2005年04月27日(水) |
グッドナイト、オフィーリア |
とある講義で、
「ヴェニスの商人」のシャイロックが
アントニオに肉一ポンドを要求したのは、
はたして本当に違法なのかそれとも合法なのか…
という話があってなかなか面白く聞いていた。
その時代のイタリアの法律を考慮すると合法なのでは、とか
公序良俗に反するので違法なのでは、とか
学者の意見も様々のようだ。
それはともかくとして、
友達がシェイクスピアを読んだことないとか言い出したのでドッキリした…。
ロミオとジュリエットは読んだことあるだろう!
そういえば中学の時の文化祭の劇が「オフィーリア」だったっけ。
わたしは衣装係で亡霊の衣装を縫った記憶がある。
黒い長いローブ。
隣のクラスの男の子がよく授業の前に小説を読んでるので
最近あたし雑誌か漫画しか買ってないなあ、とちょっと気になって
いそいそと生協で本を買ってきた。
どこにいくにも文庫本を持っていた中学の頃が懐かしい。
時間は今だってちゃんとあるのに、全然使えてない。
わたしの大学でも電車事故の負傷者が出ているようだ。
昨日珍しく一限開始に間に合って登校したため難を逃れた友達が
いつも電車が遅れる遅れるって文句言ってたけれど
なんかちょっと考えちゃう、と呟いた。
人は、バスの遅れには寛容なのに、電車の遅れには厳しいね。
朝の大阪駅を知っている。
あれだけ電車がひっきりなしに出ていて
ドアが開くたびにどどどどどと人が乗り込んでいくんだけれど
それでも電車の数が少ない、とか、わたしも思ってた。
ぜんぜん余裕がないのだ、待てないのだ、朝も、夜も、わたしたちは。
かなしい。
いつも一限目は遅刻の友達が珍しく定刻に来た。
TVを見ながらぞっとする。
今日、彼女が遅刻しなくてよかった。
非喫煙者でも長く生きていれば
多少は肺も黒くなる。
最近、
ラッキョウが食べられるようになった。
ジャズも楽しんで聴けるようになった。
先がとんがった靴にも抵抗が少なくなった。
年を追うごとに、
あらゆるものに対して自分の趣向は変化している。
別にそれは嫌じゃない。
悪くない。
けれど、そのうちいままで汚くて嫌だと思っていた
大人だとか行動だとか、そういうもののことも
なんとも思わなくなるんだろうか。
そういう日が来るのだとしたら、
というよりも、もう既にそういう気持ちになっているのだとしたら
とても恐ろしい。
2005年04月23日(土) |
踊れ踊れ夜の果てまで踊れ |
大学の新歓祭に行ってきた。
同じ学科の一回生が出しているお店に行って喋っていたのだが
去年自分達が店を出した時のことを思い出して
ちょっとキュンとした。
うちの大学のいいところは新歓祭と学園祭で花火が上がるところで
一回生の子がする質問は決まって
「これ一発10万円ってホントですか?」だ。
それ、あたしも入学した時先輩から聞いたよ。
とてもきれいな花火、大きな花火、
そういうのを見たときに自然と拍手が起こるのが、いい。
他人同士なのに、こうして拍手で共鳴できる。
たたんだ店の跡地から花火を見るために移動して、
花火が終わった後に店の跡にまた戻るかどうか、迷った。
去年もそうだった。
みんなもまた戻ってくるかな、
このまま帰っちゃうのかな、
打ち上げに行ったりするのかな、
これで終わりは少しさみしい、
そんなことを考えながら歩いたのだ。
去年は花火の後再びみんな店の跡に集まって
それから食事に行ったっけ。
今年の一回生は、どうするんだろう。
流れる人に逆行して歩きながら歩調に合わせて心臓が鳴った。
突然髪を染めたり
メールに絵文字のハートマークが踊りだしたり
流行のコサージュを買ったり
どうしちゃったのわたし、どうしたの。
