写真修復サービス

久しぶりにお店プリントを頼んだら、出来上がった写真と一緒にさまざまなプリントサービスを紹介するチラシが同封されていました。フィルムをデジタル保存(CD化)できるとか、プリクラを写真にできるとか、古いモノクロ写真をキレイなモノクロ写真にプリントし直せる…といったサービスについては聞いたことがありましたが、色あせたり破れてテープで貼り付けてあるようなモノクロ写真を修復し、しかもそれをカラー写真としてプリントできるサービスまであるというのは、今回初めて知りました。
修復料金+プリント1枚で9,000円弱ですので、ほいほいと頼めるものではありませんが、モノクロをカラーにできてしまうことに私は激しく驚いています。
モノクロ映画を観ていて、「このお花、何色なんだろう」と気になることがときどきあります。カラーだったら良かったのに、と思ったりもします。
また両親のアルバムを一緒に見ていて「この建物って何色?」などと訊ねてみても、たいていは本人たちでさえ忘れてしまっているものです。
両親や祖父母が着ていた着物や洋服が何色だったのか、当時の街並みや、今も私たちが目にすることのできる名所旧跡がその頃はどのような色をしていたのか…。写真修復サービスを利用すれば、それらがあっさり判明してしまうわけです。
スゴイ技術があるものだな、と感心します。修復してもらいたい、と思う写真がないわけではありません。だけど、そのときモノクロで封じ込まれた画像を、数十年経った今になって「実は、こんな色だったんですよ」と見せられたところで、果たして嬉しいものかと考えると、私はちょっと疑問なのです。
私にとって祖父母たちは、やはりモノクロ画像の世界の人として記憶に残っているので、それはそのままにしておきたいと私は思うのです。
極端な話、この技術を使えば写真が残っている歴史上の人物の当時の様子も再現できるわけですよね。
たとえば新選組の土方さんのカラー写真を見せられたとして、「うわぁ、土方さんってけっこう肌の色が白かったんだ」とか「意外と色素の薄い髪の色だったのね」なんて情報が仮に明らかになったところで、「…だから?」って程度のことじゃないかと思うんですけどね、私は(笑)。
2006年04月30日(日)


「書く」こと

法事なんてものは、初めて名前を聞くような遠い親戚だったり、私が生まれるずっと前に亡くなった親の親の親だったり、とにかく直接会ったことのない「誰か」のためにお呼ばれする行事…といった感覚でした、子供の頃は。
だけど昨日行なわれた法事は、私の家族のためのもの。家族が半分に減ってから十数年が経過したことを意味する集まり。
読経の途中で突然喚き出したくなるような制御不能な負の衝動こそ治まったものの、だからと言って現実を受け入れることができたわけではありません。別れの前後の奇妙なハイテンション状態にあった自分のことは、今もなお五感にリアルに残っていますし、別れ以前の記憶を過去形で語ることには今でも抵抗があります。
悩み事でもトラブルでも、原因がわかって納得できる形で解決できれば、それは「終わったこと」として自分の中に収めどころを見つけられるのかもしれません。だけど私にとって家族との別れは、十数年経った今でもまだどこにどうやって収めればいいのかわからないままなのです。
私が書くことを始めたのは、ひとつ目の別れの後でした。誰かに何かを伝えるためなどではなく、自分自身のために「書く」という行為がそのときの私には必要だったのです。
以前、大好きな作家・高村薫さんが、自分を動かしてきたのは「わからないこと」で、わからないから書いてきた。書きながら何がわからないことなのかを整理してきた。それが小説を書く作業だった…といったようなことをおっしゃっていました。
それを読んだとき私は、なぜ自分が日記だのブログだのテキストだの…とにかく「書く」という行為にはまり込んでしまうのか、ずっと抱いてきたナゾが解けたように感じました。
ただし私の場合、一生かかっても「わかる」ようにはなれそうにないので(苦笑)、これからもずっとずっと書き続けることでしょう。だけどいつか、今は自分のためだけに使っている言葉を、大切な人たちのために使えるようになれば、そのとき初めて私は書くことを楽しいと思えるのかもしれません。
2006年04月23日(日)


