2002年04月30日(火) |
咲くまでを幾度愛でぬ牡丹花 |
やっぱり肩こり中。姿勢が悪いのかな。
んー、忙しいのに日記(こっちの)はちゃんと書いてたら、自分のHPのほうがおろそかに なっちゃって。 ほんとにもう。 でも、今のところあんまり自分を搾り上げて詩を書く気になれないんだな。 そんで、詩が書けないとHP更新しようって気になれないんだな。 うー、だめだめ。 別に僕はいいけどさ。
庭で牡丹が咲いている。ようやく。 白い、ふわふわの花びらで、夢のように綺麗。です。ウツクシイ。 紅いのより白い方がいい。 母親が、切って家の中に飾ろうかと迷っていたけど、たぶんこうして地面に植わったままの方が長持ちするんだろう。 ま、雑草だらけの庭ですが。 ・・・でも、去年は枯れかけてたのに、よく持ち直したなぁ。
うちの家は母親が鉢植えをするのが好きなおかげで、門のあたりにはいつも4,5個は 巨大な鉢が並んで女の子の好きそうな外観になってる。 で、毎年1,2個は盗られていく。 んー、どうやらバイクか何かで通りかかった人が、ふいっと乗せて持っていってしまうらしく、推定7,8キロはある鉢が、夕方見るとなくなってたりする。 家の人間にとっては、かなりショックなんだけど。 当たり前だけど、綺麗なやつが取られていくので、丹精した母親はいつも悔しげ。 怒るより先に呆れてしまうけどね。 だってあんなに重いものをさぁ・・・。よく盗るよ。
あー、日記って、書くことありそうで無いものだな、と、思いつつ。 いや、でもこうやって何か書こうとすれば出てくるものだな、とも思いつつ。
とりあえず今日は肩こりがひどくてしんどい。 左肩は腕まで筋肉が張ってる感じ。出掛けないのでサロンパスなぞ貼ってみる。 やれやれ。
昨日、今日と、近所の喫茶店に行って母親とお茶をする。 出来のいい息子さんで羨ましいわぁ、なんて母親が近所のおばちゃんに言われていたりする。 そんなことないんですよ。 とは本人には言えない。 そもそも僕は、人の話に口を挟むのが嫌いだ。と言うより苦手だ。 その反対に、口を挟まれるのは、何故かほっとする。 沈黙があんまり好きではないので、おしゃべりな人と居ると落ち着く。かな。 んー、心通じ合う人なら、いくら沈黙でもおっけーなんだけど。 当たり前か。
コーヒーを眉をしかめずに飲めるようになったのはいつ頃からだろう、なんて考えてみる。 もともと、コーヒー好きじゃないからあんまり飲まない。 けど、スタバはテーブルが丁度いい高さなので自習室の代わりにしてたりする。 シアトル系はコーヒーあんまり濃くないしね。たぶん。 でもさすがに週5日通ったら胃が痛くなりました。 一回行ったら二杯ぐらいは飲むしね。 そういう所で薄いコーヒーに慣れてると、他の喫茶店だとか珈琲店のコーヒーが 如何に美味しいか分かるようになった。 香りが全然違うし。 ホテルのバイキングのコーヒーとか、新幹線の中で売り子さんが売ってるコーヒーが どんだけ不味いか分かるようになったね。 昔はコーヒーの酸味、なんて言われてもわかんなかったよなぁ…。
『call』
ことばを つづる この指先の ひそやかさ
あくなきこころの にじまぬ おもい
ゆるぎなく 打ち下ろされる ささやかな熱も 痛みも そこに届かぬ ひそやかさ
2002年04月28日(日) |
4月、何事も無く終わる日々 |
朝 目を覚ますと あなたが死んだ という 悪質なメールが 携帯の画面に踊って もう一度寝直す羽目になった エイプリルフールで 4月は明けた
翌朝 目を覚ますと あなたが死んだ という 悪質なハガキが 郵便受けに残っていて もう一度ベッドに逆戻りした 時季を逃した 2日目のエイプリルフールに 4月は過ぎた
二度 あることは 三度ある と 目を覚ませば あなたが死んだ という 電話を何も言わず切り とりあえず無視をして 途中だったミステリを読みふけった その日も暖かな朝だった
