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2010年04月30日(金) ■ |
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夜と口笛 |
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こないだ買った面白い本シリーズ〜!
「おもしろい」というのと少し違うかもしれませんが。 古書で手に入れました。鈴木翁ニ『まばたきブック』(銀音夢書房/1992)です。 鈴木翁ニのよく知られた作品といえば「マッチ一本の話」や「オートバイ少女」なんかですが、比べると本書に収録されたのはマイナーな小作品群です。 さみしさはオージ作品に当然ついてくる特徴としても、清冽さとかよりは思うように描けなくて貧しくて行き詰まっている空気がビリビリ伝わってくるような気がするのは、私自身が行き詰まっていてシャレにならないからなのか…(ホノボノ作品も載ってますが)。 まあでも、苦しいのだろうとは思います。巻末の年譜を見ると、鈴木翁ニの有名な代表作は、みんな20代前半に描かれたものばかり。それ以降の作品は、『まばたきブック』収録作などを見ても、どうも難解で歯切れが悪い作品が多い気がします。素朴な描線が、美しい世界となって広がる奇跡のようなマンガは、もう描けなくなってしまったのか?才能は輝きを失ってしまったのか?……そんなふうに一番不安にかられていたのは、作者自身だったのかもしれません。80年代は、迷って、未完成や挫折ばっかりの時期だったようです。そのせいか、本からは夜の街を一人うろつくような心許なさが漂ってきます。
とはいえ、それきり枯れてしまったなどとはもちろん思っていませんよ!寡作なのは相変わらずですが、90年代末からたくさんの復刻本を出し、細々とライブを続け、CDを出し個展を開き、現在まで創作を続けているのは素晴らしいことです。私は新しめの「少年存在学ノート」も「ボタン」などの絵本も好きですよ。
で、この本から、新しめの作品の中で、気に入ったヤツを。 「夜と口笛」という短編です。星のあかりが窓からさしこむ夜。書き損ないの絵が、マッチ箱の図案が、点滅する街灯が、ねむれない!と、「私」に訴えてきます。
「書き損ねたままで投げ出したあなたには、もうおわかりの筈ぢゃありませんかっ!!」 「ボクらのなかにしゃがんでいる この黒ぐろとしたものどもが ボクらをねむらせないのです!!」
「わかったよおまえたち」と、「私」は口笛で答えるのです。
夢らしい夢よ!! よっこらしょと 立ちあがって もういちどぼくに来い!! ぼくはぼくのまま、 それぞれは それぞれの姿のままで、 ひととこの星座を 繋ぎに歩け!!
……大丈夫。まだ、歩ける。 頑張ってマンガ描こう(涙)がんばろう!
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2010年04月21日(水) ■ |
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新作とか掲載情報とか |
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(一部タイトルを変えて記しますがお許しを)
●4月26日にK談社から電子書籍「純愛又ードル」が発売予定です。 「視線」「冬のアンタレース」「ザッツ初H」3作品を収録。 このうち「視線」は書下ろし作品です。紙媒体に掲載される予定は、今のところ皆無です。 将来、紙の単行本が出れば収録される可能性もありますが、 あくまで 「出れば」 ですので。 けっこう絶望的です。 どうしても読んでおきたいかたは、今のうちの方が良さそうですよ。
●また、近日発売のオムニバスに「冬のアンタレース」が収録されるそうです。評判は決して良くなかったと思うのですが、なんで今になって…?
