『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2003年06月27日(金) 仔猫の足

目を覚まし続けて気合いを入れる、
眠って起きたらがっくり落ちる、
そういうことをくりかえして
熱はなかなか下がる気がないようで、目の奥がじんじんと熱い
そういう日、
からだは活発にただいま炎症製造中をやっていて発疹がどんどん増えていく
真っ赤な皮膚、そんなことでがんばるなようととても言いたいけど
なんだか言葉が通じないらしいや
おさまったと思って喜んだら数時間後にまた熱が出てきて
かなしくなる、
ひゅーんとまっさかさまに落ちていく

終わりの見えない闘い、か?

(それほどのことでもないよね?)

腕があがらなくて食べ物を口に運ぶのがつらいことなんてしばらく忘れていました
絶食してみようかと発作的に思ったけど
それはいきすぎかと思うので
玄米ごはんをお茶碗に半分、
しつこくしつこく噛んで食べました
一口につき100回噛んでみましょう
かみかみかみかみ

……口の中のごはんがきちんと半液体に変わっていくのに感激している
ただひとかみをおろそかにしない、
この闘いに勝とうと努めるっていうことは
そういうことなんだろうな
多分。

こまかいことから順々に。


そういうことだから努めてかみかみします。


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外でときどき猫が鳴いている。
このあいだまで遊びに来ていた灰色猫ではないの、
ちびな黒猫、
まだこども。

どういうわけか急にやってきてその日から家にべったり、
ほとんど一瞬も離れていないんじゃないだろうか
最初の夜なんてひとばんじゅう家の周りをぐるぐる回りながら泣いていた
みゃあみゃあみゃあみゃあ
開けてよう開けてよう入れてよう
そう聞こえる
泣いてる

まだちいさいから体も軽くてそこらじゅう跳ね回っていて
濡れた足なんて細すぎて猫というよりコウモリみたい
だんぜん家猫志望らしくて
まっしぐらに飛び込んでくるのを放り出し、放り出し
投げても投げてもどこにも行かない
食べるものがなんにもなくてもどこにも行かない
きみは本当に野良なのか

猫はたしかに好きだけど一緒に暮らすのはあんまりリスキーで
なにしろアトピー、
今以上に体がぼろぼろになる可能性が否定できなくて
そうなったときに正気で動物を可愛がれるかと言うと自信はなくて
痒くて痛いがピークのときにそれ以外のことが頭に置けるかというと悔しいけどNOで
そうすると下手にここで可愛がるわけにもいかないし
責任もてないのにごはんをあげるのもどうかと思うし……
などなど
家猫志望の一匹を前に
ぼくはおろおろとかなしくなってしまう

外は雨降りで
ときどきそいつが
みゃあ、と鳴く

人の気配を感じると飛んでくるものだからどうにもせつない
まだちびだし、ひとりでつまんないのかな
遊んでほしいんだろうな
ろくに食べないであんなに鳴いておなかすくだろうにな
ああ猫一匹ともまともに付き合ってやれんのかい
いざとなったら獣医さんに連れて行って注射と不妊手術くらいはししなければ
でもほんとうは立派な野良になって欲しい
人間の側の勝手だよ
愛と覚悟なしに生きものとは付き合えん
でも目の前で飢えて死んでいかれたらどうなんだろう
ああ勝手、勝手、勝手だよ
などなど

くどくどと思いかなしくなっていくぼくはともかく彼女は軒下ですうすう寝ている
ふかやねぎと書いてあるダンボールの
葱の外側をむいたのがふんわりかさかさ言っている場所で
まるくなって落ち着いている

猫型のくぼみ

なにを思って来たのかは知らないけれど
どうして落ち着き先を決めちゃったのか
聞いても猫の言葉はぼくには通じないので
今は寝かせておくくらいしかないみたいで

眠り猫
すやすや
ふわふわ

いずれにせよ
外には雨で
いずれにせよ
体には熱で

そうして明日も来るだろうから
とにかく今日も過ぎたのだから

繰り返されてしまう浮き沈みのことをかなしみすぎないようつとめながら
おやすみなさいを言いましょう


また、明日。



2003年06月22日(日) すっぽりくるまれた

痛い痛い痛い

痛い痛い痛い

痛い


お薬がなくなる病院に行かなくちゃいけない


行きたくない外に出たくないお日さまがこわいの
照らされたところからからだの組織がぐずぐずと壊れていくみたいで
気持ちがわるくて、日陰のほうから、まぶしさに息をひそめていたい
あったかい陽射、ほんとうは
好きだったはずなのに
とっても好きだったはずなのに

かなしい


目がさめたらよくなってるといいのにととても思う
けど
その望みはあまりないことを知っている
ささくれたような痛いのがまた
背中からぼくのことなぶっているかもしれない