4月 まだ残る桜を見に行こうと あなたを呼び出そうとして 少し迷って 布団にもぐりこんだ 春眠 暁を 覚えず。
母親が おはぎを手土産にやってきて しばらく 部屋を片付けていった 何も動かすなと言うと 特にそこらへんは動かすなと言うと 淋しそうに 怒られた
父親が 晩飯でも食おうと言って 出張のついでに寄って ロシア料理を食わせてくれた ボルシチの中の サワークリームが 妙に 美味かった
桜が散ってしまって ツツジが咲いて 近くの並木道のナンジャモンジャの樹が 真っ白に花をつけて 友達が エアプランツを 増えすぎちゃったから と言って 置いていった なんだか 微笑みにくかった
4月 何事も無く終わる日々 ゆり返しゆり返し あなたが死んだ と 告げるものたち
なべて 世は 事も無し。
************************************************************* 今日もお疲れなので、某所に投稿したやつ。 即興なので推敲も無し。 エアプランツが増殖するものなのかは謎。でもたぶん増えない。はず。 と勝手に思っている。
2002年04月27日(土) |
ゆずりはの木の上では |
本日は晴天なり。 朝から隣人が庭を畑に改造している。 何となく楽しそう。 隣りの家には犬が2匹居て、1匹はシベリアンハスキーで1匹はミニの子羊みたいなやつ。 基本的に我が家はハスキー(名はテツ)の応援態勢。真っ黒な目で可愛いのだ。 ほぼ毎日、ゴミ捨てのたびに乾パンをやっている。餌付け。 一時期は散歩もやらせてもらってたんだけど、テツは元気すぎて、父親が引き倒されて あごを縫う怪我をして以来、あんまり行ってない。 その代わりに柵越しにわしわしと頭をなでてやる。 彼を見ていてよく思うけど、ハスキーはなかなかのお馬鹿さんだ。 散歩の道は覚えないし、自分のしっぽは踏むし、たぶん怒られても意味が分かってない。 ハスキーをしつけるのは大変だろうなぁと思う。 我が家も犬を飼いたいものの、昼間に誰も家にいないので、散歩なんか無理だし 父親が定年退職したら買うらしい。 その頃にはたぶん僕は家にいない。 たぶん。
ちなみに今日は兄の誕生日。 兄も僕も、あんまり背が高くなくて全然容姿には自信が無いんだけど、遺伝なのか 二人とも手がキレイ。らしい。 骨張ってて指が長い、ってことらしいんだけど。 兄はピアノを弾くのが趣味で、大学でピアノの会に入って、まぁ色々やってるらしい。 僕はあまり音楽的方面には才能がなくて、せいぜいがパソコンのキーを叩くぐらいで。 兄弟ってのは比べられることも多いけど、もうこれくらいの年になると共犯者になる ことの方が多い。まぁ、最近は京都と東京で、会うこともめったに無いんだけど。
今日はお疲れモード。 ってことでこんぐらいで。
ゆずりはの木の上では 空は日々新たに生まれ変わり 神様は七日目も休まず ささやかに幸せを 創られた ゆずりはの木の上では
2002年04月26日(金) |
傷付けるためにあなたはそこにいて |
髪が伸びた。いいかげん散髪に行かなきゃ。 あんまり僕は御用達の店を決めてなくて、友達がずっと前に言ってたような店に、ふらっと 行ってみたりする。 でもなんで、あの寺町通りの一筋西って、あんなに床屋いっぱいなんだろう。ふしぎ。
あがいてもあがいても、何にもならないのならそのエネルギーは無駄だ。
―――なんて、誰にでも言えるんだろうか。 僕は、たまに口にする。 でもあとで、ときどき後悔している。 ただその、「可能性に賭ける」ような仕種は、僕はとても、嫌いだ。 賭けて、そして見事に成し遂げる人は確かに憧れ。 だけど、その『可能性の存在』に、僕は苛立つ。とても。
