ジョージ北峰の日記
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2002年06月30日(日) 靖国 つづき

 当時、日本の為、家族の為、苦悩に満ちて死んでいった人達が祭られている。私自身、戦争で亡くなられた人達に対して心から感謝し、尊敬している人間である。
一般人が靖国神社を参拝すること、これは誰からも咎められることでは決してない。しかし、戦犯とされている将軍が英霊として祭られている所へ、日本の政治的指導者が積極的であれ消極的であれ公式に参拝するのはおかしい。それは自己矛盾を曝すことになるのである。この事は、最近、不良債権問題で責任を取るべきリーダーが、結局誰も責任を取らない日本の政治・倫理体制に極めて強い不信感を(諸外国から)持たれる遠因となっているのである。
 戦後、軍国主義とファシズムを誤りとし、天皇を国民の象徴とし主権在民による民主主義、自由主義を標榜して新しい国家を建設すると世界に向かって誓ったのである。その事実に、決して矛盾する事のない行動を日本は世界に示す義務があると考える。
 天皇は国家・国民の象徴である以上、民族、宗教を超えた、誰からも愛され、尊敬される日本の代表として機能して欲しい。あくまで日本国家に住むすべての国民の象徴的代表である。将来、さらに世界文明、文化のグローバル化が進むことを考えると天皇は民族・宗教・政治体制を超えた日本の誇る象徴的存在であって欲しいと願う。
 一方戦犯についてはどう判断するか?戦犯にはA,B,Cの段階があった。ここで問題にされるべきはA級戦犯を日本が如何扱うかである。日本が、あの当時、第二次世界大戦に突入した理由は簡単ではなかったと考えられる。歴史家でない私が、その良否、善悪について判断するのは避けた方が良いかもしれない。しかし結果は、日本の敗戦であり、日本を含む他国の人々に多大の犠牲を強いたと言う事実は否めない。その時代にあっては色々な理由があったかも知れないが、結果としてはA級戦犯の世界戦略・国家戦略に誤りがあったと結論せざるを得ない。A級戦犯だけが本当に戦争犯罪人であったかどうか私が判断すべきできないが、歴史上、日本を、世界を途方もない戦争に巻き込んだ、指導者、リーダーとして、彼等の資質、是非については、過去の他の政治家、将軍達と同様、問われなければならない立場にあった。そして日本の国家的英雄であり、英霊として祭られるべきであったかどうかは精密に、感情論抜きに検証されるべきである。現段階では(当時をよく知っている人達の話、記載されている事柄から判断して)他の歴史上の人物と比較しても、彼等を特別視し英霊とするのは、あまりに性急で軽率な判断のように私には思える。
 日本歴史上の人物として彼等の歴史的行為(戦争)の是非については冷静に評価されるべきである。
 一方、第二次世界大戦は外国との戦争であり、外国が日本のA級戦犯についてどのように考えるかは別の問題である。外国は日本のA級戦犯について、自由主義、民主主義を踏みにじり、当時日本の方向を国家神道に基づくファシズム的政治に、そして戦争を遂行、日本の進むべき方向を誤らせ、ひいては世界に多大の被害と混乱を招いた、とし民主主義、自由主義を否定した独裁政治家として処刑したのである(ポツダム宣言、東京裁判)。それを日本は受諾して現在にいたっている。そして新しい憲法では、そのような反省に立って、主権在民、基本的人権の尊重、自由主義、民主主義を標榜する国家を再建設することを誓ったのである。

