将来の夢

スポーツ選手やタレントさんが、実は小学校のときの卒業文集に「将来の夢は、○○です」と、はっきり書いていたんですよ…なんて話を、けっこうよく聞きます。
そんな早い時期からしっかりと目標を立てて、現実に叶えてゆくなんてスゴイなぁ…と、根気のない私はただただ尊敬してしまいます。
私の場合、一般的に女の子の夢と言われていた(苦笑)結婚に関しては当時からあまり願望がなく、ちっちゃい子と遊ぶのは好きなんだけれど、自分が母親になって我が子と一緒に暮らしている姿は不思議と想像できませんでした。
そんな私が描いていた将来の夢は、「縁側でひなたぼっこするおばあちゃん」。
イメージとしては、母方の田舎の家の縁側に大きな座布団を敷いてその上に座り、目の前に広がる畑を眺めながら膝にのっかった猫を撫でている…といった感じ。
青春も働き盛りもスッ飛ばし、さっさと隠居することを本気で願っていたのです。
十歳やそこらで既に人生に疲れきっていたのでしょうか、私…(苦笑)。
2006年05月21日(日)


呼ばない名前

電車の中で、小さな女の子が甘えた声で「おじいちゃん!」と隣の男性を呼ぶのを聞いて、「ああ、そうか。私があんなふうに誰か(祖父)に呼びかけることはもう二度とないんだな」と突然気づきました。
たとえば今日は母の日だけれど、生まれてから一度も「お母さん」と呼んだことのない人だって世の中にはいらっしゃるはずで。
子供の頃の私は、その年代の女の子の多くが憧れるように「お兄ちゃん」が欲しくてたまりませんでした。だけど私は長女だったので、「お兄ちゃん」と呼べる存在はその後もずっと持てないまま。
仮に呼ぶべき人がいたとしても、何らかの事情でもう会えなくなれば、その名を呼ぶこともなくなってしまう…というか、呼べなくなってしまう。
今まであまり意識したことがなかったけれど、それってすごく寂しいですね。
「お父さん」「お母さん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「うちのダンナ」「女房」…。
たぶんみんな当たり前のように呼んでいるんでしょうけれど、そんなふうに呼べる人が自分のそばに大勢いてくれるというのは、とても幸せなのだと思います。
2006年05月14日(日)

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