与太郎文庫
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1906年04月27日(金) |
いろは大王 〜 13+16≒30兄弟姉妹の父 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19060427 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19060427 Ex libris Web Library;木村 荘八《牛肉店帳場 1932》 http://www.kitano-museum.or.jp/collection/index2.html 聞太郎 〜 いろは十六兄姉弟 〜 中学生新聞(十三号)の見出しに「未曾有の大接戦!三位まで一票差」 とあり、小山君自身も数十票得ている(原案は顧問・本宮啓先生)。 新聞部長となった小山君が、二年生の教室にやって来て、 「アワくんは、君ですか?」という。美少年は紳士でもある。 「本宮先生の推薦で、ぜひ新聞部に入ってくれませんか。きみの原稿や カットを描いて載せませんか」 「ぼくは、自分の同人雑誌も発行してるし、考えてから返事します」 その翌日は、矢守晃君に声をかけられ、 「君が、アワか? はよ入らんかい、なぁお前」と肩をたたかれた。 「新聞部、おもろいで」と、沖中忠順君も手招きする。 新聞部に入ってすぐ、本宮先生にたずねた。 「ヤモリ君の名は、ヒカルと読むんですか?」 「アキラと読む、ヒカルはお父さんの方や」 矢守PTA会長(大同染工社長)は、なるほど頭がヒカッていた。 矢守社長はなかなかの文化人で、礼拝堂で行われる文化祭では、息子 が能狂言《末広》で太郎冠者を演じ、大名はプロがつとめる。さらに、 みずから師事する手品師を東京から招いた。しかるにタダでは失礼と、 「ナンボか取ってはどうか」といったそうで、やっぱり商売人やなぁ、 と先生たちはおそれいった。以下に、奇術師・木村荘十六の奇談。 ── 今日は、皆さんがおとなしく観てくれたので、特別に話をします。 私の名は、荘十六という。十六番目の最後に生まれたからです。 長男は荘一(荘太)という。次男は荘二、三男が荘三、つづいて荘四、 荘五、荘六、荘七、荘八、ここで女の子が生まれた。 女は尻が軽くちゃいかんというわけで九重と名づけた。のちに九重は (“さあ、食え”といわんばかりに)数寄屋橋で甘党の店を出します。 あとは男で、荘十、荘十一、荘十二、荘十三、荘十四、荘十五、よう やく私が生まれて荘十六、これでおしまい。── 日本橋で初の牛肉店“いろは”を創業した木村荘平( ? 〜 1906 )の 子宝(もとより複数の異母)十六兄妹弟、通説では十三姉兄妹弟である。 夭折の女流作家・曙 (明治 50303)18720410 〜 18901019(18 *朝日) を長女に加えれば十七人?、荘八の妹・九重は次女にあたる。 自殺した文芸評論家・荘太 18890203/0223 〜 19500415(61)、挿絵 画家・荘八 18930821 〜 19581101/1118(65)、作家・荘十 18970112 /0312 〜 19670506(70)、映画監督・荘十二 1903 〜 19880810(84) が 知られる。 あとで調べてみると、通説に符合しないことがおおいが、ニコリとも せずに語った奇術師の噺は、それ自体あざやかな手品だったのか。 翌年の能狂言《附子》は、久城幸治が太郎冠者、次郎冠者を立石義雄 (さらに翌々年は竹内康)が演じている。 ── 阿波 雅敏《虚々日々 20001224 阿波文庫》P43(初稿)
木村 荘平(しょうへい)“いろは大王”184107‥ 山城 東京 19060427 64-67/天保11.‥‥ /1878‥‥ 牛鍋チェーン創業/1901‥‥ 火葬業創業 ── 山田 風太郎《神曲崩壊 19870930 朝日新聞社》P205 ──────────────────────────────── ♀木村 曙 (あけぼの) 荘平の長女 18720410 神戸 東京 18901019 18 /明治 5,0303 東京/別姓=岡本 栄子 /朝日=荘八の妹?“夭折の女流作家” http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%CC%DA%C2%BC+%BD%EC ──────────────────────────────── 木村 荘太(しょうた) 荘平の長男 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /誤=荘一(しょういち) 木村 荘二(しょうじ) 荘平の二男 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / 木村 荘三(しょうぞう)荘平の三男 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / 木村 荘太(しょうた) 荘平の四男 18890223 東京 千葉 19500405 61 /誤=荘四/文芸評論/作家 /自伝刊行直前に成田山公園で縊死 /明治22.0203(潮) 19500415 ──────────────────────────────── 木村 荘五(しょうご) 荘平の五男 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / 木村 荘六(しょうろく)荘平の六男 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /奇術師“木村 マリニー”/1919‥‥ デビュー/誤=荘十六 木村 荘七(しょうしち)荘平の七男 18‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /画家? ──────────────────────────────── 木村 荘八(しょうはち)荘平の八男 18930821 東京 19581101-1118 65 /挿絵〜《濹東綺譚》/随筆 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19060714 丙午の女 〜 永井 荷風の女たち 〜 ──────────────────────────────── ♀木村 九重(くえ) 荘平の次女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /甘党“九重”店主/曙&荘八の妹=第十子? ♀木村 信子(のぶこ) 荘平の三女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 林子(りんこ) 荘平の四女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 清子(きよこ) 荘平の五女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 六女(むめ?) 