刑法奇行
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2005年09月27日(火) |
一日1歩じゃ少なすぎ |
今日は、マックス・プランク外国・国際刑法研究所の東アジア担当研究員リヒター博士が早稲田で講演した。テーマは、「象徴的刑法について」であり、このテーマの射程距離が広いことを学んで、有意義だった。結局は、「象徴的刑法とは何か」が問題であり、象徴的刑法のまさにシンボルが問題なのである。久しぶりにドイツ語を生で聞いたが、聞き取りが壊滅状態となっていることを確認した。通訳のN空君やワイフ連れのM藤君のドイツ語力は素晴らしいものであった。
このところ、家から大学まで歩きはじめた「みよちゃん」状態となっている。リュックになるカバンを買ったことが出発点である。リュックを背負うと歩きたくなるから不思議である。やはり、環境犯罪学は正しいように思う。片道25分くらいであり、行きは諏訪通り、帰りは早稲田通りと分けているのは、帰りの諏訪通りはあまりに寂しく暗い暗い、Volker Kreyである(K斐さんのネタのパクリ)。早稲田通りでは、古本屋に立ち寄ったり、店を眺めながら歩くから多少時間がかかる。
しかし、この間、馬場近辺で買い物をして、店を出たら、九段下行きのバスが来たので思わず乗ってしまった。乗った後、歩く予定であったことを思い出した。歩くつもりでバスに乗ってしまった。抽象的事実の錯誤である。もっとも、歩かない人という素質的なものに決定されているから、期待可能性はないかもしれない。
リュックを背負うのは、あまり格好いいものではないが、健康のためにはしかたない。背中にNの文字があれば、まさに日能研である。かみさんが、名前がNなのだから、Nマーク付けたらいいじゃない、と馬鹿にしきっている。日能研じゃ困る。せめて、懐かしき日本進学教室であれば・・・。そういえば、先日の日本心理学会の際、「日心」という言葉を小耳に挟んだ。しかし、「にっしん」といえば、日本進学教室のことであろう。これこそ、あたり前田の・・・である。すべては、遠くになりにけりである。
まあ、一日1歩三日で3歩では少なすぎであり、3歩進んで2歩も後退しては駄目である。一日1歩なんてけちなこというから、チマチマするのである。
ジャスティス for 365歩のマーチ(人生はワンツーパンチ)
追伸 そうそう、大事なことを忘れていました。いよいよ、「刑事法ジャーナル」が創刊されのです。貴重な雑誌なので、みんなでこの雑誌を育てていこうではありませんか。そのためには、とにかく買うことが必要です。社長のT中さんを幇助しようではありませんか。(宣伝マンより)
2005年09月12日(月) |
心理学会の片隅で、RJをさけぶ |
日本心理学会という大規模な学会の小さなワークショップ(50人程度)に突然!呼ばれて、修復的司法の話をしてきた。場所は、慶應三田校舎であり、学会員がわんさかいた。「ゆるしと和解の進化・発達・文化」というのが統一テーマである。T京大のH谷川先生(奥様はW大政経学部のH谷川先生である)、T北大のN平先生という心理学の先生方からの依頼である。H先生のお弟子さんである2人のT京大院生がそれぞれ、「霊長類における仲直り行動」、「園児における仲直り行動」を報告し、N平先生が「ゆるしの日韓比較―被害者と加害者のゆるしの考え方の差」を報告された。それぞれ興味深いものであった。霊長類に比べて、人間のほうが愚かなのではないかと思った。本当に、神は後悔していることだろう。「拙者、地球上に人間を住まわせてしまいましたから〜、切腹!」というように(このフレーズ気に入っています)。園児も、嵐を呼ぶ園児こと「クレヨンしんちゃん」の場合の仲直り行動も気になるところである。また、日本人は基本的に厳罰的であるという研究も面白い。復讐心の強い国民なのであろう。「目には目を」が無性に好きなのだろう。
いずれにせよ、修復的司法の射程の広さを感じたのである。もっとも、RJ研究者の中には、心理学者も少なからずいるが、特定の分野の心理学者であり、このように、どでかい心理学会で認知されたことは感無量である。謝罪と赦しという困難な課題に取り組む研究者が至る所にいるとは、ちいーとも知らなかったのである。
これに対して、政治の世界は、敵味方と応報に満ち満ちている。「だいたひかる」のように、「どうでもいいですよ」という感じだが、とにかく一つの方向へみんなが一緒にというのが胡散臭いのである。修復的司法のように、アンチテーゼとしての存在の重要性をもっと考えようではないか。
久しぶりであった特別刑研の合宿も、楽しいものであり、実りも多かった。これも継続こそ力である。合宿後は、例によって、原稿催促から逃げて逃げて逃げまくる方法序説の研究しかしてませんから〜切腹!
ジャスティス for you say Yes!
norio
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