わがまま。 - 2003年07月27日(日) また 今夜も情緒不安定。 たまらなくなった気持ちを落ち着かせるために 何度も何度も廊下を行き来しては カーテンから顔をだし まだ暗い外の様子を覗き見る。 午前4時でも街灯は煌々と明るい。 外に誰かがいるわけで無い。 外に何かを期待するでも無い。 外気で のぼせた頭を冷やすように 私は硝子越しに 外を眺める。 私の我侭は ある位置をこえると それはもう手がつけられなくなる。 理性とか 秩序とか 道徳とか 思いやりとか 信頼とか プライドとか。 そんなものたちまで見失う。 しかしながら それが私だ。 近くの深い大きな川に 腸が剥き出しの 腐りかけた魚の屍骸が流れていたのを思い出す。 あれは鮒だったかな。 流れのなかに生きて 流れのなかで死んで 死んでもなお 流され続けて。 そんなふうに生きることに立ち止まらず 疑問すら抱かずに 自然の流れを受け入れることができれば どんなに幸せだろうかと思う。 あの鮒は 幸せだったのかな。 ... 白桃とお墓参り。 - 2003年07月15日(火) キッチンの一角で白桃が香り高く鎮座している。 夏のお印に と頂戴したものだ。 私は箱の蓋を開けて 風通しよくしてやり そして束の間の夏の瑞々しい香りを楽しんでいる。 父は白桃が好きで 夏になるといつも 冷蔵庫にふたつ みっつ 桃を冷やしていたのを覚えている。 岡山は桃の産地であるから お墓参りの度に沢山 白桃を買って帰ってた。 私の父の生家は岡山で 今でも先祖代々の墓が 成羽にあるものだから 御盆の時期になると必ず お墓参りにつれていかれた。 車で高速にのり4時間ほど 車酔いしやすかった幼い私にとって お墓参りは 毎年恒例の拷問行事のようなものだった。 そこには私の祖父母までが眠っており おそらくそこに 両親も眠ることになるのだろうけれど お墓参りに行く度に父は 「道を覚えておいて貰わないといけない」といっていた。 ただでさえ 大阪から岡山へは遠い道のりであるし それだけでも足が遠のいてしまうのに 道をしらなければ尚更である。 私たちの住む阪神圏から 離れた田舎の地で 忘れられたかのように静かに眠ることが よほど父には淋しいことなのだろう。 3年前の夏。 ひさしぶりに両親とお墓参りに出かけた。 今では もう 私がドライバーだ。 瀬戸内三十三観音霊場である栖隆山龍泉寺の山の中腹にある 我がお墓の傍らで 大きな牡丹の花が 鮮やかに揺れてた。 山では蝉の鳴く声が 静かに響いていた。 太陽の鋭く照りつけるなか ここに両親も いつの日か 眠るのかとおもうと 心を込めてお掃除をし 水で浄めて 手を合わせた。 今年もどうか私にドライバーを と 母に頼まれている。 お墓参りのついでに 何処かで一泊 ゆっくりしましょうと。 4人姉妹の末っ子である私が どうやら お墓参り担当に任命されてしまったようである。 死んでしまうということは 全ての終わりである。 お墓というのは せめてもの慰めで その人が この世界に存在したんだよ っていう ちっちゃな標であって それ以上でもないし それ以下でもないし。 だけど私の祖父母も曾祖父母も そしてその先代も先代も先代も。 数珠つなぎのようにずっと此処におさまっていて そして此処から生み出されて 此処に帰ってゆくという。 そういう 拠り所のような場所はやっぱり 生きている私達にとっては必要なのだろうなと感じる。 此処にくればいつでもあえるから 私は淋しくないよ と思う。 きっと。いつか。 そこでずっと 待っていてくれるような気がするから。 ... 煙草と自堕落。 - 2003年07月07日(月) 煙草に手をのばし 一本引き抜くと 唇にくわえて火をつけた。 思いきり 息を吸い込む勇気がないから 少しずつ 少しずつ 確かめるかのように 煙りを吸い込む。 喉をさす煙りは次第に 気道を刺激しながら その下のもっと広いポケットへと 忍び込んでいった。 煙草は身体にも肌にも悪い。 それを知ってて こんなことしてるのは どうも自虐的だ。 もともと 煙草を吸う習慣はない。 吸ったこともない。 