  それでは日本はどんな国家であれば良いのか?
先ず、世界から本当の意味で信頼される政治、経済体制を構築すること、しかし何よりも道徳的に高い信頼を得ることが重要と考える。戦後、外国が日本に最も期待したことは(日本人は戦争を恐れはしないが)決して日本から手を振り上げることがないこと、喩えて言うなら父親の権威ではなく、母親の権威を目標とする国家では、と考える。しかし、それは容易な事ではない、母と子の信頼は言葉を必要としない真実の信頼関係だからである。そのような信頼を諸外国からも得ること、支持される事を目標とする先進国家であること、それを世界の国々から理解されることではないだろうか。
 だからこそ、国政を預かる日本の総理大臣、国務大臣が歴史上の判断を曖昧にするような、日本の伝統的道徳観を汚してまで、外国の感情を逆なでにするような靖国神社の公式参拝をすべきでないのである。
 それは日本の恥であり、将来決して拭い去れない政治的汚点を残す事になるだろう。日本国民は戦後の自信喪失、後ろめたさを拭いきらないまま歴史が逆回転するのでは危惧するのである。
 せめて、この点だけは、他の国からも日本の国民からも納得され信頼される、はっきりとした発言・行動をして欲しいと願うのである。


2002年06月23日(日) 靖国

 最近、アメリカの格付け会社ムーディ-ズによる日本の評価が、日本の援助国よりも下にランクされたと、少なからず驚きのニュース報道があった。何故、日本の評価がそんなに低いのか質す必要があるのでは、との意見が国会内外に噴出している。それにしても1民間会社の格付けが何故ニュースになるほど、そんなに重要なことなのか、経済音痴の私には不思議に思える。恐らく日本の株式市場、日本の発行する国債の評価を心配してのことなのだろうけれど。しかし本当に自信があるなら笑っておれば良いのではと思うが・・・そうでない所があるのかもしれない。自信がないと言うことだろう。
 また中国にある日本大使館へ亡命を求めて逃げ込んだ北朝鮮の家族に対する大使館員の対応の拙さについて日本国内外において随分批判があった。大半は、日本人の事なかれ主義のなせる業と捉えられたようである。私のアメリカの友人もテレビ報道をみて「日本人らしい対応」と笑っていた。決して馬鹿にして笑った訳ではないけれど「いつもの事」で、ニュースになって慌てている、あるいは狼狽している日本人を見て可笑しかったのだろう、と思う。それにしても、あの時、日本人が毅然とした態度で中国に対応していたら、日本人は尊敬されただろうか?という疑問もある。単に、パフォーマンスと疑われなかっただろうか。他に対する面子は立ったかも知れないが・・・と勘ぐられてしまっただけかもしれない。
 これも最近のことだが、日本がバブルの最盛期、経済大国と誇っていた時、国連の常任理事国になってしかるべきとの意見が湧出(ゆうしゅつ)していた。しかしアメリカの著名な人物が、やはり日本は未だ、政治的に未成熟で信用できないという意味のことを話しているのを聞いたことがある。この発言は、かなりの数の外国人が日本に対して抱いている共通の認識ではあるまいか。それは何故か?
 湾岸戦争の時、日本は多額の金額を負担したにも関わらず尊敬されなかったことを随分気にしていた。その事に懲りて、アフガン戦争ではアメリカ支援を積極的に行動で示すべきとの意見が出たのでは?との印象を与えるような報道がなされていた。少なくとも、外国のmediaの捉え方は概ねそのようであったと思う。
 さらに最近になってM首相の神の国発言と苦しい弁明。一体、この時期に何の目的があって、こんな発言を日本の首相がするのか、理解に苦しんだ人が多かったと思う。総理大臣は、一国の政治・経済・軍を代表する、国家にあって最も重要な地位にある。従ってグローバル化が叫ばれている国際社会にあって自由と民主主義を標榜し堅守しなければならない近代国家の首相が一つの文化・宗教に偏るような発言をするとは、どんな神経の持ち主なのか、との疑念が持ち上がった。それは本当に彼の信念なのか?
 このようなM首相の発言は日本が戦後誤りと表明したファシズムへもう一度回帰することを望んでいるかのように見えたのである。日本が世界第二位の経済大国であることは誰もが知っている。しかしだからと言って政治的にあるいは国家として信用できるか?となると疑問符がつく発言なのである。
 最近では日本の首相が靖国神社を参拝するか否かがよく話題になる。K首相はこれまでの日本の犯してきた誤りを二度と繰り返さない、と誓うため参拝する言った。が、アジア諸国の人々を説得できる論理と考えての話であろうか。それを理由とするならとても矛盾する説明とは考えないのだろうか。靖国神社は、所謂戦犯と言われる人達(本当に戦犯かどうかは疑問があるかも知れないが)合祀されているのである。その人達を英霊として祭る神社を、日本の首相が参拝する事は、やはり、外国が、日本の過去の誤り(日本は第二次世界大戦で降伏して、過去の軍国主義は誤りだったと国家としては認めてしまったのである。その結果、平和条約が結ばれ、現在のような近代国家日本が再建された経緯がある。)を誤りと考えていなかったのでは?と疑われても仕方のない行為ではないのか。
 日本は信仰の自由が認められている。一般の人々が靖国神社を参拝したからといって誰からも問題にされる筋合いはない。しかし、その事と、国家行事として、あるいはその疑いが濃厚な参拝を、日本の指導的立場にある政治家が参拝する事とは、その持つ意味が全く異なるのである。少なくとも、近代的法治国家を標榜する国、日本の総理大臣が、今するべき行為とは思えない。
 本来、日本の根本思想は白黒はっきりさせる、生か死か、正か誤りか、それしかない武士道が道徳的規範だったのである。一度決まったことは、しっかり一命を賭けても守る。それが日本人としての物事に対するけじめのつけかただったのではあるまいか。その道徳的規範が、現在、日本の指導的立場の人々から消えつつあるように見える。何もかも曖昧にし、一度決めた事でも、理屈をつけて骨抜きにしてしまう。法律の解釈論が横行して、明らかに道徳的に間違ったことでも、法に触れなければ良いとの考え方が正論かのようなモラルの堕落が蔓延化しつつある。本来、道徳的規範こそ判断の最高の基準として最優先されなければいけないのに、法の隙間を抜けるような事ばかりが議論になっている。そのような国が今後、これ以上、さらに発展するとは考えがたく腐敗・堕落・没落するのみと理解されても仕方がないことでないのか。
 道徳的規範を最も重んじなければならない政治家が、法の網目をくぐるようなことを平然とやってのける。本来道徳的規範を破ることはリーダーとして恥ずべき行為であり、政治家たる者それを疑われただけでも自ら身を処すぐらいの気骨があって欲しいものである。そのような決意を秘めた、有能で質の高い骨太の政治家の出現こそ、現在最も期待されているはずである。
 法的な正否は私は法律家ではないので、判断は控えるが、しかし日本の総理大臣が靖国神社を参拝することは、戦後日本と平和条約を締結した国々にとって(第二次世界大戦末期に、ソ連が日ソ不可侵条約を無視して日本攻撃をしたと、日本人が驚き、怒ったこと)と殆ど同じ程度の行為と見なしている、と心得るべきである。
             つづく


