(文中敬称略) 佐々木倫子の「月館の殺人」(原作・綾辻行人)が完結しました。 月刊「IKKI」の連載自体は、少し前に終わったのですが、 先ごろ、“解決編”とも言えるコミック下巻が発売になり、 一つの区切りがついたのでした。
私はミステリーファンでもテツ(鉄道マニア)でもないので、 まさに、「佐々木作品を楽しんだ」というのが 読後の感想です。
沖縄在住の女子高生・空海(そらみ)は 生まれてこのかた、 鉄道系の乗り物に乗ったことがありません。 父親はパイロット(既に死亡)で、 母はある事情から、鉄道を嫌い…というより憎んでおり、 空海には、 九州の温泉への招待券ゲット、 本州への修学旅行など、 何度か鉄道利用のチャンスがあったにもかかわらず、 ことごとく、母親の妨害でおじゃんになってしまいました。 沖縄唯一の鉄道である ゆいレールにすら乗ったことがありません。
高校卒業を前に、その母親も死亡。 これで天涯孤独の身の上か…と思いきや、 実は、母方の祖父が存命で、 北海道にいることが発覚しました。 彼女にその事実を伝えるために訪れた弁護士は、 祖父に会い、ある条件を受け入れれば、 祖父の遺産を相続できると言います。 遺産云々はともかく、「お祖父様に会ってみたい」と 空海は北海道へと旅立ちます。 そこで彼女を待っていたのは、 テツなら垂涎ものらしい寝台列車「幻夜」でした。
初めての鉄道利用に気持ちが高ぶる空海は、 そこで、今まで接したことのないテイストを持つ 6人の乗客(全員男)に出会います。 つまり、全員筋金入りのテツでした。 鉄道に関し、とんちんかんな発言をする彼女に 「そんなことも知らないのか〜」と責めたてる男たち。 ただ1人、日置という男(藤木直人似)だけは 空海を優しくかばいます。 物柔らかでいて頼りがいのある日置に、 空海はほのかな恋心を抱くのですが、 なぜか日置は、自分のコンパートメント内で 殺されていました。
………ネタバレ防止のため、 これぐらいのところまでしか話せませんが、 ここに、その頃首都圏で何件か発生した 「テツ連続殺人事件」などが絡んできます。
「犯人」はそう意外な人物ではなく、 トリックというべきものも特になく、 ミステリーに造詣が深い方にとっては、 いろいろと文句があったようですが(某掲示板参照) ディテールをまじめに緻密に描き込めば描き込むほど 妙なおかしみを醸しだすのが佐々木ワールドのよさですから、 そういう点で、非常におもしろい作品だと思いました。
と言いつつ、 凄惨な描写にちょっと引いたところもあり、 次(の佐々木作品)はもっとのんびり、ほのぼのした話が 読みたいなあと思ったのも事実です。 例えば、ある業界に材をとると、 単なる素材頼みのハウツーものに陥ることが多いけれど、 佐々木さんがその手のものを描くと、 とにかくキャラクター設定や動かし方が魅力的で、 テーマなんか、どうでもよくなるくらいおもしろい… と、少なくとも私は思います。
中学時代、どういう話の流れかは忘れましたが、 ある教師から、 「お前は将来、コンイロッカーに子供を棄てる」 と、授業中に言われたことがあります。 このことについては未だに業腹で、教師の実名も明かしたいとこですが、 自分のプライバシーにもかかわりそうなので、やめときます そして、「こんなこと覚えているのは、言われた本人だけ」 と相場が決まっているので、エピ自体は別に隠しません 村上龍の問題作「コインロッカー・ベイビーズ」が上梓されたのは この少し後でしたが、 まあ、そうしたことが社会問題化した時代だったことが 窺われます
こやつは成績優秀だった私の兄を気に入っており、 平生から、私にだけ教科書に載っていないようなことを聞いたりして、 「お前は○○の妹なのに、ダメだな」 としゃあしゃあと言うタイプだったので、 正直、また何か言ってるよと聞き流してしまうところでした。 私は確かに兄に比べたら劣ってはいましたが、 そのクソオヤジの担当科目は、 それまではむしろ得意な方だったぐらいです。 褒められると調子に乗り、けなされるとヘコむ、 要するに、常に「私のことは放っておいて」タイプの私は 当然その学年において、その科目を勉強する気を失いましたが、 それから20年以上の歳月を経て…… まだ、2人の子供のいずれも棄てておりません。 犯罪者になるのは気が進まないし、 これからも棄てはしないでしょう。 ビンボーで欠点だらけで、 十分なことをしてやれる自信は全くないけれど、 せっかく縁あって親子になったんだから、 一緒に人生を楽しんでいけたらと思っています。 それにまあ、ぶっちゃけ2人ともかわいくて仕方ないし。
特に「だれ」を個人攻撃する気はありません。 私には、 今思うとあれはいじめだったかもしれないという記憶あっても、 明確にいじめられた経験はありません。 トラウマみたいなもんは、人並みに抱えてはいます。 挫折や絶望(というか、「ひどいガッカリ」程度)を味わいつつ、 今までいいこともいっぱいの人生でした。 要するに、ごく普通の当たり前の人生ってことです。 子供を棄てる人々の過去に何があって、 どんな因果関係でそうなっちゃったのかは知りませんが、 とにかく、「私は、棄てない」。これだけです。
