『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2003年05月28日(水) ビニールプール

きれいだと思う気持ちが麻痺してる。
バイバイ、
さよなら。

外に出たのだけど風のことをおぼえてない。
寒かった。

病院の待合室と薬局と本屋さん。
それより他のところにもちゃんと足を踏み入れたいと考えたし、
それから紅茶を飲みたいとふわふわと思った。
濃くて甘ったるいミルクティが飲みたくなって、
だけどコンビニに恐くて入れなかった。
情けないよいいかげんにしなさいよと自分で自分に言うのだけれど
結局、手ぶらで家に帰ってきたのは本当なので
ああ負けたなと思ってしまう。

病院の待合室と、薬局と、本屋さん。

それより他のところに怯えないで
ちゃんと出て行けるように
ならなくちゃいけない。
少しずつ行動半径を広げながらまた電車にだってバスにだって。

そう思いながらずるずる着替えて外に出るだけで力使ってしまいました。
だめだなあ、苦笑。
ふらふら歩きをする。
どこか危険な感じ。

風景が、
テレビ画面を見ているみたいだ。
どんどんその感じが強くなる。
触れられても触れられた感じがなくなって
音がどこから聞こえてくるのかよくわからなくなってきて
どんどん、周りの世界から、ワタシが切り離されていく感じ。

さわってみたけど遠い。

そう小さい頃にときどき庭に出してもらって遊んだ、
あのまあるい形のビニールプール、空気を入れて膨らまして使うやつ、
あのぶよぶよした感覚にいちばん似ている気がする。
水遊びをしながら顎を乗せていた、明るい赤い色の空気入りの「へり」。
丸いチューブ型が三段重ねになっている、ぱんぱんに膨らんでいるのにつぶせそうで、
でも掴んでみるとつぶしきれない空気の塊。
あれが目に見えなくなってわたしをぐるぐるまきにして
外界との間を隔てていたとしたら、それがいちばん今の感覚に近いんじゃないだろうか。
あなたとわたし、その間に、ぶよぶよとした厚さ10センチの空気の層があるよ。

………。

目の上で風景がうわすべりする
耳の入り口で音がうわすべりする
きれいだと思う気持ち
麻痺しているのか何も心が動かない。
じっとしたまま錆びているのか、淀んでいるのか
夕方の風くらいは感じていただろうに。
自転車に乗っていたのだから。

腐っちゃうよ
そんなに沈殿したままでいたら
ほんとになんにも感じなくなったら

……うでに噛みついたら痛くて少し安心した。



2003年05月25日(日) 世界の終わりという名の雑貨店

真夜中にやっていたのでお風呂に起きたついでに見てしまいました
「世界の終わりという名の雑貨店」
2001年、松竹。

主演の高橋マリ子というひとがモデルをしている写真をたまたまみて
プロフィールのところにちらっと書いてあったのに
なんてタイトルだろうと思って惹かれてしまったのがそういえば最初だった。
原作の「乙女のカリスマ」嶽本野ばらとかはかなりどうでもよかったんです。
ロリータ好きな女の子がみんな嶽本野ばら信奉者であるわけでないし。
ただなんとなく、
女の子が惹かれる理由がわかるような気は、するけれども。

なんとなく
なんとなくね。

数冊読みましたが
読み終わったあとにページから顔をあげたら
あんまりに世界がくっきり自分と切り離されて見えて
本屋のどまんなかで道に迷ってしまった。
歩きだす手足がおぼつかなくて、
身体ばかりか頭の中までふらふらしている。
離人感を呼び寄せてくれるお話。

危険な作風だと思った。
手を出したらいけない。

ページの中にずぶずぶと沈んでいって
いやな塊を飲んだような気がした。
そこまでどっぷりと取り巻かれるというのは
筆の力であるのかも知れないし自分のどこかとシンクロ率が高いのかもしれないし
いっそ魅力的と呼んでもいいのかも知れない、けど
好きじゃないな、
と反射的に思って、その感覚は今でも変わらない。
暑い暑い夏のまひるのなかに、ぽつんとついた黒いしみ。
じわじわと広がってわたしが湿っていく。