おしまいを決める

昨夜の新庄選手の突然の引退宣言を見ながら、あんなふうに自分の終わりを自分で決めてしまえるというのは、とても幸せなことだなぁ…と思いました。お仕事にしても恋愛にしても、或る日いきなり一方的におしまいを告げられてしまうことは、世の中では少しも珍しくないのだから。
それにしても、新庄選手はカッコイイ。「いっぱいいっぱい」な状態であることを他人から指摘される前に、自ら自覚して口に出してしまえる潔さ。自分でゴールを決めた以上、その日までは何が何でもがんばらなくてはいけない。辞めると決めてもなお最後の瞬間までファンが望む「新庄」に対する期待に応え続けるためには、相当な精神力とモチベーションの維持が必要となるでしょうに。
だけど本当は、誰にでも自分のおしまいのときはわかるものなのかもしれない。自分で自分を幸せにすることができる人ならば。

野球にはあまり関心のない私ですが、今シーズンの新庄選手にはちょっと注目してみたいです。
2006年04月19日(水)


「どっちバトン」

「○○バトン」は、回されるのも回すのも苦手です。…と言っておきながら、過去に回してしまったことがある友人知人の皆さん、ごめんなさい(汗)。
今回、知人のブログで面白い「バトン」を見かけましたので、頼まれてもいないのに勝手に答えてみることにしました。でも先ほども書いたように決して「バトン」が好きなわけではありませんので、基本的には遠慮させてくださいね。

◆黒or白
洋服ならば、「黒」が一番しっくりきます。物事は、白黒はっきりさせたいタイプです。

◆夏or冬
「夏」! 寒がり&冷え性のため、できることなら冬場は冬眠していたいくらい。また不思議と夏には楽しい行事が集まっているのです。

◆甘党or辛党
量は飲めませんが、お酒を飲む雰囲気は大好きです。甘いものはそれほど得意ではないので、あえて選ぶなら「辛党」?

◆綺麗or可愛い
口にする機会が多いのは、圧倒的に「可愛い」。毎日欠かさず何度も言っている(あるいはブログなどに書いている)はず(笑)。

◆ズボンorスカート
家にいるときはジャージかジーンズ、出かけるときもたいていジーンズなので、「ズボン」。

◆ベッドor敷布団
長年「ベッド」生活ですが、お布団の方が落ち着きます。子供の頃は二段ベッドに憧れていました。

◆和食or洋食
和食! しかも最近は、白いごはんとお漬物とお味噌汁…という朝食メニューがお気に入り。シンプルライフ? 歳のせい?(笑)

◆ロングorショート
もうずっと「ショート」です。クセのある髪でしかも量が多いため、ロングにするとボリュームが出てしまって大変なことに。

◆チョコorバニラ
基本的にシンプルなものが好きなので、「バニラ」。

◆走るor泳ぐ
水着を披露できる体型ではないので(泣)、「走る」。ちなみに一番好きなのは、「歩く」。放っておいたら一日中歩き回ります(笑)。

◆数学or国語
「国語」…というか、「数学」を選びようがありません。「算数」時代からず〜っと苦手なまま(汗)。

◆朝or夜
終わってゆくよりもこれから始まるほうが好きなので、「朝」。

◆犬or猫
「猫」。子供の頃イトコの家にいた気性の激しい犬のせいで、今だに犬を見かけるとビビって動けなくなります(泣)。

◆夢or現実
「ドリーマー」か「リアリスト」か…という意味なら、「現実」。冷めすぎだとよく言われます(苦笑)。

◆日本or外国
外国を旅をするのは大好きです(こう見えて、意外と順応性があるので)が、ずっと生活するとなればやはり「日本」かな。

◆はしorフォーク
レストランで両方用意されていたら、迷わず「はし」を選びます。フォークとナイフを前にすると、いまだに緊張します(苦笑)。

●楽器or歌唱
スゴイなぁ…と思うのは、「歌唱」。自分の身体が楽器だなんて、どんな気分なんだろう。

●ふわふわorさらさら
理性を失ってしまうほど(笑)「ふわふわ」なものに弱いです。白くてふわふわだったりすると、もうメロメロ(笑)。
2006年04月12日(水)


