マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 休みの変更。


店の休みだが・・・、明日の日曜、来るという人が居るので明日は営業し、さっての月曜日に休む事にした。
5月は変わらず、4・5・6と連休させていただく。



2007年04月28日(土)


 (日記) 腰痛勃発


3〜4日前から、怪しげだった腰・・・。
常時痛い訳ではないのだが、何かの拍子に「アイテテテテ・・・!!」と稲妻が走る。暫く固まっていると動けるようになるので、そんな腰を騙し騙し店は営業し続けていたのだが、昨日はあまりの痛さに一日だけリタイアした。

変な陽気だもんなぁ・・・ここずっと・・・・・。
もうGWだと言うのに毎日朝晩、寒い寒い・・・・・・。特に今朝の寒さはナニ!? 
腰痛は気圧の変化や寒暖の差の激しさや空気の湿度などに過敏に反応するらしい。

店のカウンターの中はコンクリートなので非常に硬く、そこにずっと立ち続けているのは腰痛持ちには拷問のような物で・・・、なのでなるべく常連ばかりの時は、カウンターの椅子に座っているようにしているのだが、たまにカウンターが満席になると、ボックス椅子に座る時がある。
ボックス席の椅子は低いので、腰痛勃発時には座ったら最後、立ち上げれなくなる時すらある。
一度など客に看板や電気を消してもらい、支えられて駐車場まで連れてって貰い、あえなく営業時間の途中で店を閉めた経験がある(苦笑)

さぁ、今日は華金だ。そしてGWへの序章であるので頑張らねば・・・・・・。
GWの休業に付いては、4月30日の月曜と、5月に入っては予約でも入らない限りは4・5・6と休む予定だ。


2007年04月27日(金)


 (日記) 憎きFP


あのフリーザーパックって・・・、便利なようでチト不便。
月曜日に仕込んだ「マキュキュ風スープカリー」が、昨日までで夫とアタシの分を残して全て売り切れ、帰り掛け、意気揚々と大き目のフリーザーパックに入れようとしたのだが・・・・・・。
後は書かずとも何となく解るだろうが・・・、ありゃぁ手が4本無いと、中々物が入れ難い。
増してや多少の固形物ならまだしも、スープ物は尚更だ。

一本は鍋を持つ手。
2本は袋をひろげる手。
もう一本はお玉を持つ手。
要は一人では使えない代物なのだ。

フリーザーパックストッパーなる物か、箱から取り出すと自動的に筒状になって安定してくれるような、形状記憶フリーザーパックなるものを誰か考えて作ってくれないかなぁ・・・。
お陰で半分は流し台の中に吸い込まれて行った・・・・・・!!
あぁ・・・アタシの愛しきスープカリー・・・・・!!!


結局アタシャ、記念すべき初スープカリーを味見以外に口にする事は無かったのだ。
ぐやじぃ〜〜〜〜〜!!!

↑の案で商品開発し、大ヒットした暁には、アイデア料としてチト回してね。
(o^―^o)


2007年04月26日(木)


 (日記)  公園の手品師


昨日の日記で、エンピツの投票ボタンのクリック依頼をしたら、何と昨日だけで10票以上も入ってた。 (爆笑)
書いてみるもんだなぁ・・・・・・。
お陰さまで今週の順位は1位になってた。(笑)
瞬間なんだろうが、まぁ、いいか・・・・・・。


「その順位ってどうやって見るの?」 と言う質問があったので見方を書きます。
日記の欄外(右下)のエンピツと言うバナーをクリックし、真ん中辺にあるジャンルの中から文芸をクリックすると、新着日記・ランキングと言うボタンが有るのでランキングを押します。
今日の順位・今週の順位・今月の順位と分かれているので、好きなところを見てください。


サテサテ・・・・・・日記の本題に移ろう・・・

フランク永井の持ち歌に「公園の手品師」と言う古い歌がある。
アタシは演歌や歌謡曲は殆ど知らないし、めったに歌いもしないのだが、この歌だけは若い頃から好きだった。
歌詞が洒落ていてまるでシャンソンなのだ。
なのでたまに店でも歌っている。


【作詞】宮川 哲夫
【作曲】吉田  正

鳩が飛び立つ公園の
銀杏は手品師 老いたピエロ
薄れ日に微笑みながら
季節の歌を
ラララン ラララン ラララン
歌っているよ
貸してあげよかアコーディオン
銀杏は手品師 老いたピエロ

雲が流れる公園の
銀杏は手品師 老いたピエロ
口上は言わないけれど
慣れた手付きで
ラララン ラララン ラララン
カードを引くよ
秋が行くんだ冬が来る
銀杏は手品師 老いたピエロ

風が冷たい公園の
銀杏は手品師 老いたピエロ
何もかも聞いていながら
知らぬ顔して
ラララン ラララン ラララン
すましているよ
呼んでおくれよ幸せを
銀杏は手品師 老いたピエロ


