刑法奇行
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S文堂から、毎年シンポのまとめの本が刊行されることは、前にも書いたが、末尾に「中国雑感」というものがあり、各自自由に思うところを書くことになっている。この奇行以外にまた書くことも面倒なので、今までの中国奇行を、まずい箇所を削除して切り貼りしたのであるが、慎重さが必要である。小項目を付けて、これでいいかなと思っていたら、一カ所だけN原先生となっていたので焦った。さらに推敲が必要である。 そういえば、辰巳から出たM田さんのCDROMの中に、レジュメがあり、その中に刑法学者系統図があった。私の名前が則男になっているのはまあおくとして、何人かのすぐ浮かぶ学者の名前がないのは、いかがなものだろうか。こういう作業も慎重でありたいと思うのだが・・・。
さて、またまた中国である。私の報告担当は間接正犯であったが、このテーマは、良くかみ合ったようである。私の出した「ドーナ事例」が結構議論となったのはなぜだろうか。ドーナ事例って、どーな事例?という質問ではなく、これは片面的幇助ではないか、いや間接正犯だとか、日本の学者間で議論している様相を呈したのである。私の相手の中国学者は、北京大学の陳教授であり、なかなか出きる人である。N田さんは、中国のY口君だねと言っていた。日本のヤコブス、ロクシンとか、ドイツのD藤、H野とかなどのラベリングも面白い。
中国は皆ダンスが好きなことも新たな発見だ。武漢大での、若い人だけの パーティーでも、女子院生たちが我々に Shall we dance?と来るのである。最初は恥ずかしかったが、結局、N田さん、Y口さんをはじめ、もちろん私も、社交ダンスを訳も分からず遂行したわけである。証拠写真は、S文堂のH郷さんがしっかり握っているのである。 昔は、フォークダンスが得意で、小学校の時、別のクラスに指導に行った記憶がある。オクラホマミキサーとかマイムマイムとか、本当に懐かしい。武漢の夜景を見に皆でバスを降りたら、大勢の人が長江のそばにいて、中国特有のフォークダンスをしているのである。まだまだ素朴である。 日本では完全に消え去ったのだろうか。こういう素朴な時代が日本にもあったことをやはりしっかり記憶にとどめておかなければならない。日本も素朴の大切さを再認識する必要があると思うのだが・・・。
自分の好きな女の子を待ちわび、よし来たと思った瞬間、音楽終了ということが何度かあった。人生はそんなものである。 時々、間違えて、自分が内側に入り、女の子役をやっていたことにも気づかないこともあった。人生はそんなものである。
ジャーニー to 祝ジャイアンツ日本一(阿部の涙は美しい)
金曜日は、T花S房のS々さんの歓送会だった。もちろん、I藤さんも一緒で、カラオケまでお付き合いいただいた。同世代?のI藤さんとは、懐かしい歌を感動しながら歌えるので、素晴らしい。そういえば、この間のクラス会第2弾の時、五つの赤い風船の「遠い世界に」をハモリながら歌ったのも感動的だった。今の学生さんにはまったく理解できまい。 土曜日は、犯社学会のシンポで、「リスク社会における刑罰」を報告したが、あまりピンとこなかったようだ。危険社会とリスク社会とは違うのだという主張は奇異なのだろうか。まあ、何回もシンポの報告をやったが、充実した試しがなく、もう慣れっこになってしまった。
話は中国である。それにつけても、三峡ダムはすさまじかった。あの長江の長い川幅に、途中までダムができている。周りの山の陸地には、175という数字があり、ここまで水面が上がるということを示している。ダムの横を高速船で通過したのである。T大のN田さんは、行きはグーグー寝ていたし、M澤先生もあまり関心を示さなかったようだ。N原先生は、じっと観察し、感動していた様子であった。「やはり長江はライン川より上だったね」といわれたのである。私は、すごいとは思ったが、何しろ長江の川の色が黄色いこと、そして、汚いことがどうも気になったのである。写真とは違うのである。文献にこだわる癖があり、長江を目の当たりにして、絵はがきと対照してしまうのである。現実は、やはり辛いのか・・・。
三国志で有名な白帝城に登った。M澤先生は、2人の上半身裸のかごかきによって運ばれたが、簡易なかごで、落ちないか心配だった。結構厳しい山登りで、疲れ果てた。帰りの船着き場で、扇子を売っているおばさんから、1つ買ったら、すぐに壊れた。それも2度であり、そのつど取り替えてくれるという親切な人だったが、取り替えるたびに、もう1個買わないかと言って(るように思えたのだが)、これも疲れた。
まあ、深い歴史に触れるのは感動的である。黄鶴陵だったか、門前に、「夢雲呑気」とあり、N原先生は、「この意味が分かるか。気が夢も雲も呑んでしまうことなのだ、そして、気とは単に気持ちではなく、超自然的なものである」といわれた。咄嗟に、ドラゴンボールを連想してしまった。
この書の意味は、実は、雲の上で夢を見ている呑気者ではあるまいか。この解釈の方が、個人的にはぴったしかんかんなのだが・・・。
ジャーニー to ジャイアンツ2勝目?
