アンドロギュノス(1) - 2002年12月28日(土) このテーマが好きで よく書いてしまう。 アンドロギュノスとはプラトン作『饗宴』の中に登場する 男女が背中合せで繋がった形の人間の種類のこと。 昔 人間には三種類の種族があり 一つは男族 二つに女族 三つにアンドロギュノス(男女)があった。 それぞれの種族ともに 足も手も2対ずつあり 顔は1対、背中合わせに 繋がってた。 どの種族とも それぞれの形で完成されており 能力ともにとても勝るものがあったから驕慢になった人間達は 全知全能の神ゼウスにたてつくまでになる。 そしてゼウスの怒りに触れ、それぞれの種族の人間達の能力を 弱めるために 半分に切り裂いた。 そして人間は1対の手足と一つの顔を持つ現在の形へとなった。 しかし 切り裂かれた人間達は 自分のかたわれを探し求める。 ふたたび完全な一つの形に戻るために。 男族は 片割れの男を求めて。 女族は 片割れの女を求めて。 そして私たちの先祖 アンドロギュノスは 違う性をもつ自分の片割れを探し続ける。 その引き裂かれた半身と出会えた人は 調和のある家庭を築くことができ もし出会えなければ その人の一生は駄目ということになる。 Il y a une femme qui nous est destinee Si on la manque, toute la vie est gachee (われわれには定められた女あり その女に出会わぬと一生は駄目) 背中が寒いのは 気のせいかな。 ... 薔薇が枯れた - 2002年12月27日(金) 花屋で買ってきた薔薇の蕾を いつも咲かせることができない。 蕾が蜜で覆われて 固く閉じているかららしい。 洗ってやると 花が開きやすくなるというけれど それでも 咲かずに枯れてしまう。 薔薇は蕾でも美しいから よいけれど。 花は咲くと美しい。 蕾よりも艶やかになり 力強く そして確かに魅了する。 鮮やかさを増し 活き活きと輝き 懸命に自分に課せられた使命を果たし尽くそうと全身で表現する。 そして 次第に色褪せて 萎えてうな垂れ 花びらを落としてゆく。 枯れしぼんだ花に 美しさを見いだせるか。 私にはまだ 情緒も思慮も勉強も足りないので それを美しいと感じることができない。 花びらの散り果てた 花の姿を見て 味わいを感じるにはまだ イマジネーションが足りないようだ。 茶道では 古い茶碗が珍重される。 それは大した骨董だからというからだけでなく 幾人もの人たちが その茶碗で茶を楽しみ そしてその茶碗を愛で 大切に次の人の手へと送られたものであるからだ。 その古人たちを敬う意味もあり 古い茶碗を大切にする。 手にした人々の思いを汲みとり それをイメージするからこそ 古びた汚い茶碗に価値があり、趣がある。 さて。枯れた花。 その花が懸命に輝いた証であろうけれども やっぱり私には無理みたい(笑) ああ 枯れた薔薇はさっさときりとって捨ててしまいましょ。 美しい花だけを 眺めていたいし。 新しい年も来るのだし。 椿のような 潔さがいいね。 花も 人も。 「移ろうからこそ美しいのです」とはゲーテの言葉。 ... MY TREASURE - 2002年12月25日(水) ... 水槽の底に - 2002年12月21日(土) 淋しくなるたびに ひとつずつ まるい筒型の水槽に 魚の形の香石を沈める 独りきりになって ポトン きみに電話が繋がらず ポトン まるい筒型の水槽は 凸レンズの論理で 沈められた魚たちは 横長に びよおん と のびて まるで 水槽いっぱいにのびのびと 泳いでいるみたいに 水色の シャークやヒラメや スターフィッシュが 積み重なって 静かに沈んでいて 私の淋しさも 持て余した時間も きみの不在も まるい筒型の水槽の底に 静かに沈めてしまおう ... おなじく - 2002年12月15日(日) 私はきみが行き過ぎるのを 此処で見届ける 独りにされたきみは まるで 主を失った迷い犬のように 今来た道や 憶えのある庭を 心許なく 足早に探し歩くけれど 解決の糸口を手繰るように 考えを巡らせるけれど きみは戸惑い立ち尽くすけれど 私も此処で立ち尽くすけれど 波のように次々と押し寄せてくる季節の中で私は 花が咲いていたことも 憶えていないよ 緑渦巻く激しい息吹がつくりだす 清々とした翳だって 憶えていないよ 憧憬や幻想の美しい観念や思想の 具体化したものだって おなじく 小さな欠片を積み上げることなく叩いて潰して 巻き上がるその塵や埃が一瞬煌めいたものをみて 私は 「きれい」 だと言ったよ 何処かで咲いた花を切り取って ベースにさして 私は 「素敵」だと 微笑んだよ おなじく、 。 いつからかそれらは 細かい分子になって(いたんだとおもう) 視界から 感覚世界から 姿をけしたよ 足元に目をやると ヒールの踵が少しすり減っていた ... 