アタシは自分の店を公園のベンチみたいだと思っている。
ふらりとやって来て、そこに座り、座り心地が良ければまた座りに来る。
何度か座っている内に飽きもするだろう・・・。他の公園のベンチが魅力的にもなってくるだろう・・・。そうすれば他のベンチに座れば良い。
でも、ベンチは何時も変わらずそこに有り、いつもアナタが来るのを待っている。
この座り心地が恋しくなったら、いつでも又座りにおいで・・・・・・。

エポックの時もからくり箱も、そんな気持ちで経営している。
「からくり箱はお客の息が長いんだねぇ・・・・・・。」
とよく言われるが、その秘訣があるとしたら、人にあまり立ち入らない事かもしれない。
公園の手品師の銀杏の木のように、ポーカーフェイスを決め込んで人の移り変わりを見守っていたい。

来る物拒まず去る物追わずの精神さ!♪


2007年04月25日(水)


 (日記) 満5周年かぁ・・・・・・


私がくだらない文章をWeb上で載せ始めてから5年が過ぎた。

4月の21日が此処の日記デビューなので、ちょうど丸5年が経つわけだ。
ほぼ毎日のように何かしら書いていたのだが、よくもまぁ、あれだけのこっ恥ずかしい駄文を羅列してきたものだ・・・・・・。と、飽きっぽい性格のはずなのに我ながら感心する。
昔書いた物を所々拾い読みしてみると、かなりの赤面物が多い。

パソコンを購入し、最初の2年くらいはおぼつかない手付きで文章だけをひたすら打っていた。
「物書きになりたい! いや、なる!!」 と、勝手に決め込み、勢いで購入したパソコン・・・・・・。
最初は懸賞公募に応募するため、童話とか短いエッセイとか、文章を書くための練習としてパソコンを使っていたのだが、あまりにタイピングの上達が遅いため、ネットに繋げ、チャットを始め、そのお陰で少しずつタイピングが早くなってきた。
当時のチャットルームには未だ通い続けている。

そんなある日、ある事がきっかけで文章をWeb上で載せ始めるようになったのだが、そのお陰で色々な人と出会い、色々な事を経験し、Webのありがたさや怖さも知った。
でも、ネットを通じ、私の人生ドラマが大きく転換した事は事実であり、かけがえの無い人々とも多く知り会えた。
そのお陰で店も持てたのだから・・・・・・。

日記も店も、ある意味私にとって無くてはならない存在であり、人と繋がっていられる唯一の拠点だ。
だからこそ、人をクスリと笑わせ、時に癒し、時にハラハラさせながらも、読んで楽しいものを書き続けたいと思う。
店も同じで、出来るだけ美味しい物を提供し、居心地のいい場所にしたい。


時々、私の文章ははたして誰かの役に立っているのだろうか・・・などと思うことも有ったけど、誰かの役に立とうなどと言うのは、かなりおこがましい事なんだよなぁ・・・。
自分が楽しいから書く。それで良いんだ・・・と言う事に改めて気づいた。

いつも読んでくれている人、本当にありがとう。
多分この先もくだらない事、沢山書いていくと思うけど、これからもよろしくお付き合いください。

追伸・・・。
なお、マキュキュのからくり日記で日記を読んでくれた人は、義理で左下の【投票】ボタンを1クリして下さると、人気投票が一票入ります。(^^;
今エンピツ文芸部門では3位を誇っておりますので、ぜひぜひご協力を・・・。
ただし、一日何度も連打しても、同じパソコンからは一票しか投票できませんので無駄な労力は使わないでネッ!(笑)



2007年04月24日(火)


 【料理】  マキュキュ風スープカリー


なるものを仕込んでみた。
あえてマキュキュ風と名付けたのは、失敗してても言い訳が立ちそうだからだ。(笑)

アタシはスープカレーをお土産物しか食べた事がなく、今やそれさえ、一体全体どんな味だったかも覚えていない。
そこで、アタシが思いのままにオリジナルで作ってみたのだが、旨いのかまずいのかも解んない。(ーー;)

初めから入れて煮込んだ具は、骨付きチキン・玉葱・人参・ジャガイモ・エビ・くらいで、ピーマンやナスや、セロリは好き嫌いが有ると思うし、煮崩れるとバッチくなりそうなので、注文を受けてから素揚げにし、後で加えれば良いか・・・などと思っている。
ご飯はターメリックライスにした。

誰か毒見する勇気が有る人は・・・、そして、本当のスープカリーをアドバイスしてくれる人は、水曜辺りまでに来てください。

本日は初挑戦にて・・・、まだ味が定着してないので、何度か作ってみて味が定着したら、レシピ載せさせていただこう。


2007年04月23日(月)


 (日記) 地獄に仏・・・・・


折角家のパソコンがネットに繋げられ、家でも日記が書けるようになると喜んでいたのだが、長期にわたり旦那が痛風で家に居たので、中々パソコンに向かえず・・・、そんでもって、先週の頭から旦那も仕事に復活したので、やっと落ち着いて書き始められてから僅か4〜5日目で、な、な、なんと!!モニタが逝った・・・・・・!!
三日くらい前から画面がレロレロになり、真っ暗になり、叩くと数秒間映り、又、レロレロに・・・・・・。そんな事を繰り返しながらも、何とかだましだまし日記を書いていたのだが・・・・・・。
とうとう4月20日午前10時4分、モニタご臨終。

思えば2000年の退院祝いにジャパタカでパソコンセットを購入以来、ずっと働き続けてくれた愛しいモニターだ。
手厚く葬むってやる事にした。
(どうやって・・・?!)

