カエルと、ナマコと、水銀と
n.446



 真っ白な混乱

=真っ白な混乱=

目を見て、切実だとボクはたじろいでしまう。目をまっすぐ見ることもできないし、自分が何を考え何をいわんとしているのかさえ分からなくなる。だから、ボクは目を見ない。おなかの辺りを見る。「ああー、そうなんだ?」「へー」「いいねぇ」なんて、軽い調子で言いながらさりげなく視線をかわす。もちろん、「視線を交わす」のほうじゃなくて。切実な視線は、ボクの中身をかき混ぜてしまう。白いモノが静かに沈殿しているはずなのに、かき乱されて、真っ白に染まってしまう。だから、目は嫌いだ。目は、心に響いてくる。


=婉曲説明=

ふわり、と、浮かんだイメージはすぐに表そうとしない限りすぐ消えてしまう。もやのようだ、とは言うけれど、ボクは夢のようだ、と言いたい。ちょうど、思い出せそうで思い出せない、あの、不思議な感覚だけ残っている状態と同じ。つまり、ボクは、何を書こうとしていたか思い出せずにいるわけだ。

2004年06月14日(月)



 マッキーペンで描いた空

=マッキーペンで描いた空=

がーって、空を見上げたら真っ青に色づいていやがった。
こういう日に限って、やる気ナシ、遊び行く友達ナシ、やることナシ。九時前に起きた休日っていうもんは、イイ一日を予感させるから大好きだけど、今日は全く暇なんだ。片っ端から男友達に送ったメールは「俺、今日は無理」の一文だけ、女の友達に送ったメールなんか返ってきやしない。このまえ彼女にフラれたばかりだし、あいつはカナリ怒ってる。さて、どうしましょうか。
じーっと、風に揺れるレースのカーテンを見てたら、不意に海に行きたくなった。そういうのって、たいがいすぐに失せてしまうもんだから、ばばって準備して自転車をこぎ出した。太陽はギラギラ。やっぱりすぐにだるくなるわけだ。蝉の音が頭の奥に響いてきて、クーラーのコンビニに逃げ込んだ。だいたい、一人で海に行くってカナリクレイジーだと思うんだよね。
海。海。海。港へ来たのは良いんだけど、やっぱりすることなし。とりあえず、タバコを一本吸った。陽炎の中に混じってる百円ライターの炎は暑そうだった。途方に暮れて、がーって、空を見上げたら真っ青に色づいていやがった。
そんな日もあるさ。

2004年06月12日(土)



 幸せの「blue bird」

=幸せの「blue bird」=

私、幸せの「blue bird」を待っているの。お庭のあの白檀の木に止まって、私に幸せをくださるのを待っているの。いつも、お天道様にお願いをするし、朝食のパンを一欠片ちぎって幸せの「blue bird」のためのにとっておくの。幸せの「blue bird」だって、そういつも暇って訳じゃないって言うのは分かっているのよ。でもね、もうすぐよ。もうすぐ来るって、私にはわかるの。だから、こうして、雨の日にだってやってくるかもしれないから窓の枠に頬杖をついて見つめているの。幸せの「blue bird」。白檀の木にはいろいろな小鳥さんたちがやってくるわ。小さな青い鳥もやってくるけど、その鳥が幸せの「blue bird」じゃないことくら私にも分かるのよ。でも、もうすぐ。もうすぐ来るって、私には分かっているの。幸せの「blue bird」









2004年06月06日(日)



 ノラネコ

=ノラネコ=

どうせなら、賢いノラネコになって生きてやろうと思う。きっと賢いノラネコになるのはそう簡単じゃない。おデブな猫になるなら、寂しそうなおばあちゃんにすり寄って家の中でゴロゴロしてれば十分だし、野蛮なボス猫になるためには、ひたすらケンカを続けてればいい。可愛い飼い猫になるのだって、一日中毛繕いしてればどうにでもなる。でも、賢いノラネコは違う。なんたって賢いんだ。「このおっさん、弁当食べてるけど、俺にもくれるかな? くれくれおっさん」なんて、おっさんに近づいていったら、さぁ、おしまいそのおっさんは猫が大嫌いで蹴り飛ばされて死んでしまうかもしれない。今度は反対に、「駄目だ! 危険だ。危険だ」と、ただ逃げ回っているだけではなかなか残飯以外の食にありつけない。そこには微妙な駆け引きが必要とされる。ただ猫なで声を出して手を伸ばしてくる優男がイイ人間とは限らない。腹の中で「この猫をどうにか捕まえて、切って、殺して、埋めてやれ」なんて思ってる異常者かもしれない。またまた、ねじり鉢巻きの魚屋さんはサバを盗んで逃げたら出刃包丁片手にすごい剣幕で追ってくるけれど、実は余った魚だったら恵んでくれる優しいおっちゃんかもしれない。そう、そこには、難しい駆け引きが必要とされる。よくギャンブラーはこう言うんだ、「負けたり、買ったり、騙されたり、騙したりするけど、最終的な勝ちって言うもんは、『どれだけトータルで稼いだか』なんだ」って。どうにか、ちっちゃな傷を身体に刻みながら、なんとか『稼ぎ』を得なければいけない。傷だらけになりながらも、最後は笑うのが賢いノラネコってもんだ。
そう、どうにか、ボクは生き抜いていかなければならない。

