『烏女』 海月ルイ 双葉社 - 2004年03月31日(水) 《bk1へ》 『子盗り』に続いて2冊目の海月さんだが本作はちょっと期待はずれに終った感は否めない。 “ラストの怒涛の展開”などミステリーとしたらなかなかのものなんだけど、やはりゾクゾクハラハラする緊迫感や女流ならではの情感の豊かさに欠けてたような気がする。 関西人には京都が舞台なんで読みやすい(京都弁です)が、そうでないかたは少し馴染みにくいかなあと思ったりもする。 烏女に関する真相や村田の失踪に関してもあんまり興味が湧かなかったからだろうか、中だるみ感は否定できない。 題材的にももう少し普遍的と言うか身近な題材の方がリアルに感じるのかもしれない。『子盗り』のようにね(笑) 主人公の“ハンガー屋”兼女探偵の珠緒は少し辛い過去を背負いつつ(バツイチで母子家庭状態)も健気に生きて行ってるので娘の芽衣子ともども共感出来るのであるが、あまりにも元夫の亮がだらしないのでちょっと興ざめした。 果たして再婚して上手くいくのかなあと純然たる疑問が湧きました。 そういう風に感じる事自体読後感としてかなりマイナス要素となっているのだろう。 やはり男性向きじゃないって事かもしれませんね(笑) はたして、読者が海月さんに期待するものってなんだろう? 私的には、海月さんの作品としてはちょっと“女の情念”というものをもっと描写できる舞台を作り上げるべきだったような気がします。 例えば、水商売の女同志の“凌ぎあい”であるとか・・・ やはり根本的に珠緒のキャラに探偵っていう設定自体無理を感じてしまいました。 文章は読みやすいだけに残念だったなあ・・・ “もっと強烈なサスペンス作品”を期待したい。 評価5点。 2004年33冊目 (新作25冊目) ... 『残虐記』 桐野夏生 新潮社 - 2004年03月28日(日) 《bk1へ》 凄く“レベルの高い”作品である。 桐野さんの作品って“いくら深読みしたって深読みしすぎることがない!”ような気がする。 よって本作を征服するにはまさに桐野さんの“圧倒的な想像力の豊かさ”と“読者の想像力”との勝負が必要である。 本作は新潟の少女監禁事件をモチーフとして書かれている。 著者のもっとも得意とする社会派作品であるが、内容的には約一年間若い男に小学生の頃誘拐・監禁された少女の監禁後の人生にスポットが当てられている。 わずか220ページにいろんなものが詰まってるので一行も目を離せずに読まなくてはいけない。 正直、「残虐記」というインパクトの強いタイトルほど内容は重苦しくない。 ただ、女性や感情移入が激しい方が読まれたら少し辛い描写もあるかなあとは思ったりする。 どちらかと言えば、景子の監禁後の生活の方が“残虐”かもしれない。 彼女はずっと事件の事を隠して生きていかねばならない生活を余儀なくされるのである。 たとえば、景子と彼女の両親との関係や谷田部を追っていく姿などを考えても興味深い限りである。 あと、フィクションだから許せることかもしれない(ここを強調したい)が、健治の過去を読んでやはり多少なりとも同情された方も多いんじゃないかなあと思う。 大きな目で見たら、本作ってあらゆる点において読者に“人生における戒め”を提起しているのかもしれませんね。 作品の手法的には“入れ子方式”で語られてる為に謎が謎を読んで奥深いことは間違いないところであろう。 個人的にもっとも印象的なのは最後の夫(元検事)の編集者への手紙である。 やはり健治に対してかなり嫉妬していたのであろうか? そういう読み方をされた方は失踪先を特定出来たんじゃないかな(笑) 少なくとも限りない妻への愛情を強く感じ取れた点がやけに印象に残った。 評価8点。 2004年32冊目 (新作24冊目) ... 『二度目のノーサイド』 堂場瞬一 小学館 - 2004年03月26日(金) 《bk1へ》 5年前に会社の業績不振で廃部となった武蔵野電産ラグビー部。 