いつまでも諦めきれない僕の踏ん切りの悪さは、僕にとっては大いなる足枷で。 僕の視点はいつも、諦めた時の自分と諦めなかった時の自分の間をふらふらして、 僕はいつか分裂するんじゃないか、とか思ってしまったりする。 僕の決断の時はもうすぐだ。 たぶん。
そして僕は鳥になるかその夢を見るか。
今日は風強し。 何となく吹き飛ばされてみたくなる。 先日買った新しい靴を履いたら、かかとが微妙に靴擦れになってひりひりする。 大学に入ってカバンが異様に重くなって、靴は選ぶようになった。 …って言ってもスニーカーだけど。 でも高い靴って、安物より数段は履き心地良いね。ちょっと感動。
―――詩って、何なんだろう。 自分の書いたものなら、いくらでも駄作だと決め付けて忘れられそうだけど、 名のある人が書くと、それだけで価値を見出そうとしてしまったり。 それとか、サイトによって好みがあって、こういう系統の詩にはレスが付きやすいけど、 別の系統の詩だと無視されちゃうとか。
ちょっと今日はパソコンの前にきちんと座ってみる。
そもそも、詩の評価って、誰がどんなふうにしたらそれでOKなんだろう。 以前僕の後輩さんが言ってたけど、自分の感性というものがつかめなくて、 他人の言っていることについ引きずられて好き嫌いを決めてしまって、 自分の中では相応の葛藤があるのに、それをカタチにできずに沈黙してしまう、 そんな主張下手なヒトもいるのだろう。 On the other hand, 僕なんかは根本的に自分の好き嫌いだけで詩を区別して、 例えば一読して意味の通らない言葉の羅列なんかは詩と認めない。 コトバ遊びなんかも、基本的には詩だと思わない。 ・・・そしてたまに、そのサイトでもてはやされている詩を読んでみて、自分の感性との 凄まじいギャップに動揺してみたりする。
だけど、そういう感性の違いにケチをつける必要があるか? 感性は矯正されるべきものか?
僕はそこで沈黙する。 詩人の世界でもてはやされるものと、 何の関係も無い人たちがふと読んでみようとしたものと、 その両者の間に何の隔たりがあるだろう? どちらかに千斤の価値があり、どちらかは唾棄すべきものだろうか。 言葉が誰かに読まれるべき形で連ねられた時点で、僕はそれに主観的な価値は見出せても 客観的な価値などつけることはできない。
そこから、僕は時折眩暈をおぼえる。 「ネット詩の向上」って、いったい何なんだろう。
なんてゆーかね。 シバさんがもうすぐ日記やめちゃうんだって。 あらあら。 なんか、ネットっていうのはある意味で現実の世界から乖離しているから、 しかもこの僕がいるネット詩の業界(笑)は、別に無くても誰も困らないはずの 場所だから、(←怒られそうだなぁ。いやもちろん僕は困る。力いっぱい困る。) 無くても地球は回っていくようなとこだから、 なんかねー、たまにいるんですよね。 いきなりふいっと消えちゃう人とか。
それとかね、いきなり禁煙ならぬ「禁ネット宣言」をして、いなくなっちゃう人とか。 んー。さみしーですね。 僕はもう、このネット上の自分ってモノが手放せなくなっちゃってるけど、 そうでない人はたくさんいるのだなぁ、と思って取り残された気持ち。
いいんだ。 別にぼかぁ、詩を書いてるだけで幸せだから。
今日はムシムシした一日でした。今は雨が降ってる。 大学に行ったら成績表が交付されてて、予想通り絶不調な点数に少し落ち込んでみたり。 まいっか、単位さえ取れてたら。 で、今日はゼミ。なかなか楽しい。 でも人前で話すのってめっちゃ苦手なんやけど(涙)
ひさしぶりの「アサガオ」。 ちなみに僕の書き方として、推敲はじゅうぶん書いてから。
アサガオは咲かないまま逝ってしまった
四角い植木鉢が護る 華奢な苗は いつも陽を浴びすぎて萎れていた まるで水を 喘ぐように ひび割れた土の上 丸く支柱に絡んだ細い茎を 白茶けた葉が覆って もう風の声なんか聞こえないね と 微かに 笑って