私の愛おしい・・・。 - 2002年12月09日(月) 彼は今 私の部屋に滞在している。 甘栗が好きで 爪で殻を破る音がすれば どんなに眠っていても 遠くにいても駆けてくる。 そんな彼は ぼんちあげのようなジャンキーなものも好物で 鋭い丈夫な歯で がりがりと音をさせながら 綺麗に平らげる。 ゴーヤなんていう渋い食べ物も好物で 一口食べると ヤメラレナイトマラナイ。 とはいえ 彼の定番の夕食は キャベツを細く刻んだものと鳥のささみを数分煮て しんなりさせたもので 特に味付けなんてしない。 食べては寝て 食べては寝て それも大きな鼾をさせながら眠るものだから 夜は彼よりさきに眠ってしまわなければ 睡眠障害に悩まされる。 そんなお陰で彼は 他のものの3倍の体重があり 重い体をのそのそと引きずって生活している。 彼が街を歩くと 皆が振り返り 微笑む。 気のいいオジサンや オバサンたちは 気軽に声をかけてくる。 若い女学生たちは 驚いたように目を丸くし 小さな子供はハーメルンの笛吹き男の後に続くように 彼の後ろを追っかける。 彼は今 大きな体を横たえて 足元で眠っている。 10キロもある ポメラニアン。 ... 12月の夜の街で。 - 2002年12月08日(日) 寒い12月の賑わう街の中を急ぐ。 駆け足の所為で 高いヒールが揺らいでいるけど イルミネーションで飾られた美しいショーウィンドウに魅かれるけど ロングコートの裾をひるがえして コートの間から 肌色の足を見え隠れさせながら 急ぐの。 君が待っていてくれるから。 冷たい寒気に 鼻の先が冷たくなって 息切れする息は 白く漂って すれ違う人たちの目に残像を残しながら 急ぐの。 あの交差点の角の明るいデパートまで。 冷たくなった手を君は握りしめて温めてくれるから お買い物で重くなったペーパーバックを君が さっと 手に取り 引き受けてくれるから 揺らいだハイヒールの踵を いたわりながら ゆっくりと街を歩く。 ほんの少し 自信過剰気味の君は 私を待っている間の ちょっと色っぽい話をするから 私は「そう」と気のない振りで 君の話をかわすけれど 少し歩いて振り返り 君の言ってた女の子の姿をやっぱり探すの。 もう今年も終わりねと 少し淋しく呟いたら そうだねと君が言って 沈黙する。 年末に帰省する君は なにだか大切な話を持ち帰る素振りもみせずに またね といってひょうひょうと消えてしまったけれど 年が明けて もう君には会えないことを 君に伝えられないままだったけれど 胡桃ボタンのついた ツイードの温かそうなジャケットに マフラー巻いて 片手をズボンのポケットに差し込んで 右手で手を振ってるその姿が淋しくて 淋しくて 淋しくて。 ... こだわる。 - 2002年12月03日(火) なにかに「こだわり」を持つということは 言い換えれば 何かに囚われるということ。 ポリシーを持つことはいいことだけれども 何かに囚われてばかりいては 身動きがとれなくなって 自分で自分の首をしめる。それが弱点となる。 本当ならば 一つだけに視線をむけるのではなくて 数歩さがって全体を見渡したならば そんな一つのこだわりなど ちっぽけであるはずなのに まるでそれが自分の宇宙のように 思い込んでしまって 不幸になる。 なにかに執着してはいけない。 人にも 物にも 行為にも。 何かを与えられること 何かを大切に思うことを恐れて 人は人を拒む。失うときが恐いから。 自分にとって安らぎをもたらす誰かはまた 自分の弱みを握る人物ともなる。 愛するということは そういうこと。 余分に愛したほうが 囚われものになる。 これでないと駄目なんだといいながら 人は自分に合った物を使用する。 車や 服や 靴や そんなもの。 物は自分の個性を表した象徴。 だけれども 本当は それでなくても生きていける。 「これでないと駄目」だというのは幻想。 自分が動きにくくなっていることに 気が付かない。 右足から靴をはかねばならないという思い込み。 ある動作を毎日しないと駄目だという強迫観念。 決まった手順を踏まねばならないという恐怖感。 自分で自分を忙しくして 自分で自分を回り道させる。 論理にのっとった手順ではなく 感覚や思念に支配された決まりごと。 何かに取り憑かれてる。 毎日 何かに囚われて生きてる。 自由な世界を生きにくくしているのは自分なのに。 私はひとつずつ 解き放ってゆく。 私に結ばれた糸を 一本一本ほどいてゆく。 何かと別れて 何かを失って。 そして私は 糸の切れた凧のように 風の向くままに 広い青空を 自由に泳いでゆく。 ...
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