最後の試合の納得の行かない「最後の10分間」のために不可解な結果(引き分け→抽選で負け)を引きずった部員たちは五年ぶりに決着(再戦)をつけようとするのであるが・・・ この小説は単なるスポーツ小説ではない。 (中年に差しかかる)男たちの再生と熱き友情の物語である。 いつまでも夢を持ち続けることのむずかしさと素晴らしさを教えてくれる。 各章において主人公桐生が試合に出てくれるように連絡を取っていくシーンが中心であるが、やはりそれぞれの思い入れや人生って5年間で変わるものですね。 個性的な脇を固める人物(島、村瀬、松田、木塚など)の人物造型の確かさが読者にとっては印象に残ること間違いなし。 各人の性格とポジションを的確に各章のタイトルにしているところも興味深い。 思わず、自分の友達に当てはめて読まれた方や過去の友人を思い出した方も多いと思われます。 堂場さんは初読みですが、徹底した取材振りに基づく熱き男たちの物語はなかなかのもの。 展開的にはありきたり感も否めないが、なによりもまっすぐで読後感が爽快なところがいい。 個人的には地味ですがなかなか良い作品だと推したく思う。 女性が読まれても、夫婦愛も描かれてるので(サイドストーリー的だが)受け入れやすいと思いますね。 きっと、読後表紙の“男の背中”が大きく素敵に見えるでしょう(笑) 少し余談ですが、“果たして、自分はラグビーにおいてどのポジションに適してるのだろう?” そう思われた方も多いかもしれませんね。 ラグビーボールのバウンドのようじゃなくって、少し自分自身をコントロールし見つめなおせるいいきっかけとなったような気がする。 この作家、安心して読めそうな筆致なので他の作品も読み進めて行きたいと思う。 評価8点。 2004年31冊目 (新作23冊目) ... 『夜の果てまで』 盛田隆二 角川文庫 - 2004年03月23日(火) 《bk1へ》 小説って“感情移入”出来るか出来ないかによって感動度が違うのは自明の理である。 本作は渾身の力をふりしぼって書かれた“盛田さんの最高傑作”だと言われている。(文庫化の際に『湾岸ラプソディ』から改題) 普段、500ページを超える恋愛小説って自分の読書範囲から超越してるなあと敬遠してたものだが、あるきっかけから手に取ることとなり結果として“心が震える読書”となった。 これも“一期一会”と言えそうだ(笑) 内容的には、北大生の主人公俊介がひとまわり年上の人妻裕理子に惚れ、2人で駆け落ちしていく過程を切なく感動的に描いた恋愛小説である。 正直、恋愛小説の感想を書くのはむずかしいというか苦手だ。 本作においても、冷めた目で見れば、将来のある若い主人公が内定先などをけってまで人妻に入れ込むこと自体をを馬鹿げたことともとれるし、あるいは同情的にもとれる。 だから恋愛小説は面白いのであるが(笑)、本作は敢えて恋愛小説という狭いカテゴリーの中で捉えたくない気がする。 それだけスケールの大きな作品と言ったら良いのだろうか・・・ なぜなら、我々が普段抱いている恋愛小説のイメージとはかけ離れているというか、そう読むべき作品であるからである。 破滅的な“不倫小説”でもない。なんと言ったらいいのでしょうかね(笑)。 人生を模索している方が読まれたらきっと一筋の光を当ててくれそうな作品であると信じたい。 本作を語る上で、裕理子の息子(義理の)正太の役割は本当に重要である。 私が安心して本を閉じれたのも彼の魅力的なキャラによるものが大きいかなあと思う。 なんとか立派に成長して欲しいなあ。 あと、本作は時代背景(1990年、ちょうど湾岸戦争前後)や主人公の年代だから避けられない就職活動なども読者の年代によって懐かしく読める点も賞賛に値する。 忘れてはならないのは文庫巻末の佐藤正午さんの見事な解説である。 “失踪宣告申立書”で始まって最初ドギマギした読者が読み終えて“非の打ち所のない構成である!”と舌を巻きため息をついて本を閉じられる光景が目に浮かぶ。 人生あともどり出来ないから楽しい。 季節の移ろいとともに見事に語られた本作は、精一杯生きた男と女の“愛の証”である。 