まっさおなハードカバーのたたずまいは
目を惹きつけるけど、同時にかなりの毒。

ひとことでいったら、
美しく病んでいる話なんだろうと思います。
壊れている君と、壊れていく僕と、
そうして、
空気がこわれていく、ぼろぼろと崩れていく、その破片を描いていく。
少し間違えれば、
病むことは美しいと勘違いさせてくれる話。

そう勘違いするのは愉しいことか知れなくて
だからこそ、そう勘違いするのが私はきらいで
そうしてまた、
あっさり死ぬとか生きるとか「モチーフ」にされるのがきらいで
小道具みたいに精神病とかすいみんやくとか出されるのはもっときらいで
途端に醒める。
さああああっと、あっというまに、
お話と私とのあいだに築き上げられていくはずの温度がさがって
冷たい目になる。

 (そんなことばはまるで釣り餌みたいだと思う。)
 (読者をひっかけるために使われた餌みたい。)


遠ざけておきたいもの
遠ざけておいたほうがいいもの
毒にうまれかわるたのしみ

自分の中に受け入れるものがあるから
毒であって魅力なのだと思うけれども

病んでいくことの魅力に引き寄せられるのなら触れないがいい
まるごと飲み込んで笑うのには足りない毒だ。


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映画には何も毒がなかったです。
ただ通り過ぎていった2時間の映像は2時間の映像だけで
なんのことばも浮かんでこなかった。



2003年05月21日(水) 眠い。

久しぶりにちゃんと寝た。たぶん三週間ぶりくらい。
3時間以上持続する睡眠が新鮮、
眠るときに1時間くらいしかかからないのが新鮮、
起きたときが夜明け前じゃないのが新鮮。

飲み残しのストックを引っ張り出してきてあきらめて飲んだお薬に
誘導されて握れた「不自然な眠り」かもしれないけど
自発的でなくてもたまには眠れていないと
眠る、ということが一体どんなことだったのかわからなくなっていって
そのうち起きていることもよくわからなくなってしまうから、不思議だ。


眠気があったら眠れるというとてもシンプルなことがらを実行できる身体はすごいと思う。
そんなこと考えなくても眠れることのほうが、世の中には多いらしいし
眠かったら眠ればいいとみんな言うし
実際みんな寝ているけれど。
そのとおりにできるのは本当はすごいことなんだと思う。
緻密なものの積み重ねの上に、きちんと自分が立てているということ。
にんげんのからだなんて、こんな精巧につくられているもので
狂わないほうがおかしいのに狂わないでいられるということ。
自分で調整できる範囲の中しか変動しないでやっていられるということ。
身体のシステムってすごいな。
本当はこわれやすいはずなのに。
ものすごく酷使されているはずなのに。



2003年05月19日(月) 訪ねてくるひと

家に、猫がつきました。

……かどうかはよくわからないけれども。

最近、
茶色がかった灰色の猫が毎日、朝に夜に
台所の掃き出し窓のところにやってきて
部屋を覗いては、ごはんをねだって待っています。
たまにちりめんじゃこだの魚のはぎれだのをもらって、はぐはぐと齧っていきます。
ひるごはんの残りのかまぼこは食べませんでした、
オナカはすいているけど好きな味じゃないけどオナカはすいているけど、みたいに
一口齧ったあと困ったみたく、ちょいちょいと前足で転がしてみゃあと鳴く。

味がついているのは嫌いなんだろう。

とりたてて可愛い顔というわけでもなくて、たぶん立派な野良猫で、
右の後ろ足が悪くて、関節が固まっているみたいに足ごと宙に浮いていて
それだからぴょこぴょこと歩く猫で
他の猫の気配を感じるとばばばっと逃げて消えるみたい。
しかしながら夜に見るこいつの目は淵みたいな緑色で
囲んだ光彩はぐるりと金色で、なかなかいいなと思う。