ダメになる数秒前は、マウスポイントも動かなくなり、ネットにも繋がらなくなり、プロバイダーに聞けば、モニタではなく本体もイカレた可能性大だと言う!!
なんてこったい!!・・・・・そ、そ、そんな殺生な・・・・・・!!!

そこで蒼くなり、私のパソコン教授に慌てて連絡を取ったのだが忙しそうだったので、もう一人の助教授に連絡を取り、本体を見てもらったら、問題ないと思うよと言う・・・。
んでは、中古のモニタでも買って様子を見るか・・・と言う事になったのだが・・・。

話は変わるが・・・、昨日はシャンソンコンクールの一次審査(テープ審査)の歌を録音する為、古くからの友人二人がわざわざ早い時間、店に音を録りに来てくれたのだ。
彼らはその類の業界のプロであり、友人とは言え、アタシャかなり緊張しまくり、昼間から酒をかっくらいながら録音に望んだ。(苦笑)
「飲めば飲むほど歌が良くなるってのが、不思議だよなぁ・・・」と彼らに苦笑され、何とかテイク3で無事に録音できた。

その後そのまま店の営業になり、皆で飲みながらモニターの話をしてみれば、何とその片割れが、捨てるつもりだったモニタが一個あるからあげるよと、いとも軽く言うじゃぁ〜ないか。
コレ幸いと今日取りに行き、恐々取り付け、電源を入れてみたら・・・・・・、なんと、無事にネットに繋がったぁ〜♪
本体はやはり無事だったのだ。

感謝感激雨アラレもない喜び姿♪

タカちゃ、本当にありがとう。
コレで又、心置きなく家でゆっくり日記が書けるわ。
持つべきものは友と言うが、本当だなぁ・・・・・・。
地獄で仏に遇った気分だよ。


2007年04月22日(日)


 (日記) やんちゃオヤジのたわごと・・・・・・


昨日は寒かったせいか、給料前のせいか、店は静かだった・・・。
初っ端に入ってきたのは昔経営していた店【エポック】の頃からの常連(O)。(O)は既にほろ酔い加減。
昔からの悪友なのに、からくり箱には昨日で3回しか来やがらない。(笑)

彼と知り合ったのはもう、16年も前の事だ。当時彼はまだ信大を卒業したばかりで、新卒のサラリーマンだった。
会社の上司に連れられて来てから、大変店を気に入り、別口でも来るようになった。

ある日、何度目かに店に来た時、厨房からフゥーリィー(アタシの旦那のHN)が出てきたのを目撃し、かなりびっくらこいていた。
なんと彼が信大時代、バイトをしていた長野の料理店に、アタシの旦那が先輩株で勤めていたらしい。
長野時代はフゥーリィーと気が合い、よく一緒に飲んでたそうだ。

その後も、彼はしょっちゅうエポックに顔を出し、彼のハチャメチャさはバイトの女の子達にも大人気で、ブルーハーツを歌っては、踊り狂い、脱ぎまくり、アタシによく叱られていた。

そんな彼も結婚し、一度奥さんを店に連れてきた時がある。
その時もフゥーリィーとワインをしこたま飲み、例の如くバカ騒ぎで脱ぎまくり、ワイシャツをワインで真っ赤にし、帰宅後奥さんにこっぴどく叱られたそうな・・・。
彼が飲みに来て帰った後は、靴下やら、ネクタイやら、はたまたランニングシャツなどの忘れ物が必ずどこかに落ちていた。
そんな彼も今は良いオヤジになり、高校生の娘と中学生の息子の父親だ。

昨日はそんな思い出話に華が咲き、あんな事も有ったね〜、こんな事も有ったね〜、と、当時を思い出しながらくっちゃべって居たのだが・・・・・・。
フと(O)が、「そういえばさぁ、この前、元のエポックに行ったんだよ。上司に連れられてさ・・・。違う店にはなってたけど、中はまるで当時と同じなんだよな・・・」と言う。
確か今は違う看板が出ている。

「だけどさぁ・・・、店はまるっきり同じなのに、何でそこにマキさんが居ないのかと思ったら、何だかチョットむかついてきてさぁ・・・・・・。店が完璧に無くなっちゃったんなら諦めもつくけど、何か悔しくてさぁ・・・・・・。アノ店・・・オレ、本当、好きだったからなぁ・・・・・・」
と、しんみりと呟いていた。