2人の“愛の証”は明日からの読者の人生を奮い立たせてくれる。 本作は単なる恋愛小説ではない。 恋愛だけでなく人生の“指南書”と言えそうです。 欲張りな本好きの方に特にオススメしたいですね(笑) 評価9点。オススメ作品 2004年30冊目 (旧作・再読作品7冊目) ... 「天国はまだ遠く」 瀬尾まいこ 小説新潮4月号掲載 - 2004年03月21日(日) 本好きにとって“一心不乱”に読書に耽る時間って本当に幸せである。 それは瀬尾まいこが読者を“瀬尾ワールド”にエスコートしてくれるからにほかならない。 瀬尾まいこの小説に“トリック”という変化球はいらない。 なぜなら、直球勝負で十分に読者を魅了させることが出来るからである。 本作においては“自殺志願”の23才のOL千鶴が主人公である。 冒頭は《立ち読み》で読むことが出来る。 彼女の小説の一番の読ませどころは“人とのふれあい”である。 本作も自殺しようと思ってさびれた田舎の民宿に滞在した約3週間の間に主人公は自分の人生を見つめ直す。 本作においても、『図書館の神様』の垣内君のような存在の男性が登場する。 民宿の主、田村さんだ。 彼の心の広さと目に見えない気配りが、千鶴の心の中を清めてくれたのは間違いない。 でも、恋愛模様を模索するのもどうかなあと思うが、少し結末を変えて欲しかったなあと思ったりするのは瀬尾作品に魅了された証なのかなあ・・・ 女性が読まれたら最後の別れのシーンの田村さんの態度、余計に惚れちゃうのかも知れません(笑) 読まれた方しかわからないでしょうが、きっとちっぽけなマッチ箱は田村さんの最大の愛情表現だったのでしょうね。 “心の機微”ってむずかしいですね。 瀬尾さんの作品を読むといつもそう感じます。 ページをめくりながら、一緒に悩み、考え、共感し・・・そして本を閉じる 正直、本作は読み終わると少し寂しい気分になる。 それはしばらく瀬尾さんの作品を読めないという素直な気持ちの表れかもしれない。 “主人公以上に読者の心も浄化される”から瀬尾まいこのファンって幸せである。 『海も山も木も日の出も、みんな田村さんが見せてくれた。おいしい食事も健やかな眠りも田村さんを通して知った。魚や鶏を手にすることも、讃美歌を歌うことも、絵を描くことも、きっと田村さんが教えてくれた。そう思うと、胸が苦しくなった。 ここで生きていけたら、どんなにいいだろう。きっと、後少し、後1ヶ月だけでもここで暮らしたら、私はもっと確実に田村さんのことを好きになったはずだ。田村さんと一緒にいたいと、もっと強く思えたにちがいない。・・・・』 評価9点。オススメ ... 『電子の星』 石田衣良 文藝春秋 - 2004年03月18日(木) 《bk1へ》 『池袋ウエストゲートパーク』 『少年計数機』 『骨音』 単行本で必ず読みたい作品がある。本作はその代表例といえよう。 なぜなら本作ほど“旬を感じさせてくれる作品”はないと言っても過言ではないからである。 まず、冒頭の「東口ラーメンライン」いきなり懐かしの元Gボーイズのツインタワー(双子)が登場してくる。 彼らのあずみに対するほのかな恋心は微笑ましい限りである。 単行本の表紙の女の子ってあずみをイメージしてるのかなあと思って読まれた読者も多いかな。 次の「ワルツ・フォー・ベビー」は本作中もっともミステリー要素が強い作品であるが、息子を殺されたジャズタクシー運転手の男らしい言動に胸を熱くされた方も多いんじゃないかな。 個人的には切ない話は好きなんでベストの作品に推したい。 3編目の「黒いフードの夜」は違法デリヘルで働くビルマ人の少年の話。不況に苦しんでるのは日本人だけじゃありません(笑) 最後の表題作となっている「電子の星」は山形の若者が上京してきてマコトと一緒に友達を捜す話なんだけど、初期のIWGPに近い作風かな。 メンバーもタカシのみならず私の大好きなサルも登場。 4作目となってやはり作風というかスタイルも変わってきた感は否めない。 きっと石田さんもスタイルの斬新さで読ませれる時期は過ぎて、内容で読ませるように敢えて変換しているのでしょう。 