今日は顔をみていない。
午前がずっと雨だったから。

訪問猫。


一週間くらい風邪で、外には出ないで
くもりときどき雨。
お薬はぜんぶ切れたので病院に行ったらまた叱られるに違いなく
それともこれでやっていけているなら、このまま病院なんか行かなくてもいい?
と思ったりしなくもない、一方でほとんど眠れていない一週間。
やっぱりすいみんやくっていうやつは少なくとも入用なんだろうか。
むりやり目を瞑ったけど布団にあたる肌が痛くて目がさめた。畜生。
久しぶりに鏡を見たら眉毛がほとんど抜け落ちたみたいだった。

鏡は嫌いです。十日くらい平気で見ません。

大抵。自分がどんな顔をしているのかとかあまり詳しく知らないほうがいいから。
せめて普通に鏡をのぞきこめる人を素直にいいなあと思えるくらいでいたいから。

身だしなみに気を遣うとかそういうことじゃなくて(気を遣えたらいいなとは思う)
ただ外を歩くために
自分の顔のことあまり知らないほうがうまくいくこともある
と、わたしは思っている。

落ち込むのはひとりのときでいいもの。



2003年05月10日(土) ぶどう摘み

 だれのために ぶどう摘むの
 だれのせいで 四角な露

 だれのために はさみ鳴らす
 だれのせいで みどりの虹

 籠を抱けば すあしの道
 ひとつぶ 愛はこぼれ

 かわく土で ことば持たぬ
 種子になる 炎あげて

 だれのために けさもひとり
 青いぶどう 摘むの摘むの


 (谷川雁 「ぶどう摘み」)


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詩というものを読んだことはほとんどまったくない
教科書に載っているから知っている、程度の匙加減で
けっこう適当にやっている
文字は書きたいから書いているし書きたいことしか書かないのが本当だと思っている
10年くらいそうやっていて、膨大なことばをはきちらしていて
ときどきたまにすっからかんになる。

詩ってなんでしょうか。

あなたの書くことばは詩みたいですねと言われることに慣れきっています
インターネットの世界をうろついていると詩というものが驚くほど増産されていて
個人ページの片隅なんかにPOEMと必ず記してあるくらいそこらじゅうにあって
詩ってそんなにありふれたものだったのかと躊躇うこと、しばし、

だって詩のことばなんてとても非日常的なものじゃない?
作文なんかは嫌われる面倒くさいもので
それを考え込みながらもさらさらと書いて提出するわたしみたいな子どもは
むしろ「ヘン」の部類に入らなくちゃいけなかったし
高校の中途からなりゆきで文芸部に入ったけれど
そんな場所でことばをつむぐようなやつらはやっぱり皆どこか「ヘン」だったと思う
その変わり者集団のなかでわたしははじめて手をのばして泳げた気がする
だから余計に驚く

デジタルに変換されて飛び交っているめちゃくちゃに大量のことばの列をみて

似たような文字の配列で似たような自分を吐露して
それをオリジナリティと呼ばれたいなんて、かなり、
どうしていいかわからなくて泣き笑いするような、道化じみたことだ
直視できなくて逃げる
そこにある言葉をわたしはどう扱っていいのかよくわからない
それだから世間に流布している詩というものをわたしはたぶん
ほとんど知らない

……と、
ただ逃げているだけのわたしのことばが詩のようだと言われてしまうヘンテコな現実
うがった見方をすればそれはただわかりにくいっていうことの代名詞なのか知らん?
と、そんなことを思っていたりも、します。


谷川雁の「ぶどう摘み」は合唱曲で
とてもやさしい曲がついている
新実徳英というひとが作った音だ
そのことばだけですれ違ったらわたしは転ばなかったかも知れないけれど
音楽と一緒に出会ったから、わたしは、このことばに転んだ
そうやって出会ったいくつかの「詩」のことをわたしはとても好きで
音楽が好きなのかことばが好きなのかどっちなのかよくわからないくらいに
ぴったり寄り添って「好き」。