おいていかないで欲しい、
まだ、先に行かないで、って
今焦ったってしょうがないじゃない、どうしたの。
ひとの目ばかり気にして
しんどくなってくる。
そんなのほって、好きなようにやればいいのに、
そうできなくてどんどん切羽詰っていく。
振り回されてばっかりだ。
恋人がいるのがなんだ、
資格がなんだ、
サークルがなんだ、
学歴がなんだ、
かわいいカッコしてるのがなんだ、
ほんとに、
なんなんだこのせかいは。
京都で開かれている「人体の不思議」展に行ってきた。
予想通りすごい人で、
標本が入れられているケースがやたら薄くて押すとめこめこしていたので
人が沢山寄りかかったら壊れそうだなあ、と
少し心配になったりした。
色を抜かれた肌も脳もスライスされた体もとてもきれいで
これが昔生きていた人間だったのかと思うと、とても奇妙な感じだった。
好き勝手にくだらないことを言う我々に
じろじろ興味本位で見られるのは不本意かもしれないが、
死後も体が半永久的にああやって形を保って残っているというのは
ちょっとうらやましい気がする。
ただ、やっぱりいくつかの標本は生理的に「きもちわるい」と思ってしまった。
煙草で真っ黒くなった肺、脳腫瘍のできた脳、
あと、眼。
眼はこわい。
今日から一週間、琵琶湖のぐるりで花火大会が開かれるので
ここからどこまで遠くの花火まで見えるのかわからないが
とりあえず楽しみにしている。
週末には大学の新歓祭でまた花火があるのでさらにうれしい。
今日はうちから見ると対岸側の港でイタリアと中国の花火が打ち上げられた。
イタリアの花火はソーダの泡のようで
ジンジャエールの瓶にライムを切って落としたときに上がる
つるつると糸のようにつながって立ち上がる気泡のことを思い浮かべた。
中国の花火は鮮やかな原色で、
真っ赤な花火が何発も打ち上げられて、ふー…っと消えていくのは
とてもとてもロマンチックな眺めだった。
夏になったら、花火を見に行こう。
一人で見るのは寂しいからやさしい誰かを誘って。
その絵を見たとき、
ひどく不快で、それでいて胸を揺さぶられるような強い力を感じた。
何を描かれているのかはっきりとはわからないし
画面の使い方もなんだか変な感じだ。
それでもその絵が魔力を放っているかのように惹きつけられた。
ぐるりと展示室を一周してまたその絵の前に戻って
作者の名前を確認してようやく納得した。
絵の作者は有名なフランシス・ベーコン、
わたしが最も好きな画家の一人だ。
絵の題名を先に見てしまうと、
なんとなくそれだけで満足してしまうような、
頭を使わないで安易に答えを求めてしまうような気がして
いつもなるべく絵の題名や作者名は後で見るようにしている。
名前が違っても薔薇は薔薇、
ほんとうにその通りだ。
人ごみの中で恋する相手をちゃんと見つけることが出来るように
沢山の絵に囲まれていても恋してる作家の絵がわかった。
世の中には魔力を持った絵がちゃんとあるようだ。
週末は愛知をうろうろして過ごした。
狙いをつけていたお店が閉まっていたので、
名物?ひつまぶしが食べれなくて、涙が滲んでたわたしを
食事がうまく食べれなかった頃の高校時代のわたしに見せてやりたい。
天気もよく桜も満開ぽかぽか陽気で
今日はほんとうに絶好のお出かけ日和なのに
眩しいから、とカーテンの閉められた教室で
我々はぼんやりと座っていることしかできない。
この布を一枚のければ明るい世界がある。
過剰なくらいににこにこにこしながら
時々おそろしく黒い気持ちになる。
まだ5月でもないのに。
忘れたわけじゃない。
今も、直視できない。
それどころか、顔も上げられない。
すっと体が白く冷えていく気がする。