どれだけ 代を重ねても 揺るがぬ大木になることはなく 冬を越す幹を 手に入れることはない ただ夢に見る 春も秋も冬もない空を 小さな黒い種子に 還ることのない熟れた日々を
ゆずれぬ心があるのなら いつかは 歪むこの茎も 萎える葉も 揺るぎなくここに 立つだろう なお諦めぬ希望があるのなら やがては 繊弱な根も地に張りめぐらそうから
頼りない指先を 伸ばす もうそこに 吸い込むべき水は無いのかもしれない ただ這いずる この心は大らかな空も太陽も知らず ただ干上がる喉を 焦がされる肌を 思うだけで
2002年04月23日(火) |
真実。事実。Whatever. |
バスだとか電車だとかに乗っていると、何故かどの町でも、家の垣根に赤い薔薇の大きく 開花したやつを見る。 ぼってりと、塗りたくられた唇のように赤い。 何だか非現実的だ。と思いながら僕は電車に拉致られていく。
今日も変に生暖かい夜。 何だかもう既に6月のような気がして息苦しい。 どれか月を削除できるとしたら、僕は絶対に水無月を消す。絶対に。 イヤな予感というか予測というか、なにやら不吉なものが背後に忍び寄ってくる気配がする。 しっかりしろ今はまだ4月だ、と思い直しながら僕の鼓動は重い。
真実、っていったい何なんだろう、と、今日ふとファーストフード店の片隅で思う。 それは事実とどう違うんだろう。 少なくとも僕の中では「真実」という言葉の存在意義が見失われている。 ねぇコナン君教えて、なんて言いそうになる。 僕にとっての真実は、この僕自身の実在でもあのひとの実在でもなく、 この部屋の明るさでも太陽のまぶしさでもなくて、 あの人が存在しないかもしれないという希望がこの思考回路の片隅にあるという、 そのささやかな感覚だけで。 吾想フ故ニ吾在リ、なんて教訓めいたことを自分に言い聞かせたくなる。 ・・・えぇと、デカルトだっけ?
んー、今日はいっぱい歩いて疲れた。 明日もしんどい。
2002年04月22日(月) |
スプートニクに君を乗せて |
というのは、まぁ2,3日前の話。 僕には兄が一人いて、今東京で司法留年していて、今年はどうなんだと聞くと いやまぁどうのこうのとあんまり自信なさげにしているので、うちもあんまり お金ないし、僕もまだ大学かかりそうだからこれはちょっと困ったなぁという 家族内の意見の一致。 今年は就職も考える、と言うのだけどあんまり当てにならないしどうしようか、 いっそ宇宙に打ち上げてしまったらこっちも気にせずにすんでいいじゃないか あっはっはそれはいい考えだ早速NASAに売り込もう人体実験オーケーって 触れ込みでさぁ、やっぱり犬をスプートニクに乗せたみたいに人類に貢献する ことができて彼も役に立って嬉しいだろう。
・・・なんて、 明らかに言い過ぎな感のある我が家の食卓。 以前スプートニクをネタに詩を書いた時、(確か「希望の星」だった) クドリャフカという、スプートニクに乗せられた犬についても調べた。 えらく可愛い犬だった。
昨日は目覚しに一瞬目を覚まして7時なのを確認しておきながら再び寝入ってしまって、 最終的に目を覚ましたのが10時だったという、ある意味非常に怖い体験だった。 何しろ昨日は模試。 それを教訓に、今日は2時半に寝て7時半に起きようと思ってたのに、何故か起きると 6時50分だったので寝直して、結局父親の見送りもできずに8時半に起きる。 何だか損した気分。 近頃、目覚ましの音に慣れちゃったのか、身体が無意識に無視してるらしい。 危機感を覚えるなぁ。
近所にできたたこ焼き屋がなかなか美味しい。 今度友達が来たらオススメしよう。
君を 推進装置もない ワープ機能もない 根性無しの宇宙船に乗せて ただ 地球の衛星に なっていたいと思うのさ