自分の付き合っていることばが一体なんなのかよく知らないし
あなたは詩人ですなんて断言されてしまったら対処なく諸手をあげて、困る
けど、
ただ、
どうせ何かことばを吐かずにいられないというんなら
暗いところに「ひきづりこまれてゆくやうな」そんな重力じゃなく
もっと、ただ、とうめいにあかるくて
すきとおった水を飲みほしてゆくような、そんな絵を
すぐさま脱ぎ捨てて解放されて飛び立ってゆくくらいの軽さで
添えられたらいいと思っていた


ぶどう摘みをうたうわたしのように



2003年05月08日(木) あなたの満足するようなお返事をわたしは考えつけませんから


どこにゆこうか

ザラ紙をなぜながら彼はといかける

なにをたべようか

髪先に触れながら彼はといかける

イエスノウ

求められれば首をふることしか選ぶものはないので

どのようなことばもたべものも

いつの日にか空洞のからだのなかを出てゆくだけになる

それではいけないのだろうときみが応じて

わたしはまたひとつ呼吸をする

ひとつ、吐き

ひとつ、吸い

眠りに落ちてから注ぎ込んだオレンジの色は夢にもどぎつく

わたしは見たこともないあなたの背中を見た

食べてしまった言葉の数だけ

見も知らぬ、ひとびとがわたしのなかに増えてゆく



架空の幽霊はいくつもいくつも

ことばすくなに見つめあいながら何も通いあわない腕をのばして歩き

すでに死んでしまった生きているひとたちが

半透明に色づいて息をする

せめぎあう

わたしのなかで色めきたつ、いつに出会った誰かの残像

すでにない

すでに息をしていない

いえ、もしかすれば、それは、ただ、

あらかじめ呼吸の音すら捨てていたのかもしれませんね

雑音を拾いつづけるわたしの脳が

いくらかの誤作動を起こしながらつくってゆく

わたしとあなたのなかに境目はない

選びとれるものはなにひとつない

見失ったから

捨てたの

なにを?

・・・・・・さあ。

すべて、ただ、それだけのお話なのです

曇り空の下で展開されてゆく

こたえのないひとりがたりが綴じてゆく


つみかさねられていく問いかけ

この場所には届かない問いかけ


ぶちまけたオレンジジュースの色が視界を埋める

濃縮果汁はきらいなのだと

あれほど繰り返し言ったのに


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あなたのなかでわたしが死んでいてもなにひとつ不思議に思うことはないのだと
少しばかり長すぎる時間をかけて学んできたかもしれません
せかいじゅうの誰かとともだちになりたいと考える思いがただの夢語りであると
うすうす考えてはいましたが、ほんとうのところ
そういった思いを持つことのほうが異端なのだと少しずつ少しずつ
よくわからない誰かが様々な方角からわたしに教えている気がします

だから、まちがった方位へわたしは進んでいくのかもしれません。

たとえばあなたがわたしを殺しても別にいいやと思い切れば
それは少し、世界、に近寄っていくことなのかも知れないし
けれどそれに逆らってゆくほうがあまりにナチュラルな仕業だから
余分な抱え込みの中で
わたしは勝手に閉じていくのかも知れません
ドアを閉めて息を殺して誰にも嫌われたくないがために
誰も嫌わない。
ばかげた仕業であるとさまざまなひとが笑いました。
そう、根っからばかげたわたしにとっては生きるか死ぬかにひとしいことだとは
本当のところわたしも認めたくありません。
ただ心臓がばくばくと打ちながらからだじゅうが
冷たく冷たくひえていくのを感じるだけで