2002年06月16日(日) 流星

 宇宙は時間、空間についての人間の認識能力をはるかに超え、日々の営みに比べ 無限の安定を約束してくれている。純粋な心には、月が輝き、星の瞬く天空は  人々に永遠の生と喜びを約束してくれているように思える。
 ギリシャ神話の英雄達は夜空に今も生き続けている。
 そこに真実はあっても、嘘や争いはない。だから、純粋な心は
 一度は星に憧れる。
 宇宙から見れば、人間社会の小さい、小さい場所での小さい小さい争い。
 宇宙をも支配しているかのような、人の錯覚と驕(おご)り。
 人間は、もっと謙虚に、視野を広げられないのか。
 今年は、日本の夜空に流星群が降り注ぐ。時には、無心で天空を眺めてみたい。
 人間社会とは何の関わりも無い、遠い、遠い空間で現実に生起している不思議な
 現象、流星。人間の意志とは無関係に生起する真実。
 人間が自然をすべて支配している訳ではない。
 人間の意志ではどうしようもない真実。途方もない時間の流れの中で生起
 している真実。
 流星は遠くから見れば美しい。しかし近くで見れば美しいと言えるのか。    人と人の争い(戦争)は近くで見れば悲惨、しかし遠くから見れば、花火のよう に美しいのか。
 これは人間の意志(理性)ではなす術もない、抑えきれない真実なのか。