初期のような圧倒的なエネルギッシュ感は薄れつつあるが、逆に各編の登場人物の苦しみなんかもかなり掘り下げて書かれてるような気がする。 確かに各編(本作で言えば表題作を除く)ともこぢんまりした話ではある。 ただ、読者が“身につまされる”という観点ではより心に残る話なのかなと思う。 例えて言えば“水戸黄門”のように勧善懲悪的な要素が強いかな。 前作までのマコトより人情味が増してるような気もするがそれを彼の成長だと信じたい。 ただ、マコトの“人とのふれあい”が一番の読ませどころなのには変わりない。 簡単に言えば、マコトの“シャイさと心優しさ”とのバランスが絶妙なのである、本シリーズは・・・ とりわけタカシやサルあるいは吉岡との“確固たる友情”がより強固となってる点を感じ取れた読者は、きっと次作の発売を待ち遠しく思ってる“マコトファン”だと言えよう。 最後に吉岡に対するマコトの気持ちを表したシーンを引用したい。 この気持ちは読者も肝に命じて生きて欲しいというのが石田さんのメッセージでもあると信じたい。 「そのときおれがどうしていたかって? ここだけの秘密だが、おれもサヤーといっしょにやつの背中に両手をあわせていたのだ。だって 尊敬できる人間かどうかは、そいつがもってる金や髪の量にはなんの関係もないからな。」 評価8点。 2004年29冊目 (新作22冊目) ... 『指を切る女』 池永陽 講談社 - 2004年03月15日(月) 《bk1へ》 4編からなる短編集である。 いずれもが容姿端麗な女性が登場するのであるが、“容姿端麗”であるからこそ必ずしも人生幸せであると限らない。 やはり“人を愛すること”って単純なようでむずかしいのかもしれませんね。 それにしれも各編の女性は男性に翻弄されすぎてるかな。 でも女性が読めば逆に感じるかもしれませんね。 そこが恋愛の面白さかつ複雑さであるのだけど・・・ 唯一「悲しい食卓」の主人公のみ理解というか共感できるのだが、他の3人には“哀れみ”を感じずにいられない。 いや、哀れみを通り越して“狂気”と言ったらいいのかもしれない。 この点はとりわけ女性が読まれたら私以上にそう思われるような気がする。 他の3作はについては、少し女性の弱い部分を強調しすぎて書かれてるような気がする。 読後感があまりよくないのが残念だ。 小説を読むに当たって読者は“自分の気持ちを代弁してくれる話”に出会えた喜びは大きい。 本作はそう言った点においては“時代に逆行してる女性”が描かれてるような気がする。 ここまで“思い込みが激しい女性ばかりじゃないよなあ!”という気がします。 きっと池永さんの“思い込み”も激しいのでしょう(笑) 『アンクルトムズ・ケビンの幽霊』のように社会的意義のある作品もしくは、恋愛をからめたものであればもう少しせめて夢があったり勇気を与えてくれたりする話を書いて欲しいなあと思います。 読者の池永さんに対する期待は大きいのだから・・・ 評価6点。 2004年28冊目 (新作21冊目) ... 『1ポンドの悲しみ』 石田衣良 集英社 - 2004年03月12日(金) 《bk1へ》 《Amazonへ》 石田衣良さんの新刊は『スローグッドバイ』の続編とも言うべき恋愛短編集です。 前作と違って今回は30代の男女(女性中心ですが)にスポットライトを当てています。 社会的にも人生の経験的にも30代となるとグーンと落ち着いている。 何と言っても“背負って生きてるものが大きくなっている点”は否定できない。 だから恋愛にも“制約”がついてまわる。 読者にも緊張感が走るのである。 失われた20代の頃のときめきを追い求めながらも現実との間を健気に生きている各篇の主人公たちには頭が下がる思いがした。 ただ、若い読者(20代前半ぐらいまで)が読まれたらやはり少しわかり辛いかもしれませんね。 しかしながら前作よりずっと作品としての奥の深さは増しているのは事実である。 まさに“バラエティに富んだ恋愛小説の傑作”と言って良いんじゃないかな。 