窓の下には青い海があって 大気汚染なんて嘘さと嘲笑って 無重力の海で 僕らはたゆたうのさ
そうしていつか 運命のいたずらで月にぶち当たって 月の裏側で 僕らが月のウサギのモニュメントと化すのさ
たぶん一匹ぐらいは君に抱かせてあげられる
そうして少しだけ ほんの少しだけ 僕らが月の歩みを変えるのさ
僕らが月にぶち当たるおかげで 僕らが月にぶち当たるおかげで
やべー。 昨日はここにログインしたらもう今日で(意味わからん)、脱力して結局書かなかった。 なんか、おとついの日記の題名が「明日世界が終わったとして」みたいなので、 いや別に僕の世界が終わっちまったわけではないよ、と弁解したくなったり。
はい。とゆーことで昨日のも。 昨日はー、15時ごろに図書館に行って、3冊本を借りて来た。
恩田陸 「図書室の海」 舞城王太郎(←今、マイ女王太郎ってなった・・・!激笑)「煙と土と食い物」 森博嗣 「捩れ屋敷の利鈍」
の三冊。 そして、それらを夜10時までに読破。 いやまぁ、なんてゆーか、あんたさんヒマねぇ。って感じか?(爆死
ぷふー。おかげで寝る頃には頭痛。 「図書室の海」は今ひとつやった。やっぱりこの人は長編向きかなぁと思う。 「煙と〜」は、面白い!明日あたり、別の本も借りてみる。 以前シバさんの日記で萌えておられたので読んでみる気になった(笑)。 「捩れ〜」は、微妙。オチがつまらん。森博嗣は屋敷トリック(と言うのかは謎)は、 あんまり上手くない。以前の作品でも、最初からオチが分かってくだらなかった。 森博嗣は、はっきり言って犀川がハイセンス(?)で好きなので読んでる。
で、電話はなし。 そろそろ飽きてくる。
今日は立命館大学で模試。結果は散々。 かなりへこむ。 ねばーぎぶあっぷ!ならぬ、ねばー、ねばー、ねばーされんだー(by星野監督)。 ↑なんだかねばねばしているようでキモチワルイ(笑
おまけに雨。靴が濡れてしまった。 そして、今のところ電話なし。 そろそろ怒ってくる。(苦笑) たぶん、この怒りが勉強方向へ向かったら良い結果になる。 あるいは詩へ向かったらいい詩が書ける(かもしれない)。 そのどちらかになることを期待する。
「アサガオ」は今日はお休み。 案外、アレ書き続けるのはつらい。
2002年04月19日(金) |
たとえば明日世界が終わったとして |
夕方から出かける。 妙にあったかい一日だった。
家の庭で、こないだから紅い牡丹が咲いていて、もうすぐ白い株も咲くみたいで、 ちょっとうっとり。植物の生命力ってすごい。 既にツツジもサツキも満開で、八重桜が散り遅れてなるものかと花びらを積もらせていて、 あぁ、凄まじいなぁ、と思う。
そして夜は朧月なのだよ。 夜気が濃くなってきて、もうそれだけで酔いそうな春宵。良いねぇ。
今日も電話は来なかった。 なんだか少しずつ、衰弱していく気分。 僕は僕は必要のないものですか、と、嘆いたりはしない。 ただ、 「今僕が死んでしまったら、あのひとは後悔するかもしれないな」なんてことを 不意に考えてしまう自分がちょっと痛い。
詩を書く人は、心を言葉で表しすぎて、言葉が無くなることに怯えているように見える。 ・・・ってゆーか僕か。それは。 どちらにせよ、 僕はもうこの心自体ではあのひとに負けてしまっていることが分かっているから、 言葉を尽くさずには居たたまれないらしい。
もう少し、人間らしい心を持ちたかった。
アサガオは咲かないまま逝ってしまった
四角い植木鉢が護る 華奢な苗は いつも陽を浴びすぎて萎れていた まるで水を 喘ぐように ひび割れた土の上 丸く支柱に絡んだ細い茎を 白茶けた葉が覆って もう風の声なんか聞こえないね と 微かに 笑っていた
どれだけ 代を重ねても 揺るがぬ大木になることはなく 冬を越す幹を 手に入れることはない ただ夢に見る 春も秋も冬もない空を 小さな黒い種子に 還ることのない熟れた日々を