 昨年、ニューヨークでの自爆テロ、続くアフガン戦争、一方で昨年末、日本で見られた美しい流星群。とても信じられない人間の無謀な行為の数々と、一方で淡々と過ぎ行く宇宙時間。目の当たりに見た悲しい矛盾に、言いようの無い悔しさと不安に落ち込んだのは私だけだったろうか。


2002年06月09日(日) 3日月 つづき

 少年の頃、学校から帰ってくると近所の子供達が集まって、日暮れまで良く遊んだ。私の住んでいた所は京都でも田舎で人家が少なく、同年代の遊び友達も少なかったので、幼児から中学生の子供達が集まって一緒に遊ぶことが多かった。私は中学生で子供達のリーダ格であった。日が暮れて隣の姉妹(小学校低学年だったと思う)を連れて帰ろうとした時、姉の方が「きれいな、お月様」と言った。見上げると南西の空に細い三日月が山にかかるように見えた。まだ赤く焼け残った雲が駆け足のように山の彼方へ通り過ぎていく。 彼女は何気なく、甘えるようにもたれて来てうっとり眺めている。私は、その時、彼女がとても可愛く思えた。月は勿論美しかったが、月に感動している彼女に感動したのであった。 その夜は興奮して一晩中寝付けなかった。それから何年かたって、彼女のことも記憶の彼方へ消えようとしていた頃、偶然出会ったのである。相手が誰であるかすぐ了解した。と、彼女は「結婚します」と一言告げ、微笑んだ。「そう,幸せにね」と別れた。それが又奇妙に心に残って三日月を見ると、時々、彼女のことを思い出すのである。もしかすると、あの日、彼女も小さいながら恋心があったのでは、と心が熱くなるのである。
 コンピュータや携帯電話が無かった時代、月は遠く離れた戦場や職場で働く家族、恋人達の通信手段であった。大袈裟に言えば、精神安定剤として医療の一役を担っていたと言っても過言ではない。離れた恋人同士が月を見て相手の安否を気遣う、あるいは思う場面が歌や物語に記されている。満月の夜は、相手の無事や幸運を心を込めて祈る。三日月の夜は何となく心細く、来る新月の暗闇に怯え、心安らかならざる不安を覚えたのではあるまいか。月は、時に恋人、親兄弟の顔のように見えることさえあった。 このように昔、人々は月を介して心が通い合っていたのである。 しかし、ここ数年、人々は月のことをすっかり忘れてしまっているように見える。
 浜大津から国道161号線を抜けて国道1号線に入り逢坂の関を越えると、道路は音羽山と東山連峰の谷間をうなぎのように曲がりくねって下って行く。そして、しばらく走ると一挙に視界が広がる。前方には、名神高速、大津坂本へ出入りする道路の水銀灯、ナトリウム灯が美しく立体交叉する図が眼に入る。しかし、今夜は、何故か私は、薄暗い山の稜線の真上に、あの日、あの夜に見たと同じ形の三日月が力なく輝いているのに気付いた。すると、突然あの娘の顔が心に浮かんできたのである。とても切なく、懐かしい思い出に心動揺した。
 あの夜の三日月は、白くもっと煌煌(こうこう)と輝いていた。
そう、天上は悠久のはず。古今東西、月が変わるはずはない。であるのに、今夜の月の光はいかにも鈍く、疲れ切ったように見える。刻一刻過ぎ行く時間に地球が疲労してきたのだろうか。絶対に変わらない、時間を超越した存在(自然)への信仰、神話の崩壊の兆し。
 若く、青く切なかった頃、夢と希望に満ちていた頃、決して逆戻りしない時間・・・それは充分理解していたつもりである。 しかし、地球に疲労の兆しが見え始めたのである。 まさか、そんなこと考えたことも無かった。種の保存の本能の故か、それだけは認めたくない事柄だった。
 そんなやるせない思いが、ふと心に浮かんで動揺したのである。
 三日月と共に蘇(うよみがえ)る懐かしい記憶。決して戻らぬ昔の光。
 せめてそれだけは心の玉手箱にそっと閉じておきたい。
    灰色のレースに被われたように
    星影ひとつ見えない夜空
    赤く鈍く光る三日月に
    山の稜線も、薄く霞む。
    昔、あんなに白く輝き
    人の心の支えだった月
    その役割は、もう終わろうとしているのか。


