与太郎文庫
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1978年02月22日(水)  PRAD《印刷入門》 終章:紙のABC

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780222
 
【昭和53年2月22日(水)/第12回例会】
 
 私たちのシンポジウムは、文字伝達を足がかりに、紙を汚す技術の展
望を試みてきたわけですが、色彩の再現や電波による、あたらしい伝達
媒体の登場は、目ざましい急速な進歩をとげています。
 紙が主役の時代は、すでに過去のものといえるかもしれません。しか
し、重要なバイプレイヤーとしての役わりに変りはなさそうです。
 
 終章 ■ 紙のABC
 
 先のオストワルトが、紙の寸法規格を定めるに当っては、つぎの方式
によっています。
 まず1平方メートルを基準とします。正方形であれば、縦横それぞれ
1メートルですが、オストワルトはなぜか、
 841×1189ミリ=0.999949m2 という比率を選びました。
 これは、古代の数学者ピタゴラスの発見した《黄金分割》にもとずい
ているのです(簡単な理論ですから、中学時代を思いだしてください)。
正五角形を図のように結ぶとAC:AB=AB:BCとなります。外分
比と内分比が等しく、もっとも合理的な配分であるとされ、ゴールデン
カットと呼ばれます。
 
 □□□□□□□□□□□□
 □□□□□□□□□□□□
 □□□□□□□□□□□□
 
 長方形の二辺を、これによって定めると、約1:1.618となり、パーセ
ントに直せば38.2%対61.8%になります。38.2÷61.8=0.618となって、
長辺と短辺の比は、無限にくりかえされることになります。
 つまり、この比率の紙を、二つ折りにしても、おなじ比率の長方形が
得られるのです。
 オストワルトは、これが紙の規格にふさわしいと考えて、一平方メー
トルの面積のものをA0判と定めました。A1判はその半分というわけ
です。
 B0判は1.5平方メートルですからA判より5割ましの大きさです。
C判もあるらしいのですが、わが国では使われておらず、くわしいこと
は判りかねます。2平方メートルか3平方メートルだとすれば、単なる
A・Bの倍数ですから必要ありません。かりに1.8平方メートルのよう
な中間値だとしても、実用上とりあつかいにくい大きさになるものです
(※印1)。
 
 ■ 紙の大きさ
 
 紙の寸法といっても、実際の紙製品は、ひとまわり大きなものでない
と、折ったり裁断したり、できません。
 通常の印刷物では、一辺の折りしろを3〜4.5ミリ、裁ちしろを6ミリ
以上必要とします。印刷の際に、紙を固定するため“くわえ”と称する
部分が、長辺にそって少くとも10ミリほど必要です。はがきのように小
さなものでは5〜6ミリくらいに無理する場合もありますが、A6判
(105×148)として、100×148(官製はがき)の寸法に裁ちあげる方が
無難です。
 オフセットの場合、製版の段階からひとまわり(2.5ミリ×4.5ミリ)
外側の四隅と、上下左右の中心に見当あわせの為の線を入れておく必要
があります。
“トンボ”と呼ばれ、多色刷の場合はもっとも重要な目印であり、刷り
トンボ、折りトンボ、裁ちトンボなど、各工程に欠かせないものです。
版下や、製版・製本上の共通記号は、いくつかあって、完成時にはすべ
て姿を消してしまう点が特徴です(※2)。
 新聞用紙とか、オフセット輪転機では、ロール状の専用紙を使います
が、一般に用いられる紙製品は、つぎの四種類です。


 A列本判:625× 880mm
 B列本判:765×1085mm
 四 六 判:788×1091mm
 菊  判:636× 939mm

 紙質や製品に応じて、すべての紙がそれぞれ四種類あるとは限りませ
ん。A0判やB0判そのものはなく、A1やB1用の紙をA全・B全と
呼びます。
 四六判や菊判は、旧規格で、JISには準拠しないのですが、書籍な
どで永い実績があるため、今でも需要が多く、四六判32どり(190×130
ミリ=64ページ)や、菊判16どり(32ページ)など、それぞれ代表的な
書籍寸法でもあるのです。
 書籍では、変型判と称して、特殊な判型のものも出版されますが、ほ
とんど特註用紙を使った豪華本の場合で、規格用紙を使って変型判を作
る際には綿密に計算した上で、無駄な紙屑を出さないようにします。
 一見ポピュラーなものに、AB変型と称するものがあります。一辺を
A、他辺をB判に準じるのですが、製版や製本の知識が充分でないと、
たいへんなロスを生じる結果になります。
 二つ折りや三つ折りのパンフレットでも、みすみす不合理な裁断をし
ている例が少なくありません。その逆に、わざと残した余白に、まった
く別の印刷物を作ることも可能で“付けあわせ”と称しますが、すべて
の条件が同一であるため、なかなかむずかしいのです。
 
 ■ 紙の重さ
 
 一般に、紙を薄いとか、厚いとかいいますが、専門用語としては不適
格な表現です。まったく同じ性質でないとその比較は意味がないのです。
 この小冊子では、四種類の紙を使っており(14ページ参照)このペー
ジは中上質紙55キロとなっています。
(※3)500枚の重さが50キログラムに相当するわけで、実際に紙の値
段は、重量と紙質で取引されています。梱包単位がそれぞれあるわけで、
たとえばB4判一枚いくら、という計算もその都度必要です。
(※1〜3については次の機会にゆずります)
 

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http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)

 
 ■ 補遺 〜 黄金比と白銀比(√)の対比 〜
 
 Ex libris Web Library;余白図 20161108 Tags
>レイアウトの肝は「最適な余白」<
https://www.lowcost-print.com/column/%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%88%e3%81%ae%e8%82%9d%e3%81%af%e3%80%8c%e6%9c%80%e9%81%a9%e3%81%aa%e4%bd%99%e7%99%bd%e3%80%8d/
 
 せっかくここまで力説しているなら、具体的な比率を示すべきだろう。
(以下は、1973-1974 にかけて完成した、最古の与太郎ルールでもある)
 すなわち「A4にB5、B5にA5」と定め、各々の面積比を求める。