だれも触れないでください

そう念じながら


わたしは確かに大人ではありません
しかし
子どもではありません。

すでに。


・・・・・・・・・・


大人に憧れるのでなくまじりけのない疑わなさで大人になれと説き
子どもであることの苦悩を鼻で笑うようになったなら、そのときは

あなたはあなたの子どもをすべて
抹殺できたということでしょうか



2003年05月01日(木) 年の経る

としのふる、と読んでいただきたいところ……漢字は合っているのかしら?
わかりません、昔とった杵柄こと古文の血が泣きます。

ともかく。

高校のときの友達が入籍をしたそうです(結婚式ではないようです)
と言っても彼女とは思い起こせば小学校二年生のときからの付き合いなので
ええと、数えるのが一瞬面倒なのですがたぶん17年ほどのお友達。
密接に関わりを持っていたのが高校の三年間プラスそれ以前以降の数年間、
というだけで、ただ25歳にすぎない私には、これはもう一生に近いです。
なにしろ小学校二年生、
7歳以前なんて……
記憶にはあるけれども夢と紙一重のような世界です。
私がまだ神様だったらしいとき!?

そんなわけで、入籍しましたのハガキが舞い込んだときは
ノスタルジックに振り返りながらおめでとうと思いながら
複雑にさみしさを味わいました……
同学年といえどもほぼ丸一歳ほど年は違いますが。

ただ……

もしかしてこれってば小説で言うなら行き遅れ?(??)

ルイザ・メイ・オルコット女史
(関係ありませんがこの女史という呼び方をわたしは妙に好きです…)の書いた
若草物語の続編「第二若草物語」(三部作なんです実は)の中で、
だいたいストーリーを通しての主人公であるマーチ家の活発な次女、ジョーさんが
末の妹の婚約祝いのあとに、ひとりぐったりと呟くシーンがあります。

「老嬢……わたしはまさにそれなんだわ」

ちなみに老嬢は「オールドメイド」と読んでください。

つまりお嫁に行かないで家にいる年取った女の人のことをこう呼びますが
(結婚していないゆえに「お嬢さん」と文字が付くのは少しものがなしい)
このセリフを吐いたとき、ジョーさんは25歳です。

ちょっと待て。
25歳。

いちおう私は25歳ということになっています。
(精神年齢は明らかにひくいです……)

……昔に生まれなくてよかったと喜ぶべきなのかしら。

赤毛のアンの腹心の友のダイアナが婚約したのって19歳の時なんですよね。
ちなみに結婚は21歳です。
そういうくだらないことはきっちりとインプットされている頭脳。
昭和35年出版、などと堂々と奥付に印刷されている古い新潮文庫を
母から譲り受けて読み漁った毎日のおかげか知れず。
文庫本が一冊100円そこそこで買えた時代。


適齢期とかそういうものは視界の余所に蹴飛ばしておいて
結婚なんていう文字は私の人生計画にはない!
と十代の頃より言い切っていたし、今でも言っている(……)けど
それはともかくとして
誕生日を迎えるとか大学を卒業して学生を辞めるとかそういうことよりも
年をとったんだなあ、、、と
思いのほか(たぶん生まれてはじめてくらいに)
しみじみと考えてしまった瞬間でした。

ただ、そんなによい性格にできていないので
あーあ友達が結婚なんかする年になっちまったぜ、というのが
ただしいような気もしますが。


眠れなかったので早朝未明にぶつぶつと呟かれた日記。
睡眠薬を処方どおりに飲んでも寝付けなくて夜を明かすということが
三日に二日くらいの割合になってきました。
ここまで来ると生活習慣の問題で
オクスリの効き目がどうとかいう話じゃないなあ、と思います……
折しも、連休に突入。
前に通院したときに連休中の休診日が待合室に貼ってあったのに
まるで放心していてメモを取ってこなかったので(やっぱりダメ患者…)
お休みが終わるまでは手元のものでしのごうと思っています

どう見ても、約一種類、明らかに足りていないものがあり
これはどうしたことだろうかと……飲みすぎた憶えはないのに。

飲み足りなかったことはあっても飲みすぎたことはここ半年以上ないと思う。
それだけは威張れるかもしれない……程度が低いけど。


処方箋メモ:
 トレドミン 25mg×3
 デパス 0.5mg×3
 ハルシオン 0.25mg×2
 サイレース 2mg×1


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

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