窓を開けても、うっそうとした栗林に邪魔されて、 光など入ってこない。 マザー・テレサが「暗いと不平を言うよりも…」と言うまでもなく、 暗ければ、電気をつければいいのだが、 5歳児の身の丈では、電灯の紐に手が届かない。 誰かに頼もうにも、頼める人がいない。
せいぜい6畳の部屋だろうが、何も家具がないことと、 5歳児の身の丈のせいで、尋常でなく広く感じる。
「これで遊んでいて頂戴」 そう言って手渡されたのは、 何やら反故にしたような書類の裏紙と、 なぜか緑と紫のサインペン、 それに、その家の「高校生のおにいちゃん」が 定期購読しているらしいマンガ雑誌の バックナンバーだった。 与えられるおやつはいつも、 糖衣した豆とか、五家宝とか、海苔巻あられとか、 5歳児にはいまひとつアピールしない、地味な顔ぶれだった。 おまけに飲み物がないので、少し食べにくい。
時々女将さんが、 「お風呂に入ろう」と声をかけてくれた。 昼間の大浴場は明るくて快適で、 近所の商店や企業の名前が入った鏡とか、 黄色い洗面器とかが、目に楽しい。 何より、何時間ぶりかで「光」を感じたのが嬉しい。 女将さんに背中を流してもらうと、 石鹸のにおいがなぜか眠気を誘った。
仕事を終えた祖母が、私を半分無理やり起こし、 家路につくのは、いつも5時ぐらいだったか。 バス亭まで大人の足で5分以上、 さらにバス停四つ分と、そこそこ距離のある我が家まで、 “しまつ屋”の祖母に手を引かれ、帰っていったものだ。 「どうしてバスに乗らないの」「バスはお金取られるよ」 どうしようもない正論だ。
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上記の文章は、中勘助の「銀の匙」ではなくて(誰が間違えるかっ) ユリ・ノキマリの「二色のペン」です。 時代設定は、1970年代前半とお考えください。 主人公は、ちょっとシャイな5歳の女の子です。 ……つーか、ほぼ自分の体験談です。 幼時体験にありがちですが、「今にして思えば」ということも まるで当時悟っていたかのように書いてあります。 若干の記憶違いもあるかとは思いますが、 このことについては、 母も祖母もほとんど話題にはしなかったので、 大人から植えつけられた記憶でないことだけは確かです。
祖母は当時、60をちょっと出たくらいでした。 家から中途半端な距離にある小さな旅館で、 なぜか短時間のアルバイトをしていました。 今にして思うと、知人の手伝い程度だったのだと思います。 たまたまその旅館の近くに私の通う幼稚園があったため、 私も祖母のバイト期間中、 経営者の居宅の空き部屋で過ごしていました。
おとなしくて手のかからない子、と さまざまな大人たちに言われる子供でした。 今にして思うと、あの少々特殊な体験が、 私のオタク気質育成に一役買ったとしか思えません。
私は二色だけのペンで、かなりさまざまな絵を描きました。 自分の頭の中だけに、表現できない何百もの色彩があって、 そのすべてを紫か緑か、 どちらかに割り振って描いていたのでした。
不思議なのですが、この出来事は自分にとって 「よくも悪くもない思い出」です。
父も母も祖父も働きに出ていたので、 もともと祖母が面倒を見ていてくれましたが、 その祖母もバイトとなれば、 私の面倒を見る人物が家に不在になります。 そこまでしてバイトしてたってことは、 あの頃うちは結構ビンボーしてたんだろうなと 想像に難くないのですが、 子供だから、そういう認識もないし、 その旅館に連れていかれることを、 楽しいとも嫌だとも思っていなかったことを 今も思い出します。 地味なおやつや、読み飽きたまんがは嫌だったけれど、 女将さんとお風呂に入ったり、栗拾いをしたりしたのは そこそこよい思い出です。
その旅館のあった場所ですが、 10年くらい前には既にマンションが建っていました。
本当は、「オトナの事情」というタイトルで、 全く別のことを書こうと思ったのですが、 今日は何となくこれで終わります。
私はつい最近まで、 お笑いコンビバナナマンのボケ、 設楽統(したら・おさむ)君の名前を 「したら・すべる」だと本気で思っていました。 目つきが悪くてイジワルそうなところが持ち味の人なので、 「俺がスベるなんてあり得ないぜ」といわんばかりの、 いい意味でのふてぶてしさで、 本当にその名前だったらおもしろかったのに。 おまけに、その名前を一度もネタにしないなんて、 なんと清々しいことか。
……今日も「1日1時間半」ノルマペースです。 (大体テープ音声を10分入力するのに25分〜30分 見直しは1〜1.5倍ってところかなあ) 根を詰めるとしんどいし、ぼーっとしていると眠くなるし、 自宅だから、気を抜くと「ちょっと仮眠!」のつもりが 2時間超えてたりする。 実時間だけでははかれない、 「緊張と緩和」のバランスを要求される、 それが、このテープ反訳の仕事だと心得ております。 調べ物も結構あるから、中途半端な時間にウェブに入り込んで、 日記書いたりしているわけですが。
夕方までには何とかノルマをこなし、 「腕痛いけど頑張った」できるようにします。
2006年07月07日(金) |
疑問を抱かない生き方 |
スーパーなどでお買い物をします。 合計金額が「1,686円」だったとします。 お財布の中には、千円札と小銭がそこそこ。 ただし、きっちり出せる準備はありません。 そんなとき、あなたなら、幾ら出しますか?