 B:A = 1.500
 A:B = 1.333
(平均)= 1.414(概√比)両者は均等でなく、交互の階段状に連なる。
 
 B4 : A4 …… 364*257 : 297*210 …… 93548 : 62370 = 1.49988777
 A4 : B5 …… 297*210 : 257*182 …… 62370 : 46774 = 1.33343310
 B5 : A5 …… 257*182 : 210*148 …… 46774 : 31080 = 1.50495495
 A5 : B6 …… 210*148 : 182*128 …… 31080 : 23296 = 1.33413462
 
(平均比)1.50495495+1.33413462 = 2.83908957
(概√比)2.83908957/2=1.419544785
 
…… 白銀比とは 1: √2 =1:1.414 … で表わされる比率のこと。
 日本の白銀比  1:1.414≒1:√2 …… A判用紙、風呂敷、法隆寺、菱川師宣「見返り美人図」etc
 西洋の黄金比  1:1.618≒5:8  …… ピラミッド、ミロのヴィーナス、パルテノン神殿、
https://matome.naver.jp/odai/2138632436453836601

 
(20170408)
 
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1978年02月17日(金)  華ときものと私 〜 池坊家の人々 〜

 華ときものと私 〜 池坊家の人々 〜
 
 Ex libris Web Library;池坊 保子
── 《華ときものと私 19780217 岡山県農業会館》
 
 
 
 
 


 梅渓 通善       子爵 18‥‥‥ 京都 19‥‥‥ ? /梅渓の子/通魯の父/18840708 子爵
 梅渓 通魯       子爵 18‥‥‥ 京都 1920‥‥ 57 /池坊 保子の祖父
 梅渓 通虎 貴族院議員・子爵 19‥‥‥ 京都 19‥‥‥ ? /池坊 保子の父
♀梅渓 夏子     通虎の妻 1907‥‥ 東京 19970914 90 /池坊 保子の母/旧姓=仙石 政敬の三女/通明の母
http://1000ya.isis.ne.jp/0585.html ── 早坂 暁《華日記 1989‥‥ 小学館文庫》香淳皇后の従妹/正力 亨の義母
────────────────────────────────
 池坊 専啓 華道池坊家元43世 1868‥‥ 京都 19440411 76 /故=池之坊
 池坊 専威 華道池坊家元44世 19‥‥‥ 京都 1945‥‥ ? /急逝/専永の父
 池坊 専永 華道池坊家元45世 19330721 京都       /専威の長男/1963- 保子の夫
http://www.ikenobo.jp/ikebanaikenobo/iemoto.html
────────────────────────────────
♀池坊 保子    専永の元妻 19420418 東京       /旧姓=梅溪 通虎&夏子の三女
/1961 学習院大学文学部国文学科中退/[199610‥-20121116] 衆議院議員(公明党)/20010426 文科副大臣
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C3%D3%CB%B7+%CA%DD%BB%D2
────────────────────────────────
♀池坊 専好4 華道池坊家元46世 1965‥‥ 京都       /専永&保子の長女/20151111 襲名/旧名=由紀
/天台宗頂法寺(六角堂)副住職
 池坊 雅史   元大蔵省官僚 1961‥‥ 埼玉       /1991 池坊 由紀と結婚/旧姓=千野
/東京大学卒/池坊短期大学長 20050406 解任
────────────────────────────────
 野口 修司 元 NHK経済部記者 196,‥‥ ‥‥       /2000 池坊 美佳と結婚
♀野口 美佳 華道池坊     19700311 京都       /旧姓=池坊 専永&保子の次女
http://www.ikenobo-mika.com/category/%E6%B1%A0%E5%9D%8A%E8%A1%8C%E4%BA%8B
────────────────────────────────
 梅渓 昇    日本近代史 19210121 兵庫       /大阪大学名誉教授
 梅渓 通明    市田専務 1932‥‥ 京都       /通虎の長男/池坊 保子の兄
 梅渓 通彦  読売テレビ放送 1947‥‥ 京都       /通虎の次男/池坊 保子の弟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%BA%AA%E5%AE%B6

 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780217
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(20160111)
 
 華ときものと私
 
■ きものと宝石
 
《いけばなインターナショナル》という団体がございまして、日本だけ
でなく、世界各地の、いけばなを愛する方たちのあつまりです。ヨーロ
ッパやアメリカの人たちは、いけばなはやっておられないけど、お花が
大好きな方がたくさんいらっしゃいます。お花を愛しておられる方なら、
誰でも参加できる会なんです。
 四年に一度、日本で大会があります。
 各家元のデモストレーションはじめ、講演やパーティが催おされます。
外国の方はパーティが好きですから、夜になりますと、世界各国のいろ
とりどりの民族衣裳を着た人びとがあつまります。
 この時には、日本人に生れてよかった、きものがあってよかった、と
思います。私どものプロポーションは、とても外国
の万には及びません。十代廿代の方はずいぶんよくなった、といわれま
すけどそれでも外国の方のスタイルのよさにはやはりヒケをとってしま
います。その点きものは、私たちの体型にぴったり添ってくれるんです。
「きみは着物が似合うよ」
 ついこの前、家元がそういってくれました。女って、ほめられると嬉
しいものですから「あらそうかしら」つていうと「スタイルが悪いから
ね」なんて申します。
 きものが洋服とちがう点は、外国ではかならず宝石を必要といたしま
す。洋服と宝石は、切っても切れない組みあわせなんです。
 私たちのきものは、永い歴史をもっておりますけれども、宝石という
ものにはあまり関心がないみたいですね。そこですばらしいネックレス
をした外国婦人に
「どこでお求めになりましたの?」
なんて野次馬根性たっぷりに質問いたしますと、ほとんどの方が、何代
も前の、おばあちゃまに戴いたものとか、お母さまが結婚されたときに
買ったものとか、娘から娘に、代々うけつかれてきた例が多いのに驚き
ます。
 
