命の器。 - 2005年10月21日(金) 宮本輝のエッセーに『命の器』というものがある。 このエッセーを私は最近になって知ったのだけれど ここに書かれている事は まさに私の感じていた事そのものである。 運の悪い人は運の悪い人と出会ってつながりあっていく。やくざのもとにはやくざが集まり、へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。じつに不思議なことだと思う。”類は友を呼ぶ”ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人との出会いをつくりだしているとしか思えない。 どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、あんな人の良さそうな美しい女が嫁いだのだろうと、首をかしげたくなるような夫婦がいる。しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、やがて、ああ、なるほどと気づくときがくる。 彼と彼女は目に見えぬその人間としての基底部に、同じものを有しているのである。それは性癖であったり、仏教的な言葉を使えば、宿命とか宿業であったりする。それは事業家にも言える。伸びて行く人は、たとえどんなに仲がよくとも、知らず知らずのうちに落ちて行く人と疎遠になり、いつのまにか、自分と同じ伸びて行く人と交わっていく。不思議としか言いようがない。企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。抗っても抗っても、自分という人間の核を成すものを共有している人間としか結びつかない。その恐さ、その不思議さ。私は最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則のひとつに気づいた。「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして「出会い」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。私の言うことが嘘だと思う人は、自分と言う人間を徹底的に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。 ... 母の栗きんとんと留学と。 - 2005年10月20日(木) 昨日母が 落ち着いて衣更えができない私を手伝いに 母が作った栗きんとんをもって自宅まで訪れてくれた。 3キロも栗を剥いてたいたらしい。 砂糖で煮詰めているうちに ほとんどが餡になってしまったらしいが まだ形の残っているものだけを選んで 「まつのはこんぶ」の空き瓶に詰めてもってきてくれた。 1つ口に入れると とても美味しくて止まらなくなり 瓶の半分までいっきに食べてしまった。 母の料理は昔から美味しい。 京料理のように 洗練された料理ではなく 全く家庭料理であるが 煮つけはしっかり煮付けられ柔らかく 汁ものは雑多な素材が合わさっているがいろんな風味が滲み出し 揚げ物 焼き物 漬け物に至まで 母らしさに溢れていて 私は母の料理が好きである。 そんな母が昨日 頭痛を訴えながらも手伝いに来てくれた。 無理しないでよいから と前日電話で伝えたのだが 翌朝一番に電話をかけ 様子を聞こうとすると 父が電話に出て 「もう でかけた」といわれてしまった。 母にきてもらって 娘の面倒をみてもらい 私が事を進めようと思っていたのに 結局は すべて母にしてもらい 私はその手伝いをしただけだった。 母は いくつになっても母らしく どんな体調でも 勤勉だった。 「来年には やっぱり確実に留学するの?」と 昨晩彼に確認すると 「確実にするだろうね」と 返事が帰ってきた。 こんなにも 適確に答えられたのは初めてだったので 正直驚いたけれど いっきに不安も訪れてきた。 私や娘のことではなく 私の両親のことだ。 両親は高齢だし 健康には無頓着な人である。 体調が悪いと私に言えば とてもに心配するからといって 病気になった時に一番役に立つだろう我が家には 連絡をくれない。 いつも姉から連絡があり 私の耳にはいる。 留学している3年前後の間に 両親のどちらかが 他界しても おかしくない年齢だから 私は正直 ボストンに行くべきなのかと悩むけれど ボストンはそんなに遠いところではないからと 彼に諭されるばかりだった。 結婚してから 出産直後の里帰りまで 実家に連泊する事は 一度もなかった。 それは嫁いだもののケジメだと 私は思っていたから。 だけれども この留学するまでの1年は もっと両親に近く在ろうと思っている。 今の私に してあげられる事は それぐらいしかなさそうだから。 ... パラレルワールド - 2005年10月11日(火) 幾つもの 小さな1日が 生まれては 弾けて消える 私の目に映る 彩り豊かな世界は折り重なり パラパラと ページを捲るように 過ぎて行く そう ずっと遠く 其処にあるのは また 全く違う種類の物事で 其処で奏でられる 饗宴のメロディは 私の心を楽しくはするけれど 鏡に映る世界を覗くように 手に触れるのは 冷たく固い壁 ヒールの高さぶんだけ 遠くに行ける気がして 鳴らした靴音も もう しゃぼん玉が 弾けるように もう1つの世界が消えた ... 自信を持つ能力。 - 2005年10月09日(日) ここ数カ月 栗原はるみ氏のレシピが好きで 何冊も本を集めては 育児の合間の少ない時間で 料理を試している。 料理研究家と自称する方々のレシピを そう多くは試したわけではないけれど 味としては彼女のレシピが一番私の舌に合う。 味付けや好みが 私の母のそれと似ているからだろう。 たいてい 料理なんていうものは 美味しいレシピが書かれた本を見て作れば 十中八九美味しく出来上がる。 だから とはいわないが 私も料理が嫌いでないし 美味しいものを食べる事が好きだし 料理の味付けも 下手な方ではないと思うのだが 身近な人以外に 料理をふるまったことがあまりないせいか たいして自信が持てない。 