私はもうすぐ38のおばちゃんなので、 1,000円札2枚と、端数の足しにと思って 計「2,090円」出しました。 これでお釣りは「404円」来る……はずでした。 なぜ「おばちゃんなので」とわざわざことわたったかというと、 この出し方すると、コンビニの若い従業員さんなどで、 キョトンとする子がたまにいるからです。 どうやらこの出し方は、おばちゃん流のようです。 どうせレジが計算してくれるんだから、キョトンとすることもなかろうに
が、レジのおねーさんは、意外なことに 「384円」返してくれました。
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二つ前のパラグラフで、私はウソをつきました。 本当は2,070円、何の疑いもなく出していました。 何のことはない、ぼけーっとしていたので、 合計金額を「1,668円」だと勘違いしたのでした。
しかし、ここでまた疑問が……
あのおねーさんは、何故私から「2,070円」受け取ったのか? いま少し年季の入った感じのおねーさんだったら、 「あと20円お持ちじゃないですか」とか、 「100円はありませんか」とかと、 ツッコミを入れるシチュエーションです。 くだんのおねーさんは、うら若い女性だったので、 それこそ、「何でここで70円?」と、 ここぞとばかりにキョトンとすべきだったのでしょう。 なのに、その素振りもなく、事務的にお金を受け取り、 レジがはじき出したお釣りを返してくれたのでした。
正直この店では、最低何か一つ不愉快な思いをすると、 いつも半分覚悟(諦めまじり)して買い物するほどなのですが、 このおねーさんの、余りにもビジネスライクな態度は、 いっそ清々しいほどでした。
ま、無理やりオチをつけるなら、 私の財布に小銭がちょっと増えちゃったというだけの話です。 せっかく読んでくださったのに、地味ですみません。
2006年07月01日(土) |
ザ・プラン9「編集者竹一平の苦悩」 |
常連・竹中絵里(名コメディエンヌ)と チョップリン(松竹芸能)の2人を迎えた ザ・プラン9の18本目の単独公演です。
今回は、浅越ゴエ演じる若手編集者「竹」一平初め、 おのおのの役名が出版社の名前にちなんでいるようですが、 「弁斗とジェッ太」同様、作家の作品を 劇中劇で表現するというスタイルをとっている上、 どちらかというと、そちらの方がメーンに見えるので、 1人が何役もこなし、 この人はこの役(名)というのが特定しづらくなっています。
強いていえば… 平凡直人(お〜い!久馬)の恋愛小説 浅井ミラ(竹中絵里)の戦争もの 角川惠司(ヤナギブソン)のミステリー 庄野文春(なだぎ武)のSF 筑摩明郎(鈴木つかさ)の童話 この5人の創作が軸になり、 SFのくだりでチョップリンが登場します。 それぞれに、イメージした作家がいるのかいないのか、 その辺はわかりませんが、 童話を書くおネエキャラの筑摩というのが、 1980年の上半期に直木賞を獲ったS氏っぽいです。
おもしろかったし、 最後にびっくりのオチをつけているのか いつもながら久馬さんらしいのですが、 残念ながら、ベストというわけにはいかない 作品だった気がします。 ネタバレにつながるので、明言できませんが、 ラーメンズの「小説家らしき存在」を どうしても連想させるストーリーでした。 ↑気になる方は、空白をマウスでこすってみて!
ところで、 プラン9客演で竹中絵里ちゃんを見たのは、 これで3本目ですが、 モンペ姿で戦時の女学生を演じた「アオいアオいアオい空」と、 この「竹一平」での作家役(和服姿)はともかくとして、 現代劇での彼女が、いつも黒いストッキングを履いているのは 何故なのか。というか、一体誰の趣味なのか。 最近、法事でもないのにあれ履いている女性は余り見かけません。 と言いつつ、私が通っていた高校は、 夏期以外は黒ストッキング着用と校則で決まっていたのですが、 私はプライベートでも結構気に入って履いていました。 そして、そういう子は私だけではなかった気がするのですが、 それを11歳年下の女の子(最初のルーズソックスブームの頃高校生だった)に話したら、 軽く引いているのがよくわかりました。 私の死んだオヤジなんぞ、「ヨーロッパの娼婦みたい」とか言ってたしなあ。 あんまり清々しいアイテムとは思えません。
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