当時のエポックではっちゃけ、青春時代を過ごした人間は多い。
なのでエポックの最後の日は、皆泣いていた。客もバイトの子たちも、もちろんアタシも・・・・・・。

たまに昔からの常連がエポック当時の話で盛り上がる事がある。
すると、からくり箱からの常連である(T)や(D)が嫉妬するのだ。(笑)
「あぁ・・・俺もその頃のエポックに行ってみたかったなぁ・・・・・・。」と・・・・・・。

なんか(O)の話しを聞いていたら、アタシもその店に行きたくなってきた。
今度お忍びで一人でフラリと行ってみよう。
もしかしたら、酔っ払って泣くかも知れないなぁ・・・・・・。


2007年04月20日(金)


 (日記) 形は違うが夢が叶ったわけだ・・・・・・。


昨日の松本はとても寒く、春雨のそぼ降る中、店に対してはあまり期待できないかなぁ〜と、凹みムードだったところへ、駄目押しの如く息子が悪友と来やがった。
(此処でカンペキアキラメモード突入!!)

ご多分にもれず、店はバカ暇で、早い時間に来た(S)君が帰った後は延々息子達3バカトリオに店を占拠され、語り処(店のキャッチフレーズ)が脅威のカラオケボックスへと化した。
アタシャ逃げ出したいけど逃げ出すわけにも行かず、息子達の喧騒に怯えながら、ひたすらアタシ関係の客が来るのを待ち続けた。
しかし、誰も来るはずもなく、虚しく時間は過ぎて行くばかり・・・。

やっと閉店時刻スギにww、常連の毒舌サラリーマン2人組みが来てくれ、プリティーKも来てくれたのだが・・・・・・、アタシャそれまで間が持たず、自棄酒をかっくらっていたので、かなり酔っ払ってしまっていた。
毒舌リーマン2人組みも、かなりヨッパの模様・・・・・・。

プリティーKとはもっとちゃんと話をしたかったのだが、カウンターに空席はなく、息子達のうっさいカラオケが邪魔し、カウンター越しになどとても話せる内容じゃなかったので諦めた。
あのうるささじゃ落ち着いて語れやしない・・・。

プリティーKが帰った後、毒舌リーマンに遊んでもらおうと思ったのに、二人組みはヘロヘロでそれどころじゃなさそうだった。

ようやく3バカトリオが腰を上げ時計を見れば2時半過ぎ・・・。
毒舌リーマンに代行を呼び、代行が着たら、片割れが反対方向に歩いて行きそのまま消えた。
アタシャゲロ吐き袋と塩水を用意し、外に捜しに出たけどどこにも居やしない。代行もないではないか・・・・・・。
代行に電話をしてみれば、ちゃんと乗って帰ったそうだ・・・・・・。
ヤレヤレ・・・・・・。

何か、昨日は世話の焼ける子供たちを追い掛け回してテンヤワンヤしている母親のような一日だった。

皆の残した残骸を呆然と見詰めつつ、途方に暮れていたらアタシの代行も着いてしまい、やむなく洗物は今日に残して帰った。
昨日も帰宅時間3時半・・・・・・。


話し変わるけど・・・・・・。

息子とは一時期仲が悪く、疎遠になっていた事が有る。
アタシの夢は息子と一緒に腹割って飲みたいと思っていたんだけど、チト理想の形とは違うが(苦笑)、夢はコレで叶ったわけだ。
息子達の下種なシモネタジョークに不覚にもウケまくってしまい、なんだかんだ言いながらも楽しんでしまった自分が許せない!!

今度来る時はタップリと銭っこ持ってきやがれ!!
仏の顔も3度までだぞ!!(笑)



2007年04月19日(木)


 (日記) 思うこと有り・・・・・・


人って・・・自分を棚に上げ、なんで他人に対してだけは期待過多なんだろうか・・・。
自分から気に入っておいて介入するくせに、その人が自分の思い通りに動いてくれなかったり、自分の意に反する態度を取ったりすると、直ぐに裏切られただとか、期待外れだとかと非難したりする・・・・・・。

人って、10人居たら10人とも違うんだわ!! 100人居たら100人とも違うんだわ!!
チョットした事に共通点が有ったり、思考が瞬間的に共感できても、皆それぞれの生まれ育った人間関係や、生活環境の経路が違うのだから微妙に価値観も違うんだわさ!!

そんな事も解らず人に期待し過ぎ、勝手に取り入り、こういう人だと相手を決め込み、いざ自分の思惑に外れりゃ、やれ期待外れだとか、非難ごうごう浴びせ、自分の側からでしか物を見ない自己満足人(びと)が多すぎるような気がする・・・・・・。

今回ある人たちのトラブルで学んだ事だけど・・・、アタシは人と言うものは着かず離れず邪魔せず邪魔されず、誉める7割こき下ろす3割くらいの関係が一番理想だとおもう。
日記や他人の目にさらす苦言は、愛情が有ってこそ活きる物であり、愛情の無い苦言は書いたその人その者の程度を測らしめるような気がする。

人に密着し過ぎて、疲れてる人って案外多いと思うけど、人との距離感を大切にする事は、人との密着度を増すよりももっと大切な気がする。

会いたい時にタイミング良く会え、話したい時にタイミング良く話せ、ハグしたい時ハグし合え、泣きたい時に泣き合え、笑い合う時は腹から笑い合い、言いたい事はホンネで言い合え、後は又、会える時まで無に戻る・・・・・・。
そんな人間関係を保っていれば、そんな揉め事起こるかなぁ?

