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■ ミシマのマイルド
=ミシマのマイルド=
煙草屋の、失われたおばちゃん。たぶん、しっくい壁に木の外装。木材は古めかしく、静かに黒ずんでいたと思う。目を閉じて、その外観を思い出そうとするけれど、僕の記憶はあいまいだ。「たばこ」って、赤に白抜きの看板があったと思う。もしかしたらそれも薄汚れていて、パッと見ただけじゃ識別できないかもしれない。煙草の自動販売機なんてものは置いてない。おいてないんだけれど、他のお店にはそういう大きなのが、どんって、置かれているから、そのおばあちゃんの煙草屋さんはその陰に入ってしまって目立たないのだ。とにかく、そのお店は町の一角に静かにたたずみ、注意して通らないと見逃してしまいそうで、きっと何も知らない人なら、そこに古い煙草屋さんがあることなんて知らない。知らないから、きっと、突然の夕立とかが起こって、傘を忘れた会社帰りのサラリーマンが「天気予報晴れって言ってたのになぁ」なんて呟きながら、とりあえず逃げ込んだ先の軒先。そこに煙草屋さんがあるなんてまったくもって思いの外だから「夕立ですねぇ」っておばあちゃんに話しかけられて、その人はちょっとドキってする。とりつくろって、彼は、ポケットからハンカチを取り出して、スーツについた水滴を払いながら「天気予報晴れだったんですけどねぇ」って、白っぽい空と時間がなくなったみたいに誰も通らない、車だけ飛沫をあげて通る道路を眺めながら言う。 「傘貸しましょうか?」古き良きたたずまいでおばあちゃんが言うから、その若いサラリーマンは今おばあちゃんに気付いたかのように見つめて、「いやいやいや」と断ったりするけど、結局おばあちゃんから傘を借りる。バッ、と傘を開いて、おばあちゃんに礼を言いながら「明日返しにきます」と言ってそこを後にするんだけど、夕立ちは夕立だから家に辿り着く頃には止んでいて、もう、少し気持ちの良い晴れ空さえ入道雲の間からのぞいてる。彼は若いけれど、家族がいて、奥さんが「おかえり」と彼は「ただいま」すぐさま自分の小さな赤ちゃんの顔を見に、リビングに走って行って、少しあやして、シャワーを浴びて、着替えて、タオルで髪を拭きながらリビングに戻って来て、赤ちゃんを抱いてテレビをつけると、傘のことは忘れてる。天気予報なんかがやっていれば、彼は思い出すけれど、きっと彼は、もう煙草屋さんを見つけることが出来ない。 そのくらい、見つかりにくい煙草屋さん。僕自身、そこをどうやって見つけたかなんて奇跡のようなものだ。いつかその話をするのかもしれないけど、今はとりあえず置いておく。見つけた僕は、ちょっぴり煙草を吸うまなびーを誘ってみて何とか探し当てると、まなびーも「なんだこりゃ」と驚いて、何回か煙草を買いに来ているうちにもう僕は場所を覚えてしまった。けれど、覚えているはずだけれども、そのお店の様子を説明しようと記憶を探しても、全体的な印象しかなくて、すごく曖昧だ。 おばあちゃんがいて、煙草がうず高く積まれている。 窓口のちょっと奥にはほんの畳一枚か二枚ぶんのスペースがあって、その畳の上に座布団を敷いておばあちゃんが座っている。そして、中には大量の煙草のカートンたちが古めかしく、建物に同化したように居座っているけれど、もっと昔からそこに居て、小さくなって、うたた寝したように黙って座る煙草屋のおばあちゃんはどこになんの煙草があるのか全部しっている。 僕とまなびーはたまにやって来て、セブンスターやポールモールのメンソールをいつも買うんだけど、そのたびに中に積まれているカートンのパッケージを見ると、なんて表現したらよいかわからないほど風変りな銘柄が置かれている。きっとおばあちゃんがお店を開いたときに入荷した銘柄とか、そういう古い煙草がそのままになっているんだろうなって思って、今日は、ちょっとまなびーとふざけて適当に考えた名前の煙草を頼んでみた。 そんなことをすると、おばあちゃんは「ミシマのマイルドなんてあったかしらねぇ」「いつごろの煙草かしらねぇ」「昭和二十年ごろのらしいです」「へぇ、大正ねぇ、それならここらへんね」なんて呟きながら探してるのをみて、やっぱり僕もまなびーもなんか申し訳なくなってきて「あ、やっぱりセブンスターで…」「あ、やっぱりポールモールの緑で…」なんてうなだれながら言いかけると、「あ、あったわよ」おばあちゃんの手には見たことのない古めかしい赤いパッケージが二つ握られてるのだ。「マジ!?」と二人して顔を見合わすと、おばあちゃんは目を細めながら昔の記憶を語りだす。 「これねえ、思い出したわ。これねえ。懐かしいわ。懐かしいねぇ、昔ねぇ、ミシマばっかり吸ってたから私たちはミシマさんって呼んでたんだけど、本名はわからないのよねぇ、あら。歳はいくつくらいだったのかねぇ、若くも見えなかったけど、老けても見えなくて、子どもみたいな目をしてたのは覚えているんだけどねぇ。よく吸ってたのよねぇ。髪はいがぐりで、変わって、ひねくれてたけど、ミシマひとつお願いします、って可愛らしい目をしながら言ってたわ。懐かしいねぇ…」 話がやむと、おばあちゃんは「お代金は三円と五十銭になります」というから僕らはなんにも言えず二人で七円を払う。 煙草屋をあとにしながら、僕はその煙草を頼む人なんてどんな人だったんだろ? って思いながら、まなびーは「三円と五十銭って!いやー、いやー、消費税込みかな」なんて呟きつつ歩き、「吸ってみる?」「う、うん」と紙のパッケージを破ると、両切りの煙草一本一本にはなにやら文字が書かれてて、「なにこれ?」「大いにウソをつくべし」「うわ、なんじゃこりゃ」「お見合いでたかるべし」「ひねくれてる…」「人のフリ見てわがふり直すな」「ひ、ひねくれてる」一本一本取り出して読みあってると、いつの間にか分かれ道がきてるから、「じゃあまたね」「次の練習は木曜日?」と二人はすたすたと別れる。 一人、夕焼けの土手を歩きながら、ミシマを一本取り出して加えてみると、寄り目がちな目に「人に頼り、人に頼られるな」と文字が飛込んでくる。火をつけて吸い込んでみると、フィルターがないから、ひねくれた味の煙に蒸せそうになってゲホゲホ。もう一度吸い込んで「人に頼り、人に頼られるな、ねぇ」と煙を吐き出しながら呟いたら、なんだかもっともらしく響いた。なるほどねぇ。なんだか、僕自身のことを言っているような気がして。 とりあえず夕焼けに煙をぷかりぷかり。 僕はカラスが「あほー」って鳴いているのか、「むせきにーん」って鳴いているのか分からないわけですよ。
2008年06月16日(月)
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