超雑務係まんの日記
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たぶん 明日(というか、すでに今日)には別冊がでる
ここんとこ 帰宅が3時。寝るのが4時。 月、火、水、木、金、土、ずっと
日曜はなんとか、1時には寝てる これが確実に50日間は続いた
忙しいとかではなく、ただ僕は もう少し時間があったなら たくさんの恋をしていたような(笑)
そう だから諦める勇気も時には必要で
ないものを、ねだっても 悲しくなるだけだから
ついこの前 シリアちゃんと焼肉を食べた(日曜日) やはりお母さんはたくましい
逢う度に あとチョット頑張ってみよう
と思う 自分がいる
信じるものがある限り 変化の先にあるのは きっと「今」の進化に違いない
自分にないものを持ってる人 惹かれるタイプの条件としては、きっと上位
一方で 自分と同じものを持ってる人 こちらも同様に愛着を感じます
前者は 引っ張られる感じ 後者は 自身で接近していくニュアンス
いずれも恐らくは同化を望んでしまう自分がいる
同化とは自分と一体になること
考えてみれば 引っ張られるのか、接近するのかの違いだけで 相手と同化したいという単純な欲求は 恋愛のシンプルな動機
懸命さ、賢明さ、やさしさ、悲しさ、強さ、勇敢さ、弱さ。。。
自分にないものを持ってる人 自分にあるものを同じく持ってる人
どちらも、一緒に向かい合える存在?
こんな単純な何かを求める気持 沸き上がるシンプルなアナタを知りたいという欲求
決して答のない欲求 生涯、正解のでない欲求
本をたくさん読んだ、眉間にシワをよせて考えた 友達を増やそうとした、不毛な人との付き合いに時間をかけた 数えきれないくらいメール交換をした たくさんお酒を飲みに行った
そんな繰り返しで 愛や恋という バカが付くくらい単純な欲求を 悲しいくらいに決して満たす事はできないのです
実に単純で明解でシンプルな欲求なハズなのに 時として 家や経済などの打算的な条件が入り込んだりします
生活とか、世間とか、周囲とか
打算、打算、打算的。。。
ぜんぜん単純に何かを求める気持じゃぁナイ 明日も明後日も裕福でいようとしたら ずっとずっと一歩を踏み出せません
10代の頃に偶然知り合った いまだに一緒にいたら、けっこう歳じゃないですか
先の事なんてまるで考えてませんでした それがイケなかったのかなぁ
飲めなかった君だけど 一度だけ、カクテルを飲んでた時があって その光景が大好きで、たまに想い出すんです
独りでお酒を飲んでると不思議な気分になります
いつもグレープフルーツジュースでした 酔ってる僕の向かい テーブルをはさんで 両手でグラスを抱えてひじをテーブルについてたよ
何もかもが未完成で 毎日がどんな保障もなく、不安定だったかもですが とにかくとにかく、ハッピーだったような気がして
ただ 確実な事を言えば、やっぱりというか 結局完成する事はなかったのです
でも、それでヨカッタと思ってる 僕は
だって、そうだろ?
「今度」と言われたら、信用しないようにしている なぜなら 「今度」をあまり経験してないからだ
なかには二度と「今度」が訪れなかったり 決して逢うことのない「今度」がいくつか存在してたりする
そう 絶対に来ない「今度」が歳を重ねるごとに どんどんポイントのように貯まっていく
本来なら「今度」はいつか消化されるものでなくてはナラナイ
曖昧な言葉は いつでも真剣さと対照的だ その時がこないとわからない、といった日常は 「今度」をずっと呪文のように唱えてるに過ぎない
呪文を唱えれば 劇的に突然何かが変化するなんて テレビゲームの世界以外ではやはり難しい
とは言いながら
流浪を強いられず 最低限のお金があって、焦らずに生活できる環境があれば 人は変化を求めない 仮に劇的な変化を求めたとしても、どこかゲーム感覚だ
ずっとずっと「今度」は今度でいいのだ 未来はその時がこなければワカラナイから
イヤだ そんな感情は泥みたいだ
モンスターでなければ まっとうな人であるならば
「今度」の積み重ねを過去として捉え 現在は「未来」であって 未来は「意志」になるのだと思う
そして 意志は「覚悟」になり 最後には「祈り」に昇華していくのではないだろうか
逆にベクトルをたどってみる 覚悟のない言葉は意志がないから軽いのだ 意志のない考えは未来がないから浅いのだ 未来のない日常は現在がないから辛いのだ
祈りのない生活からは 捧げる覚悟と言葉を、オマエの脳に持ち合わせていない
だから 愛もない
サヨナラ
考えてみれば ずいぶん遠くに来たもんだ
あてもなく家を飛び出したのは10年以上も前 拾ってくれた人は三軒茶屋に住んでいた
その後また放浪し、次は確か。。。桜新町だった さらに次は経堂だったか エリア的には微妙にそれぞれ近い(笑)
それから、東池袋にしばらく居た気がする そして江古田に移り住み、最後は東長崎だった
東京って、どんなところだったっけ もう北国の生活が長いせいか、すっかり浦島気分です
実際のトコロ 東京に戻る理由もなければ、一方でまた北国にいる明確な理由もない
故郷と問われれば 僕はあるようでないような曖昧な感覚でしかなく それほど重要な存在ではないのです やはり「家」を重んじる北国の人とはズレが生じてしまう
「家」とか親戚とか、義兄弟とか そんな環境はよくわからないし、ぜんぜん馴染めない どうやら珍しい事に子供の頃から 僕は親以外の家系に関わる誰とも接していなかったようだ
回顧すれば「家」に関わる結婚式や葬式やその他行事に一度たりとも 未だに出席した経験がないのです
しかしである 「家」は存在しないかわりに 僕には還るところが確かにあるのだ
とくに「家」や親戚や義兄弟から習ったワケでもなく 還るところが、ふとしたことろから出来てしまったのだ
そうさ 君がこっちにおいで、って誘ってくれれば すぐさまの準備はできている
でも君はあまりにも先にいってしまったから 怖いとか未練とか、そんな低俗的な事ではなくて なぜ、そうしてしまったのか この意味を理解できないうちは。。。
やっぱり、還れない
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どいつもこいつも 己れの未熟を正当化するために 価値観の多様化などと 都合のよい言葉を弄して 物ごとの本質を曖昧にし 自立自省を忘れ 自己主張ばかりのさばらせるから 世の中狂っていくんだ
(中略)
自我をへし折ってこそ浮かぶ瀬もある
(つげ義春 著 『無能の人 第三話「鳥師」』)
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