『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2015年09月30日(水) 無為のリスト。

みうしなっているもの。


ふらりと散歩に出かけること。


きれいだと世界にむかってカメラをかまえること。


真夜中の映画。


だいじなはずのともだちに電話をする自由。


おふろに入る自由。


たのしいと思ったときに笑う自由。


すきなひとにふれること。


涼しさに右の手首がじんといたんだ日、
ぼんやりとうつろに短かった長月がおしまい。
ゆっくりと
走ろう。


長月晦日、かさかさとゴーヤの葉がちぎれてゆく
真火



2015年09月22日(火) 秋、連休。


カレンダーのまるじるしをかぞえる。



おうちにかえりたい。

もうありもしないおうち。

出てきたところには戻れなかった。




長月、彼岸
おやすみの意味がわからない日に、真火



2015年09月13日(日) 夕焼け雲


いきてゆく計画みたいなものは、なかったとおもう。

たとえば学校は大学まで行くだろうとか、それくらいで
止まっていてその先はあまり

夢のなかのことのような。
余生のような。


結婚ということをした。

なのに、今ごろになってもまだ
帰りたいところがみつからない
または
なくなってしまった。

外に出るのがひとくろうであるくせに
いちど出ればいつまでもふらふらとしていたい理由に気づくと
いつまでこうしているんだろう、と
じぶんを蹴飛ばしたくなる。

はやくどこかにかえりたい。


忠実なねこがごはんを待っているから
わたしはあのうちに戻ってゆく。
夜や雨をしのぐ屋根も、たべものもある。



彼岸花をみた日に、真火



2015年09月09日(水) うすなみももいろ。

たまにはひとりきりで
ねむる日があってもいいじゃないかと
からだのちからを抜いて着ていた服を放って
鍵のかかった部屋で息をはく。

だれかがいる、なのにひとりなのがかなしくなさけなく
それでも人生のなか大抵のまいにち
わたしは誰かとおなじ部屋でねむった
どこか憎んだりしていてもおなじ空間

ひとりきりの密室は
とても安心で、でも
さびしいね
不安に喰われそうになったとき握る手がなくて

……そんな、いい話みたいなことじゃない。

いちばんことばを話したかも知れないぬいぐるみがいたら
それだけであるこころもちはたちまち紛れてゆくだろう。
わらっていない、わたしの好きな顔で
たくさんのことを吸いとってきた伴走者

きみのはじめてのともだちは、誰でしたか?

うすももいろのうさぎをわすれてきた
ベッドサイドの白熱球で照らされた
うすぐろく黄いろな天井をみながら
あなたを思っている


9月8日、にじむ深夜に、真火



2015年09月04日(金) 秋、そらみみ、チンダル現象。


ふらつくあたまを支えながら
叩きつけられる雨の音をきいている
しみだす汗をぬぐいながら
ねこのように、無音のひとこえを
発して

まぼろしの雨粒
頭蓋のななめ上のほうで
焼けて焦げつくものと似ている

空想のあなた
どこかにいたのかな
きのこの屋根のおうち
もぐりこんで秋を遊ぶ
落ち葉のあふれたまるい部屋で
ちいさくかがんで

紅い葉を左から順にならべました
ひとりのためのおまじないは
知られればやぶれる
それだけど

おかっぱよりものびた髪のわたしがひとり
ここにいてもいいと
ただ呼ばれたくてこもった
ポケット

そとはまぼろしの雨
寸断なく滝のように叩きつける雨
だれにも聴こえないばりばりばりばり
せかいがひび割れる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうにうまれたぐちゃぐちゃのものごとが
あしたに続きませんように
おひさまがのぼったらわたしはほんとうの夢をみていて
きちんと翌日に
目をさまして、ひざしに踊りまわるほこりの粒のした
ぴかりとこちらをみるねこの薄いきみどりの目に
まっすぐおはようを
言えますように

親しもうと呼んでいる壁のむこうのものではなく
指にふれることのできるつめたさあたたかさを
あれらよりもたしかだと
信じられますよう、に


長月四日
真火


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