スタンドから眺める木漏れ日
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2005年08月28日(日) ともだちひゃくにんできるかな

「ご近所さんを探せ」というサイトがあるのをご存知でしょうか?
近くに住んでいるネット上の友達を探したり、
自分の住む街の情報を調べたり、趣味の仲間を探したり…
とにかくいろんな事ができるサービスです。

今、郵便番号で「ご近所さん」を検索したら
意外にもたくさん出てきてビックリしました。
女性の方も10人以上いたので、心強く思います。(何が?)
その中でも、とっても気になる人が1人。
何と、キーワードが私とピッタリ! さっそくメール書こ〜!!
えーっと、ハンドルネームは…え? それも一緒??

一瞬でも、自分の登録情報を見て浮かれてた私ってバカ?


2005年08月27日(土) いきる

「生きる」って、笑うこと。

「生きる」って、誰かのことを想うこと。

「生きる」って、あきらめないこと。


生きていること、それだけで奇跡はおこってる。

生きていくこと、それがさらに大きな奇跡を生む。


生きるって、教えられることばかり。


24時間テレビを見ながら、そんなことを考えた。


2005年08月25日(木) 思い出はバラ色に染まって

現在は横浜に住む友人tnさんと久々に会ったので、一緒に会いに行きました。

いつもより大きく目を開けていたようだから、もしかしたら気づいていたかな?

彼女は今、フリーで舞台の脚本を書いてます。

何もない状態から物語を作り、ペン一本で世界を広げていくのってすごいと思う。

実はこの日は、もう一人の友人yeさんが出演するピアノコンサートがあって

我々二人はその演奏を聴いた後で病院へ向かったの。

(yeさんは終了後の片付け等で忙しく、この日は一緒に来られませんでした)

彼女もまた、プロとして多くの人に演奏を聴かせている…すごいなぁ。

でも、二人ともそれを自慢するわけでもなくて、

中学のころのまま親しくさせてもらっている。

「いい友達をもったなぁ」と最近つくづく感じています。

君のことがなかったら、こんな気持ちになっていなかったかもしれないね。

病気になってしまったことは悲しい出来事だけど、

中学の卒業式以来、ずっと会うことのなかった友人たちにも病室で会って

あのころと同じように話すことができるのは、君のおかげです。

中学のころ、あんまりいい思い出がなかったなぁと思っていた私に

「ホントは、いい友達とたくさん出会っていたんだよ」と教えてくれた君に

すごくすごく感謝しています。

今、私の中学のころの思い出には少しずつ明るい色がつきはじめています。


あのころ、君と出会ったことが最高の出来事だったんだね。ありがとう。


2005年08月21日(日) スゴイフレンド

ピアニストの友人yeさんが、コンサートに参加すると聞いたので
クリエート浜松へ行ってきました。
さすがはプロ。すばらしい演奏でした。
この日のために、はるばる横浜からやって来たtnさんとも再会。
二人とも元気そうで何よりでした。

コンサート終了後、片付けなどで忙しいyeさんと別れ、
我々二人は軽くお茶した後、入院中のcyちゃんの見舞いへ。
私と同じく、ずっとcyちゃんに会っていなかったtnさん。
脚本家として活躍している近況などを語っていると
同級生だったtgさんともバッタリご対面。
現在、内科医としてこの病院に勤務している彼女は
毎日cyちゃんの様子を見に来るのだそうです。

そのtg先生が、しみじみ言いました。
「yeさんはピアニストなの? tnさんは脚本家??
二人とも手に職つけて生活しててすごーい!!」だって。

「おいおい、一番すごいのは生命を救う現場のあんただろ!」
って思わずツッコミ。
こーゆーところは、小中学校時代と変わっていないのね。
こんなふうに、懐かしい友人と再会できたのも
すべてはcyちゃんのおかげ。つくづく感謝、感謝です。


2005年08月15日(月) 織り上げた羽

今日はどうですか? 

明日、千羽鶴を携えていきます。
以前、半分近い520羽(40羽×13本)の束を渡したとき、
「あと半分作ってくるね〜」と軽く言ってから約半月。
昨日、残りの480羽(40×12本)が無事完成しました。

我ながら良く頑張ったよ。君との約束だったからね。
この半月、寝るときと食べるとき以外は
家の中で君の事をずっとずっと思いながら折り続けていました。

私の「祈り」の形、どうか受け取ってくださいね。
向日葵の季節に君が目覚めますように。


2005年08月06日(土) ゆんぼくんに会いました

昨日、踊る!さんま御殿!![再] を見ていて

ふと思ったのですが、俳優の酒井敏也さんは

「ゆんぼくん」に登場する小出くんに似てませんか?