武漢では、何人かの懐かしい中国学者に再会した。馬先生をはじめ、つい最近まで早稲田にいて、博士号を取得した張さん、そして、私の研究室に2年間いた馮さんである。 馮さんは、かつてO塚仁先生のところにいて、その後、ヤコブスのところへ行き、その後、私のところに来たのである。2年程前になるかもしれない。そして、現在再びヤコブスのところにいるという、うらやましい学者である。 驚いたことに、何日目かの夜、接待の後、午後10時ごろかもしれないが、外に行きましょうというのである。武漢の李教授と女子院生を連れて、4人で、10分ほどタクシーに乗って、カラオケに行ったのである。それがなんとも怪しいところで、2階にカラオケ室が多数あり、1階には何人か女性が暗いところに点在しているのである。馮さんは、「1階は危険ですよ、先生」といっていた。 まあ、とにかくカラオケであるが、操作がみな分からず、女子店員が付きっきりで、操作してくれるのである。飲み物とおつまみもあるが、日本の歌は「北国の春」だけである。中国の学者たちは、大声で歌を歌っていたが、まったくメロディーが分からなかった。何とか終了して、おつまみを全部持ち帰るという交渉をしていたようだ。活発な議論の応酬である。店員は、袋にザーとおつまみを入れた。 それから帰ると思ったら、「ボーリングに行きましょう」というのである。こんなに遅い時間にボーリングをやったのははじめてである。これまた、女子従業員がわれわれのボーリングを見学しているのである。
もうくたくた状態で、武漢大内の宿泊施設に到着したが、すべてが閉まっているから、冷や汗が出た。なんと、ひざまでの低い壁を乗り越え、玄関に到着すると、馮さんが玄関をドンドンたたき、怖いガードマンさんがドアを開けてくれたのである。そして、李教授は、乗ってきたタクシーで何も言わずにそのまま自宅に帰ってしまった。 馮さんは、日本にいたときは、カラオケもボーリングもしなかった。どういうわけか聞いたら、ここは中国だから安心なのでというのである。まさに、危険と安心は相対的なもので、視点の置き所の違いによることを実感した。私には、まだ歌舞伎町の方が安心と思えたのだが・・・。
ジャーニー to 社会主義と資本主義の混合惹起説
シンポそれ自体は、順調に進んだが、中国刑法典の共犯分類はなかなか複雑である。「主犯・従犯・強要犯・教唆犯」という分類で、強要犯とは、脅迫されて実行した者をいい、刑が減軽され、教唆犯は、その役割の重要性によって、主犯か従犯かに分類されるというのである。結局は、共同犯罪という包括概念の下で、重要な役割をした者を主犯とするものであり、一種の統一的正犯体系といっていいだろう。 それはともかく、つらい想い出として真っ先にあげられるのは、実は、毎晩の接待なのである(まあ、有り難いことなのだが)。丸テーブルに座らされ、次々と豪華な中華料理が出される。1日目は「おいしいおいしい」状態であったが、だんだんと元気が無くなってきた。とくに、白酒を小さいグラスで飲み干すという作業が友好関係にとって大事なのである。アルコールは約40度である。飲み干して、グラスの底を相手に見せるという作業もしなければならないのである。T大のY口さんや最高検のO泉さんは、元々飲めるだけに、餌食にされた夜もあった。接待側の人々が、次から次へと席にやってきて、「かんぺい、かんぺい」とくるわけである。私は、出発日から風邪気味であったが、この白酒の発散作用で、風邪も逃げ出したのではないかと思うくらいである。断ればいいではないかと思われるかもしれないが、これが断れないのである。意志の強いN原団長は別であるが・・・。
帰国時の武漢空港で、記念に1本白酒を買った。家では開け方が分からないまま、逆さにしたところ、ドクドクドクと絨毯にたらしてしまった。かみさんに、何という臭いなの、と怒られてしまった。中国では、もう飽き飽きした白酒が、何と日本の我が家に充満するという結果が生じてしまった。