でも時間は進む


夏の時間が進む
こわれていく
まぶしいのがまっくらに見える


それでもやっぱり、抜け出したいと思ってる


(06/23/0:50am)

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ふたたびおきあがってしまった
あんまり文字が上滑りしてさらさらとあたしの指のあいだ
流れ出ていって何も残らなくて

すいみん、に
入り込めなくて
休息ってどこにあるの

泣きはじめる前にがばりと起き上がって電気をともす


闘病なんかそれらしくないから止めようと思ってた
だけど、気がついたら
またその場所に否応なしに戻ってきちゃった気がしてかなしくなった
いつやめられるのかな
いつやめられるのかな
さっさと元気になれって言われた
わたしは好きでこれをやってるの?
先が見えない場所に落っこちちゃったらあとは這い上がるしかない
底のほうで息を殺して通り過ぎるのを待ってる
待ってる


あかるいお日さまの下に笑って出て行けるようになりたい
痛いのが少しくらいあってもいいからまっすぐに人の顔を見られるようになりたい
真っ赤で真っ黒などすぐろい痣でわたしができている
二度見直されても
だいじょうぶってまっすぐに立って
お日さまの下で笑う

夢みたいな話に聞こえるけどでもきっとそのうち手に入れてやるんだ


両手をキーボードにしばりつけたら悪いことは減らせるような気がして
パソコンの前にまた座った
ああカメラのシャッター押せなくなったんだねぼくの右手
麻痺して震えて力が入らないんだ
二本指じゃ持てないものが多いってことに少しずつまた気がついていく
お箸、スプーン、歯ブラシ、鉛筆、マグカップ、タオルを絞ること

でも今日は大根おろせたんだよ

あちこちにべたっと貼りついてわたしの細胞の一部ひっぱがしてく
じわじわ染み出ていく体液がなんとなく粘着質に顔をおおって
憎らしくて
気色悪くて


だけど文字が残っていてよかった


きみはわたしの相棒だけど
たぶんきっと、一生モノの相棒だけど
でも
わたしはあんたに喰われたくないんだ
喰われたくないんだから


お日さまの下に、笑って出て行けるようにきっと

なるんだから



(2:11am)



2003年06月18日(水) 夜をめくって

今年も、また
悪くなってきたらしくて
見えるものには嘘をつけなくて
静かに落ちていった

原因はわからないけど急に上半身がぼろぼろになったので
アイスノンを抱えて、いたるところで至る時間、寝てた
体が熱を持ってしまうのが、ひいやりして楽になるのです
それで、ときどき降ってくる雨の音などを聞いている

梅雨らしい梅雨だね。

やわになって無数に穴があいた肌からじわじわ体液がしみでてくる
肩とか首とか顔とか
はやく固まってかさぶたになれなれなれ
それまでを待っている

夜が更けるまで目をつむったままぼんやりと色々なことを考えていたけど
そう、今のここから遡っていって、いろいろなことを思い出してみたけど
結局、わたしは今までに送ってきた25年をあんまり後悔していない
というところで気持ちが落ち着いたようだったから
きっと、大丈夫だと思った
現実はなにも変わらないけど、でも

たくさんのことをふわふわと思い出して確かめて見たけど
絶対にやり直したいと思うことはひとつだった
いろいろ痛いことや悲しいことを思い出したけど
それは、後悔とは別のことだ
後悔してるのは、ひとつ
14歳のとき、わたしは人をいじめてました

「くりかえせたら修正したいきのう」


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クラスの中で完全に孤立している子だったし
学校へほとんど来ない子だったし
それは小学校の頃からの「慣例」で有名な話だったらしいけど
わたしはそのことを知らなかった
一学年200人を越す小学校で、クラスは5つもあるところなのに
どうしてそのことをみんなが知っていたのか
わたしには今でも謎だけど、とりあえず
その人と友達にならないというのは確かなルールだったらしい

ひとこと、

そんなルールしらない。

あっさりわたしはその子と話をするようになって
クラスのみんなにことあるごとに驚かれて
むしろ責めるような感じだったから
どうして仲良くなったらいけないのよ!と聞いたら
何人かが「嫌わなくちゃいけない理由」というのを説明してくれた
(驚くべきことにそういうものがあったのだった)

だけど納得できなかったので
わたしはそのまんまでいた
お弁当を一緒に食べて、体育の時にはおなじ班になって、
そういう、ごくふつうの
ありふれたクラスのひと

もしも、そのままやっていけたら、よかったんだと思う
字で書いただけみたいに、そのまま「仲良く」やっていたのなら
だけど結局わたしはその子のことを切り捨てたのが、ほんとう