どぉーでーもいーいでっすよ。


2005年08月05日(金) 皆勤賞が夢だった

無遅刻・無欠席・無早退」
小中学校のころの私にとって最も縁がなく、
別世界の言語にさえ思っていた言葉である。
「そんなもの、一体何がえらいんじゃいっ!」
と、卑屈にさえなった時期もあった。

小児ぜんそくを患っていた私には、無欠席など高嶺の花。
幼稚園のころは、半月ほどの通園でごほうびシールがもらえた。
それから考えれば、平均で月1〜2日程度の欠席なら
私自身としては上出来であった。

出席した日数のうち、半分以上は遅刻だったと思う。
理由は簡単。早起きが苦手だったからである。
そのころの私を知る近所の方々は、口をそろえて言う
「そういえば、毎朝カバンをガタガタならして走ってたよね〜」
「カタカタ」ではなく「ガタガタ」。
当時の「通学ダッシュ」の凄まじさが、この違いによく表れている。

高校に入ってから、ダッシュで学校へ向かうことはほとんどなくなった。
遅刻が減ったというわけではない。むしろ、確実に増えていた。
このころ、朝のHRまでに教室に入った記憶は少ない。
1時間目、あるいは2時間目の授業が終わるころ
コソコソっと自分の席に向かっていた自分がいた。

学校には行きたくなかったが、親にせきたてられ仕方なく登校していた。
そんな毎日が3年間続いた。
そのうち、学校には行きたいが身体が拒否反応を示すようになった。
私は高校を一旦休学し、後に退学する。
「もう学校へ行かなくてもいいんだ」
それまで、自分の心を覆っていた黒く厚い雲の切れ間から
徐々に太陽の光がこぼれだしていくのがわかった。

あれから10年とちょっと。
去年の秋から、早朝のバイトを始めた。
慣れというのは恐ろしいもので、毎朝5時になるとキッチリ目が覚める。
おかげさまで、現在のところは憧れの「無遅刻・無欠席・無早退」である。


2005年08月04日(木) 向日葵のような笑顔

今まで、何度かブログを立ち上げては削除してきた。
それは、あらかじめ決めたブログのテーマに沿った文章が書けなくなったり
それによって扱うテーマを次から次へと変えたためだ。
だから、今回このブログを立ち上げることには少しためらいがあった。
継続的に文章を書くことができるかどうか、ということもあったが
入院中の彼女や周りの人々の事を書くことへの抵抗もあった。

でも、私は彼女のことを書きたかった。
周りの人間を大切にし、誰からも愛されている彼女の事を。
いつも明るく活発で笑顔の可愛い、向日葵のような彼女の事を。
その笑顔をもう一度見たいと、みんなが願い、祈っている事を。

彼女が目覚めたら、喜んで読んでもらえるブログにしたいと思う。


2005年08月03日(水) 彼女に会いたくなるとき

明日、1週間ぶりに彼女に会いに行く。
日曜日だから、きっとまた大勢の見舞い客に囲まれているだろう。
彼らのおしゃべりとお気に入りのBGMを聴きながら、彼女はすやすやと眠っているに違いない。
そして時々、興味のある話題になると瞼がピクピクッと反応するのだ。
先週と変わらない様子に、「もぉ、早く起きろよ〜」と思いつつ、安堵感をおぼえる。
だから、また彼女に会いたくなってしまうのだ。

彼女が入院している事を知ったのは、7月のことだ。
連絡をくれたのは、中学を卒業して以来、まったく連絡をとっていなかった友人だ。
彼女とも、卒業以来会っていなかった。

「この街にいるなら、できるだけ早く会いに来て!」

状況は深刻だった。
先延ばしにすれば、きっと後悔する…そう思い、翌日病院へ向かった。
病室には、ご家族の方と、同じように連絡を受けたであろう友人たちが大勢集まっていた。
その真ん中で、彼女は眠っていた。
大声で名前を呼んだら、ゆっくり起き上がってくれるような、そんな様子だった。

今週いっぱい、いや7月いっぱいもってくれれば…そんな状況から1ヶ月。
彼女は、今日も病室で眠っている。
明日は、最近見た夢の話でもしようか。
彼女が、私の隣でニコニコ笑っていた、あの夢の話を。


Shiratama Akkey |MAILHomePage

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