お花見

ぜひ一度東京でお花見を楽しみたい…と願い続けて随分になるのですが、桜の見ごろと自分の予定がなかなか上手く合ってくれず(今年の東京の桜は、予想以上に早く見ごろを迎えてしまいましたね)、今年も実現することができませんでした(泣)。
そこで今年の桜休暇(笑)も、例年のごとく日帰りできる地元の桜の名所を訪ねることとなりました。ご興味がおありの方は、ブログを覗いてみてやってくださいませ。

ところで。皆さんは、今年お花見に行かれる(行かれた)のでしょうか?
先日、お気に入りサイトさんのオーナーさんが、「我が家にはお花見の習慣がなかったため、お花見というのはテレビの中だけの行事だと思っていた」…と日記に書いてらっしゃるのを目にして、とても驚きました。
親が特別桜好きだったとか、子供の頃は毎年欠かさずお花見に連れていってもらったわけではないのですが、考えてみると昔から桜が咲いたと聞くとお花見に行かなくちゃ、とごく自然に思っていたような気がします。
…そう。「桜が好き」とか「お花見に行きたい」というレベルではなく、この時期になると身体の奥から激しい衝動が突き上げてきて、ましてや見ごろの時期と晴天が重なったりすると、出かけずにはいられなくなるのです(笑)。
桜の名所は、日本全国あちこちにあります。わざわざ遠くまで足を伸ばさなくても、地元の桜の名所を全て制覇しようとするだけでもおそらく一生かかるでしょう。そう考えると、元気に動ける若いうちに(苦笑)ひとつでも多くキレイな桜を見ておきたい…と焦ってしまうのです。
こんな気持ちになるのって、私だけでしょうか?(汗)
2006年04月08日(土)


明日のために

某出版社さまが自己破産されたというニュースを聞き、とても驚きました。
4月というのは、入園、入学、入社…など、ここから先には夢や希望が盛りだくさん…な気がする「始まり」の月なのに、始まって5日目にして何とも寂しいニュースです。もしかすると、4月1日付けで入社したばかりの社員さんだっていらっしゃるかもしれないのに…と思うと、お気の毒でなりません。
かく言う私も、数年前にお仕事させていただいていた出版社さまが同じような状況となり、生まれて初めての体験にパニクったことがありました。泣きそうになりながらマニュアル片手に必要な書類を作成したり、苦手な交渉をしたり、あたふたしまくったことを今でもリアルに思い出します(汗)。

こうした会社の行方に限らず、友人知人との繋がり、あるいは個人の健康に関しても、「明日どうなっているか」は、全く予想がつかないものですね。
人は何の根拠もなく、昨日から今日、今日から明日へ、同じように日が過ぎてゆくものだと思っているけれど、そんなふうに信じたまま一生を終えられる方は、ごくごく稀なのではないでしょうか。
長年おつき合いしていて絶対的な信頼を置いている相手であっても、些細なことから関係に亀裂が入ってしまう場合があります。最近どうも調子が悪くて…と気になって病院へ行くと、実はかなりヤバイ症状であることがわかり、そのまま入院させられてしまう場合や、もっとひどければ絶望的な告知を受ける場合もあります。

大切な人と永遠の別れをするというのは他に比べようのないとんでもなくつらい体験ですが、そこから学んだこともまたとんでもなくたくさんあります。私のその最も大きなものが、今この瞬間を「楽しい」と思って生きよう…ということでした。
最近読んだエッセイに、こんな話が載っていました。世の中のお父さんお母さんは「我が子のために」と思ってマイホームを建て、そのローン返済のために毎日せっせと働くけれど、晴れて自分の家となった頃には子供は既にその家を巣立った後で、家には老いた夫婦がふたりきり…。そのときになって初めて、子供が親との接触を最も望む時期に「仕事」「仕事」と会社最優先にして家庭を顧みずにきてしまったこと、子供が日々成長してゆく様子を全く見てこなかったことを後悔するのだけれど、とき既に遅し…なのだと。なるほどなぁ…と、目からウロコでした。最近よく見かける某テーマパークのTVCMでも、子供たちが父親に「お父さんとは、今しか遊んであげないよ」みたいなことを言っているので、世のお父さんたちは薄々気づき始めているのかもしれません。
世の中にはいろんな考え方をする人がいるので、目標達成のためにはその過程がどんなに過酷でもかまわない、と強い精神力でがんばり抜くことができる人もいるでしょう。だけど私は、「つらいなぁ〜」「こんなはずじゃないになぁ〜」と毎日グチったりフキゲンな顔を周囲に見せるよりも、いつか目標を達成したときに得られるであろう幸せの何百、何千分の一程度でかまわないので、ささやかな幸せを日々感じながら生きることを選びたいです。そうでないと、不幸にして道半ばで人生を降りなければならなくなったとき、私に残るのはつらかった思い出と、達成できなかった後悔だけになりそうなので。
2006年04月07日(金)


