カエルと、ナマコと、水銀と
n.446



 勾(こう)

=勾(こう)=

そうです、君。昨日のこと、忘れてしまう前に、一度言わせて。


=滞楼=

窓ぎわの席の君が、あくびをかみ殺しているのを見た。長い、空の時間で進む空間に、誰もいないかのような空白。ノートの上を滑る黒炭の音。すりきれて、消費されていく。真夏の熱温が、地面を這う昆虫をいたぶるように。休符ばかりが増えていく日常に、Fのコードを鳴らす。僕はセーハができない。カポをつけたネック。君の手首は美しい。シャープペンシルは、図形をなぞる。丸の中身を、丹念に塗りつぶしていく。端から順に。順に。一分の隙間も開かないように。完璧への向上は、退屈と対比され、いささか間の抜けた、低音の響かない、中域音のだけのベース。あくびが、僕にうつった。僕はきみに幻麗を投射した。洗練が、ため息をつく間もなく。消失。むしろ、焼失。僕は、焼け崩れていく最後の屋根瓦を見つめる。せつなさに似た感情だ。失われていく、一呼吸ごとに。失われていく、十二月の太陽のように。−滞楼−


=楡/流=

遊郭山に飲み明かす。寧礼。朱雀の杯の上で、花弁はたゆる。ふみそやかな袂を寄せる。それは、大陸の風が鳴らした胡弓の音色。いつのひにでも、みたら。いつの日にでもそこに。滞楼した香の香気が、大河をひらい、逗留した袈裟の禅僧。雨は、大地の恵みとなりぬ。甘果。その雫、垂れた先に映るのは、湖面の波紋にたわんだ青月の像。まだそこで、しばしの時を。

2008年07月27日(日)



 がらふ

=がらふ=

ぼやり熱気の平寧。見たよ。見た。やられた頭が、それを追う。取りこぼしては一から、一つ。順を追えば鮮明さが消えていく。僕は、いま、なんのイメージもなく書いているけど。その時は見えてたよ。シンプルさが、笑いそうだ。夢をつづった日記のように、順を追って並べられた子供たちがささやくんだ。右見て。右見て。あ、次は左だよ。その次? その次? 次はね、君のめを月のうらがわ遠くへ持っていく。海からの見て。空から見て。個に戻れば、すべてを見渡せてる。においがする。人工的な、あの、虚構。土の匂いって嗅いだ事ある? 記憶を捜して。太古の記憶でもいいから、芋虫だった君は、葉にしめった水滴の美しさを、快晴をバックに見たのではないの。美しかった。美しかった。ひとつだけなんだ。忘れないように、美しさを、ぼくにだけわかる、その瞬間のぼくにだけわかる文字で書いたんだ。今残っているのは、まだ、熱気と、汗に蒸れた青いシーツの感触。陽だまりの香り。これは、その、人工的だね。



2008年07月14日(月)



 メークフォンの角笛

=メークフォンの角笛=

それをそこに置いたとき、赤と黒の夕暮れ。サバンナに沈む奇跡の夜空を見上げた二つの瞳。弧を描き流れ落ちる星のように。左薬指に瞬く幸せのように。パンの耳をついばむ鳥たち。海の香りがしてくる。蓄音機についたラッパ型の増音装置が、潮騒に吹かれた風を拾って、幾年もの荒波に洗われた木製のダイニング。香り高き、珈琲が沿えられている。
君は右手の二指でリズムを打つ。そこからは海が見えるよ。窓際の棚のそこに、なにかそれが置かれていたようす。
 そのおかげで、浜辺で遊ぶ小さな子どもたちが見える。



2008年07月13日(日)
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