2004年06月05日(土)



 目を凝らして、耳を澄ます

=目を凝らして、耳を澄ます=

耳をすまさないと、文章はやってこない。きっと周りには多くの文章がコロコロと転がっているのだろうけど、人々はそれらを感じることなく生きている。普通に生きているのとは違う次元に文章は落ちているから、耳を澄まして、息を止めて、目を凝らして、匂いに注意して、じっと見つけだそうとしない限りなかなか文章は見えてこない。その文章がへっぽこであったとしても、それはそれでしょうがない。小説はそんな文章を見つけて紡いでいく作業だけれども、散文は違う。一塊り、落ちているのを拾って持ち上げるだけ。それだけだから、案外心地よい。


=雨=

音楽室から聞こえてくるラッパの音がアルファベットの音に聞こえてくる。ビービー「B」ティッティッ「T」ピーピー「P」気分が良くなった。梅雨の合間の晴れた空が覗いてて、水たまりは光ってる。気分の良い雨の日だってある。夕方晴れ上がったらなおさらだ。

2004年06月02日(水)



 ボク

=ボク=

気持ちの良い夕方を歩いていくのは、それが彼女にこてんぱんにフラれた次の日だったとしてもなんか嬉しくなってくるもんだとボクは思う。別に綺麗な夕日が見えなくても良いし、虫の音が聞こえなくたっていい。ちょこっと涼しくて、ちょこっと夕方な雰囲気が匂ってたらそれで十分。赤ちゃんの小さな靴下が干してあったり、大きく開いた窓から四畳一間の部屋に扇風機が回ってたり、そんなの見えちゃったらウキウキしない?

ちょっとも動きたくなくなってしまうこともあっていいかな、って思うのは惰性だろうか?イスに座って、なんとか体育座りをしてみたら、急に世界がちっちゃく見えてきたから全く動きたくなくなってしまった。

「糞野郎だよ、おまえ」言ってしまってから多少は後悔するものの、別に訂正する気は全くない。別に実際関係ないことだしね。一人でやっていこうとか本気で思えば何とかなる。とりあえず、今は、何か本を買って読みたい気分なんだって。ちょっとでも洗練された文章を読んでいりゃ、腹立たないですむからね。洗練された音楽って何度聞いても飽きないけど、洗練された文章はなんでか限度があるきがする。音楽聞くみたいに、何十回ってリピートして本読んだりしたら絶対ゲロ吐いちゃうね。

頭がおかしいんじゃないかって自問してみたりするけど、そういうのってあんまり意味がない。どうしてかっていうと、もしおかしかったらそんなの考えたって正しい答えは出ないだろうし、というか、おかしいって意味が分からないじゃないか。

実際ほんとに、どうでもいいんだって。このまま動かなくて死ねるって思うんだけど、どうだろ?試す気も起きないや。だから、そういうことじゃなくて、ボクはこのまま時間が止まればな、って思う。ボクを残して止まるんじゃんなくて、ボクも一緒に止まるわけね。実際それは意味ないかもしれないけど、もちろん時間止まってる時はボクの意識も止まってるから実感としては普通に流れてるのと同じだろうけど、気分の問題だよ。気分の。そういうのってあるだろ?

死ねるときに死んでおかなかったことをいつも後悔するんだけど、やっぱりなかなか死ねない。そりゃそうだ、だってボクは首をつるための縄を買うのだって、手首を切っちゃうのだって面倒でやりたくないからね。でも、だいたい、そういうこと思うのって、気怠い昼下がりだったりする。

そういうのってホントに嫌いなんだよ。だから、さ、やめてって言ってるじゃん。別にいいんだよ、べつにいんだけど、そういうのってやっぱ許せないことなんだよね。ふーむ、確かに、それくらい、君の勝手かもしれないよ。でもさ、そういうのってホントにイヤなんだって。だから、やめて、っていってるじゃんか。

2004年06月01日(火)
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