かなしいとき

私はものすごく寂しがり屋のくせに、本気でかなしいときやつらいときに人から慰められたり励まされたりするのが苦手です。本気で心配してくれている友人知人には本当に申し訳ないのですが、私が抱いている悲しみやつらさにどれほど近く寄り添ってもらえたとしても、それをその人と分かち合うことは決してできないとわかって(思っている)いるから、それならば最初からひとりきりで引き受けようとするのです。
たとえば、出産経験のない私には、自分のお腹に子供がいて日々育っている…という状況は、正直言って全くワケがわかりません(苦笑)。母親や友だちの話などから「こんな感じかなぁ」と想像してみることはできても、やはり限界があります。
経験が全てだと思っているわけではありませんが、自分が経験したことであれば、そのときの自分の気持ちを思い出したりして、まだ何か言葉をかけることもできる気がします。だけどそうでない場合、私はその話題に触れることにすら躊躇いを覚えます。そして、ただ遠くから、その人のかなしみやつらさがひとときでも早く終わりますように、心配や不安から抜け出すことができますように、そのときまでその人が気持ちをしっかり保ち続けることができますように…と、願い続けることしかできないのです。
2006年04月02日(日)


オンナの幸せ

またひとり、友だちが離婚を決めました。
私が子供の頃には“離婚”という単語はめったに耳にするものではなかったし、ご近所や親戚にも経験者はいませんでした。子供心に、“離婚”というのは大っぴらにはできない後ろめたいことなんだろうな…と、感じていました。
それが今では、ご近所だったり友だちのきょうだいだったり友だちの友だちだったり…。“離婚”があまりにも身近なことになってしまっている現状に、戸惑いを隠せません。赤の他人ならまだしも、結婚式にも出席して「幸せになってね…」と涙ながらに祝福した友人知人には、やはりさいごまで添い遂げてほしいですし。

このたび離婚を決めた友だちは、ダンナさまにベタボレされて結婚しました。新婚旅行の写真は、恥ずかしくて見ていられないようなラブラブっぷりでした。
「オンナは、愛するよりも愛されたほうが幸せになれる」と、よく言われます。でも、最近の私はこの説にかなり疑いを抱いています。
あくまでも私が身近な既婚者を見ていて感じたことにすぎませんが、ダンナさまに愛されて「結婚してくれ!」と頭を下げられたような女性よりも、ダンナさまのことが大好きでせっせと尽くしまくった結果ようやく想いが届いてゴールインしたような女性のほうが、(傍から見る限りでは)幸せな結婚生活を送っているパターンが多いような気がするのです。
新婚家庭に遊びに行ったときに友だちが、ダンナさまが「働いてくれている」という言い方をしたり(友だちが働いている、いない、にかかわらず)、ダンナさまのお仕事や趣味などに対する感謝や尊敬の気持ちを私たちの前でもさらっと口にしていたようなところは、その後も結婚生活が続いています。
そしてそういうお家を訪ねた後には、「うわぁ、結婚っていいものなのかも…」と希望を持たせてもらえるのがありがたいです(笑)。女性の結婚率の低下って、早く結婚した友だちの影響もかなり大きいと思うんですよね、私(笑)。
それは、ともかく。
追われると逃げたくなり、「これだ!」と思うものを見つけると追わずにいられない狩猟体質な私。なのに、私が結婚したいと思う人は私と結婚したくなくて、私と結婚したいと思ってくれる人とは私が結婚したくないという矛盾。オンナの幸せは、まだまだ遠いのでしょうか…(苦笑)。
2006年04月01日(土)

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