刑法奇行
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2003年09月27日(土) 原いせ?かよ

 何となく予感はあったが、原がやめる(やめさせられた)とは、まさに、応報的な措置でやりきれない気持ちである。誰かに責任をとらせて、ハイそれまでよときたもんだ。まだ2年目である。ゆっくりしたらどうでしょうか。もう1年待ってみませんか。これでまた、巨人ファンは激減するだろう。
 もっとも、堀内は嫌いではない。V9時代、後楽園で彼のピッチングを見たが、球がすさまじく速いのにたまげた記憶がある。悪太郎といわれて、ワガママだったが、その精神で貫いたら面白いかもしれない。

 いよいよ明後日から授業がはじまる。その前に、明日は、またオープンキャンパスであり、模擬講義を行わなければならない。テーマは、「ストーカー行為等規制法の意義と問題点」である。そういえば、N原先生が、エーザーのFestschriftで、この問題をお書きになるそうである。先生から頼まれて、ペロンに締切を11月中旬にして欲しいとメールしたら、即返信で、本来駄目だが、N原先生と私に対しては特別に延長するなどというので、あわててしまった。こちらは、N原先生から連絡を受けるまで、まだ具体的に構想すらなかったのである。やはり書かなくてはならなくなってしまった。まあ、何とかお茶を濁して・・・。「お茶がコワイ」

 どちらかというと、授業がある方が仕事が進むのである。論文執筆の時間をとらなければとあれこれ工夫するからであろう。時間がたっぷりあると、かえってのんびりしてしまうのである。だから、休みの日など、かみさんが気をつかって、私1人を自宅に取り残してくれるが、テレビの再放送などじっくり見たり、好きな本をじっくり読んだりして、あまりはかどらないのである。帰宅後、「仕事できたでしょ」といわれて、「まあね」とこたえる不条理には耐え難いものがある。

 まあともかく、人を判断したり、評価したりする場合には、小松政夫じゃないけれど、「長〜い目で見て下さい」ということが大事である。長期的に人を見ることが必要である。われわれは他人をどうしても短期的に見がちだからである。自分自身に対しては長期的に見ているにもかかわらず・・・。
 もっとも、松山千春の「長い夜」の「長〜い」の節は長すぎると思うのだが・・・。

ジャーニー to 夏の終わり

 



2003年09月15日(月) 祝!阪神半疑

 阪神が18年ぶりにリーグ優勝した。前回の優勝は、東洋の魔女大に就職した2年目だったと思う。虎ファンのN雪さんが留学中の時であった。その後、中日ファンのK林さんが留学して、その年に中日が優勝し、私が留学中に、藤田巨人が優勝したことから、留学と優勝との間には因果関係があるかのようであった。N雪さんは、毎年、「阪神が優勝したら全員優にする」と豪語していた。これは不能犯だから、許せるギャグであるが、実現することも18年周期であるのかもしれない。来年はきっと優勝しないだろう。

 巨人は、落ちるとこまで落ちるかもしれない。その方がすっきりしていていい。粛清がはじまると思うが、そもそも、外からいろいろ採るのをやめにして(どこかのLSに似ているかも)、若手を育成しようではないか。前にも書いたように、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」である。政界や学界は老兵が活躍しすぎの状況である。もっとも、政界や学界はスタートが遅いし、40代でも若手といわれる世界だから、まだ老兵ではないのかもしれない。S見君は、「就職した途端に赤いちゃんちゃんこでっせ」とよく言っていたものだ。

 ところで、大学のクラス会も動き出した。公取のY木君から名簿が送られてきて、クラス会の開催通知も来た。残念ながら、沖縄行きとかち合ってしまった。クラスはF2というフランス語第1外国語の変わったクラスで、メンバーも変わっていた。法曹関係者が5〜6人いる。学者には、私の他に、青木孝平がいる。大著『コミュニタリアニズムへ』(社会評論社)の著者である。彼は法社会学の研究室にいて、当時から奇才という感じだった。時々、9号館で会ったが、照れたような微笑みは、凄みのある知性そのものであった。本書は「コミュニズムの再生」を意図するものだが、共同体論に関心をもつ私にとっては、対決を迫られる重要な著作である。

 思えば、時は容赦なく過ぎていく。「あの頃は」と瞑想に耽ってしまう。しかし、「あの頃は」というと、学部ゼミ生の18番である、和田アキコの「古い日記」というとんでもない歌が耳にこびりつく。それも、謝恩会で披露した、ほとんど裸の女装も想起してしまう。「はの頃は〜」とくるわけである。まあ、実にうまいものである。バカダ大はこれでなくてはならない。

