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2010年08月09日(月) ■ |
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めぐりきぬ |
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8月9日といえば。 連想するというか、頭の中に、自然と流れ出すうたがある。
めぐりきぬ このつき このひ おもいでは しらくものかなた ひらめきの またたくひまに こえもなくむなしちりし せんせいよ こらのみたまよ
青空のような清涼さと素朴な美しさをたたえたメロディは、 歌詞の悲劇からすれば、少し違和感があるかも知れない。 でも、この曲だからこそ、すんなり胸に入り、伝わっていくんだろう。 鎮魂歌というのは、こういうものなんだろうね。
長崎市立城山小学校では、原爆によって生徒、先生の大半が亡くなった。 戦後、この鎮魂歌「子らのみ魂(たま)よ」が作られ、毎月の平和式典で歌われているということだ。 毎年、じゃないよ。「毎月」ですよ!すごいよね!?
私は数年前、ちょっと事情があって、何人かでこの歌を覚えて、某所で歌ったことがあったのだ。 今日、たまたまつけたTVの長崎平和式典で、被爆した小学校の鎮魂歌を流す、というので、「この歌かな?」と思って聞いていたら。
別の小学校の歌だった。そこでも同じように、たくさんの生徒と先生が亡くなっていた。学校の仲間が、半数以上…ほとんど消えてしまった、その悲しみとやりきれなさはいかほどか、想像を遥かに超えてしまう。
知人に、戦時中、東京で小学校の教師だった女性がいる。まだ新米の若い女の先生は、3月10日未明の空襲で、教え子をなくした。
ひとりも、残らなかったのだ。 そんなことって、あるだろうか。 焼夷弾の恐怖や、黒焦げの焼死体の山も、もちろんショックだけれど、私には、教え子を一度に失ったという彼女の体験の壮絶さが、より深く、胸にぐさりとささっている。
原爆で。空襲で。沖縄で。戦場で。 周りが死んで、自分だけ生き残ってしまった後ろめたさ。助けを呼ぶ声を見捨て、死体を踏んで歩いた記憶。年月が経っても、白雲の、思い出の彼方から、責めつづける声の主は、死者の霊ではなく自分自身なのだ。これこそが、戦争を生きた人々の、ほんとうの悲劇じゃないだろうか?
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