ゆずれぬ心があるのなら いつかは 歪むこの茎も 萎える葉も 揺るぎなくここに 立つだろう なお諦めぬ希望があるのなら やがては 繊弱な根も地に張りめぐらそうから
あぁぁやっぱり勉強できなかった(涙) ダメダメな僕ちん。 電話を、待っているのだけど、たぶん今日は掛かってこない。ような気がする。
もう7年ぐらい使っているカセットのウォークマンが壊れた。 おかげで「ワダツミの木」が聞けない。 別に家にいない時ぐらい聞かなくてもいいだろう、とも思うけど、聞けないと聞きたくなる。 むぅ、でも修理に出す金はないし。たぶん新しいの買ったほうが安い。
今朝の夢の中で「『アポロンの海』買えたよ」って誰かが言っていて、それを聞いて僕は 一瞬で恐れをなしていて、一体『アポロンの海』って何なのか、よくわからないけどぞわぞわ。 んー、「アポロン」が何の連想で出てきたかは分かる。 「ワダツミの木」って、聞くとどうしても僕はダフネを思い出すので。 ギリシャ神話で、アポロンのせいで月桂樹になってしまったニンフがダフネ。 そういう連想かな。と。 でも何でアポロンって変につるぺかなイメージなんだろう(笑)
自分が樹になるイメージ、あるいは自分が植物であるイメージは、けっこう僕の中では 詩を書くときによく使う、慣れた感覚で。 なんてゆーかな、相手に、自分の言葉が届かないという諦めに似た観念。 そんなモノをいつも僕は感じているのかもしれない。 裏返せば、自分が何も言う必要はなく、相手の感覚に身を委ねればいいという安楽。 ・・・つきつめて考えちゃうと哀しいな、やめよう。
アサガオは咲かないまま逝ってしまった
四角い植木鉢が護る 華奢な苗は いつも陽を浴びすぎて萎れていた まるで水を 喘ぐように ひび割れた土の上 丸く支柱に絡んだ細い茎を 白茶けた葉が覆って もう風の声なんか聞こえないね と 微かに 笑っていた
どれだけ 代を重ねても 揺るがぬ大木になることはなく 冬を越す幹を 手に入れることはない ただ夢に見る 春も秋も冬もない空を 小さな黒い種子に 還ることのない熟れた日々を
ゆずりはの木、というコトバが頭から離れない。 何なんだろ。
今日はー、大学のゼミで飲み会。何だか分からない鍋と、ポテトと唐揚げと寿司。 という、まったく何屋か分からない取り合わせだった。 あー、なんかだるい〜。アルコール呑むの久しぶりだしなぁ。 明日は起きたら胃が痛そうな予感。だー(泣)
帰りの駅で偶然、友達に会った。バイト帰りだったらしい。お互い疲れた顔なのが笑えた。 明日は一日、家でお勉強。の予定。うまくいったためしがないけど…(遠い眼)。 そうそう、今日はえらい豪雨で、自転車に乗るのがつらかった。 おかげで大学に着いた頃には水もしたたる何とやらで。用意していったタオルでがしがし 頭を拭いてたら、ゼミの教授ににこやかに笑って通り過ぎられた。微妙に哀しかった。 あ、今気付いたけど、自転車のカゴにレインコートとポリ袋12枚入り、入れっぱなしだ。 来週には腐ってたりして。
んー、「アサガオ」の続き書かなきゃなぁ。 むずかしいんだけど。 そもそも、詩ってのはインスピレーション、言うなれば狂気の産物。 書こうとして書けるようなもんでもない。 うん。 そこんとこ、世の人がわかってくれると、確かにちょっと嬉しいんだけどな。
アサガオは咲かないまま逝ってしまった
四角い植木鉢が護る 華奢な苗は いつも陽を浴びすぎて萎れていた まるで水を 喘ぐように ひび割れた土の上 丸く支柱に絡んだ細い茎を 白茶けた葉が覆って もう風の声なんか聞こえないね と 微かに 笑っていた
今朝から、元ちとせを聞く。 昨日は何だかCDのジャケットを見てるだけだった。武者震いをするような感じ(?)
