Kyoto Sanga Sketch Book
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2003年11月30日(日) |
京都サンガアワードパーティ2003〜降格翌日の出来事 |
記憶に基づいているので、後先等間違えているかもしれません。 間違いがあったらご指摘下さい。 (できるだけ雰囲気を伝えたくて長文です)
11月30日(日)
「京都パープルサンガ後援会主催 アワードパーティ2003 ホテルグランヴィア京都 源氏の間にて」
色んな事が気になったまま。でも、色んな事から開放されたばかりの夜。 最終節、降格決定の翌日の晩にあったパーティ。
最前列には来賓、オーナーや役員等のテーブル。 中ほどからスーツを着た選手スタッフ、後援会員とその同伴者の一般席。 鳴り物やユニ持参の声出しサポーターは一番後ろ(今年は選手含めて350人近くの出席)。
チアガールたちの演技の後、司会者から、"残念な"降格決定の話のあと、 「でも、うれしいニュースが飛び込んできました。 本日、黒部選手が東アジア杯の日本代表に選出されました!」
わぁ!という感じで場内拍手が起こる。
「黒部選手はこの後、7時35分の新幹線で発つことになっています。」 場内どよめく。あと10分ほどしかない!
本人が壇上のマイクの前に立つ。 「今回の選出は僕だけのものと思っていません。京都を代表して行ってきます。」 残る選手やサポーターに対する思いやりと責任感のあるスピーチ、が黒部っぽい。
こんなカッコいい黒部には残って磐田のゴンのようになって欲しいんだけど…
しかし笑顔でかっこよく退場する我らがエースは… 案の定、出口を出たら大慌てだったらしい(笑)。
堀場後援会会長の挨拶。 「正直、今の状態でこんなに多くの方(300人以上)が来てくれると思いませんでした。」 できるだけのサポートをしたい、と言うサッカーファンの彼の話は、 失礼とは思うんですが…まるで”仲間”の話のように安心して聞ける。
京都府知事のスピーチ。 「(君達も)最後あれだけやられたら、すっきりとJ2に行けるだろう(笑)。 一年で昇格するよう…」 に場内の空気が緩む。知事までが父親か教師のよう。ほんと困ったチームですわ(笑)。
そして袴姿の京都市長のスピーチの後、 皆が注目する稲盛サンガ名誉会長が壇上に立った(少しやつれて見えました)。
「これは全て、私たちフロントの責任ではないかと強く感じています…。」 静まる会場。「何故、こんなにも試練が…」 最終戦、会長はご自身が会長をしている団体の総会の為、万博に行けなかったらしい。 帰ってからビデオでみて 「雨の中、選手、サポーターの方々を思い、申し訳ない気持ちでいっぱいです。」 しきりにわびていた。。ってどう?会長が選手に詫びるっていうのは。。 そういうオーナーのあり方もありか。。 (どうなんだろ。てか話題のGMは話なし?)
そうして会長は後、一番奥、サポーターたちのテーブルに向かった。
それは前回の降格の時と違う光景。 あの時会長は早々に会場を発った。 ホールの外で降格の責任とカズの解雇について大勢の報道陣に囲まれ、揉まれ、 それに割って入ろうとするサポーターたちの直訴の声。 あれはもう大昔の事のよう。。 サポーターとフロント、否、会長との関係はこんなに変わったのに。
「今のスピーチ、黒部にも聞いてもらいたかったな。」
次の京都府サッカー協会会長のスピーチは、若手選手たちへのエール。 (そういえば去年の新人は、ジュピロと有望選手を分け合ったと噂されたもんだ) もう少しであの菊地君すら騙せたはずだったもんな…。
「J2は長くてタフなリーグ。その一年でグンと伸びる選手もいる。 さっき代表合宿に向かった黒部でさえJ2の初戦ではスタメンでなかった。 誰もがチャンスがある。選手諸君には頑張ってもらいたい。」
…こうしてどのスピーチも前回の降格の時と違い、 ただのお偉いさんの儀礼の枠を超え、 それぞれの立場で大変面白いものでした。 そりゃこれだけ色々あったら、それぞれに感想や気持ちが入るだろう。 (…って何回もするもんじゃないだろう、降格。(T_T))
そして出席者全員に酒が注がれました。 「でも、いったい何に乾杯?」 来年京都にいないかもしれない日本にとって有望な若手達を育てたこと? ユファンも角田もWユースの為今日はいない。
「あーやだやだ。。一体どうなってしまうんだろ。」
新聞には「その後選手ファンが交流する和やかな時間が」と書いてありました。 その実際は例えば…。