■ ヨーロッパの家庭
 
 外務省の派遣とか、流派の仕事などで外国の各地を旅する機会がござ
いまして、こういう点は見ならっておきたい、とか日本の良いところは、
ぜひこのまま守り育てていきたい、というようなことに、たくさん出会
います。
 ドイツで、ある家庭に招かれました時、そのお宅の男の子が、ほんと
に可愛いいホットパンツをはいて、とてもよく似合っておりましたので、
「いま、こんなのが流行してるの?どこのデパートで買ったの?」
と尋ねますと、男の子は得意になって、「これは、おじいちゃんの戴き
ものなんだよ、お父さんもはいて、それからボクの物になった」ってい
うんです。
 ドイツは、質実剛健の国なんていわれますけど、ちょっぴりケチなの
かな、と内心思ったりしました。そしたら、そのお母さまが、
「どうして、びっくりするの? ドイツでは当りまえのことなんですよ。
おむつだって、母親が赤ちゃんを育ておえるときれいに消毒して、アイ
ロンかけて戸棚へしまっておく、娘が大きくなって結婚して赤ちゃんを
産むときに戸棚から出すんですよ」
 さいきんは貨おむつなんて、いかにも合理的なように私たち錯覚して
いますね。必要に応じて、そういうものを利用する場合は別ですけど。
 
■ 白いベール
 
 パリでも、同じような例は、たくさんありました。向うでは、食事の
時には、いろんなナプキンやテーブルクロスを用います。
「すてきなレースね」
私が思ったことをすぐ口にいたしますと、「これは、わが家の宝です」
これも代々伝えられてきたレースだったわけで、こういうものは戸棚に
しまっておくんじゃなくて、毎日たのしんで使いながら、いかに上手に
きれいに使って、次の世代に手わたすか、というのが主婦の条件なんで
す。
 ですから、娘が結婚するからといって、花嫁さんのかぶる白いベール
をデパートへ買いに行く、というようなことも少ないわけです。いかに
古く、その家代々に伝わったベールであるかが、花嫁さんの自慢なんで
す。
 ほんとに必要なものは、たとえ無理をしてでも求めて、次の世代に渡
せるものかどうかを、まず考えるようですね。
 
■ 豊かな合理化
 
 日本ほど、いろんな物が豊富に出まわっている国はないようです。で
すけど、いろんな役割りを果たす物がそろってるということではないん
です。
 二年前に買った魔法瓶の蓋が、すこしゆるんできて、胴体はまだ使え
るから、蓋だけ直したいと思ってデパートへ行きますと『これは、旧い
製品ですから新しく買いかえた方が、お安いですよ』
 五年前に買った電子レンジがこわれてしまったので電気屋さんに頼む
と、
『この会社では、もう この型のものは作っていません。部品だけとり
よせて直しても、新しいのを買うのと同じくらいかかりますよ』
 もったいない、まだ直せば使えるのにと思いながら、新しいものに買
いかえなければなりません。私たちにとってモノが豊富にあるというこ
とは、たくさんの機能を果たす──たとえば、お湯の温度を調節できる
魔法瓶のようなものでなく、いろんな柄の、いまはやりのマンガを描い
たものとか、ピエール・カルダンのデザインしたもの、そういうものが
豊富にあるというだけなんです。
 ほんとの合理性とは、何なのだろうか、もういちど考えてみたいと思
います。
 
■ 心を託す
 
 私が、結婚いたします時、知らぬまに母がきものをこしらえてくれま
した。
 まだ大学生でしたので、さものなんて興味がありませんでした。きも
のを一枚買うんだったら洋服二枚買えるのに、と単純に思っておりまし
た。
 ところが十五年たちまして、一枚一枚とりだして眺めてみますと、あ
のころに母が、いろんな思いをこめて選んでくれたんだな、という気が
するのです。
 嫁ぎゆく娘に、いっておきたいことがいっぱいあって、東京から京都
へ行って、習慣やしきたりがちがう、その中で無事にやっていくだろう
か、健康で、みんなと仲よくやっていけるだろうか、母親の知らない世
界に嫁いでいく娘への思い、心づかいといったものが、母にあったと思
われます。
 ことばでいうには、あまりにせわしい日々、はたちそこそこの、結婚
を目前にした娘に、ああなんだよ、こうなんだよといいきかせても、右
から左へきき流して心に留めてくれないだろう、という母の思いも感じ
られます。
 
■ 限りあることば
 
 娘の七五三に際しましても、いろんな思いがございます。
 立派な社会人になってほしい、聡明な女性に成長してほしい、勉強も
まあまあできてほしい、そんなことをいってみても、子供は『ママ判っ
てるわよ』というばかりで、聞きながしてしまう、だからそれをいう代
りに、いろんな願いをこめて七五三のきものを選びます。
 一枚のきものには、染めた人、選んだ人、縫った人の気持が、着る人
のこころとともに秘められていると思われます。
 若い人たちが、
『ボクはキミを愛してるよ、愛してるよ』と繰りかえし、いわれればい
われるほどホントに愛してくれてるのかしら、そのことばが軽重浮薄に
聞えて、その本心はどうなんだろうか、と心配になったりします。私た
ちが、ことばでいいつくす思いに限りがあるとしたら、いったい何に託
せばいいのでしょう。
 聖バレンタイン・ディなどありまして、女の子が男の子に、そっと
『あなたに好意をもってるわ』と伝えるわけてす。
 脱線いたしますけれど、先だっては、夜になりましてから、家元に、
「ぼくにチョコレートはないのかい?」なんていわれました。結婚して
十五年になる夫婦でも、チョコレートが要るのかしら、と思いました。
奥さま方、ご主人にプレゼントなさいましたか?
 