 究極のロマンティシズムを求めたいのだが、これも不能犯かもしれない。

ジャーニー to 小さな日記



 


2003年09月09日(火) Webでwave

 昨日は、第1放棄のロースクール秘密兵器教材作成の打ち合わせに行った(黒い秘密兵器という野球漫画は面白かった)。K端先生、I田さんと、何と、関大のクズさんにも久しぶりに会った。メンバーは、その他、天才たぬきさんなどなどもいるが、担当の方が出張説明に行くことになっているから、大変だ。各社ともLS戦略で火花を散らしているが、良いものができれば、それで良いのであるから、それに若干の寄与ができれば、こちらは幸せである。紙媒体よりもweb学習に慣れている世代が続々やってくる。
 もっとも、これは未修者用であるが、バカダ大の場合、真正未修者がどのくらい来るかは見当がつかない。既修者試験が極端に?狭き門だから、既修者試験に落ちた既「習」者というカテゴリーが多いことも予想されるが、予想はよそう。

 一昨日の日曜日は、長男の秋季大会の応援のため、西永福にある佼成学園グランドに家族みんなで行った。点取り合戦であったが、8回でコールド勝ちし、何と9年ぶりに春の大会予選の出場権を得るという快挙だったのである。引退した3年生もたくさん来ており、3年、2年、1年の家族も来て、3年生の音頭で応援である。慣れないwaveもしたが、ギクシャクしていて、それがまた良いのかもしれない。私は、お母さん方の近くにいて、すべてのプレーにコメントし、時には、親父ギャグも言い放った(結構受けたのは、新鮮だったからだろう)。帰宅後、かみさんから「しゃべりすぎ」とお叱りを受けた。他のお父さんは、遠くから、デジカメやビデオであるから、えらい違いかもしれない。まあ、勝ったからいいものの、負けたらひんしゅくものだったかもしれないから、これからは気をつけよう。

 しかし、勝ったにもかかわらず、選手達には監督から厳しい言葉があったのである。「こんな試合をしていたら駄目だ」と。思えば、3年生が夏の予選で1回戦で負けたとき、「君たちはよく頑張った」という監督の言葉に、親たちも含め、全員大泣きだったことを考えれば、逆を言うのが体育会系なのだろう。

 そういえば、昔、ドクター試験の面接の際、U田先生から、訳語の誤りについて何度も何度もご注意を受け、こりゃ落ちたかな、と思って、終了後、西原先生の研究室に恐る恐る結果を聞きに行ったら、「ああ、大丈夫だったよ」というお答えである。

 まあ、怒られたり、けなされたりするのは、他行為可能性があるからであり、もう駄目な人を非難するわけにはいかないのである。したがって、誉められたら、終わりかもしれない。まさに、誉め殺しである。もっと、もっと、けなしてほしい、痛めつけてほしい、いじめてほしい、という、マゾヒストがきっと成功するのだろう。

ジャーニー to とうとう会議会議のはじまりか 




2003年09月01日(月) ロースクールララバイ

 昨日は8月最後の日曜日だというのに、適性試験の主任監督で、自分にご苦労さんと言いたいのである。11月の追試験実施によって、抗議などの混乱も予想されたが、何もなかったようだ。受験生の年齢層が様々である試験の監督をやったのははじめてかもしれない。東洋の魔女大にいた頃の通信教育部のスクーリングといった感じか。

 しかし、受験生入室時間が過ぎてもだらだら入ってくるのには、苛立った。大学入試の時とまるで違う。何回も、注意事項のアナウンスをしなければならない。時間を守らないというそれだけで適性を欠くとして落とすのもいいかもしれない。もっとも、時間を守りすぎる人は「定刻主義者」であるから、これも危険だろう。

 まあ、ロースクールがどういうことになるのか、よく分からないが、とにかくはじまるのだから、それに乗っかるしかない、という主体性のなさである。いずれにせよ、来年からLS中心の担当であり、学部はゼミだけということになろうから、学部生にとっては知らない人となるだろう。「Takahashi who?」というわけである。「忘れ去られた人」であり、まさに犯罪被害者と同じである。どうすれば癒されるのかを、考えてほしいものだ。

 どんな制度を設けても、結局は人である。絵に書いた餅はいっぱいある。制度ができた以上は、その中で頑張るしかないのかもしれない。

 ロー(Law)スクールが、Low スクールでは困るのである。野坂昭如と共に、「row and row 振り返るな row row〜」と歌うしか道はない。

ジャーニー to rawではなくてdraft beer!


norio

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