自由な時間。 馴染みの選手と話す男性。好きな選手と写真をとる女性達。 会場はスーツやドレスで男女が動き回る華やかな場に。 慎吾の前には今年も列ができている。
「コーチ!今年選手はみんな残りそうですか?」 「今年はみんな残るよ〜!なぁ、松井」 自分の名前しか聞こえなかったようで、うん、と言うのを待ってみたり。
コーチ巡りの合間すれ違った2年目選手、「来年いないって噂、本当?」に 「えっ?えっ?えーーーーっ?!!!なんで!」 …この子は来年やる気満々ぽい。期待したい。
レンタル中の選手は、聞いたところ いたずらっぽく天井を見上げて「う〜ん」と考えみてくれたらしい。怪しい。
まだまだいる。怪しい選手。フフフッってなんだよ…。えっ?大丈夫って来年もいてくれるの? えっ?サンガは僕がいなくても大丈夫?なんだそれ? 冗談も休み休み言ってくれ〜〜〜!!!!笑うなよオイ。
そして隣では、来年どうせ試合に出れるかどうか分からない、とボヤク選手。
テーブルに戻ると、赤くなった顔の選手がその一般席のテーブル上のコップ全部、 ガンガンビールを注いでいるところ。 「今日は飲みたい気分なん?」の誰かのナイスなツッコミに無言でうなずいて、 今度は自分のコップに思いっきり注ぐ。
飲みたい気分…。こっちこそ。(^^;
みんな笑ってる。
一方、残るのが確実そうなサブ組、サテ組は明るく前向き。 サッカー協会会長の言葉を自分宛と聞いてくれたのかしら。 (町田だってあんなにやる気だったのに・・・)
そんな中で、覚悟はしてたけど「来年京都にはいない。ほぼ。」と言う選手も。 でもサッカーを続けていって欲しい。
しかし、慎吾の前の列は切れないなぁ。 自身の手でJ1にあげてみませんか?に、ニッコリと、 「まだ天皇杯がありますから。」
堅い。。。
あっ、そういや来期の主力、最近長い眠りから覚めつつある田原を忘れてた。
写真をとるのに、食べ物をほお張った口をもぐもぐ動かして、思わず、 「田原、口、口!」と近くのオバサンに注意をうけてたらしい。。 (なぜ彼はいつも腹をすかせているんだろう。。)
GM、強化部長兼総監督の木村さんはスピーチなし。 ホールの外で一人、言葉も例年になくしおらしくていらっしゃったというか。。 石崎社長はあちこちでにこやかに会場の人に対応してました。。
後援会の表彰は、ディフェンス部門優秀賞に斎藤、オフェンス部門に黒部、 そして特別賞に松井。
最後、壇上に選手達が並び、石丸キャプテンが降格を詫びました。 さっきまでと全然違ううつむいた顔が並んでいる。 (こういう言葉を聞くと、こういう姿をみると本当に辛い。) そして「選手一丸となって一年復帰できるように頑張ります。」と。 舞台では歌「ジャヤジャヤ サンガ」が始まった。
小柄な大奈さんが歌う横で、今日もでかい田原がスーツ姿で踊りだす。 今日は腰をかがめて手を交互に前に出し、波乗りのポーズで大きな体を揺れる。 (あまりにユーモラスなんで、改まった空気の会場がまた緩んでしまう(笑))
あの歌はサッカーの応援歌としては可愛すぎるかな、と思うときもあったけど、 彼女のキュートな歌声は、やはりサンガのアットホームな雰囲気によく馴染みます。
たった一年ちょっと。でもとてつもない経験をしてきた歌。
ダンスに飽きた田原は、後輩を後ろの列からひっぱり出した。 しかし、大奈さんの方に恭しく(!)一礼して列に逃げ戻られた(笑)。 今度はお決まり、先輩の松井を列からひっぱりだそうとする。
プログラムは全て終わった。 スーツ姿の選手達が全員整列したまま出口に向かって退場していく。 選手が皆ドアの向こうに消えようとした時、 福寿がおどけて飛び出し、私達全員に向かって大きく万歳をして去って行きました。
しばらくたった後、外では、 控え室から出てきた選手たちをもう一度拍手で激励するアーチが。 ある選手がオヤジのように手をふって愛嬌(?)を振りまいて、 「ありがとうーー!!ありがとうーーー!!みんな!ありがとうぉぉぉーーー!!」
この顔で、こーゆーキャラだったのか (^-^;)。
しかし結局、あの乾杯は何への乾杯だったんだろう…。
…まぁいいや(笑)。 今年もやっぱり皆の我らの「未来に」乾杯するか。 どこに行ってもサッカーは面白い(又勝てるかはわからないけどさ)。
以前降格した時とまったく違う気持ち。あの時は… 本音では好きな選手達には「J1」でやって欲しい、と思っていた。 こじんまりとサンガはサンガで別にやっていけばいい、と思ってた。 (松井遠藤のような若い選手も、カズのようなベテランも、J2では可哀相と思った。 …まぁ、孝さんだけは残ってもいいと思っていたんだけど(笑))