●ミントのほうは再録で申し訳ないのですが、発売中のザデザ-トの方に新作が載っています。 「せんせいおしえて」 ……また教師生徒ものかよ、と言われそうです。言って下さい。
打合せの初期段階では、わたしは渋っておりました。 「だから、先生と教え子の恋愛って、基本的にはダメだ!と思うんですよ」 編集さんは、なんでそんなに頑なかなぁ?というふうに不思議そうな顔をされてましたが、 「でも、いけない恋愛の方が、読みたくなりますよね?」 「うう……(そりゃまあ、自分で読むのは好きだけどさ)」 「読者にとって、面白いものを描きましょうよ。モラルが大事なのはわかるけど、時には思いきって、そこを飛び越えてみましょうよ。」
そんなわけで。 やり手の編集さんに手を引いてもらって、何とか。 トイレでいじめだとか、ミントでは絶対描かないだろうな。自分の中からは出てこないから。果たしてそういう向きでよかったのか、今でも戸惑ってます。でも、もう少し後にならないと自己批評はできないな。
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2010年04月20日(火) ■ |
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まかまかまか |
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角川の雑誌「ヤングエース」で一番面白いのは「まかまか」だと思うのです。 禁断症状を起こして雑誌を買ってしまうくらいに。 男性教師の速見(34)が、可愛い教え子女子高生を全く眼中に入れず、 一人身の淋しさにいじけて、ひたすらリア充を憎む、 あの卑屈さ(血尿まで放出)。たまりません。 他の「萌え漫画らしいのだが可愛くない」作品群に食傷気味な時、一服の清涼剤になること間違いなし。とはいっても爽かさとは逆のベクトルですが。 クセになってしまいました。
作者の美川べるのさんは、もともと別フレの人だったのですね。全然知らんかった。 で、「まかまか」は1話あたりのP数が少なく、単行本化は少し先になりそうなので、既刊単行本をオトナ買いしてしまいました。 調子にのっていろいろ買っていたら、古書だというのに、結構なお値段に。うぉお。ちょっとひきしめます。
他にもこんな面白そうな本を買ったよ〜!というのを、気が向いたら紹介致します。文章は下手で申し訳ないのですが。
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2010年04月19日(月) ■ |
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あたらしくおにいさん 〜横浜おじさん 6(完結篇)〜 |
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(やや脚色、推測を加えてお届けします。半フィクションと思っていただければ)
マミーおばさんの弟は、10代で家を出てから後、連絡をほとんど取ることはありませんでした。彼の父親は再婚をくり返し、複雑な家庭環境で彼の心は傷付いていたのです。 物心つく前に引き離された母親(私の祖母)を恋しく思っていたそうです。しかし、二十年ほど前、ひさしぶりに電話で連絡を取った姉(マミーおばさん)から、母親の死を伝え聞いたのでした。 結局、数十年の間、彼は実家の親とも姉とも会わずに生きてきました。
ところが、ある日。 ヘンな手紙が届きます。
自分の弟、妹を名乗る人物からでした。 彼の叔母がなくなり、自分が、その遺産相続人の一人であるという。 このご時世です。うさんくさい手紙。どんな詐欺の手口なのでしょうか。
……というふうに、手紙だけでは怪しまれるのがオチなので、 ノリノリおじさんと、うちの母親は、横浜へ。彼の住みかを直接訪ねたのです。 住所は、妹の連れ合いが、まあいろいろいろいろやって調べ上げてくれたんですね。グッジョブ。
そんなわけで、2年前の早春。ようやく、見知らぬきょうだいは初対面にこぎつけることができました。母にはノリおじのほかに、もうひとり、お兄さんができたのです。
小さいばあちゃん(祖母)も、うちのばあちゃんも、 それぞれ、あちらに旅立つ時に 新しい縁を遺してくれたのです。 ありがとうね!
うちのばあちゃんの遺産協議の結果は…… ばあちゃんきょうだいの取りまとめ役として、がっこう前おじさんが 法事の席で、一族に説明をしました。 私もいいかげんで良く覚えてないんですが、だいたい次のような結論となりました。
ばあちゃんには子どもがいませんでしたが、還暦の頃からは、うちの母親の家族として同居し、最晩年ホームに入るまでは、母が老後の面倒を見た形になりました。 一緒に過ごした時間を考えると、母がばあちゃんの娘のような存在だったといえます。 このことから、遺産の半分は、うちの母親が相続することになりました。 もう半分は、のこりのきょうだい6人分にわけ、亡くなったきょうだいのところは、その子供たちでわけることになりました。
よく、ドラマなんかでは遺産関係で親戚関係のドロドロ模様が描かれたりしますが… うちの親族からは、協議結果には、まったく異論は出ませんでした。まあ無難な結論だったとも思いますし、あまり金だの権利だのにうるさくない、まとまりの良い一族なのです。 ばあちゃんたちのきょうだいは、みんながみんな貧乏なのを、助けあってやってきたからなのでしょう。
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2010年04月18日(日) ■ |
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初上陸 |
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生まれて初めて 四国に行きました!