すんません・・・自分で自分の言いたい事が整理できてない模様・・・・・・(^^;。今日の日記・・・、何が言いたいか全然解らないですよね。


2007年04月18日(水)


 (日記) 雨の朝も好きなわけで・・・・・・


昨日の月曜は第3月曜なので、お休みだった。
月に2日続けて休みがあるって良いもんだなぁ・・・・・・。
去年までは日曜しか休みがなかったので、一日ダラリンコと過ごして何も出来ずに終わっていた。

今年から第3日曜・月曜と連休にしたので、一日は溜まった掃除や洗濯などして、もう一日は自分の好きな事をする事にしている。
本を読んだり、ゲームをしたり、気が向きゃ公募用のエッセイを書いてみたり・・・・・・。

昨日は久々に休肝日にしよう等と思いつつも、チョットした臨時収入が入ったので、旦那と二人で友人の店に飲みに行ってしまった。
旦那と飲みに出掛けるなんぞ、半年に1〜2度有るか無いか。贅沢できる身分ではないので、それもささやかに旦那の同級生が経営する焼き鳥屋に行ったまでなのだが・・・・・・。

何か昔流行った歌で ♪月に一度の贅沢だけど〜お酒もチョッピリ飲んだわね〜♪ なんてぇ〜のが有ったけど、かなりタップリ飲んでしまい、休肝日は何処へやら・・・・・・。
アタシャ久々に仕事を離れて泥酔しちまった・・・。
そのせいで早く寝てしまったので、今朝なんか旦那と同じ6時に目覚めてしまい、旦那が出社した後はコーヒーを飲みながら窓の外をボーっと眺めていた。

小雨の朝って好きだなぁ・・・・・・。気持ちが落ち着いて良い。
窓の外の山が雲の帽子をかぶり、キノコのような面白い形になっていた。
そんな風景を眺めながら物を書いてる時間がとても贅沢に思えたりもする。

さぁ、今日から又店だ。
今週はどんなお客がどんな会話をし、どんなハプニングが起きるのだろう・・・・・・。
今日の付き出しは何を作ろうかなぁ・・・・・・。 メイン料理は何にしようかなぁ・・・・・・。


2007年04月17日(火)


 (日記) 土曜の夜は賑やかく・・・・・・


あの貧乏神の息子が土曜の夜、また店にやってきた。
息子はアタシの店と集うお客様達の事をたいそう気に入ったみたいで、これから人脈を広げるための拠点にしたいそうな。なので、これからも始終顔を出すそうな。
(なんだかなぁ・・・・・・)
諏訪に居ても仕事の都合上、友人を作るきっかけもなく、きっとつまんないんだろう・・・・・・。

彼いわく「誰でもいいから人呼んでよ〜」と言うのだが、店に来る来ないは客の自由であり、都合であり、「アンタが来たからっていちいち店に来てよ等とこっ恥ずかしくて言えるかよ!「だからナンなのよ! 息子が何ぼのもんじゃ!!」って言われちまうよ」とアタシャにべもなく・・・・・・。(笑)

「大体昨日の金曜日が満席に近かったし、今日はアンタも来た事だし暇なんじゃない?」とアタシャ息子にはかなりの辛口だ。
(えっ!? 客にもだって!? あ〜い とぅいま てぃえ〜ん♪)

しかし思いの他、息子を知ってる昔の客や、上田からのマイミクである(A)さんや、息子の悪友や、常連が数組顔を出してくれ、かなり賑やかになり、息子は大喜びでカウンターに入り、洗物や接客を手伝ってくれた。
アタシャこれ幸いと客達と混ざって飲んでいた。(笑)

真面目な経営者たちがアタシの店を見たら、多分とんでもない店だと思うんだろうなぁ・・・・・。
アタシもついつい不安になり何人かの人に「こんなんで良いのだろうか・・・」と聞いてみた事がある。
そしたらその人たちに「こんなんだから良いんだと思うよ? だって、こんな店、他にないもん」と、口を揃えて言われた。

どう受けていいのやら・・・・・・!!(汗)


2007年04月16日(月)


 (日記) アタシの理想の死に方


この1年くらいの間に身近だった人が4人ほど亡くなった・・・。
年相応の人、まだ早い人、若過ぎる人と様々だが、月並みながら人間は死ぬとどうなるのだろうか・・・・・・。
その瞬間ってどんな気持ちなんだろう・・・・・・。

人間は生まれた瞬間から死に向かって生かされるわけで・・・、人間で居る時間が長かろうが短かろうが、遅かれ早かれ、確実に産まれた以上は死ぬわけだ。
アタシだってまだと言うか、もうと言うか、52歳だけど、何時どうなるか解らない。
しかも癌は経験済みで、こんなあこぎな商売をしているし、好き勝手に生きているので、常に爆弾は抱えてるわけだし?
そこで私なりの理想の死に方と言うものを考えてみた。