■ 母と妻と娘
 
 親子の断絶とか、いろんな人間関係の断絶ということがいわれます。
 ことばで、すべてを解決しようと思うところに原因があるようです。
 日本の文化は《察しの文化》である、といわれます。私の両親は、明
治うまれですけれども、父が夕刻に帰宅しますと、顔色を見ただけで、
今日は気分のいいことがあったんだな、あるいは、不愉快なことがあっ
たな、ということが母に判るようでした。判るけれども、そのたびに
『あなた、今日はいやなことがあったんでしょう?』なんてことは、い
わないんです。黙って、いつもと同じようにお茶を出します。
 その行為の中に『大変でしたわね』といういたわりの言葉が秘められ
ているのです。そして父も『今日は大変だった、だけれども、このお茶
で心がなごんだ』そういう気持で、お茶を喫むわけです。
 私が、ときに東京の実家へ帰りますと、あれもいおう、これも聞いて
もらおう、女性というのは、思ってることを聞いてもらうだけで、心が
晴れやかになるんですけれども──母にしましても、たくさんのことを
娘に聞いてみたいはずです。
 でも、顔を見ただけで何もいわなくても、母と娘のあいだに、通いあ
うものがあるんです。
『京都でこんなことがあったのよ、こんな嬉しいこともあったのよ、苦
しいこともあったのよ』そんなことをいう必要がなくなってしまうんで
す。
 黙って坐って、
「どう、元気? お茶でも喫む?」
 そういってお茶を入れてくれる行為の中には『元気でおやりなさいね、
いやなことがあっても、がんばるのよ』という無言のはげましがあるわ
けです。
 一服のお茶を喫むことは、おたがいの気持を察しあう心で、ことばに
しなくても了解が成りたつのです。この心を大切にしなければ、と私は
思います。
 母の入れてくれたお茶を飲んだだけで、心が安らいで、何もいわなく
てもよくなるのです。
 
■ 母と子の会話
 
 子供に『勉強しなさい』といっても、“また母さん、あんなこと言っ
てる、うるさいな”と子供は思ってしまいます。そのかわりに「がんばっ
てね」といって勉強机の上に一輪の花を置いておくと、子供は、花を見
るたびに“母さんポクに勉強してほしいと願ってるんだな”と、思うか
もしれません。
 そこに、どんな言葉でもあらわせない心と心の通いあいが生れます。
 私ども日本人の母と子の会話は、一日平均して三分なんですって(そ
んなことをいって、皆さん思われるでしょうね)。
 でも、子供が帰ってきて、
「お帰りなさい、早くしなさい、テレビを消しなさい、あとかたずけし
なさい、ご飯ですからいらっしゃい」というのは会話ではないんです。
「きょう学校で、こんなことがあったよ」
「そう、それでどうしたの」
「ポクはこう思う」
「母さんは、こう思うわ」
こういう意見の交換があって、はじめて会話といえます。
 私の両親は、明治の人ですから、子供にあれこれいうようなことは、
ございませんでした。五人きょうだいでしたからたいへんだったと思い
ます。
 母は、私の小学校へは、入学式と卒業式にしか来てくれませんでした。
参観日なんていいますと、
「わたしは大きらい、わたしが頑張ったところで、あなたができるわけ
じゃない、あなたが頑張ってるあいだ、家でおいしいもの作ってたほう
がいいわ」
 私たち母子は、たがいに言葉に出しての会話は、あまりなかったので
すけれど、母の生きてる姿から、私はいろんなことを学んできた、と思
います。
 たとえば、ほんとうに強い、ということはどういうことなのか、自己
主張することが強いことでなくて、困難なことに出あったときに、静か
に受けとめて対処していく、あるいは、ほんとうの優しさとは何か、そ
ういうことを無言のうちに母から学びとってきたつもりです。
 先日、私の娘の小学校へ参観日に行ってまいりました。
「いいわね、間違ってもいいから、たくさん手をあげてね」なんて、娘
に頼んだりいたしました。近ごろの母親はとても教育熱心で、子供のこ
とをかまうんですけれども、肝心なところを忘れてしまっているので、
心の通いあいというものが、とかく薄れているように思います。
 
■ 三つのたしなみ
 
 私は、ふたりの娘の母であると同時に、たよりない学園長をいたして
おります
若い、たくさんのお嬢さまに囲まれているんですけれど、若いみなさん
に対して、いつも三つのことをお話しています。
 そのひとつは、どんなお部屋に住んでいても、一輪の花を絶やさない
人であってほしい、ということです。
 お花は生きております。いつか枯れるときがあり、枯れるからこそ、
少しでも花の命を永くしたいので、お水を代えてあげる。あるいは寒暖
の差のすくない処へ配置がえする──そういう心くぼりが心安なんです。
 造花もドライフラワーも可愛いいものですが、ホンコンフラワーがほ
こりを被ったまま、いつまでも机の上に置いてある、というのではなく
て、一輪の花を活ける、そういう人になってほしいと思います。
 ペーパーフラワーなら、すぐできて、枯れないし、水を代えなくても
いいし、便利でいいわよ、という方もいらっしゃる。そんなふうに、世
の中すべてのことを割りきってしまうと、殺伐として悲しいことですね。
 
■ 心のゆとり
 
 ふたつ目は、お茶をおいしく入れられる人になってほしい、というこ
とです。お茶を入れるには、心のゆとりがなくてはなりません。
 子供が外から帰ってきまして、「ママ、のどが乾いたヨ」と申します。
 ジュースですと令蔵庫から出して、栓を開けて、コップに注いで手わ
たしたらそれでいいんですが、お茶をおいしく入れようとしますと、時
間的にはたいしてかからなくても、心がせいておりますと、ああ邪魔く
さい、ということになります。
 お湯をわかして、ぬるくても熱すぎてもいけない適当な温度にするに
は、少し置いとかなければなりません。そうしてお茶碗に入れます。
 一枚のお茶が、のどをうるおすだけでなく、それを喫むことによって
心が和らぐ、そういうゆとりの持てる人になってほしいと思います。
 
■ 自分で着る
 
 三つ目は、自分できものを着れる女性であってほしい、いうことです。
 お茶を入れられなくても、生きていくことはできます。仕事をしてい
くこともできます。
 お家に花がなくても 日常生活を統けることはできます。
 道を歩いているとき、そこに咲いている一輪の花を美しいと思う気持、
その前に立ちどまって、ほっと疲れを休めることができる心、このほう
がその人の人生を、はるかに豊かにしてくれるのではないか、と私は思
います。
 この現代、とても住みづらいんですけれども、その中で美しいものを
次の世代に、どうやって受けわたしていいか考えながら、良いものを残
して悪いものを捨てていく選択能力をもって生きたい、と思います。
(吉裳展 19780217 岡山県農業会館)
 