白酒からもはや逃れるすべはないのだろうか・・・。白酒を中国語でバイジョというのに、ジョにバイバイできないのである。
ジャーニー to スーパードライ
18日の夜、8泊9日(そのうち1泊は成田Z日空ホテルだが)の中国滞在から帰国した。21世紀第2回(通算8回)の日中刑事法学術討論会で武漢にいたわけである。日本側からは、N原団長(同夫人)を筆頭に、M澤・O谷両先生、W大のT口(同夫人)、T大のN田、Y口、O大のS久間、K学園大のK本の各教授、最高検のO泉さん、そして、K大院生の史さん、事務局であるS文堂のH郷さんと、総合通訳者であるS蹊大のK助教授が参加した。 テーマは、「共犯の分類」「共同過失と共犯」「間接正犯」「共犯と身分」「組織犯罪の概念」「組織犯罪の対策」の6点であった。私の担当は間接正犯であった。もっとも、シンポの詳細は、ジュリストでT口先生が紹介するし、報告書もS文堂から出版されるので、そちらにお任せである。 本奇行では、もっと下世話というわけである。なにしろ、中国に行くのははじめてのボクなのである。4時間あまりで北京に到着、国内線で1時間半あまりで武漢に到着した。莫先生らの歓迎、バスで武漢大内の宿泊施設に向かった。 「百聞は一見に如かず」であるが、とにかくでかい大学なのである。学生数は5万から6万であり、学生および教職員の宿泊施設が大学内にあり、バスやタクシーで大学内を移動するという、日本では想像を絶するのである。大学の中に生活があるという感じか。まわりは、東湖などの湖に囲まれ、長江も一瞥できる、美しい場所に燦然と位置しているのである。瞬間的に、O島総長の大構想を思い出した。新宿駅を降りると、早大西門で、飯田橋を降りると、早大南門というわけである・・・。
まあ、いろいろ文化的ギャップもあったが、日中友好もあるから、あまりぶっちゃけられないことも多々ある。 これからはじまる中国奇行、それはリングのように、怖くもあり、かつ、興味津々なのである。
ジャーニー to 謝謝(シェシェ)
授業がはじまり、狂務もあり、それでいて、原稿も・・・、まさに走れコータロー状態である。しかし、忙しいという言葉を宣うのは止めにしよう。恩師も、忙しいことを理由としてはならぬ、とよく言われていた。確かに、総長の仕事に比べれば、ひよこの仕事かもしれない。
木曜日には、アジア犯罪防止研修所40周年記念公開シンポのパネリストとして法務省に行った。アジアの実務家その他の方々、敷田さんをはじめ日本の実務家の第1人者の方々、そして松尾先生のお顔も見受けられ、「犯罪者の処遇と修復的司法」というテーマで報告した。サイマルの同時通訳の方がついているので、日本語で報告、議論ができることは、とても素晴らしい。外国人と徹底討論するには、これが一番である。不慣れな言語でぎくしゃくするのも馬鹿馬鹿しいのである。所詮、われわれは、ドイツ人にもアメリカ人にもなれないのである。ヤコブスやロクシンなどと、差しでレシーバーをつけて朝まで生で議論するなんてことがあれば、幸せだが・・・。
アジ研といえば、我らの仲間は鈴木義男先生を思い出すのである。所長時代に、アジ研を訪問したこともある。今は天国で、われわれを見守って下さっているだろうか。先生の、ブレナン裁判官、ブラックのローディクショナリーのRとLの発音を想起する。あの時代が本当に懐かしい。
一つの時代が終わり、そして、また新たな時代が始まる・・・この繰り返しである。必ず終わりがあり、始まりがある。そのプロセスの中で、われわれは突っ走る・・・コータローのように。コータローといっても、掃除大臣のゾーンではないことに注意!
ジャーニー to もうすぐ武漢行き
norio
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