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2007年09月21日(金)
テキストを携帯で読む(2)

 2004年に携帯電話を買い換えてからは、もっぱら携帯でテキストを読むようになりました。通話、メール、カメラといった普通の機能よりも、よほど便利に使っているような気がします。ちなみにバーコードリーダーだのFelica(おさいふケータイ)だのは、まっっったく使っておりません。
 ドコモショップの店頭で見て、シャープの端末を選んで購入しました。506icです。決め手は「ドキュメントビューア」という機能。PCのデータファイル(ワードやエクセルの文書、PDF、JPEG画像など)をminiSDカード経由で閲覧できる、というものです。
文書の全体を表示しても細かすぎるので、拡大しないと文字は見えませんが、それでも資料や表などをちょっと確認したい時、いつでもどこでも取り出せるのですから、大変便利な機能です。

 しかし!
地味だけど、本当にすばらしいすばらしい機能がこれ!
ブックリーダー!
基本的にシャープのはXMDF形式の電子辞書、電子書籍ファイルを読むための、付属ソフト。なのですが、実は、プレーンなテキストファイルも読みこむことが出来ます。文字の大小やタテヨコ表示の変更もでき、ジャンプも先頭、末尾、%移動が可能で、しおりを挟みこむことが出来ます。miniSDカードの管理情報更新をしない限り、読みかけた位置を保持してくれます。単純なんですが、実に使いやすい!
読みたいテキストファイルは、PCからカードリーダ/ライタ経由でminiSDカードの指定のフォルダに入れておくだけです。文書やメールやWEBサイトなどから、エディタ(メモ帳かワードパッドなどでよい)にコピー&ペースト、テキスト形式(.txt)で保存した、ごく普通のファイルでよいのです。
 前述のドキュメントビューアでもテキスト形式(.txt)が読めるみたいですが、ルーペで部分的に追っかけていくようなもどかしさが……。ブックリーダーの方が快適です。


携帯でテキスト閲覧、こんな単純なことがなぜできないんだ!?どうすればできるんだ!?と悩み、探求する人は少なくないようです。「reate」というすばらしいテキストビューアのiアプリを自作された方もいらっしゃいます。しかし、シャープの端末を使うのが、現在もっとも簡単な方法だと思います。
ブックリーダーはシャープ製の様々な端末に入っているようです。(au携帯にはないみたい)SpaceTownブックスの動作確認機種一覧が参考になりそうです。

そんなわけで、PCで集めた様々なログを携帯で読んでます。



2007年09月20日(木)
テキストを端末で読む(1)

 わたしは、ネットで見つけた面白い記事を、時間を忘れて際限なく読んでしまいます。
 以前はバイト先へ片道一時間半かけて通っていたので、「こういうテキストを電車で読めたらいいのになあ」と思いました。加えて、電子手帳のような機器が欲しいよう、とヘンにココロ引かれてしまい、2001年頃、Palmのm100を購入。メモを書いたり、テキストを読んだり(MakeDocDDでDocファイルに変換、Crs-MeDocで閲覧)したり、ナンプレで遊んだりしていました。
スケジュールや電話帳をまったく使わなかったので、情報端末として有意義に使えたかどうかは謎ですが、タッチパネルにスタイラスペンで操作できる快感は、何とも言えないものがありました。また、m100のディスプレイはグレースケール液晶でしたが、バックライトが無くてもあれくらい(計算機の液晶くらい)で、眩しくなくてちょうどよかったです。パネルの大きさも、今の携帯より断然大きかったから、目にやさしかったと思います。
 しかしm100のメモリが2MBと少ないのと、ほんのちょっとの衝撃(コツン、という程度の)でもすぐデータがリセットされてしまうようになったので、今は引出しの奥で眠っています。

 2004年に携帯電話を買い換えてからは、もっぱら携帯でテキストを読むようになりました。
(つづく)



2007年09月03日(月)
数える

怒涛の一週間を過ごしていました。
途中、ボーっとしてた気もするけど。
やっぱり、なんか凄かったです。

 8月28日に、うちのおばあちゃんが亡くなりました。
 1年ほど前から、市内の特別養護老人ホームに入所していましたが、最近食事があまり摂れず、医師からは「まずいかもしれない。会わせたい人がいたら連絡をとってください」と宣告されていました。8月中旬頃から、親戚が続々と会いに訪ねてきてくれました。母と私も交代で、あるいは一緒に、ほぼ毎日ホームに面会に行きました。
 その日、28日の夕方、会いに行ったのは私でした。おばあちゃんは痰が絡んでしまってスムーズに息が出来ず、食事の時も苦しそうでしたが、私の問いかけに返事もしてくれたし、頬はきれいなピンクだったし、汗ばんだ手をゆすっていました。
 「また来るからね!じゃあね!」とホームを後にしたのが7時20分頃。自転車で帰宅し、夕飯を食べ始めたころ電話がありました。容態が急変。心配停止状態に陥ったとのこと。私がおばあちゃんと別れて30分しか経っていませんでした。
 搬送先の病院にかけつけた時、おばあちゃんはもう冷たくなっていました。ついさっきまで熱を持って動いていた顔が、身体が、もう生き物ではなくなってしまっていることが、信じられませんでした。
 病院でない場所で亡くなったこともあり、警察による遺体の検案と事情聴取が明け方まで。わずかな睡眠をとって、朝から菩提寺と葬儀屋さんと、葬儀の日取りを決め、斎場にて遺体を安置。私たち一家はフラフラでしたが、特に母は対応に追われ、ぶち切れそうでした。喪主として葬儀を仕切らねばならず、親族や知人への連絡、葬儀の段取り、参列者の把握、生花の注文……。混乱してくると、ふつうに数を数えていても分からなくなるようなので、私は母のそばにいて、一緒に数を数えたり、やることを確認したり、あまり役に立たないながらも、とにかく母の行動につきあうようにしました。
 斎場のスケジュールの関係で、葬儀まで少し日にちが空いてしまいました。しかし、それがかえってよかったようで、気持ちのうえでも事務的な面でも、いろんな整理がついたと思います。お悔やみをくださった方とお話ししたり、古い写真を眺めたり、おばあちゃんの戦争体験の聞き書きを葬儀で配ろうと小冊子にまとめたり、壊れたTV台を直すべく、ドリルドライバをギュルギュルうならせてキャスターを付け替えたり……(いやこれはおばあちゃんとは関係ないんですが、母も私もヤケになってました)。忙しいようなのどかなような、不思議な日々を送っていました。
 昨日は通夜で斎場に泊まり、今日の告別式。骨になったおばあちゃんが、うちに帰ってきました。やっと一段落。たくさんの人がおばあちゃんにお別れしてくれて、「きっと幸せだったよ」と言ってくれて、生前の写真もたくさん見てくれて、ホッとしました。オリオリ(妹のつれあい)には、最初から最後まで助けられました。感謝してもしきれないくらいです。

 とにかく終わりました。泣いて笑ってを繰り返した一週間でした。みんなおつかれさま。おばあちゃん(享年87)もおつかれさま。明日から、また日常がはじまります。