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1978年02月08日(水)  PRAD《印刷入門》 序章:色のイロハ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780208
 
【昭和53年2月8日(水)/第10回例会】
 
 色彩の好みや、配色のセンスについて個人的な意見を述べることは、
いかにも容易で、なんの制約もなさそうです。
 そのわけは、色彩学としての理論体系というものが、20世紀にはじめ
て試みられた次第で、その実用化はもとより応用についても実はまった
く未完成だからでしょう。印刷や写真技術の急速な発展につられて、あ
わてて登場した分野だと思われます。
 
 ■ 色彩学の年譜
 
1905 アメリカの画家マンセルが48才で《マンセル色標》を創案。
1909 ドイツの化学・哲学者オストワルトが57才でノーベル化学賞を受
   賞。このとき彼は、色彩学に着手していなかったかもしれません。
1918 マンセル、61才で死す。
1923 オストワルト、71才で《表色系》を発表、マンセル理論との関連
   はうかがわれません。
1929 アメリカで《マンセル色標集》が出版。すでにマンセル死後11年。
1931 国際照明委員会《標準表色表》を決議、標準光源を規定。
1932 オストワルト、79才で死す。
1943 アメリカ光学会《修正マンセル表色系》を発表、のちにJIS規
   格準拠。アメリカの紙器会社CCA《ジャコブスン編カラーハー
   モニーマニュアル》を刊行、オストワルトの表色表にもとずく
   手引書として、工業製品の分野で活用される。
1965 日本印刷学会《印刷・製版における標準色照明》を制定。
 
 ■ マンセルとオストワルト
 
 マンセルは、画家としての立場から、色をとらえたかったようです。
フランス印象派の旗手、モネがその第一作を発表したころ、マンセルは
17才でした。パリ留学の際に、その作品を見たと思われ、何らかの影響
を受けたことは推察できます。マンセルの名は、画家としてよりも色彩
学の創始者として後世に伝えられることになりました。
 オストワルトの場合は、高名な化学者あるいは哲学者として、その晩
年に色彩学を手がけています。余技といえるかもしれません。
 彼の業績のひとつは、紙製品の寸法を完成させたことです。古代の黄
金率をもとに、A判・B判のサイズを定めて今日の印刷物を支配してい
ます(後述)。
 マンセルとオストワルトの色彩理論は無彩色の評価で、大きな相異点
がみられます。無彩色とは、白から灰色を経て黒にいたる諧調で、マン
セルは印象派の画家とおなじ立場をとっています。つまり無彩色は実在
するか、という疑問です。
 アメリカもしくはフランス風とドイツ風のちがい、ともいえるし、画
家と学者、あるいは世代背景の点でも、すべての点で両者は対照的です。
 マンセルは円によって、オストワルトは三角形によって、それぞれの
理論を説明することができます。
────────────────────────────────
 ■ マンセルの色相還
(色相の10進法分割)
 
□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□
 
 ■ オストワルトの24色相
(純色+白+黒=100)
 
□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□
 
  色の三属性  明度   彩度    色相
色   有彩色  明るさ あざやかさ 色あい
 彩  無彩色  明るさ ××××× ×××
 
 色の調和や配色についてはカッツ(独)やムーン&スペンサー(米)
の理論があり、公式化が試みられている。
────────────────────────────────
 
【昭和53年2月15日(水)/第11回例会】
 
 色を分類して、それぞれに名前と番号を与えただけでは、まだまだ実
用性にはほど遠いと思われます。しかし少くとも電話や通信で、特定の
色を指示伝達することだけは可能になったのです。
 つぎに必要なのは《色の再現》です。それには、光の種類によって変
化するという性質があり、反射光と透過光によるちがいも生じます。
 素材そのものや、表面の状態も、租滑によって異なります。
 印刷という部門に限れば、インキの成分である顔料と油の比重関係(
沈み、と通称されます)、紙の吸収量(吸いこみ)、乾燥や褪色の度合
いなどは、永年の経験に頼っている始末です。
 カラー印刷の多色刷を例にとるなら、撮影時のラィティングから、反
転現像によるポジフィルムをもとに、赤青黄黒の4色に分解して、すこ
し修正して得られたモノクロポジを、ネガフィルムに複写し、さらに4
枚のアルミ板に腐食させ、水をはじかせながらインキを流しこんで必要
な部分だけが、ゴムローラーに転写するところで紙を圧着させ、ようや
く刷りあがります。
 単純に追ってみても8工程、転写回数は数えきれないほどです。
 見たまま、見えるままを再現しようとするなら、これらのすべてを一
定以上の水準で管理しなければなりません。
 もう一方の重要な媒体としての映画やテレビジョンに至っては、いっ
そう複雑な工程とともに、磁気的、電気的な発色システムがとって代り
ます。
 このシンポジウムで、販売促進のための知識として色彩を考えるなら、
他にも準備すべきことがありそうです。
 たとえば心理学からみた色、精神分析における色彩など、受け手に属
する効果を議論するには、まだまだ神秘的な分野であるにもかかわらず、
不確実な判断が横行しているのが、実状かもしれません。
────────────────────────────────
 追記(20031022)
 通説では、国際規格がA判だけで「B判は存在しなかった」という。
 しかし、AからZにいたる規格だったから「A判」と名づけられたの
である。(いつごろから、この矛盾に気づかなくなったのか)
 「古代の黄金率をもとに」は誤り。
 《ゲーテとの対話》に、晩年のゲーテが色彩論に強い関心をよせてい
たことが、くりかえし記述されている。
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── PRAD《印刷入門 19780401 aedlib》
   協力:土井工芸社/オールビューティK


1978年02月01日(水)  PRAD《印刷入門》 序説:紙を汚した技術史

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780201
 
 序説:紙を汚した技術史
 
 印刷の技術を、歴史的に大別しますと、次の三つの時代に分けられま
す。それぞれ過去・現在・未来というふうにオーバーラップしています。
 
1.物理的印刷の時代:
  グーテンベルクの活字印刷が15世紀にドイツで完成ー→活版。
2.化学的印刷の時代:
  19世紀の中期フランスの画家ダゲールが写真術を発明ー→オフセット。
3.光学的・磁気的印刷の時代:
  19世紀末、エジソンが蓄音機を発明。1920年アメリカでラジオ公開
  放送はじまるー→電波。
 