もしも癌が再発したとしても・・・、アタシは入院も治療もせず、この店が愛しいし、楽しいし、店に集う客達も大好きなので、相変わらず皆と飲みながら、ギリギリまで店をやっていると思う。
そしてイヨイヨダメそうになったら、最愛の夫と、最愛の息子と、少しの親友だけにソッと別れを告げ、ホスピスに行くつもりだ。

夫と息子が看取れる状態なら看取ってくれれば良いし、間に合わなければ一人で旅立っても構わない。
所詮、産まれる時も一人なんだもんね。
死ぬ時だって一人で良いさ。
お葬式も何もしなくて良い。ただ私がこの世から消えた事を本当に魂で悲しんでくれる人が何人か居たら、その人たちだけでどこかの店を借り切って、賑やかに追悼パーティーをして欲しい。
義理や、建て前で来てくれる人は良いから、本当にアタシを気に入ってくれてた人だけ来て欲しい。

そしてお墓もいらないので、ナイショで3箇所くらいに散骨して欲しい。
生まれ故郷の等々力と、一番輝いてた頃を過ごした九段と、この松本の所縁の場所に・・・。
保険金で借金を返してない人に全額返してもらい(アタシの死後、嘘付いたってだめだぞ!!(笑)ちゃんとパソコンに残してあるからね〜だ!(笑))残ったお金は息子と旦那と分けて、旨いもんでも食いに行ってくれ。
んで、アタシを思い出した時は、アタシの分の酒を注ぎ、飲みにおいで〜と呼んでくれ〜♪
直ぐにシッポ振って、上から降りて来て御相伴に預かるぞい♪
そんな死に方と、送られ方が理想だなぁ・・・・・・。

話は全然違うけど、明日は息子が彼女と別れた傷心を癒しに店に歌いに来るそうだ。
誰か暇な人が居たら、遊んでやって欲しい。
出来れば彼女でも紹介してやって欲しい。


2007年04月11日(水)


 追伸・・・・・・


なんだか・・・帰る気になれなくてね・・・・・・。(^^;
店が終わってもう40分も経つのに、ひとりぽっちで飲んでるさ!!
ミドリちゃんが遊びに来るような気がしてさ・・・・・・。

明日はミドリちゃんの葬儀だね・・・・・・。
酒臭くても・・・苦笑して許してよね・・・・・・。

さみしいよぅう・・・・・・・・・・・・・・。



2007年04月10日(火)


 (追悼日記) さよなら・・・親愛なるミドリちゃん・・・。


土曜の深夜、私の親愛なる妹分、コマキの実母が亡くなった・・・・・・。
彼女と私の歴史は長く、又、想い出も大変深く、今日は彼女への追悼の意を表し、彼女との想い出を書かせていただきたい。

土曜日、店は大変な賑わいで満席状態だった。
その中にはPTAの親睦会で来ていたコマキも居り、盛り上がりもピークに指しかかろうとしていた時刻だった。
カウンターで休んでいた私の所にコマキが飛んで来て「今ミドリちゃんが病院に運ばれたって・・・・・・!!」と、いつになく取り乱していた。
ミドリと言うのは彼女の母の名である。
コマキの旦那さんから緊急連絡があったそうで、兄宅で療養していたミドリちゃんの様態が急変し、兄たちが病院に連れて行ったそうだ・・・・・・。
その時、嫌な予感がした。

それから暫くは兄弟たちと連絡が付かない様子で、コマキは心ここにあらずの状態だったのだろうが、極力平静を装い、仲間達との場を盛り上げていたのだが・・・・・・。
やがて再びコマキに連絡が入ったようでコマキは私に「ミドリちゃんが死んじゃったよ!!」と、耳打ちし、泣き顔で絶句していた。
彼女を病院に急がせ、主要な仲間だけにソッと内情を伝え、今度は私が放心状態になった・・・・・・!!


今から25〜6年前。私は当初、コマキの両親達と友達だった。
私がまだ子供を生む前の頃、そう・・・、まだ別れた夫と一緒に暮らして居た頃の事だ・・・。
元夫のバイト先だったパブで、Jazzピアノを弾いていたのがコマキのお父さんである正樹さん。そして同じ店で厨房を担当していた正樹さんの奥さんが、コマキの母、ミドリちゃんである。
当時の松本では1〜2を争うナイトクラブのような洒落た店で、ハイクラスの大人たちが集う店だった。

夫が居た事も有り、何度か顔を出す内、正樹さんは私の歌を気に入ってくれ、行く度、ステージで歌ってくれよと伴奏をしてくれた。
その後私は子供を産み、夫との修羅場を向かえ、惨憺たる人生を歩み始めていた。
そして正樹さん夫妻は独立し、今町に自分達の店を持った。

