刑法奇行
INDEX過去未来


2003年11月28日(金) 冬が来る前に

 まだコートを着ていないが、もうそろそろだろう。冬が来る前に、いろいろやろうと思っても、会議が踊っていて、ゆっくり考えられない状態である。会議と会議の間の「すき間」を狙うしかない。まさに、すき間学者である。

 LSも、各地で大騒ぎである。迷惑しているのは、学生であることを忘れてはならないだろう。学校群第1号としては、制度改革の犠牲者に思いが至るのである。あれは本当に馬鹿な改革だった。それまでの八ヶ岳型だったのが、御三家の富士山型になり、経済的格差と学歴格差の連関が生じたのである。LSが八ヶ岳型であればいいのだが、八ヶ(やけ)型だったら困るのである。

 表題の歌を歌った「紙ふうせん」はどうしたのだろうか。「赤い鳥」から2組に分かれ、1組は、ハイファイセットで、もう1組が、紙ふうせんである。「翼をください」は結局、どちらのグループも歌っていたのであり、ソロになった人も歌っていたのである。

 まあ、突然いなくなる歌手とか俳優がいるが、誰もそれを気にとめなくなる。事件もそうである。すべてが、マスコミによって、一過性のものとして位置づけられてしまう。過去を語る人々がどんどん少なくなっているようである。これは恐ろしいことである。少なくとも、われわれ「おじさん・おばさん」は、できるだけ過去を語るようにしようではないか。古いと言われても、過っ去わるいと言われてもである。

ジャーニー to 師走  




2003年11月19日(水) 忙しさの真っ只中で犬死にしないための方法序説

 前回からほぼ1か月ぶりである。もうこうなると、成文堂の手帳を見ながら、思い出すしかない。遡及禁止原理も妥当しない領域である。

 あれから(といってもいつからなのか)、早稲田高等学院に学部説明に行ったり、懲りずに小学校のクラス会に行ったりしたが、11月5日6日と一泊して、札幌旭丘市立高校に模擬講義に行った。新千歳空港から一気に現地に行ったら、何と総勢20人ほどの大学の先生がいるではないか。分厚い講義内容の冊子があり、社会科学、人文科学、自然科学と全部ある。受講者も生徒の希望で配置され、私は2番人気だった(1番は心理学)。法律関係は、私と小樽商科の民法の先生だけだった。共通の知人について話したが、その人は4月から関西の某大学に移るのであり、刑法のU木さんもである(彼は関東圏であるが)。その民法の先生は、来年から大幅に変更となるので、今年の学会名簿は買わないようにしています、とか言って笑っていた。

 2コマも講義をしたのであるが、生徒が代わるから同じ講義をして下さいと言われたので、冒頭の「福田官房長官ではありません」を2度しゃべることには若干の躊躇があったが、そのつどうけたのには気をよくした。とくに、担当の先生が喜んでいた。女の先生は、手を叩いて喜んでいた。生徒に、「最近は法律に関係するテレビ番組が多いですね。たとえばどういうのがありますか」と聞いたら、その女の先生が「はい」と言って、手を挙げたのには驚いた。終わった後、何人かの女子高生が控え室に「高橋先生いますか」と来たのである。「何か」「先生のファンになりました」という流れである。気をよくして、翌日、場外市場に行って、カニやウニなどどっさり自宅に送ってしまったのである。これは、買いすぎとかみさんに怒られた。

 8日9日と東洋大で修復的司法のシンポが行われた。一応成功だったと言えよう。しかし、被害者(遺族)に、修復的司法がなかなか受け入れられないことが明らかとなったのである。やはり、トキワ荘大のM澤さんの独壇場である。被害者支援で突っ走ることは分かりやすい主張なのであろう。しかし、われわれにも問題がある。修復的司法=カンファレンスという図式にこだわる論者がほとんどだったのである。私は、最大化モデル論者であり、それをオリエンテーションで力説したのに、何の効果もなかったようだ。修復的司法は、規範の真の確証と責任の真の確定を、刑事司法の内外で行おうとするものであり、その基礎には、被害者のハームやニーズの確証がある。このままだと、単なるダイヴァージョンの一種となり、修復的司法は完全にマージナル化するとともに、被害者のための正義は加害者に対する厳罰化だけということになってしまう。なんとかせねば・・・。

 あと、15日には、ローの模擬講義を聴いてきた。民法のYの目さんは実にうまいが、結局、重点主義と双方通行の授業ということである。質疑応答という形で、うまく収斂させる力がこちらに要請されるが、話し好きなので、結構楽しみになってきた。来月号の受験新報で、会話体の原稿を書いたが、1年生にすごい議論をさせすぎたかもしれない。まあ、1年生でも、がんがんいきましょう。ローともなれば、もっとずっと遠くまで行けるのだろう。

 まあそんなところである。明日は、3・4年ゼミ生と千葉刑務所参観である。ゼミ生といえば、新3年の応募数が、昨年は48名だったのに、今年は23名に減少した。やはり、「高橋who?」時代到来か、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」か、とにかく、ローによって、カオス状態が到来することは確実である。以前書いたように、ローに該当する英語を良く検討したほうがいいのかもしれない。

ジャーニー to エーザーのFestschriftは諦め状態

 


norio

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