 レコードやラジオが、印刷の延長線上のものではないか、という考え
方はそもそも印刷が、紙と切っても切れぬ関係になる以前から、存在し
ていた、という事実にもとづきます。
 印刷そのものの目的は、意志の伝達である、文字あるいは言語の伝達
記録として石や木の皮、羊皮などを経て、ようやく紙の発明による、大
量印刷と大量伝達の時代を迎えたわけです。
「水と空気以外のものなら、何にでも刷ってみせる」と豪語する印刷会
社もあります。電波や磁気テープに、印刷媒体としての延長をみること
は当然のなりゆき、といえましょう。
 
 文字の原点
 
 活字印刷の創始者グーテンベルクが一ページ2段、一段42行のバイブ
ルを完成したのは15世紀、キリストの生誕から実に1500年ものちの事で
す。
“はじめに、ことばありき”とヨハネ伝福音書は書きはじめられていま
すがことばが活字になるまでに、これほどの年数を要したわけで、それ
以上に、ことばが文字になるまでの、永すぎた年月が思いやられます。
 もっとも古典的な文字のスタイルで現代なお用いられているものの一
つにオールド・ローマン書体があります。
 
 
 O   A    R
 serif −↑  ↑ ↑
 ↑や↓の部分は、セリフと呼ばれて現在なお健在です。単なるデザイ
ン上のカッコよさだけで評価されている点もあるでしょうが、古代ロー
マの時代では、作字上のやむを得ない理由で、つけ加えられた部分でも
あります。
 もともとローマ字は、幾何学的発想で作られたもので、原型は下図の
ように素っ気ないものでした。
 
 
 O   A    R
 |-|-|-|-||-|-|-|-||-|-|
 
 コンパスと定規さえあれば、小学生でも描けるのがローマ字です。し
かし彼らには、意志的な表情を織りこむことは無理でしょう。オールド
ローマンが荘重で、優美な印象を与えるのは、なぜでしょう。
 古代ローマでは、もっとも重要な文字は、紙でも羊皮紙でもなく、岩
石に刻まれていたのです。
 したがってセリフは、ノミのような刃物で打ちつけた後に、石のくず
れ落ちるのを止めるための工夫でもあったのです。
 石や木に、文字を刻んだ時代から、大量のローコストの紙が登場しま
すと、文字が書かれる時代を迎えます。しかし、まだ大量印刷には至り
ません。
 
 忘れられたセリフ
 
 紙を発明した中国には、毛筆があり今日の日本でもフォーマルな文書
にはしばしば見うけられます。西欧では、羽根ペンや葦ペンが主役であ
り、平筆のようなものはあっても、ブラシと称する無造作なスタイルに
用いられます。
 毛筆が、楷書・行書・草書の順に、流れるような文字に変化していっ
たのに対して、ペンはスクリプトと称する華麗な曲線を生みました。不
器用な、アメリカ人がタイプライターで手紙を打ったあと、かならず自
筆で署名するのが、スクリプトです。
 近代になると、鉛筆やボールペンのような、いわば硬筆が普及します
が、これらは筆圧の変化がないために、非個性的名スタイルになること
を避けられません。
 しかし、幾何学的だったローマ字が、のちに優美なスタイルへの変遷
を遂げたように、ボールペンやサインペンの将来が、かならずしも金釘
流におわるとは断定できないでしょう。
 さて、紙の登場によって、忘れられていたセリフが復活するのは、活
字の出現以後のことです。スクリプトでは文字単位としての活字になり
ません。のちの技術では、ごく間単につなげるデザインが生れています
が、初期の段階では不可能であり、不適当な書体でした。日本語の場合
でも、漢字はともかくとして、平仮名を活字化するにはかなりの無理が
感じられます。
 
 大量伝達の文字
 
 セリフの復活は、ラインを統一してhやnを明確に区別したり、全体
的な字づらを揃えるという実用面での効果が再評価されたためのようで
す。日本の明朝活字も、その影響を受けているように思われます。
 一方では、活字印刷のための書体として、サンセリフ(セリフなしの
書体)が脚光を浴びることになります。
 英米で呼ばれるゴシック体は、これとちがったドイツ風のもので、ど
ちらかといえば葦ペンのスタイルに近いものです。
 
 
 オールド・ローマン      ABcDE
 
 モダン・ローマン       abcDE
 
 スクリプト          Abcde
 
 ゴシック           ABcde
 
 サンセリフ(日本ではゴシック)AbCDE
 
 イタリック(斜体)      ABcDE
 
 
 以上が基本的な英字スタイルですが大量印刷・大量伝達が可能になる
とともに。多くの活字デザイナーが工夫をこらして、無数の書体を開発
します。
 合理性を重んじて、可読性の限界に挑戦するもの、装飾性を加えて絵
画的な表現を織りこんだものなど、最近ではコンピューターに読ませる
文字なども登場しています。
 こうした人工的な文字は、もはや書いたり刻んだりする時代の面影は
なくなり。いわば作られた、描かれるべき文字と呼ぶべきでしょう。し
たがって、文字の歴史を大別すると、次の三種があげられます。
1.CUT(刻む時代)
2.WRITE(書く時代)
3.DRAW(描く・作字の時代)
 これまでの内容をまとめてみますと下の表ができあがります。印刷技
術のもっとも重要な使命が、文字の伝達であり微妙にオーバーラップし
ながら両者が歩みつづけていることも明らかです。
 


   印刷方式 印刷の名称 主な機能  文字表現  用具と媒体
────────────────────────────────
    物理的 活版・凸版 記録・伝達 CUT   超硬筆(刃物など)で
 過去     組版/孔版             石・木を刻む
    化学的 オフセット 大量伝達  WRITE 軟筆(毛筆ペン)で
                          紙にスクリプト
 現在 光学的 平版・凹版 平面的再現 DRAW  製図用具で描く
    磁気的 ゼロックス (写真伝達)視聴覚素材 音声・映像を電波送信・再生
 未来    電波・テープ 同時伝達 コンピュータ 硬筆(ボールペンなど)