荘平の六女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 七女(ななめ?) 荘平の七女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 八女(やめ?) 荘平の八女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 九女(くめ) 荘平の九女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十女(とめ) 荘平の十女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ──────────────────────────────── 木村 荘十(そうじゅう)荘平の九男 18970312 東京 19670506 70 /作家/1941‥‥ 上期直木賞〜《雲南守備兵》明治30.0112(故潮SV-?)19670112 木村 荘十一(そうじゅういち)十男 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / 木村 荘十二(そとじ) 荘平の十一男 19030904 東京 19880810 84 /映画監督/荘平1の正妻の十二男/養父=荘平2 木村 荘十三(そとぞう)荘平の十二男 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ──────────────────────────────── ♀木村 士女(しめ) 荘平の十一女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十二(とじ) 荘平の十二女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十三(とみ) 荘平の十三女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十四(とよ) 荘平の十四女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十五(とい) 荘平の十五女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十六(とむ) 荘平の十六女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ♀木村 十七(とな) 荘平の十七女 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? / ──────────────────────────────── 木村 荘蔵(しょうぞう)荘平の養子 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /いろはチェーン社主/数年で没落 木村 荘介(そうすけ)海軍中将・軍医 1854‥‥ 東京 19390328 85 /嘉永 7,‥‥ 木村 荘重(むらしげ)木部村長 19070624 島根 19821007 75 /社会運動 ♀木村 荘子(しょうこ)居酒屋ひろ女将 1939‥‥ 名古屋 19901125 51 /絞殺遺体発見 木村 荘平(そうへい)同姓同名の別人 19771104 北海道 根室 /俳優/〜すずらん(明日萌駅新人駅務員橋岡勝太郎の役)[A]
木村家の人々 ── 大正2、3年の頃、新富座で、ポーランド生まれのアメリカ人奇 術師マックス・マリニーに会い、その興行の司会を引き受けることから、 木村荘六と奇術とが結びついた(略)荘六は、マリニーの公演の司会を 続けるうちにマリニーの奇術をすっかり覚えてしまった。そして大正8 年、プロ奇術師としてデビュー。芸名も木村マリニーとした。 http://www.tonreco.com/archives/3673 (日本奇術博物館) ── 近藤 幸三《奇術 その魅力 その世界》 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20110509)
1906年04月09日(月) |
Op ART 〜 オップアート(錯視デザイン)の祖父 〜 |
[f:id:adlib:20150214164438j:image:w360] Ex libris Web Library;Vasarely《TUZ-KAT, 1973》
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…… 四角やマルで画面を構成する絵画といえば、まず、思い浮かぶ名 前はヴィクトル・ヴァザレリ。国際展の受賞を重ね、その作風の模倣が はんらんし、数多くのグラフィック・アートが印刷されている大家であ る。そのヴァザレリの新作の油彩を中心とする個展が、二十二日まで東 京・日本橋三の七の二〇、南画廊で開かれている(このあと二十八日か ら七月十四日まで、大阪・梅田新道角、第一生命ビル・梅田近代美術館 でも開催)。 一九〇八年にハンガリーに生まれて、バウハウスに学び、一九三〇年 からパリで制作しているヴァザレリは、すでに一九三六年から、幾何学 抽象を開始、一貫して、単純な図形の視覚的な構成をつづけている。い わば、オプティカル・アートの元祖である。元祖であるだけに、その仕 事は、国際的にあちこちでまねられる。けれども、ヴァザレリ自身は、 常に一歩先を行くから、まね手は、いつも置去りにされてしまう。単純 な、四角とマルの組合せでありながら、しかも七十歳に近い年齢であり ながら、彼の感覚の新しさには驚くべきものがある。 今度の個展の二十余点の油彩は、そうしたヴァザレリの健在ぶりを十 分に示すものだ。それらの画面の真ん中が盛り上がってはじけそうな錯 覚を起こさせる仕事、正方形のハコの集合体の色の濃淡と変化だけで、 深い奥行きを作り出し、あるいは、回転する動きを感じさせる微妙な構 成は、昨年の制作。つまり、これまでに紹介された彼の作品の最新作だ が、色の配列といい、またこの大家が一歩前へ出たという感が深い。 このほか、ヨハン・セバスティアン・バッハへのオマージュ(献辞) として制作した、シルクスクリーン十四点と同じパターンのスクリーン 二枚で視覚に変化を起こさせるオブジェのセット、長方体に一面にモザ イクのように図形を描いた立体、さらにタペストリーになった作品も出 品されている。 ── 《常に一歩先を行く感覚の健在ぶりをしめす 197406‥ □□新聞》 ── 《ヴァザレリ個展 1974-0622 南画廊 19740628-0714 梅田近代美術館》 Vasarely, Victor 19060409 Hungary Paris 19970315 90 / http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850729 失われた日々の顧展 (20150818)
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