で、歌詞と照らし合わせながら聞いてみた。 詩人柄、っていうのも何だけど、どっちかっていうと歌詞に目が行っちゃう方なんだよね。 全体的にとても気に入った。出したカネに比して、美味しいなぁと思う。 で、昔に書いた(って言っても3.5年前ぐらいだけど。)小説を思い出した。 僕の書いたやつ。 恋愛物とも呼べないような、淡い恋物語みたいなヤツなんだけど。 ワダツミの話だったから。
そんなこんなで、あの曲にはかなり惹かれてる。 リライトできないかな。とか思ったりして。 とりあえず、それとは別に、今書いてる詩は樹の詩。 2年ぐらい前から、断片的に置きっぱなしになってたやつ。 毎年春になると、仕上げようとして仕上げられなくて。 今年は仕上げるより先に春が終わっちゃったけど、何とかなるかなぁ。
何だか夜になってから、すごく苛々しちゃって、八つ当たりなんかして親には悪いことをした。 理由はわかっちゃいるんだけど。 僕は今、どろどろの泥沼の恋をしていて、はっきり言ってもうあがきようがないのに つぶされたゴキブリがひくひくと足を断末摩に動かすように弱々しくあがいている。 うん、わかっちゃいる。 恋をしているのは僕だけで、相手は何も感じちゃいない。 ただ煩わしいだけ、ただ面倒なだけで、もう僕はそばにいることの方が苦痛で。 あぁまったく! 「それでも、」って思ってしまうこの不死身の感情はいったい何なんだ? 他の事ならいくらでも単純に思い切るのに、この執着は何だってこんなに醜いんだろう。
恋の歌に憧れるのは、僕がこんなだからだろう。 くるしい、なぁ。
いつかあの人を抱きしめることのない腕を持ちたい。 あの人の唇に下りていくことのない唇を持ちたい。 あの人を癒すことのない言葉で語りたい。 あの人を恋することのないこころを持ちたい。 別にそれは、今でもいい。 今でもいいんだ。
2002年04月15日(月) |
ウタになれないコトバ |
元ちとせ、を、買ってきた。 何だか初めて聞いた時は、あんまり良いと思わなかったんだけど。 でもある朝、目が覚めるとあのメロディーが頭の中を回ってて。 その時は歌の題名も歌手の名前も知らなかったのに、驚いた。素直にびっくり。 で、その翌朝ぐらいにテレビで特集をやってたので彼女を知ったので、今日に至る。 うんうん。こんなこともあるのか。
でもねー、やっぱりCDって本に較べると僕にとっちゃ価値が落ちるんだな。 だから大学で買う。大学生協ならCD1枚15%off。大きいよなぁ。 まぁ、本も値の張るやつは大学で買うんだけど。 今日は京都は24℃あったらしい。何だかもぅ、驚くのにも疲れた感じ。 大学の周りはツツジが咲いてるし。今日は健康診断でした。
さて。昨日の続き。 真面目なこと書くのは疲れるんだけどな。 えぇと、読む側が気を入れて読まなきゃならないような詩は、果たして良い詩か否か。 うー、問題提起のしかたが悪いな。 逆だ。 良い詩ってモノは、身構えて読ませるようなモノだろうか?ってことを言いたかったんだけど。 うーん、コレはけっこう難しい問なんじゃないかなぁ。 ちょっとそこらへんの詩人さんをつかまえて聞いてみたい。 例えばね、ミルトンの「失楽園」。 僕はあれ、読んだことありません。えぇ一度も。 手に取ろうかとしたことはある。どうやら友人は読んでみたらしい。 岩波文庫で上下2巻モノ。英国叙事文学最高峰の傑作…らしい。 でも僕は読もうとは思いません。いずれヒマになったら別かもしれんけど。 だって2冊も続いてる長い長い詩を、何が面白くて読まにゃならんのか。 そんなヒマと情熱があったら自分で書くっちゅーねん。 あの名前の売れてるミルトンでさえ、詩人の僕にとっても、こんなものだったりする。
うん、これはたぶん、何て言うのか、不純な考え方だと思う。 詩そのものの価値を見ているわけじゃないな、と思う。 でもねぇ、僕はねぇ、ずっと前から、自分の詩を読んでもらうとしたら、できるなら そこらへんの、フツーの人に感動してもらいたい。 たぶんそれがいちばん難しいけど。 そんな詩が書きたい。 そしてそんな詩が、いちばん良いと思う。 うん。違うのかなぁ。
だから、とりあえず僕は、独断と偏見で読みにくい詩が嫌いなのだ。 読みづらい詩は玄人好みなのかもしれないけどさ。 ってことで今日は疲れてるのでこの辺で終わっとこう。
↓昔書いた詩の断片。
夢というものこそが 最も痕跡を残さない それを 知らないわけではない ただどこまで 僕がこの夢を抱けるのか どこまで この夢を忘れずにいられるのか
ただあなたの声さえ聞こえれば どこへでも行けるような気がしていた
そしてどこかへ 行こう ひとりで あなたの目に映るすべての うつくしいものを 僕の心が守れるように 背を向けたすべての世界を 振り返らぬように