 
 
 
 私説:昭和の三筆
 
 わが国における文字についての関心がどれほど高いものであったかと
いうと、平安初期の三筆として嵯峨天皇、空海、橘逸勢にはじまる各時
代、世尊寺流とか寛永の三筆、黄檗、幕末に至るまで名筆家というもの
が、きわめて高い評価のもとに伝えられているほどです。
 欧米では名文家はあっても、名筆家という呼称はないようです。むし
ろ、職業的な活字デザイナーとして署名のない人たちの業績に注目すべ
きものがあります。
 中国や日本では、毛筆を自在にあやつって格調の高い文書をしたため
ることが教養人としての必要条件であり、悪筆を恥じる習慣があります。
 欧米のインテリたちは、サインだけは後世に残るものとして熱心な練
習の成果を見せてくれますが、日常のメモについてはほとんどブロック
スタイルという一種の金釘流で満足しています。
 私たちが、現代日本の、昭和の三筆を選ぶとすれば、どんな人たちが
ふさわしいでしょうか。
 いわゆる達筆という点では、数年前自決した作家に故三島由紀夫があ
り、稚気あふれるカボチャ絵を全国の料亭に飾らせた故武者小路実篤も
有力な候補者と思われます。最近亡くなった花森安治氏もユニークなワ
ンマン雑誌《暮しの手帳》による新鮮な文字感覚が忘れられません。
 しかも幕末までの日本と、人類史上最先端の文明に囲まれている現代
日本とでは、文字の機能・文字の需要に、大きな変化が認められ、文字
そのものの専門家は、戦後になってようやく姿をあらわします。
 
 証言1:邦字の研究
 
── 文字について語ることは 際限のない世界なんです ところが専
門家とか専門書という点では きわめて少数です 私の経験を申します
と美術学生の頃佐藤敬之格という先生の講義を聞いて初めて“これだ”
と恩いました それ以前には 文字に対する関心といってもいわば重箱
のスミをつっつくような問題で気になる点や知りたいことは いっぱい
あるのに 人にいったり議論するのはどうも気がひけていたんです 
 それが佐藤先生の授業で“これが明朝体の縦と横の線の太さをあらわ
す放物韓である”なんて大きな紙を展げられ 見ると複雑な方程式のよ
うな数式まで書いてある 美術学生なんて だいたい数学などできない
連中だからおどろきました 佐藤先生は東大数学のご出身で戦後なにか
の拍子で英文字に興味を抱かれて文字の研究家になられた“オレは字は
うまくはないんだ”などといっておられたが 講義はすばらしい内容で
した たとえば最近でも犯罪が発生して 手がかりになる紙切れに活字
が印刷されてる場合 それは昭和何年ごろの活字か なんて鑑定が必要
になる すると結局は佐藤先生が登場されるわけで 要するに国立大学
に活字や文字の研究室もないのが実状です 活字や文字に従事している
人は ずいぶん大勢いるのに 専門的な研究や意見を述べられる人は 
それほど少ないんです 一般の読者やライターはもとより文字に従事す
る人たちが いまいっそう注意ぶかく文字の細部に目をこらして 意見
を述べたり 関心や需要を高めれば すぐれた専門家がもっと誕生する
と思われます
 
 証言2:石井明朝
 
──数年前《明朝活字の歴史》という本が出版されて 私がうっかりし
てるうちに著者や出版社を書いたメモを失くしてしまったんです 書名
だけだと調べたり探したりするのは困難です もしこれが 私家版のよ
うなかたちでごく少部数しか出てないとすると後世に残る可能性は限ら
れてきます そんなわけで専門書が少ない 手に入りにくい“明朝”と
いうから 中国の明の時代にできた活字かと思うと 宋朝に完成された
書体で 日本に渡来したのが明の時代だという 宋朝はいつの書体かと
なると よくわからんのです 
 今われわれが知っている邦文活字は明治になって大量印刷が始まった
のであわてて作られたのか基本の形です ですから出典についても ス
タイルにしても とくに漢字と仮名のバランスなどは実に問題が多いは
ずなんです 大正末期に石井茂吉(1887〜1963)と森沢信夫の両氏が
“活字を使わない印刷機”という発想にとりつかれて以来今日の写真植
字機を完成するのですが原理はタイプライターとカメラをくっつけるだ
けのもので文字はどうするかそんなものは従来の活字にちょっと手を加
えて使えばいいと最初は簡単に考えられた しかし レンズを通す制約
もあり 大小さまざまに変形させたりすると読みづらくってしょうがな
い やっぱり活字じゃだめだ というわけで 石井さんは自分で書きは
じめたんです 英字とちがって日本語の場合はアイウエオからはじまっ
て 標準的な漢字は3000〜6000字に達する 明朝体なら細明朝・中明朝
・太明朝・特太明朝というふうに必要だから合計2万数千字書くわけで 
さらにゴシックとか楷書体・宋朝体など 気の遠くなるような数字に 
たったひとりで挑戦された もともと東大出身のエンジニアだった人が 
まるで専門外の作業に取りくんで 文字どおり後半生をかけて描きあげ
た文字大群です その成果は昭和35年の菊池寛賞“石井細明朝”に象徴
されます 気品と格調にあふれるデザインは 従来の活字のもっていた
多くの欠点を改良した上 漢字や仮名のルーツに対しても 厳しくチェ
ックされています 今日われわれが目にするすべての印刷物(新聞・雑
誌・TVもふくめて)のほとんどが 石井書体であろうと想像されます
 石井さんの業蹟は 脱活字時代をもたらした写真植字機の普及と 晩
年には諸橋轍次著《大漢和辞典》13巻の原字制作50万字という二つの頂
点で邦字デザイナーとして おそらく空前絶後の巨峰です。
 