ホワイトオークと言う名のその店は、やはりピアノが置いてあり、前出のライブパブよりは遥に小ぢんまりとはしていたが、とても落ち着くbarで、温かく、優しく、フレンドリーで懐かしい雰囲気があり、私は足げくその店に通うようになったのだ。
いわば、正樹さん夫婦の店は私にとって、駆け込み寺のような存在だった・・・・・・。
子育ての悩み・生きる事の悩み・新しく落ちた恋のときめき等・・・、二人は何でもにこやかに聞いてくれ、一緒に飲み、マージャンをして遊んでくれたり、歌い明かしたり、語り明かしたり、第2の家のようなつもりで通っていた。

やがて正樹さんが重い病に倒れ、店も続けられなくなり、あれほどに中むつまじかった夫婦が正樹さんの死により引き裂かれ、ミドリちゃんは抜け殻のようになってしまった・・・・・・。
それでもコマキたち兄弟の愛に包まれ、少しずつ立ち直ったミドリちゃんは、私が持った最初の店(エポック)にもしょっちゅう遊びに来てくれていたのだ。
その内、まだ当時高校生だったコマキも大人になり、私の店に通うようになり、コマキは結婚し、兄弟もそれぞれ独立し、ミドリちゃんは一人暮らしを始めた。
ミドリちゃんはその後も時々エポックに顔を出してくれては私と飲み、ダンスを踊り、正樹さんの想い出を語ったりし、楽しくほろ酔いで帰っていく。
そんなある日の事。
僅か1時間ほど前、元気で帰って行ったミドリちゃんが、私の店に変な電話をよこした。どうもただならぬ様子だ。
「部屋に帰ったら変な男の人が居るの!! マキ、怖いよ、助けて!!」と叫んでいるではないか。
しかしまだ店は営業中で賑わっていた最中だ。どうしていいか解らず、私はすぐさまコマキに連絡したが、コマキは当事まだ幼い次女が入院中で病院に付き添っていた。しかもコマキの兄は東京である。
ミドリちゃんの所には下の弟が駆け付けたそうだ。

部屋に誰かが居るというのは彼女の幻覚だったらしく、彼女は帰宅後、脳内出血を起こしており、その予兆で幻覚を見たのだそうだ。弟が駆け付けた時は玄関に倒れていたらしい。
彼女は即座に入院し、それ以来、ミドリちゃんは不自由な身体になってしまった・・・・・・。

彼女は重度の記憶障害と、言語障害を起こし、無邪気な赤ちゃんのようになった。
でも、後にリハビリ病院にコマキと行った時、私の顔を見るなり、ニカッと微笑んでくれた。
きっと倒れる寸前まで見ていたのが私の顔だったので、記憶の片隅に残っていたのかもしれない・・・・・・。
当時私はミドリちゃんのことが悔やまれてならなかった。あの時、あまり飲ませていなければ倒れなかったのかもしれない・・・・・・。
店を放り出し、直ぐに駆け付けていたら、脳出血が軽く済んでいたのかもしれない・・・・・・。
本当に当時の事を思うと、もっと何かが出来たはずだという後悔で一杯になる・・・・・・。

そんな事が起こってから、もう11年も経ったんだなぁ・・・・・。

それ以来、コマキは3人の子育てに忙しく、それでも合間を見てはずっと私を姉さん姉さんと慕ってくれ、ミドリちゃんの代わりに店に通ってくれていた。
コマキの兄弟たちも家庭を持ち、コマキの兄がみどりちゃんを引き取り、ずっと今まで兄宅で手厚い介護を続けて来た。
たまに入退院を繰り返しながらも、ミドリちゃんは元気だったのだ。なので偶にではあるが、コマキの兄弟がからくり箱に飲みに来てくれる事もあった。
ミドリちゃんはかわいい孫たちもたくさん授かり、亡くなった当日は、食事の後、TVのカラオケ番組を見ながら楽しげに笑い合う息子夫婦や孫達に囲まれながら、眠るように息を引き取ったのだという・・・・・・。
苦しみもせず、孤独でもなく、皆の傍で逝ったそうだ。
なんて幸せで、ステキで、良い死に方をしたのだろう・・・・・・。

ミドリちゃんの笑顔を見られなくなるのは寂しいけど、私はそんなに悲しくはないのよ。
だって、これでやっと最愛の正樹さんの傍に行けたんだもんね・・・・・・。
あんなに仲良しだった夫婦が、本当に長い間離れ離れだったんだもの・・・、寂しかったよね・・・・・・。

ミドリちゃん、下界の皆とお別れをして、あっちの国に旅立ったら、私の母や父にも会ってくださいね。そして4人で楽しくマージャンでもして遊んでやってよ。
偶に私の店にも下りてきて、又一緒に飲んでよね・・・・・・。

最後に貴女に一言だけ言っておきたい事があるの。
貴女が残したコマキは大変素晴らしい女性になったよ。
たくさん苦労もしてきてるけど、その分、人が持ってない責任感と優しさと温かさをたくさんたくさん持った、それは良い〜女だよ。