二年生の時も三年生の時もその子とは同じクラスだったけど
というより、なるべくしてなった、に違いないのだけど
その頃には、もうわたしは
その子と「べったりくっついて」いるのがとっくに嫌になっていて
どんどん、つめたくなってしまったあとだった

よく憶えてる
つめたくなってる自分がすごく嫌な顔をしてるに違いないと
思っていたこと
思っていたけど
止めなかったこと

それだけ。

相変わらず、その子が学校に来たときは
わたしは一緒にごはんを食べたけど、そんな日はどんどん減っていって
ほとんど皆無に近かった、と思う
わたしの中学校生活の中にその子の痕跡はほとんど残ってない

修学旅行のとき
わたしの班にはその子の名前があったけど、
旅行が近くなって、クラスの子が
めずらしく学校に来たその子の席に近寄って
修学旅行、行く?と聞いた
その子は、ううん、と首を振った
聞いた子は笑顔で、よかったぁ、と言った

新幹線の席順や部屋の割り振りの表からその子の名前が消えた

修学旅行は、たのしかった


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自分はクラスの人とはちがうと思っていた
よくわけのわからない理由で無視して黴菌扱いしてるみんなとは
違うんだと、どこかで思っていた
考えてみればすごくすごく嫌なやつだ
やっていることはおんなじじゃないか、って
て言うよりクラスの誰より嫌なことをしているって
そう考えたときはもう遅くて
話しかけても遅くて
本が好き、というおんなじところを見つけたけど遅くて
その子は、卒業式にも来なかった

来られなくした人のなかに、わたしも居たんだ


はっきり思ったかどうかは、知らない
だけど
自分のことをいじめた人の名前は気がついたら忘れたみたいだけど
その子の名前はフルネームでそらんじている
遠足においでよとかけた電話のメッセージが
へんに焼きついてしまって離れてくれない




マホ



2003年06月10日(火) 雑記


がらんどうの中にからからと骨が鳴っているのじゃ何もかんじられない

書き続けることや作り続けようとすることが何かを呼べるのかそれとも疲弊させていくのか
僕にはよくわからない

なんにもない一日のおしまい雨が降ってきた
ぽとんぽとん、しとしと、ほろほろ、さらさらさら
温度が冷えていく
ぼくのからだも冷えたらいい

ぽとぽと、ぽとん、さらさらさら


またこれでひときわ緑も膨らむだろう。


Rain man, make me forget everything
Rain man, make me fade away


ただ動きを止めたらいけないと思うだけ。



6月10日、深夜



2003年06月08日(日) 「北京ヴァイオリン」

休日。

映画を見に行ってみた。
北京ヴァイオリン、というの。

とてもシンプルな話です。
悪いひとが誰一人として出てこない。
とてもたくさんの迷いや揺れ動きがあるけれど
でも、シンプルな思想と人生。

中国の南のほうの田舎で料理人をしているお父さんと、
ヴァイオリンの才能を持った息子。
二人で大都会の北京に出てきて、
コンクールに入賞し、音楽の先生を見つけ、喧嘩し、仲直りし、反抗し、別れ。
走り回る。
ぜんぶは「成功」を手に入れるため。
カネとコネがない奴にはやるだけ無理だというふうにできてしまった都会の現実と
みっともないくらい、図々しいくらい、息子のアピールのために
あらゆるところに踏み込んでいく、「パァパ」。
これは、古きよき田舎のひと?
日本にもかつてあったかもしれない、中国には今でもこれがふつうなのでしょうか。
子どもには疎まれ恥ずかしがられそうなまっすぐな振る舞い。

血は水より濃いのよ、とさらりと口にした蓮っ葉にも見える近所のお姉さん。
そりゃそうだね……と、パァパ。

成功ってなんなのだろう、とか
音色の心ってなんなのだろう、とか
そういう小さな疑いをさしはさみつつ。

いちばん憶えているのはヴァイオリンを弾いているときの少年の顔だった。

楽譜を見ないの。
指も見ない、
誰も見ない、
空中も見ない。
ただ頭の中をみている。
そこでは、音が、手に触れるくらいかたちになっているんじゃないかと思う。

わたしには音楽の心得はまるでなくて
それが悔しいと思うのは、こんなときで

自分で音、というものをつくれたら、よかったな。

そう思う。

人間としてはできそこないだと自分で自分のことを言っている
最初に出てくる音楽学校の先生が好きだった。
捨て猫ばっかり拾ってきて、部屋の中はぐちゃぐちゃで、いかにも偏屈で
愛なんかなくても音楽があればいいと嘯いて
ごみだらけの部屋の中にヤマハのピアノだけ一台どかんと置いてあるの。
そうして楽器なんか触らないくせに
少年と同じ顔をして音を見ていた。