一応 料理をふるまった人たちからは 美味しいという 評価は与えられてはいるけれど。 友人宅を訪れると 手料理をふるまってくれたりもする。 彼女達の料理は たいてい それほど味付けの 必要のない料理か もしくは調合された調味料のみでの ソースをつかった料理で簡単にもてなしてくれるため 彼女達の料理の腕もセンスも そして私との差も よくわからない。 友人たちの料理の腕がわからないでいるのだ。 だからこそ 自分がいったいどの位置にいるのか 把握できないでいる。 当の私はというと 自分の腕に自信が持てない為 友人が訪れてくれると 出前をとったり もしくは家の近くにあるレストランに食事にでたりして その場をしのいでいる。 自分の料理を他人に評価されたくないからだ。 (自分の舌とは好みが違うだけだろうけど) 不味い料理のレシピを平然と本にしている料理研究家もいるから 料理も主観なのだろうけど どうやったらあんなにも 自分の腕に自信が持てるのか 教えて呉って感じ。 昔 私は絵を描いていた。 趣味の域にまでは至らなかったが 好きだったものだから 学生時代 選択できる間は 美術・芸術を選択し続けた。 それなりに評価も良かったから 学校から美術展へ 何度か出品され 受賞もした。 だけれども やっぱり私は自分の絵に自信が持てなかった。 素晴らしい絵を見れば見るほど 自信など 吹き飛んでしまう。 最後には 描く事すらできなくなってしまった。 料理も一緒だ。 美味しいものを食べる。 食べれば食べるほど 料理に自信がなくなって行く。 何かに自信を持てる というのは 私から言わせれば 1つの才能のように思う。 それが過ぎると 誇大妄想だけれど そこそこ必要な能力なんじゃないかなと思う。 どれだけ作っても作っても作っても自信が持てない。 どうしてだろう。 ... ナルキッソス。 - 2005年10月05日(水) 最近 家を新築した友人宅へ訪ねて行った。 彼女とは5年前から 年賀状だけのおつき合いになっていたのだが 何処からか聞き付けて 私へ出産祝いを送ってくれた事から 再び連絡をとるようになった。 5年ぶりにあった彼女は 以前とは何の変わりもなく 新しい家で快適そうに生活していた。 5年ぶりに交わす言葉も それほど多くはなかったけれど お互いの近況報告などするうちに 時間が過ぎて行った。 彼女とは 大学時代を一緒に過ごした。 入学してすぐに 「あなたとお友達になりたい」と言われて友達になった。 彼女はきっと良い人だったのだろうと思うし 魅力のある人でもあったし 私もきっと 彼女を好きだったのだろうけど 彼女と私は お互いにお互いの良いところを認めあえず お互いの良いところに嫉妬した。 私はきっと 彼女のことが好きだったのだろうけれど 上手く付き合う事がきでなかった。 そのような相反する感情に向き合う事に疲れた時に 私は彼女と交流する事をやめた。 その後 何度か彼女に会う機会もあり 何度か 再び交流を求められたが 私は頑に拒否をした。 再び 同じような感情を彼女に抱く事が嫌だったからだ。 今日あった彼女は 以前のように 良い人であったし やっぱり魅力のある人であったし 共に過ごした時間はとても楽しかったのだけれど 私はやはり 上手く説明できない感情を抱いて帰宅した。 その感情がなんだったかのか よくはわからない。 帰宅し 娘と向き合うと 私は何故か とても切ない気持ちになってしまった。 何故娘がこんなに可愛く愛おしいのかわからないけれど その感情も1つの自己愛なのかも知れないと ふと感じた。 そしてまた 娘にはまだ 私が与えてやる世界しかない。 娘の世界の全ては 私なのだ と思うと 愛おしく そして切なくなった。 私は そんな感情を 愚かだと思った。 私は 自分自身が未熟であることは充分に承知している。 私は 娘を通して 私を愛しているのかもしれない。 私は 私の安住たる世界で 水鏡に写した私を愛おしんでいるのかもしれない。 私はやっぱり 淋しい女なのかもしれない。 ... 子連れレストラン 覚え書き。 - 2005年10月01日(土) KIHACHI 比較的 子連れ慣れ。 子供メニューはなし。 お手洗いは店の外、ハービスエント内のお手洗いを使用。 オムツ替え用の備品は無し。 ハービスエント6階にラグジュアリーなレストルームがあり 必要ならばオムツ替えにそこを利用。 調乳用のお湯はもらえそう。 ジャスミンガーデン(チャイニーズ) 子連れ可。 個室へと通される。 個室が使用中の場合 断られる場合もある。 お手洗いはレストランの外、帝国ホテル内のお手洗いを利用。 オムツ替え用の備品はないが広めのテーブルと椅子があるために 必要ならば それを利用可能。 調乳用のお湯はもらえそう。 フライングトマトカフェ(カフェ) カフェなので 比較的うるさくても平気。 お手洗いは ホテル内施設を利用。 オムツ替えなど 上記と同じ。 芝苑 基本的に個室なので子連れ可。 お手洗いは部屋外であるが 食事は個室なので オムツ替えは部屋内で可能。 先に注文すれば子供向け料理も用意してくれる。 調乳用のお湯ももちろんもらえる。 一宝(天麩羅) 上記のレストラン一宝参照。 子連れ可。 お手洗いは店外のホテル施設内のお手洗いを使用。 オムツ替えスペースはないが化粧台があるので そこを代用できる。 子供向けメニューはなし。 調乳用のお湯もくれるだろう。 串の坊 北新地東店(串カツ) 子連れ可であるが お酒を飲む場所でもあるので 子連れにはなれていない感じ。 地下にあり エレベータがない為 バギーを階段からおろすのが苦労。 また階段が滑りやすい石でできている為 だっこしながらおりるのは少々危険。 お手洗いも狭くオムツ替えなど到底できない。 調乳用のお湯は言えばくれるだろう。 今後 継続して更新。 ...
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