1番読んで共感が得られるのは、やはり“30代の女性”なのは間違いないでしょう。 自分の過去や現在と対比しながら読めることほど読者にとっての強い味方はいない。 でも決して読み終えて悲観すべき内容じゃないところが石田作品の安心感と言えるんでしょうね(笑) 本作を読んで石田さんの最大のセールスポイントを発見したような気がするので記したい。(いまさらとファンの方にしかられそうですが・・・) それはある人にとっては“リアルな話”、ある人にとっては“お伽話”・・・でもどちらであっても面白さには変わりない点である。 ひと言で言えば“他の作家よりもストーリーにとっても普遍性がある”ということだと思う。 全10編からなるが特に印象的だったのは下記の2編です。 「十一月のつぼみ」 結婚をして平凡なる生活をしている主婦英恵の胸のときめきと抑制心を見事に描いている秀作です。 石田さんの話のオチのつけ方は素晴らしの一語に尽きる。 「秋の終わりの二週間」 15歳年上の男と結婚した伊沙子。夫とは二週間違いの誕生日だがその時期の優しさに心をときめかせてるシーンが印象的である。 本当の幸せに浸って生きている姿に読者は感銘せずにいられない。 本作における10通りのディナーを平らげた読者は、“人生における温かいエール”というデザートがついている事にも気づくはずである。 その“エール”という名のデザートは1ポンドよりずっと重いのは言うまでもない。 評価8点。 2004年27冊目 (新作20冊目) ... 『笑う招き猫』 山本幸久 集英社 - 2004年03月10日(水) 《bk1へ》 “人生において夢を持つこと”はとっても貴重なことである。 この作品を読めばそれが実感できる。 第16回小説すばる新人賞受賞作。 とってもテンポが良く爽快な小説。 すべてにおいて目新しさが目立つ作品である。 特に、“女性の友情”を取り上げてる点が印象的だ。 内容的には駆け出しの漫才コンビの成長物語だ。 ヒトミとアカコはともに28才。ツッコミのヒトミは身長180センチでボケのアカコは150センチ満たない。 現実は厳しいんだけど(ギャラは2人で2000円)悪戦苦闘して生きている2人に拍手を送りながらページをめくれる点は読書の醍醐味を味わえる。 一応、サクセスストーリーになるのだろうけど、“初心を忘れないで葛藤するシーン”がとっても印象的だ。 主役の2人以外の登場人物の個性際立った演出も見事である。 まさに“つわもの”たちのオンパレードって感じ。 作中の2人の掛け合いや即興で作る唄が本作品をより読みやすく楽しいものにしてる点も素晴らしい。 ただ、漫才シーンはあんまり面白くなかったかな(笑) 最後に2人が喧嘩をしたり、マネージャー(というかユキユメノ)問題が急展開となったりと読ませどころを押さえている点はやはり新人離れしてるのでしょう。 あと、タイトル名ともなっている“招き猫”は結構奥深い意味がある点も見逃せないかな。 少し落ち込んだ時や友達(特に同性)と喧嘩をした時なんかに読めばいい“処方箋”となる作品だと思います。 2人の“熱き友情”に嫉妬された読者はまさに山本さんから大きなメッセージを受け取ったことでしょう。 評価8点。 2004年26冊目 (新作19冊目) ... 『白夜行』(再読) 東野圭吾 集英社文庫 - 2004年03月07日(日) 《bk1へ》 “ページを捲る手が止まらない!”・・・本好きにとっては究極の喜びである。 この作品にはそういう形容がピッタリだ。 文庫版にて約850ページ、後半になれば読み終えるのがもったいないような気になる。 東野氏が渾身の力を振り絞って書かれた最高のエンターテイメント作品である。 本作の登場人物の数は40名以上に及ぶ。 東野氏ほど読み手を意識して書かれる作家はいないと思えるが、本作はそれが特に顕著で成功していると言えよう。 主役である亮司と雪穂のそれぞれの内面が描かれていないのである。 まさに心憎い演出である。 