好きな映画、とか見たい映画、というのは探してみれば割合にぞくぞくあるほうだけど
住んでいるところが都市部から微妙にずれているので
ミニシアター系の劇場はほとんど全滅。
数年前まで地元には映画館がなかった。
たまに「2週間限定公開」と銘打って、出張映画にやってくるので
そういうときは気合を入れて見に行くべし、ということになる。
お金はかかるけれども、大きな音も苦手だけど
レンタルビデオより映画館。

All about My Mother、とか
ロッタちゃんはじめてのおつかい、とか
山の郵便配達、とか

今週からは「wataridori」がやってきている。
知り合いの方の、おすすめの映画。


……ひとりで映画を見に行けるようになるのはささやかな目標のひとつです。


それにしても、外にずらっと並んでいる10箇所以上のポスター宣伝
ぜんぶがぜんぶ、マトリックスリローデッドだったのにはびっくりしたな。
見渡すかぎり、ネオ・トリックス・ネオ・トリックス、、、、、、
いくら劇場が8つ集まっているとは言っても
1日13回上映とは、なんともすさまじい話。
日曜日の映画館はぞくぞくと人で立て込んでいる。
誰が、誰と、どんな顔をして、
この映画を見に来ているんだろう。

7つくらいの小さな男の子が、私の身長くらいありそうなポスターを指差して
「トリックスー!」
と叫んでいた。
ああこんな小さな子にも人気があるんだな。
ちっとも知らなくって感心した瞬間。



2003年06月05日(木) 隣の宇宙

わたしの苦しみは、わたしだけのものなので、
あなたにだって分けられない

のと同じように

あなたの苦しみは、あなただけのものなので、
いくらわたしがそれを欲しがっても、絶対に
本当のところはひとかけらも持ち去ることはできないし
同じ意味の涙を流すこともできないし
いくら同調したいと思っても、それはもう似非欺瞞でしかないと思う。

うん、と頷いて此処にいる。

隣に座るのは肩代わりすることじゃない。
わたしはあなたの苦しみを、絶対に絶対にわからないし
ダイレクトの意味であなたを身軽にすることは決してできない
その無力な感覚を全身で味わって歯軋りすることが
たぶん、そこに居ることを選んだときに、するべき精一杯のことなのだろう。
そんな風に思う。

別々の苦しさを持って隣同士に座る。

楽しいことをいっしょくたに味わうことはできるような気がするけれど、
こと、つらいことに関するかぎり
隣にいるひとは目に見えるのに果てがない支配するルールの接点もない
全然別の宇宙みたいだ。
別々の宇宙同士がぴったりと座って同じ空を見て違うことで泣く。
くっついているところはあたたかいけど
内側はとても透徹していて
きいんと音がしそうに凍っている。
さびしい、きびしい、
温度がない。

でも、それでも、
隣に座る。
座って、おんなじ空を見ている。

そうしようと決めてしまう。

ものすごくお節介な話であると思う。
そうして自分勝手な話であると思う。
もしも座っていることにわたしが飽きたら、もうそれで終わりなのだ。
バイバイさよなら、
そう言う気まぐれの上にある自己満足でしかないだろう。

……そうにも、思う。

もう泣くのはやめなさいと言えたらいいかも知れない。
きちんと立派な人みたいに、ちゃんとした言葉で、ちゃんとしたせりふ。
でもそう考えても頭の中はすっからかんで
何にも「気のきいたこと」なんて出てこなくて
結局、気がついたらそこに座り込んでいるくらいしかなくて
でくのぼうみたいだ。

相手に許されなくちゃ、隣に座ることなんて恐くてできやしない。
いくらそうしたくても、そうしたいだけでは駄目。
身体はひとつで、それ以上にわたしはひとつで
口を挟める隙間なんて限られているのだ。
たくさんの条件が絡み合ってはじめて、わたしに許されること。
あなたの痛みについて、いくら聞いてもそれがわからないことについて、
存分に身体に叩き込んで、それでも隣で座っていようとすること。
ソファの上の隣の宇宙。
屋上のコンクリートの上の隣の宇宙。
途中で投げ出した人。
できそうだったのに、できなかった人。
わかっているのに、できなかった人。

(できないまま居なくなっちゃったから、あなたは、私の中に今でも生きているんだろう)


甘ったるい考えだ。
きっとあの人たちの言うとおり、世間知らずで。
だけど
これで居ていけないといくら言われても
わたしには行くところが見つからないんです。


……これだけしかわからない。


あなたの苦しみが先に終わったら、そのときに
よかったねと嘘じゃなくて笑って言えたらいい。


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

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