考える前に行動したので
気持ちがその時のままで止まっているのだ。
ドラマに、授業中に、友達の言葉に、
何気ない物事でわたしはひどく揺さぶられる。
そうぐらぐらとするたびに動き出しそうになるので
必死でほかの事を考える。
わたしにはけして多くは無いけれど、とてもとても優しい友達がいて、
勉強は思っていたよりずっと大変だけどやりがいがあって、
一人暮らしもしていて、
嫌なことは沢山あるけれど、うれしいこともちゃんとある。
それでいいじゃないか。
それで十分満足じゃないかと思う。
思うのだけれど…、やっぱり無理なのだ。
諦めたり、認めたりするのは、辛く、苦しい。
身を切られるような痛み、溢れる鮮血のようなショック、
それがもうずっと続いている。
どうすれば楽になるのだろう。
何を憎めばいいのだろう。
誰にも言わなくてよかった。
あの時、わたしが一人でよかった。
けれど今、誰かに一緒に悲しんでほしいのだ。
こんなものが欲しかったわけじゃない。
日本では困った時は「どうも」って言えば言い。
感謝に、お礼に、困惑に、
表情とセットで使えば「どうも」はいつだって役に立つ。
けれど、それと同じぐらい「花粉症」も便利だ。
涙が出たら「花粉症で涙が出る」
話題に困ったら「花粉症が酷くて困るわ」
誘いを断る時も「花粉症だからあんまり外出したくない」
しかし今年の花粉は本当にひどい。
喉がヒリヒリする。
好きだ。
数年ぶりに染めた髪が
太陽の下だときらきらするのがうれしい。
新しい服で
コートの裾をひるがえしながら歩けるのがうれしい。
教室を出たところで
わたしのことをみんなが待っていてくれるとうれしい。
好きだ好きだと思う。
何がうれしいのか自分でもわからないまま
泣きたいような幸せなような気持ちで
ただ好きだ好きだと心の中でうたっている。
今日で春休みは終わり、
明日からいよいよ2回生の授業が始まる。
正直まだまだ休んでいたいけれど、
仕方がない。
やりたいことは全部やろう。
静かに、静かに、
行けるところまで行こう。
寂しい時は
ガムを食べよう。
時々壁に
愚痴を話そう。
あると思っていた人参がなくて
それどころか冷蔵庫に殆どものがなくて
昨夜の夕食はジャガイモと玉葱だけの超さみしいカレー。
冷凍ミックスベジタブルを混ぜてとゆで卵を乗せると
見かけだけは豪華になったけれど…。
ちなみに今日は朝も昼も白いご飯と味噌汁だけ。
栄養偏りすぎ塩分取りすぎな食事だなあ。
夕方にようやく買い物に行ったので
夜はまともなものを食べることができた。
明後日からとうとう大学が始まるので少し憂鬱。
またカレーとスパゲティの日々になるのか。
心の健康のため下宿先(ここ)に体重計はないので
来週ある大学の健康診断で一年ぶりに体重を量ることになっている。
猫の死体と目が合った
のが一週間前の雨の日。
わたしは赤い傘で、とぼとぼ歩きながら郵便局に向かっていた。
猫は植え込みの影にひっそりと横たえられて
じっと道行く人を眺めていた。
しっとりと毛が湿っていて、
触るとぺたぺたしそうだった。
目は澄んでいたけれど
体は重力に逆らうことを忘れてどっしりと重たそうだったので
命が無いのは一目瞭然だった。
……猫、もしかして、まだ、いるかな
今日は、目、逸らしてなきゃ
とおそるおそる家を出て再び郵便局に向かったのだが
今日は自転車だったため、しかも薄着で結構寒かったため、
猫のいた植え込みに近付く頃には
そんなことはすっかり忘れていて、しゃーっと通り抜けてしまった。
そして家に帰ってから猫のことを思い出した。
あの猫はどうなっただろう。
誰かに見つけられて、運んでいかれただろうか。
それとも、まだいるのか。