………日帰りで。
用事があったもんで(仕事の取材とかではないのがやりきれない)
4時台にうちを出ましたとも。 観光なんて暇はなし、お土産もゼロ。
ただ、お城は見ることができました。桜と萌黄と城壁、なかなか素敵でした。 余裕なかったけど、行ってよかったです。
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2010年04月16日(金) ■ |
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あたらしくおねえさん 〜横浜おじさん 5〜 |
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ところで、祖母の話をしましょうか。 20年以上前に亡くなっていますが、うちで暮らしたばあちゃんの、姉にあたる人です。
祖母は若い時に大学生と恋仲になり結婚、2児をもうけます。 しかし結婚生活は上手く行かず、追い出されてしまいます。 しかも、子どもは2人とも相手の家に取られ、会うことを許されませんでした。 この姉弟が、マミーおばさんと、横浜の伯父さん。
子どもと生き別れ、深く傷ついた祖母でしたが……、 次に仲良くなったのは、妻子のある人でした。 2号さんになっちゃったんですね。 彼との間には、ふたりの子どもが産まれました。 それがノリノリおじさんと、うちの母親です。
ちなみに、祖母の相手(私には祖父にあたります)は、母が成人する頃までは、時々訪ねてきて何か買ってくれたりしたそうです。祖父は私が小学生にあがる前後に亡くなったらしいですが、私自身は会ったことはなく、存在を知ったのも中学にあがる頃。それまで、田舎には3びきのばあさん……大きい(くま)ばあさんと小さいばあさんと中くらいのばあさん、……がいて、母のお父さんは誰かなどと考えたことはありませんでした。 祖父の本妻の子供達、つまり母の異母きょうだいも数人いるはずですが、正式にはよく知らないそうです。しかし異母姉のうち一人は、一家揃って著名人で、時おりTVや雑誌などで見かけることがあります。なんか複雑な気持ちになります……。
さてさて。 母の異父姉であるマミーおばさんは、祖母と長く生き別れ状態でした。 が、祖母が病に倒れ、もう長くない、という時期になって、 祖母の妹であるりっちゃんおばさんが連絡先を突き止めたのです。グッジョブ! 祖母は亡くなるより少し前に、マミーおばさんと親子の再会を果たしたのでした!
そうして、母にはあたらしく「姉」ができました。
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2010年04月15日(木) ■ |
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14人いる! 〜横浜おじさん 4〜 |
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前回からの続きです。
2007年夏、うちのばあちゃんが亡くなりました。 私にとっては大叔母です。 彼女は、若い頃に旦那は戦死した後、独身で子どもを持ちませんでした。
さて、ばあちゃんの遺産の 相続権をもつ人は……?
■くまばあさん────────────┐ (ひいおばあさん) │ │ ┌──────────────────┘ │ │ │ ┌──◇★子ども │ ├──◇★子ども │ ┌──■岡のおばさん─┼──◇★子ども │ │ ├──◇★子ども │ │ └──◇★子ども │ │ │ │ ┌──◇★マミーおばさん(伯母) │ ├──■小ばあちゃん─┼──◇?◆? だれか │ │ (祖母) ├──◇★ノリノリおじさん(伯父) │ │ └──◇★うちの母親──┬─◇わたし │ │ └─◇いもうと │ ├──●うちのばあちゃん 子どもなし │ │ │ │ ┌──◇子ども │ ├──□★りっちゃん─┼──◇子ども └───┤ おばさん └──◇子ども │ │ ┌──◇子ども ├──□★がっこう前─┼──◇子ども │ おじさん └──◆子ども │ ├──□★カトゥーン─┬──◇子ども │ おじさん └──◇子ども │ └──■ミッチー ──┬──◇★子ども おじさん └──◇★子ども
★印が、法定相続人となります。 うちのばあちゃんには直系の親族(親、子、孫)はいませんから、 法定相続人は兄弟姉妹。健在のメンバー(4.5.6)本人と、亡くなったメンバー(1.2.7)の子供達ということになります。
はい、この時点で、13人です。 本当に相続人はこれだけなのか。若くして亡くなったきょうだいや、ばあちゃん本人も含めて、隠し子はいなかったか、戸籍情報を調べて揃えて。そうした煩雑な手続きを、妹の連れ合いに、事務所を通じて依頼したのです。
優秀な彼のおかげで?か。 新たな問題が浮上します。
14人目がいる。ということ。 小さいばあちゃん(祖母)には、実は4人の子どもがいたのです。 問題として浮かび上がったのは、音信不通で行方知れずと思われていた、母のまだ見ぬきょうだいの存在でした。
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2010年04月14日(水) ■ |
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ぞくぞくそうぞくにん 〜横浜おじさん 3〜 |
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系図です。 ■◆は故人。□◇は生きてる人。
■くまばあさん────────────┐ (ひいおばあさん) │ │ ┌──────────────────┘ │ │ │ ┌──◇子ども │ ├──◇子ども │ ┌──■岡のおばさん─┼──◇子ども │ │ ├──◇子ども │ │ └──◇子ども │ │ │ │ ┌──◇マミーおばさん(伯母) │ ├──■小ばあちゃん─┼──◇?◆? だれか │ │ (祖母) ├──◇ノリノリおじさん(伯父) │ │ └──◇うちの母親──┬─◇わたし │ │ └─◇いもうと │ ├──●うちのばあちゃん 子どもなし │ │ │ │ ┌──◇子ども │ ├──□りっちゃん──┼──◇子ども └───┤ おばさん └──◇子ども │ │ ┌──◇子ども ├──□がっこう前──┼──◇子ども │ おじさん └──◆子ども │ ├──□カトゥーン──┬──◇子ども │ おじさん └──◇子ども │ └──■ミッチー ──┬──◇子ども おじさん └──◇子ども
わたしの母は頭を抱えました…… 相続争い?いやいやいや、争うような人もいないし、そんな金額でなくてもですね。 それ以前の問題なんですよ。 別にばあちゃんは山とかマンションとか巨額の遺産を持ってたわけじゃなく、 自分の年金と、戦死した旦那の恩給の、生活に使いきらずに余った分が、貯金として残りました。そのお金は、金額の大小に関わらず、銀行からおろせないのです。 相続権を持ってる人全員の承認、つまり 署名、押印の書類が揃わないことには、
・・……って、何人いるんだよ!!
