与太郎文庫
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Ex libris Web Library;WILLIAM SHAKESPEARE 1564-1964 >> ハムレットとドン・キホーテの作者は、「奇しくも同じ日に没した」 と伝えられて久しいが、旧暦と新暦の日付が同じために生じた誤解で、 実は十日間前後する。誰がまちがって、誰がただしたのか。 男の典型を対比したツルゲーネフの講演《ハムレットとドン・キホー テ》によってそれぞれの作者は対等に評価された。狂気とエゴイズムを 凝視した近代的手法とともに、同世代の作家であることが後世の研究者 をあつめた。 さらにシェークスピアとセルバンテスが「奇しくも同じ日に没した」 ことは、二大文豪を語る「殺し文句」となった。 命日が、西暦一六一六年四月二十三日であれば、当時の英国教会はロ ーマ教会との対立から旧来の《ユリウス暦》を保守していたが、スペイ ンでは《グレゴリオ暦》を先に採用したために、同じ日付であっても シェークスピアが長く生きたことになる。 これを、邦暦順にならべると、元和二年の三月八日(土曜日)にセル バンテスが、三月十八日(火曜日)にシェークスピア、さらに「奇しき 因縁」を拡大解釈するなら四月十七日(水曜日)徳川家康におよぶ。 最後の《ユリウス暦》すなわち帝政期の《ロシア暦》に生涯を了えた ツルゲーネフ( 18181028J=1109G 〜 18830822J=0903G )は、当然《グレ ゴリオ暦》を熟知していた。 ローマ教皇グレゴリウス十三世が、諸国から追求されて断行した《グ レゴリオ暦》(布告 15820224 実施 15821005J=1015G ) は、一挙に普及 したものではなく、英米では百七十年後( 17520903J=0914G ) 、さらに 五十六年たって、ソビエト革命政府が採用( 19180201J=0214G ) してい る。この間にフランス革命政府が秋分年初の《共和暦 17920911J=0922G 〜 18051219J=1231G 》を独自に開発したが、定着せず復帰した。 日本も、外交的迎合から「徳川の正月」を廃し、明治五年十二月三日 ( 18730101G )よくわからないまま太陽暦を導入した。《日本暦日原典》 の編著者・内田正男氏は二十数年後に書かれた《金色夜叉》を例に、つ ぎのように証言している。 『来年の今月今夜のこの月を、再来年の今月今夜の……』と、お宮への うらみをこめた貫一の有名なセリフは、旧暦でなければ通用しない。旧 暦であればこそ正月十七日の夜の月は、毎年ほぼ同じ形で地上を照らす ことになるが、太陽暦ではいくら待っても、来年の今月今夜には月は出 てこない。(暦の会編《暦の百科事典》新人物往来社) この台詞は、読売新聞の連載になかったものを、市村座の初演から加 えられたとも伝えられる。観客や批評家に気づかれなかったとはいえ、 ひんぱんに自作を観劇した尾崎紅葉が「月令の矛盾」に苦慮していた気 配は小説からもうかがえる。 暦に無頓着なのは日本人にかぎらない。 ロシア生れのユダヤ系アメリカ人、博識の化学者にしてSF作家の、 アイザック・アシモフ( 19200102G 〜 )もセルバンテスとシェークスピ アを「生前、名前すら知らない二人」「死亡した日が同じ」と安易に引 用している(星新一・編訳《アシモフの雑学コレクション》新潮文庫)。 一六一一年に引退したシェークスピアはその翌年に英訳された《ドン ・キホーテ》の評判を聞かなかったのだろうか。 「内容的にまちがっていることはない」とショートショートの大家 ( 19260906〜 )が追記するように、二千頁をこえる岩波の増補版《西洋 人名辞典》その他でも二人の命日は同じ日付で載っている。 ただし「凡例」をみれば、さきの疑問にもどるわけである。生没年月 日を疑ぐってかかるのは、無意味な詮索だろうか。 誰も気づかない発見は、結局つまらないものだが“セルバンテスの方 法を求めて”を副題とする(弘文堂 19890720 初版)、牛島信明《反= ドン・キホーテ論》では、「セルバンテスがこの世を去ったのは一六一 六年四月二十二日(暦の上ではシェィクスピアの死の前日)である」と 断定する。いわば新説による通説の反証であるが、従来にない補注が、 ようやく登場する。 「イギリスでは一七五二年までユリウス暦が用いられていた。そしてユ リウス暦に十日を加えるとグレゴリオ暦に相当する。従って実際には、 セルバンテスとシェィクスピアの没年月日には十一日の間隔がある」 つまり通説の命日を埋葬日とみなしているわけで、当否は別として可 能性はある。 墓碑はなく「死亡診断書」もない。この時代には「出生 証明書」もないが、教会の「洗礼名簿」によって出生日を推定する。 ミゲル・デ・セルバンテスの、受洗記録 15471009J(日曜日)から逆 算して、十日前の 0929J(木曜日)が「聖ミゲルの日」にあたるため、 これを誕生日とする異説はおおむね疑問視されている。 