彼らに接する人物によってしか想像することが出来ないが、東野氏の人物造型の確かさと創造力は他の追随を許さない。 少年少女時代において、家族が忌まわしい殺人事件に巻き込まれた2人。 その後2人の成長を追っていくのであるが、周囲の者が常に不幸に陥って行く。 まるで2人に翻弄されるが如く・・・ そのぐらい圧倒的に個性的な人物としてフィーチャーされているのである。 質屋殺しの犯人を追うという物語の焦点を踏まえつつ、読者はひたすらに亮介と雪穂との2人の成長振りを体感する。 常に接点があると信じつつ、ページを捲る手が止まらない。 でも、最後まで2人が会話を交わすことがなかった。 内容的には正真正銘の“重苦しい作品”である。でも読後感が決して暗い訳ではない。 読まれたほとんどすべての方が感じられてると思うが、“とっても緻密に構成された作品”である。 東野氏の“創造力”の豊かさと読者の“想像力”の豊かさが上手くミックスされた時、本作の主人公2人には嫌悪感を超越して深い共感を味わうことが出来る。 読後、“やり切れなさと切なさ”に浸られた読者がほとんどだと思う。 もちろん“小説の中であるから許され、感銘できる話”である。 しかしながら、少しでも物腰が柔らかくなったような気がするのは読者が“東野ワールド”のひとつの到達点を堪能された証にほかならない。 なぜなら大多数の男性読者は“女性には参りました!”と心の中で叫んだはずであるからだ。 その叫びは“東野さん、参りました!”という代弁の言葉でもあることは言うまでもない。 今回、続編『幻夜』の発売にあたり約4年振りに再読した。 大作は何回読み返しても色褪せることがない! 今回は笹垣刑事の執念とも言える事件への追跡振りと、あと本作における約20年の時代の流れを自分自身の過去に照らし合わせて少し懐かしい気分を味わいながら読んで見た。 視点を変えて読むと見えなかった側面が見えてくる。 日々の生活にも生かしたいものである(笑) 評価10点。超オススメ作品 2004年25冊目 (旧作・再読作品6冊目) ... 『太陽の搭』 森見登美彦 (新潮社) - 2004年03月02日(火)
第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞作である。 でもファンタジー小説というより迷わず“青春小説”のジャンルに分類したい。 “青春っていいものだ!”こういう小説を読むとそれが実感できる。 文章は伊坂幸太郎さんに輪をかけたような個性的というかユニークな文章である。 良く言えば“理路整然”、悪く言えば“理屈っぽい”という形容が相応しい気がする。 文章だけでなく、登場人物も個性的で奇抜な人物のオンパレードである。 常に妄想を抱きながらも現実に背かないで生きている点が読者に訴えかけるのであろう。 現役の京大大学院生らしいリアリティさが売りで、特に京都の地理感のある読者が読まれたら楽しめる事だと思う。 少し難を言えば、枚数が少ない(200ページ余り)のでいいが、これ以上増えれば文体的に鼻につく部分も見受けれる(?)ので読者も疲れるかもしれないなあという懸念はある点かな。 本作はほぼ私小説的なものかもしれない。 素直さに欠ける主人公の森本が、いかに素直な人物であったかがわかるのがポイントである。 内容的には“自分を袖にした”水尾さんの研究と、周りの変わった友人たちのエピソードの描写に終始している。 “クリスマス”に対する執念深い“思い入れ”は若さの特権なんでしょう。 最後に水尾さんに対する深い愛情を感じ取れて本を閉じれた読者は、回り道をしたけどひとかどの“純愛”を体験した喜びを忘れないはずだ。 愛情の深さはインパクトの強い“タイトル名”にも反映されている。 少し創造力が豊かになったような気がするのは気のせいだろうか? この作家、次作もっと期待して待ちたいですね。 評価8点。 2004年24冊目 (新作18冊目) ...
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