ジョージ北峰の日記
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2014年05月14日(水) 悪性新生物、この化物の正体を暴く

 当時癌の知識は少なく限られていた。 原因は分からず、心筋梗塞や脳出血のような老人病でもなく、むしろかわいい子供や、愛する恋人、はたらき盛りの成人が突然発病し、有効な治療手段のないまま無為に死にいたる過程が人間にとって究極の悲劇だったのだ。

 癌の発病初期に外科的にとり切れる場合は治癒するが、当時の診断技術では早期発見もままならない状況だった。発病を知った時は、ほとんど手遅れになっていた。

 癌は宿主の正常細胞が変化して発生するので、細菌感染のように早期に発熱、疼痛といった症状が現れず、症状がでた時は、すでに癌は全身に広がって手がつけられない状況になっていた。癌は宿主の細胞とよく似た姿をした悪魔で、人の体を虫食(むしば)み食い潰していく----そのずるくて残忍な手口が、如何にも癌がどこか遠い宇宙からやってきて人体を破壊しつくすエイリアンのように見えたのだ。

 癌細胞は宿主の細胞から発生し宿主の細胞とよく似た姿をしているので、宿主の防御機構、免疫反応が有効に作動せず、宿主の細胞との強い類似性ゆえ強力な薬物治療を実施することも出来ない。強い薬物を使えば宿主の正常細胞にも強い傷害を与えるからだ。

 健康な人が、一見なんの異常もなく生活を送っている間に、癌細胞は体の中で密かに増殖「はっと」気がついた時には手のつけられない状態になっていることが多かった。なんとか病巣を手術で摘出することが出来ても、数年で再発、最後には著しい貧血、疼痛、吐血、下血、呼吸困難や、意識障害などの宿主にとって激しい苦痛を伴い死ぬことが多かった。

 癌がエイリアンのように考えられたのは単にその原因が明らかでなかったからだけではなく、最後は宿主を苦しめ無慈悲に殺してしまうからだった。
「癌は宇宙からやってきた悪性の新しい生物」と考えられるたのは、そういう理由があったからだった。

   あまり昔のことなので何歳の頃だったかは記憶にないが、癌の恐怖について強く印象に残ったのは(癌の新しい“治療法”に関するSF映画)を見た時だった。
   数人の科学者(医者だったかもしれない)が「ミクロの決死隊」を結団し「ミクロの潜水艇」に乗り込んで、脳腫瘍を患って意識不明の少女(だったと思う)の血中に侵入、癌病巣を攻撃するという「物語」だった。ミクロの潜水艇を使うメリットは、脳のような手術の困難な場所に発生した癌に対して全身への影響が少なく、局所で最大の治療効果があろ究極の手段だと考えられることだった。

  潜水艇は生体に潜入した時から、宿主側の白血球からの妨害や免疫反応からの攻撃を受けながら、それでも苦難を乗り越えて癌病巣を退治するという、SF映画としても(当時子供だった私にとっては)手に汗を握る冒険物語だった。

  しかしその頃はまだ免疫学や、癌の生物学の知識は現代ほど深くなく、「ミクロの決死隊」という設定自体は面白かったが、ストーリーは「桃太郎の鬼退治」のような単純な展開だったように思う(記憶があやふやで間違っているかもしれないが)。

  この話を現代の医学知識の観点からもう一度考えなおしみると、仮に「ミクロの決死隊」が実現できたとしても、そんな手段だけで癌を退治することは至難の業である。


  癌細胞は自分が増殖するために宿主の正常細胞を破壊するだけではなく、正常細胞もうまく利用・協力させながら増殖する。
さらに癌細胞は血管やリンパ管を通って自由に移動する上に白血球よりも獰猛な攻撃性がある。それに癌組織には多数の正常細胞も混在しているので、癌細胞と正常細胞を選別するのがとても難しいのだ。

  潜水艇が癌細胞を探している間に正常細胞の合間から、タコやイカの足のように癌細胞の細胞質が伸びてきて潜水艇が捕食される危険性もあるのだ。

  事実、実験的に癌細胞と免疫された正常リンパ球を同時に培養すると、癌細胞がリンパ球を旺盛に捕食することが観察される。
  さらに癌細胞の膜抗原に対して宿主側が産生した抗体は、癌細胞を攻撃するどころか、癌細胞の増殖を助け・促進する事さえ知られている。


  もし潜水艇が癌細胞に取り囲まれ、身動きとれなくなったらどうなるだろう。勿論潜水艇も癌に対する強力な薬物を噴射して反撃するだろう。昔なら、それで一件落着かもしれないが、癌細胞も薬物質に対して色々な対抗手段を講ずることが分かってきている。

  薬物を簡単に防御する防護服(細胞膜)を作り出すことも、あるいはまた薬物を分解する酵素を作り出すことも可能なのだ。

  いやもっと奥の手を出してくることもある。同じ薬物には(それが如何に強力であっても)全く影響を受けない(感受性のない)突然変異細胞を産み出し潜水艇の攻撃を無効にすることもあるのだ。

  実は癌細胞のこの性質が一番厄介で、この性質こそが悪性新生物と呼ばれる所以と言っても過言ではない。

  つまり癌細胞は多種多様な変異細胞をどんどん産み出し、ありとあらゆる生体の制御や薬物の攻撃を免れながら分裂・増殖する能力を持っているのだ。 
  従って潜水艇が如何に攻撃しようとしても、最終的には薬物の攻撃に対して感受性のない癌細胞が増殖し潜水艇を再攻撃してくることが考えられる。

 
  さらに厄介なことは、癌細胞が宿主の細胞に指令を出し、自分の増殖に際し宿主の正常細胞を上手に利用し、癌細胞の周囲に正常細胞から分泌された線維組織からなる防御壁を作ることも考えられるのだ。

   こうして正常細胞の協力を得た癌細胞は、反撃に転じ線維組織を利用して潜水艇を幾重にも取り囲み、潜水艇を真珠のような身動きとれないボールに変えてしまうこともある。

   場合によっては貪食力のある癌細胞が、潜水艇を丸呑みしてしまうこともある。


   現代の癌に対する知識から見直すと、 たった一隻の潜水艇で癌を退治することは不可能なのだ。

  「ミクロの決死隊」を現代風に書き変えるなら、少なくとも数隻の潜水艇の共同作戦が必要になる。

  多種類の薬物を搭載する潜水艇、  癌細胞に取り囲まれても、それを妨害する能力をもつ潜水艇、  癌の指令を受けた正常細胞が分泌する蜘蛛の巣のような線維を溶かしたり、  癌細胞を協力する白血球や血管細胞の働きを抑制する化学物質を噴射する潜水艇、  癌細胞が原発巣から離れて走り回るのを取り押さえたり、動きを阻害する城壁(防御壁)を構築する潜水艇等等、異なった機能を装備した潜水艇による艦隊編成と緊密な協力が必要不可欠なのだ。
  それも多種類の変異細胞が出現する前に、速やかに治療を終わらせないければならない。

  しかし実際にこのようなミクロの人間がミクロの潜水艇を操つることは、現実的ではなく、あまりにおとぎ話的だが、しかし現代科学技術の進歩は目覚ましく、例えば無人飛行機や、無人戦車を遠く離れた場所から操縦し敵を攻撃する武器技術が開発され実用化されていることを考えると、この技術をミクロ化する実現性は極めて高いと考えられるだろう。

   近々、「ミクロの決死隊」の物語は、血管やリンパ管内に入り込んだ無人潜水艇や戦車が活躍する話に変貌するのではないだろうか。


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