牛島信明 ( 19400814 〜 )説は、洗礼の前日もしくは当日の十月九日 (天文十六年八月二十六日)を有力とみている。 「新生児の死亡率が極度に高かったため、重刑に処せられる危険をおか してまで、十日以上も洗礼を施さずにいたはずはなく」という理由は、 いささか過激であるが。 古来ユダヤ教の割礼は「生後八日目」が厳守されているが、キリスト 教では時代とともに短縮され、シェークスピアも受洗日 15640426J(水 曜日)から推定して、三日前の 0423J(日曜日=永禄七年三月十三日) すなわち「生没同日」を記念している。 誕生日と命日の日付が一致することを、イギリスの作家、アンソニー ・バージェス ( 1917 〜) は「無害な魔術」と表現しているが、この現 象は生没月日を収集して[ 365.25² = 133407.5625 人]に達すれば、 どの日付にも出現する。 三六五人に一人の確率を「奇しき因縁」ととらえる世代的センスも、 やがて膨大な情報量によって色あせるのではないか。 (19911212) ──────────────────────────────── ── 《歴史研究 19920400 新人物往来社》P073-075 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040801 生没同日の人々 〜 最新版 〜 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040801 <<
da Vinci, Leonardo 14520414 Italy France 15190502 67 /14520423 Gregorio Shakespeare, William 15640423-0426 England 16160503 52 /16160423 Julius Cervantes Saavedra, 15470929 Spain 16160423 68 /16160423 Gregorio
…… レオナルドの出生は、父方の祖父セル・アントーニオの日記に 「4月15日土曜日の、日が暮れてから3時間後に孫が生まれた」と記録 されている(Angela Ottino della Chiesa in Leonardo da Vinci, and Reynal & Co., Leonardo da Vinci (William Morrow and Company, 1956))。 この日記に記されている日付はユリウス暦で、現在のグレゴリオ暦に 直すとこの時期のフィレンツェの日没は午後6時40分で、日没後3時間は 午後9時40分ごろということになる。 当時の一日の概念は日没から翌日の日没までだったため、日記に記さ れている4月15日という日付は、現代でいえば4月14日ということになる。 この日付を現代の暦に換算すると、レオナルドの誕生日は4月23日である。 (Wikipedia)
Gregorius XIII, 15020107 Rome 15850410 83 /226[15720514-15850410] ── 《グレゴリオ暦 15820224 布告 15821005J=1015G 実施》 Turgenev, Ivan S. 18181028 Russia 18830822 64 /18181109〜18830903 Gregorio 尾崎 紅葉 作家 18680110 東京 19031030 35 /慶応 3.1216 Burgess, Anthony 19170215 England 19931122 76 / Asimov, Isaac 19200102 Russia 19920406 72 /America 内田 正男 暦学 192111‥ 小田原 /1944 東京天文台/1967 東京大学講師 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C6%E2%C5%C4+%C0%B5%C3%CB 星 新一 作家 19260906 東京 19971230 71 / http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4102186042 ── 星 新一・編訳《アシモフの雑学コレクション 19860729 新潮文庫》 牛島 信明 西文学 19400814 大阪 20021213 82 / …… セルバンテスがこの世を去ったのは一六一六年四月二十二日 (暦の上ではシェィクスピアの死の前日)。
── 牛島 信明《反=ドン・キホーテ論 〜 セルバンテスの方法を 求めて 〜 19890720 弘文堂》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4335950233 (20141215)
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