 証言3:ファッションとしての文字
 
── 石井翁が亡くなってから昭和45年“石井賞”が設けられ文字デザ
インのコンクールが開催されています 47年“石井賞”が設けられ文字
デザインなどユニークな企画が好評です“石井賞”では 中村征宏氏が
第1回第1位の栄冠を手にしました 中村さんの描いたラウンド風書体
なので“ナール”と名付けられ 50年ふたたび中村さんの角ゴシック風
の新書体だから “ゴナ”と呼ばれる文字群が商品として世に出ること
になりました ゴナもナールも たとえばアンノン雑誌のようなカラー
ページの多い印刷物 端物と呼ばれるパンフレットやポスター さらに
週刊誌を主な市場として まさに一世を風靡しました こうして毎年フ
レッシュな書体が開発されています
その傾向をみると 本文用から見出し的な効果をねらったものに変化し
ております もし石井翁が存命であれば これらの文字についてどんな
感想を抱かれるでしようか
 
石井細明朝 愛 あ ア
 
ナ ー ル 愛 あ ア
 
ゴ ナ U 愛 あ ア
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 座談金:製・整・刷版
 
── 文字ができますと 印刷に必要な手順は 次の三段階です。
1.製版(活版印刷では、鉛の活字を鋳造して並べる。オフセット印刷
  では清刷とか写真植字を台紙に貼る一一広義の版下作業に当る)。
2.整版(活版印刷では、刷面をととのえもっぱら物理的な調整。オフ
  セットの場合は写真撮影して最終版となるアルミ版に腐食焼付する)。
3.刷版(それぞれの最終版を機械にかけ、紙を送りこむ)。
 実際には さまざまの方式があり それぞれ複雑な工程と技術を要し
ます。こうして最初の一枚がインクで汚されるわけで ここまでの費用
は たとえ一枚であろうが 一万枚であろうが。まったく変りません 
経済的ロットという考えがありまして設備の規模に応じて 担益分岐点
を枚数であらわしたりします 5000、3000、1000枚といえば その工場
でそれ以下の枚数を註文しても 値段はあまり変らないようです スク
リーン印刷では 経済ロットは何枚でしょう
土井 千枚以下ですね ふつうの印刷ですと枚数が多くなるほど 単価
が安くなるんですが 私のところでは そうならないんです 半自動の
輪転機を使ってますが ほとんど手作業で 一枚づつ抜きさしするわけ
です 特殊な印刷ですから 一般的な印刷の概念から外れたものですね
── すべての印刷がマスプロをめざしているかというと 反面 たと
えば学校の試験問題などのように限られた小部数の需要もあります ゼ
ロックスなどは もっとも進んだ印刷機械でしょうね 手を汚さない 
ある時期まではこうしたミニ印刷は“ガリ版”が一手に引き受けていま
したけれども
岡 あれは書き手によって ずいぶん異ったものになりますね いまで
も学生運動なんかに活用されてます
── アジビラや機関誌など 内容によっては印刷屋さんに出せない
(笑)ものもありますから
岡 経済ロットはいちばん低いでしょうけれど 耐久ロットはどうです

── まず線の部分から破れてくるんです 輪転機を使うと少しは永も
ちするのですが インクと紙ぽこりの目づまりも早いから 不鮮明な仕
上りになります 私自身の経験では スクリーンを使わずに原紙そのも
のにローラーを当てますと 忠実な再現が可能ですインクの量を最低に
して 力いっぱい刷りこむわけです 200枚も刷ると原紙が破れる前に
まず息が切れてしまいます(芙)ですから原紙が破れると その版はお
しまいですね
土井 スクリーン印刷も スクリーンを使わずに済むなら それこそ理
想的なんです しかしガリ版とちがって支持体がなくなると バラバラ
になりますからね(笑)
岡  絹以外のスクリーンも使うんですか
土井 テトロン・ナイロン・ステンなど ステンの場合は織らずに組ん
だものを使います
岡  フイルム状の物は使いませんか
土井 スクリーンとしてじゃなく スクリーンの上で使うわけです イ
ンクを通さないための障害物として考えられたものです たとえば 塩
化ビニールの溶液に感光剤を混ぜたものをスクリーンに塗布します 日
光写真の原理で光を当てて インクの通る部分を薬品で洗い流します 
最近はICやプリント配線など 精密な物を要求されますので ますま
すスクリーンが邪魔になってきたのです 網目の部分にインクがつまっ
て100枚目あたりからそれが乾き始めます すると その部分の電気抵
抗が微妙に増減する結果を招くわけで その予防に苦労させられます
── たとえば 不織布の上のようなものが出現しましたね 和紙みた
いに不規則な織り方をしたものにボールペンで筆圧を加えて その部分
にインクをしみこませる デュプロなどもこの原理ですね
岡  マイ・プリンターなんて商品もありますね ヤスリの要らないガ
リ版で便利だけどもやっぱり鮮明ではない
土井 新製品は 完全なものでなくても参考になるものがありますね 
最近の“プリントごっこ”などなかなかよくできてます
河部 私のところも早速買ってきました(笑)ゴムのような樹脂を印刷
に応用したものもあるそうですね 顔写真のスタンプとか 似顔絵の名
刺とか 
週刊誌の広告でサイドビジネスに最適なんてのを読んだ事があります
土井 いまは ハンコ屋さんにしても昔みたいに刃物で彫るなんて時代
ではなくなって樹脂に感光剤を混ぜて 光を当ててから薬品で洗い流す
 この場合の凸凹は オフセットの版のようにして おまけにゴムそっ
くりの色に仕あげてあるんです
岡  写真の原理を応用した例が多いようですね
── ダゲールの創始した写真術は腐食という化学定着の発見だったと
いえます 河部さんのところで使っておられるのは簡単オフセット(軽
オフ)ですが これは磁気を応用したものですね
河部 専門家でないから 詳しいことは判りませんが 鉄粉を磁気で集
めて定著しますと 版ができるしかけですあとは輪転機ですから 原理
としては簡単なのでしょう
吉藤 写真も印刷できるんでしょう
河部 できます だけど鮮明な結果を望むとすれば あらかじめ専門業
者に製版を依頼しなければなりません
── つぎに印刷工程の一覧表をみてみましょう


与太郎 |MAILHomePage

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