2002年06月02日(日) 三日月

    ビルの谷間から覗く三日月
    鈍く、赤く光る
    忘れさられた、ルビーの指輪のよう
    昔、あんなに喜び、大事にしてくれた人々は、
    一体、何処へ行ってしまったのか。
 月は日本人の生活のリズムと自然信仰心に深く関わってきた、と思う。私の少年時代、中秋の名月は秋の祭りと一緒で、とりわけ楽しい行事であった。正月のように休日ではなかったが、子供達は皆その日が、特別な日であることを意識していた。放課後は一目散に仲の良い友達同志が、連れだってススキ、萩を採りに山へ行った。家に帰ると、母は祭壇を飾る、お供え物(芋、トウモロコシ、団子など)の仕度をしながら、頃合をみて月見の準備をするよう促す。私と姉が月の見える部屋に祭壇を設け、ススキ、萩を飾り、そして芋、トウモロコシ、団子を供える。後は父が帰ってくるのを待つばかりである。
 当時は食料不足の時代であったから、ご馳走のある日は、家族が皆そろって早めに帰ってくる。夕食も早めに取って、「さあ、月見だ。」の父の掛け声で、祭壇の設けられた部屋へ移動する。そして月を眺めながら、父、母の昔話を聞いたり、楽器を合奏したり、時に肝試ししたりと、団欒の過ぎるのをひたすら待つ。「もういいだろう。」と父が言うと、灯りをつけ祭壇を居間に運ぶ。皆で一緒に、お下がりを頂くが、時にその際、善哉がふるまわれることがあった。当時、砂糖は貴重品で、滅多に口にすることはなかった。そんな時には、子供達も大喜びで、一層話題が弾んだことはもちろんである。団子を入れて食べた時の、あの善哉の味。あの味を忘れることは決してないだろう。
 「いまは平和で皆幸せだよ。」と話がはじまる。昔の戦人は、食料の蓄えも底をついてくると新月の来る日を待つ。三日月の消える頃が自分達の命運を決する日。
真っ暗闇に最後の活路を探るべく最後の総攻撃をかける。
    薄明かりの宴
    静かな、ささやかな酒宴
    槍、刀がきらり光る
    戦時用の真綿の着物、鎧、冑に身を固め
    最後の宴に勝利を誓う
    戦に敗れれば、残された女、子供の命もない
    最後の武運を三日月に祈る。
特に男の子は仮に赤子と言えども容赦なく命を奪われた、と母。
 姉が、ハーンの狢(むじな)の話をする。逃げて、逃げて、真っ暗闇にやっと見つけたランターンの灯り。再び、そこで蕎麦屋の主人の顔をみて主人公が腰を抜かす話。
 父が、少年時代住んでいた所は町から遠く離れた村で、習い事で町に通っていたが、帰り道には日が暮れる、それで、どうしても夜に寂しい墓場の傍の山道を通る事になる。ところが、激しい雨の降る日は、お墓を見ると人骨の燐がぼんやり燃えているように見える。あれが火の玉か!と背筋が寒くなるのを覚えた、などと尤もらしく話す。そして話も終わりに近づく頃、父が「お使いに行ってもらおうか。」と何気なく私の顔を見るのである。それまで、さんざん脅かされていた私が厭だと言うと決まって「男じゃないか。」と父や兄達からからかわれた。
                    つづく


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