生に当たると言われた時代だ。早大生にあらねば人にあらずと言われた時代だ。あの時代は・・・、もう回顧はやめよう。
ローの方は、極端に卒業生が少なかった。1日ぐらいのんびりしたらと思うのだが、いろいろ用事もあるのだろう。 もっとも、無理もないような気がする。なぜなら、ロー生の真の卒業は新司の合格発表時であるからだ。すなわち、複数行為の結果惹起の問題と同じである。第1行為で法務博士、第2行為で新司合格である。 ここまできたら、「幸運を祈る」と「ライ麦畑でつかまえて」の先生の無責任な発言しかできないだろう。
それに対して、学部ゼミ生は、4月から新天地にそれぞれが旅立つ。このタイミングがいい。みんな大きくなってかえってこいよ!
新司もこのタイミングを考えられないだろうか。卒業後試験があるというのは、どうも気分が悪い。何か名案はないだろうか、と考えるが、今は疲れているので、思考停止である。
卒業式は、一つの時代が終わったという感じで、ドッと疲労感と空虚感が押し寄せてくる。
しかし、また入学式がやってきて、授業開始である。散じた後は集まりである。大学は通過点であると、あらためて確認する。
われわれ大学人は、通過点であるべき大学にいまだに滞在している。永遠に社会復帰できないのである。もっとも、私を含めて大学人の多くは、社会に通用しないだろう。あるいは、社会に通用しない点に大学人の存在意義があるのかもしれない。
ジャーニー to さくら舞い散る道の上で〜
2009年03月25日(水) |
侍エキゾチックジャパン〜〜 |
今日(もう昨日)は、久しぶりに疲れたが、心地よい疲れであった。しかし、ずっとテレビの前にいて、一喜一憂であった。
午後3時から、ロー生が研究室に質問に来るので、まあ、2時頃終わるかなと思っていたら、何と延長戦である。着替えて、カバン等もスタンバイして、歓喜の瞬間は2時45分頃だったかと思うが、その瞬間に家を出て、タクシーで研究室へ向かった。2時55分頃到着したが、研究室の前に2名のロー生がすでにスタンバイだった。4時からもう1名が来て、終了したのが5時半だった。熱心な理想的な教師像である!
終了後、昼飯を食べるのを忘れていたことに気づいたが、野球好きには、そんなの関係ねーである。
どっちが勝ってもおかしくないほど、力が拮抗していた。サイコロがどっちに転がるかである。どっちが幸運かである。 こういうとき、神はいるのではないかと思ってしまうのである。
神はどちらに微笑むかである。 しかし、髪は私に微笑んでくれないようである。
ジャーニー to God Only Knows
昨日は、恒例のゼミ謝恩会だった。いつも思うことだが、本当に4年間って早く過ぎていき、これからの人生が圧倒的に長いということだ。 みんな様々な思いを胸に出発(たびだち)の歌である。
しかし、あの頃はよかったといつも回顧的に生きていくのは、これまた情けないだろう。現在・未来が過去の蓄積から成り立っている以上、今を充実させて生きていくことが大切だ。そして、うまくいかなかったときは、ケセラセラで、また立ち上がればいい。村上春樹じゃないけれど、われわれは所詮卵なのだから。もっとも、卵だって、せめて「ゆで卵」になるために、頑張ろうではないか。ってことを、挨拶で話した。
ゼミ活動のスライド上映、後輩から卒業生各自に固有のプレゼント、そして、卒業生の挨拶。みんな成長したもんだ。私へのプレゼントは、写真がスライドになる機器であり、中にはゼミ活動の写真が入っており、BGMが、何と私の好きな「ニューシネマパラダイス」とか、小田和正の「キラキラ」とか、カーペンターズの「イエスタデーワンスモア」とかであった。
想い出づくりというドラマがあったが、想い出はつくろうと意図するものではなく、結果として生じていく結果的加重犯のようなものだ。 想い出は、まさに、「重い出」なのである。
ジャーニー to 今日までそして明日から
2009年03月18日(水) |
明日はどっちだ(あさってのジョー) |
今日は、某新聞社とNH協会の取材の併合罪であった。前者は、名古屋の闇サイト殺人事件の判決についてであり、後者は、元受刑者の社会復帰の問題である。 後者は、北海道A走支局の記者、ディレクター、2名のカメラマンと総計4名が重い機材を抱えてわざわざ研究室まで来て下さった(何と日帰りで)。カオスの研究室を若干整理して、ライトを当てられ、質問に答えた。いずれ、その地方テレビで特集として放送され、受けがいいと、全国に放送される予定である。
どちらも難しい問題であり、すべて終了したあと、疲労感がドッと押し寄せてきた。刑法解釈論と異なり、スッキリすることがないのが、これらの問題である。一体どうしたらいいのか!
まあ、研究室でウトウトしていたら、後輩のU田君が今月末結婚する伴侶を連れてやってきた(伴侶は連れてくるから伴侶か)。お二人の幸せを祈るだけであるが、こちらもこの時代があったのだ、ということを想起した。しかし、過去が本当に実在したのかが不確かなほど、時の経過は無情である。過去は実在したか、を一体何によって確証できるのだろうか。
明日に進むしか道がないとすれば、元受刑者の明日はどうなるのか。 同じことは、被害者遺族にも当てはまる。彼らの明日はどうなるのか。
ジャーニー to Hochzeit(って良い言葉だな)
朝早く起きようと思ったが、不能犯であった。「日本勝ってるよ」というカミさんの声で起きたのが、ちょうど8回表であった。
今日は負けるという予見可能性もあったが、松坂をはじめ投手陣が押さえて、打撃陣がつなぐ野球を見せてくれた。おれがここで一発を、というのではなく、次にバトンを渡していく、これがすらばしい!
アッという間に年老いた「われらの時代」達も、そろそろバトンを渡す時なのかもしれないが、われわれが受け取ったバトンが見つからないのである。 だとすると、バトンを新たに作成しなければならないので、もうしばらく時間がかかりそうだ。
急場しのぎに、バトンに代えて、バミトントンにしようか。
ジャーニー to また韓国戦
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
先日、深夜テレビで黒澤明の「まあだだよ」が放映されていたが、主人公の内田百聞の愛読書が方丈記だった。
時はドンドン通り過ぎ、後戻りできない。世の無常を唱えたものだ。 しかし、「後戻りのための黄金の橋」はないのであろうか。否、これはあると思う。
昨日、元受刑者の社会復帰の問題について、某社からインタビューを受けて、いろいろ考えさせられた。 就労支援についての関係機関の連携等、対策は徐々にスタートしていることは確かであるが、社会の受け皿は、われわれ個人や地域社会に、そもそも受け入れ態勢があるというのが前提であろう。
キーワードは、社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)、地域に根ざした正義(司法)(コミュニティー・ジャスティス)、そして、修復的正義(司法)(リストラティブ・ジャスティス)であろう。 これらをじっくり考えてみたいと思う。
方丈記から豊饒記へのチェンジである。
ジャーニー to Yes we can!
norio
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