この眼に映るすべてのものが光を失っても それを悔やむことのないように
2002年04月14日(日) |
シナプスに書きゃぁよかった。 |
あぁ、良い天気だ。 京都は晴れ晴れ。 僕は本当は大阪(枚方)生まれで、京都は3歳から住み始めただけなんだけど、 皆さん勝手に「京都人」と誤解(?)してくれるのであんまり文句は言わない。 うん、でも京都はええとこですえ。 おこしやす京都。 夏は最悪やけど、禅寺で座禅でもさせてもらうと修行になるし(笑) 寺とかはあんまり行かないが、広隆寺の弥勒菩薩はセクシーで一番好きさ。 昔、友達のお父さんの友人がキスしようとして抱きついて指を折ったらしい。 国宝第一号なのに(怒)。
さてさて。 ちょっと昨日書いたことがあまりにあっさりしすぎなようなので、見直し。 ・・・某サイトのシナプスに書けばよかった、と今さら思ったりしつつ。
> アサガオは咲かないまま逝ってしまった
だけど、はたしてコレでいいのか? さて考えよう。 感性の問題、と言ってしまえばそれまでのこと、なんだけど。 うーん。まずは区切ってみる。
> アザガオは > 咲かないまま > 逝ってしまった
↑まずは1、ベタな例。どこに重点があるのかはっきりしないね。 アサガオを重点にしたいんだったら2,3行目はくっつけるべきかな。 ベタな例でもアレンジはいくらでもできる。 ただ、このままだと読みきりが悪い。日本語ってのは大昔から、五・七・五でできてる。 だから直す。
> アサガオは > 咲かぬまま > 逝ってしまった
まぁ、いくら語感が悪いって言ったって、口語で書きつづけてるのにいきなり 「ぬ」とか使うのはオススメしない。読んだ人にざらっとした後味を残すから。 (しかもこの例だとテンポが悪い。) ・・・このへんまでを一発でできてしまうのが才能ってヤツ。
> アサガオ > は咲かないまま逝ってしまった
↑これは2、上級編。 こういう、文の流れを崩すやり方は危険を伴う。 詩の全体を通じてこの手法を使い続けるならそれもまた良し。(←でも濫用はできない) 一箇所だけ使うってのも、ポイントが置いてあるなら強調になる。 危ないのはごちゃ混ぜにすること。読む人が混乱する。
顧みて考える。 読む側が気を入れて読まなきゃいけないような詩は、良い詩だと言えるんだろうか?
むよーん、と、だるい夕方。 今日も何だか良い天気だったみたいで、庭の花が綺麗に咲いてる。 隣家との境には、いつの間にか大きくなったライラックが白い花をつけていて、 なんてゆーか、可憐。 この頃は外に出るたびに風の匂いが変わってて、何となくうきうきする感じ。 良い季節だ。
「文芸」のジャンルに指定してしまったのだから、ちょっとそれらしきことを書こう。 どうせ大したことは書けないだろうから、プロット的な書きかけの詩を置いてみる。 例えばさ、
> アサガオは咲かないまま逝ってしまった
って、この1行だけで、詩になる、と言えば、なる。 あんまり認めてもらえないだろうけど。
でも、この1行を冒頭に置いたとする。 詩でも小説でも、最初のインパクトは大事だから、これだけで「んん?」と 目を留める人はいるかもしれない。 まぁ、これはまず第1段階。 問題は、ここからどう続けるか。これがふたつめの難関。 Question: この時点で、詩人の頭の中にはイメージが飛翔しているだろうか? Answer: 人それぞれ。 最初から明確なイメージを持って書ける人は書いてる。とりあえず、僕は違う。 だから、何かとりあえず(笑)つなげてみる、ってのも一つの手。 例えば、
> 四角い植木鉢が護る > 華奢な苗は いつも陽を浴びすぎて萎れていた > 丸く支柱に絡んだ細い茎を > 白茶けた葉が覆い
これは、「アサガオ」からの繋がりになる。 でもこれ以上になると、くどくなる可能性大。微妙だなぁ。 うーん、もう少し考えよう。
2002年04月12日(金) |
ゆるしがたいにんげん |
まぁ、そんなモノはけっこうどこにでもいるわけで。 自分のことを、我ながら許しがたい人間だと思っていたりはするので こんなふうに日記を書いてみたりもする。 いったいどんなものになるのやら。 僕は詩人で、文旦が好きで、何だか人間になりたくなかった、みたいなことを やっぱり延々と思い続けていて。 それでもこの心だけは自由で、まったくしなやかなものだと 強い、うつくしいものだと、 信じてみてもいいじゃないかと、少し、考えたりして。 うん。 こんなふうに始めてみるのも、いいかな。
心が 霞むようなので
あぁ 春だなぁ と
つぶやいてみたり する。
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