ミドリちゃん、そんな頼もしい妹分を私に与えてくれてありがとうね・・・・・・。
大事にしていくからね。
私はまるで頼りない姉だけど、これからも仲良く助け合ったり励ましあったりしながら何とかやっていくからさ、安心して天国で見守っててよね。

正樹さんと二人永遠に離れず、私たちのことを見下ろしながら、ああでもない、こうでもないと、苦笑しながら、見守り続けてくださいね。

ミドリちゃん、長い間の闘病生活、お疲れ様でした。
これからは伸び伸びと、あっちの世界で羽を伸ばしてね。
ミドリちゃんのご冥福、心よりお祈りします。


2007年04月09日(月)


 (日記)  ホレ見ろ!! & 料理


昨日は息子が来なかったせいか、平日であんなに寒かったにも関わらず満席になった。(笑)
やっぱ息子の貧乏神パワーは百人力らしい。
予約ナシに、しかも数組のお客が同時刻に来て一気に満席状態になると、やっぱ、アタフタしてしまう。
お絞りを温めて渡し、荷物やコートを預かり、飲み物のセッティングをし、付き出しの用意をし・・・・・・と、アタシ一人なのでテンヤワンヤである。
(こんな時にこそ居てくれりゃぁ良いものを・・・・・・)と、諏訪に居る息子に向けブツクサ文句を言いながら働いていた。

貧乏神といえば、アタシャ自分は貧乏なくせに、人の店に行くと福の神らしい。
アタシと旦那が誰も居ないような店に入っていくと、あれよあれよと言う間に客で埋まったという事が過去何度もある。
どうもアタシのパワーは、自分の為には一切役に立たず、人のために働くパワーのようだ。

サテサテ話はガラリと変わるが、今回、初めてレバーペーストなるものを作ってみた。
これが目茶苦茶旨くできたのだ。
最近貧血気味なのでレバーでも・・・と思ったが、タダ焼いて食べるんじゃ脳が無さ過ぎる。
んで、ネットで検索し、一番旨そうな料理法のレバーペーストを少しアレンジして作ってみた。
案外簡単で、こんなに旨いペーストが出来るなら、これからもたまに作ってみようと思う。
ではでは、自分が忘れないように、書いておくことにする。

【材料】

鶏レバー 【2パック】
玉葱   小さめのもの1個
人参   半分
セロリ  一本
水    1カップ
コンソメ顆粒  大さじ1
赤ワイン    カップ1弱
ナツメグ    少々
ローリエ    一枚
塩       少々
コショウ    たっぷり
生クリーム   大さじ2
牛乳      半カップ
バター     20グラム(炒め用と混入用)

【作り方】

☆ ボールに一口大に切ったレバーを入れ、牛乳を注ぎ、30分漬け込み臭みを取る。
☆ その間に人参、セロリ、玉葱を薄くスライスしておく。
☆ フライパンにバター少々を熱し、スライスした野菜と水気を切ったレバーを入れ、焦がさないようによく炒める。
☆ ワインを注ぎ込み、アルコール分を飛ばした後、水少々とコンソメ顆粒とローリエを入れ15分ほど煮込む。
☆ 水分が少しになった状態でそのまましばらく冷ましておく。
☆ あらかた熱が醒めたらナツメグ・コショウ、生クリーム、溶かしバターを加え、塩味を調整し、フードプロセッサーにかける。
☆ タッパーに移し入れ、冷蔵庫で固める。

クラッカーに乗せてよし、カリカリに焼いたラスクに乗せてよし、そのままレタスなどに乗せて食べてもよし、冷蔵庫で4〜5日は保存が利くようなので、是非作ってみてくださいな。
今日の付き出しはそれだぁ〜♪


2007年04月06日(金)


 (日記) この貧乏神メ!!!


昨日・一昨日と、二日間に渡り息子が店に遊びに来ていた。
しかしだ!! どうして息子が来ると、こうも店が暇なんだろうか・・・・・・。アイツは本当に貧乏神だ。

前回来た時も、息子が居るあいだ中、だぁ〜れも来なくて、息子が帰ったと同時くらいに3組の客が一度に入って来たから笑っちゃう。
昨日はまばらに客が来たものの、一昨日なんて誰も来なかった。(苦笑)

息子は名古屋を出て、つい最近長野に戻ってきた。
以前から世話になっている諏訪の知人宅に舞戻って来たそうだ。
なので最近よくアタシの顔を見に店にやってくるのだ。

以前はアタシの息子とは思えぬほどゲコ(酒が飲めない)だった息子も、最近やっと飲める様になり、昨日は初めて二人で飲んだ暮れた。
そこに常連の(K)や(K2)がやって来て、歌を歌ったり楽しくくっちゃべったりして店が終わったのが4時だ。(冷汗)

息子は最近彼女と別れ、仕事も変え、少しだけ傷心らしい・・・・・・。
まぁ、まだまだ若いんだし男なんだからこれから沢山恋をし、色々な女性と出会い、女を見る目を肥やして行けば良い。
そのうち、アンタでも良いといってくれる物好きで奇特な女性がきっと現れるさ!!


2007年04月05日(木)

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