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2010年04月13日(火) ■ |
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くまの一族 〜横浜おじさん 2〜 |
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まず、母の母親…祖母の家系のことから、説明してみましょうか。 私のひいおばあさんは、全部で11人の子どもを産みました。 幼いまま、あるいは若くして4人が亡くなり、成人したのは7人です。
私が子どもの頃、「くま」という強そうな名前のひいばあさんと、 その子ども(祖母を含むきょうだい)が7人、いたわけです。 母にはイトコがいっぱい。 法事に行くと、誰が誰だか訳がわかりません。今も。
くまばあさんも、祖母ときょうだいも少しずつ鬼籍に入りました。 私が小さい頃から一緒に暮らしていた「うちのおばあちゃん」は、母の母の妹、つまり大叔母です。 3年前に亡くなったのですが、その時点で、きょうだいの一覧は次の通りでした。 年長者から。
1.岡のおばさん(故人) 子ども5名 2.小さいばあちゃん(故人) 子ども3名???(うちの母含む) 3.★中くらいばあちゃん(亡くなった、うちのばあちゃん) 若くして旦那は戦死、子どもはなし 4.りっちゃんおばさん(健在) 子ども3名 5.がっこう前おじさん(健在) 子ども3名のうち1人は故人 6.カトゥーンおじさん(健在) 子ども2名 7.ミッチーおじさん(故人) 子ども2名
(名前、よび名などはちょっと変えてます)
さて!!! そこで問題です!!!!!!!!!
うちのばあちゃんは遺言をのこさず、旅立ちました。
遺産の法定相続人は、
だれ!!!?????
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2010年04月12日(月) ■ |
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白いコート 〜横浜おじさん 1〜 |
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私と母は、良く似た白いコートを持っています。 ぜっっったい自分では買わないような、白くて可愛いダウンのコート。 昨年、横浜に住む伯父さんが送ってくれたもの。 伯父さんが一緒に暮らす女性(伯父さんの彼女)が買ったんだけど着ないから、とくださったのでした。もらってほくほく、似合わないかな〜でも可愛いなあと嬉しく着ておりますが、もったいなくて申し訳ないくらいです。
でも私は、その伯父さんに会ったことがありません。 実は母も、数えるほどしか会ったことがないんです。 なぜなら、2年前に初めて会ったから。 それまで、わたしたちと伯父さんは、お互いを知らなかったのです。
そんな奇妙な事情を、三谷幸喜のドラマ「我が家の歴史」を観てて思い出しちゃったよ。 母たちきょうだいと、伯父さんとを引き合わせたキーパーソンは、亡くなったうちのばあちゃん(母の叔母にあたる)だった!?結果としてはそういうことなのです。次回につづく!
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2010年04月11日(日) ■ |
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さくらみち |
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こんな時期まで、よく持ってますよね。 今日の夕方、遠回りして桜通りを帰ったら、「ちょうど満開」段階くらいに見える樹もまだまだあって、びっくりしました。明日の雨で散ってしまうのでしょうけど…。
桜吹雪というような「降ってる」感じはしませんでしたが、すでにアスファルトに絨毯のように散らばった花びらが、風が吹くたびに舞い上がって流れていくのが面白いです。自転車で走っていると、海にいて波と遊んでるみたいだよ!
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