吸いたいと思ったことすらない。 「悪」への憧れとか 格好付けとかそういう趣味は ない。 自分をほんの少し痛めつけるために いろんなことをする。 たとえば薬を多用したり 身体に傷つけたり。 私はリストカットの趣味はないから せいぜい薬程度だ。 みん剤 安定剤 そんな類いの物を複数個 許容量以上に飲む程度。 そんなじゃ意識もなくならないし 第一死なない。 ただのマゾだ。 煙草を飲み過ぎるのも、お酒を飲み過ぎるのも 自虐的行為だ。 美味しいのは最初の少しだけで それ以上は 自分の健康を壊す快感に浸ってる。 そういう退廃的な場所を自らの中につくって そこに全てのトラブルを押し込んで そして毎日を普通に暮らせる。 あなただけじゃない。 わたしだけじゃない。 退廃的な場所は 自堕落な自分を受け入れてくれるから 全てを忘れてのめり込んでゆく。 そこはただの排泄場所。 元気になれば戻ってゆくから。 そこにあるのは現実じゃ無くて だからこれも本物じゃ無い。 私は刺激のある煙りを胸いっぱいに吸い込みながら 本当にいきているのかどうかを 確認したいだけなのかもしれない。 ... わたしらしさ。 - 2003年07月04日(金) 無責任な優しさに包まれたい時がある。 そ。限り無く無責任な。 挨拶を交わすだけの人に ニコリと微笑まれたり 初対面の人に 軽快な人懐っこさを感じたり。 私が私でなくてよくて 私は彼等にとって 只の魂の入れ物だけで。 名前も知らずに 嗜好も性格も。 ややこしいしがらみとか 心遣いとか 抑圧とか そういうものを全部 とっぱらって 私は私でなくなりたい。 「わたしらしさ」という入れ物は 私を矯正にかけて でっぱりや ゆがみを なおそうとするけど 私は「わたしらしさ」なんていう 入れ物に構われたくは無いんだ。 君が呼んだ名前に振り返る「私」は 私の上澄みで 沈殿物だけが澱のように 私の中に積み重なってゆく。 ... 交差点の天体ショー - 2003年07月02日(水) ある昼下がり。 ひとりの青年が交差点でじっと立ち止まってた。 それはとても大きな交差点で 道路の向こう側まで およそ20メートルは あるんじゃないかなと思う。 彼は何かを見ているようである。 信号機が赤から青に変わっても 彼はそこに立ち尽くしてた。 暫くすると 私は 彼が対角にあたる 向こう側の角にどしっと構えた白い大きなビルの壁を 凝視していることに気がついた。 太陽の傾きと 周囲の建物の関係で 日光は その交差点の 他の三つの角を蔭にして 白い大きなビルの壁だけに 眩しい程に 光を突き刺してた。 その大きなビルの白い壁は 不自然なほど平面で また 不自然なほど広かった。 そしてその 窓ひとつない白壁は まるでエーゲ海の島にある建物のように のっぺりと そして一身に受けた陽の光を 拡散するように撥ね返していた。 私はその 交差点に 背を向けるようにしてたっていた。 突然 周囲がざわめいた。 私の隣にいる人は 交差点の方を向き 嗚呼.....と 声を漏らした。 私は急いで 彼の視線の方向を見定めるべく 振りかえる。 交差点の角に立ち尽くす青年の頭が目に入る。 そしてその向こうにあるのは 白い壁。 そこに映っていたのは 何千 何万という細かい反射の煌めき。 カッティンググラスに水を入れて光に翳すと 屈折した光が拡散され そしてあるものは ガラスも水も通り抜け テーブルクロスに 小さな銀河系をつくりだす。 まさに そんな光景だった。 私の隣にいる人が 天体ショーだ と呟いた。 太陽と地球との間に浮遊する小さな小さな宇宙の塵が 投影された幻灯だった。 太陽を見上げると まるで水中の気泡のような 小さな泡粒が空いっぱいに漂っていた。 次第に光は強くなり 私は思わず目を閉じた。 赤橙黄緑青藍菫の七つの色が瞼から入り込んだかと思うと 私はそのまま 強い光の中に包まれてしまった。 閉じた瞼のすきまから 眩しいばかりの光が 意識に突き刺さっていた。 ...
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