でも今年はその反対。 本音で、好きな選手を好きな「J2サンガ」で見たいと思う。 なぜかまだこのチームに、わくわくしているから。まだそれがあるから。 (今なら降格の時のレッズサポの気持ちがわかる。その理由こそ考えてみると有益かも。)
その上に、選手にもスタッフにも、ファンにも「新しい血」も加えてやり直して欲しい。 (降格2回目ってモチベーション維持がきついから。 見る側の私ですらなんだかシンドイもの。弱音。) 色々難しい問題がまだまだ存在していることもわかりますが。。
クラブの来期の方向性が定まるのは、もう少し後。 何も考えず、ほろ酔い気分でサンガを愛する者達が帰る。今日はそんな夜。
2003年11月29日(土) |
【G大阪戦2nd最終節】降格決定〜雨。未来に帰る為のコール |
「一年で帰って来い!」雨に濡れる万博のスタンド。男が叫んだ。 イレブンはうつむいたまま、ゲートに向かって行く。 アウェイゴール裏からのコールが、儀式のように繰りかえされる中、 沸き起こるサンガサポの沢山の負の感情を、降り注ぐ雨が静かに吸い取っていた。
シーズン前、 サポーターは「残留」を最低目標に掲げた。1,2年は賭けなのは判っていた。 評論家は「中位」と予想した。 クラブと選手は「優勝」を口にした。
一致するのは、可能なだけ上位に行く事。そして、新たに躍進する選手の出現を待つ事。 そんなシーズンが終了した。結果は「J2降格」だった。
風邪で発熱。アウェイ側メイン席から最後の試合を観戦した。
2ndに入り、上位に凌ぎ中位以下に負ける。 試合前のJ1残留の条件は、 「仙台が大分に1点差をつけて勝った場合、京都はガンバに5点差をつけて勝つ事。 もし両チームがドローなら…京都は19点差をつけて勝つ。」
…現実的に5得点差や19得点差なんて不可能。それでも来年の為に何かドラマを見たかった。
この日もサンガがボールを保持してゲームは始まる。 19本のシュートでしたか? 「この調子なら、余裕で5点ぐらい取れそう(笑)」と冗談を言えるぐらい。
びっしり詰まったアウェイのゴール裏は 上半身裸のサポーター達を中心にほぼ総立ちで応援し、 ピッチ上では超攻撃的な、無茶な布陣で選手たちが走っている。
前半17分。サンガが受けたほぼ初めてのシュート。 GK上野の弾いた球をガンバ、マグロンがゴール。
それから後、次々失点していくさまを、 近くで流される涙をよそに、自分で驚く程乾いた目で見ていた。 それでもサポーターの応援は凄まじかった。 「サンガサポ、変わったな…。」
試合の流れと関係なく、どんどん切られる攻撃的なカード。 オフェンシブな選手が次々入っていく。
一年前の残像、黒部と松井の姿、そして人が変わったように走っていた田原。 ゴールを守るたった二枚になったDF、手島と和裕。 だんだん激しくなる雨粒の向こう、かぶさる大勢の声が「京都」と叫んでいる。
それらを、赤紫の雨カッパで占めたアウェイ側メイン席から、 目をそらせたい、でも抱き締めたくなるような気持ちで見ていた。 元旦から1年がたとうとしている。
しかし点差は開く一方。 冷たい雨は次第に激しさを増していった。
シーズンは終わった。 若手育成の大きな構想の中で狂った歯車。 期待に答えられなかったのは選手監督ら「現場の責任」。 それを補強や監督の的確な人選、交代で整えられなかったのは「フロント側の責任」。
アウェイゴール裏は3年前の”あの時の私達”のように泣いてたのかもしれないけど。 2回目の私の頭は「J2でどれだけ戦えるか」で一杯。
確かに天皇杯チャンプの印、肩のヤタ烏が恥ずかしい。 こんなもの、剥ぎ取りたい。
するとガンバ側ゴール裏の一部から「J2〜♪J2〜♪」と囃し声が聞こえて来た。 その能天気な子供っぽさに笑ってしまった。 「ノンタイトルの平チームに言われても、痛くも痒くもないわ〜(笑)。」
でも総監督の言葉を信じるなら、この時。 雨の中、ゴール裏から美しい京都コールが響いていた時。 選手たちは皆、悔しさに、ロッカールームで声をあげて泣いていた。 もしそれを知る事ができたなら、私も涙を流せたかもしれない。
あのPKの失敗がなかったら。。 あのシュート数で遥かに上回った試合で勝っていたら。。 あのロスタイムでの失点がなかったら。。そのうち一つでも…
「こんな無茶な試合をしなくて良かったのに。」 そんな声が遠くで聞こえてきた。
〜〜〜2003年シーズン総括(いつかの為に)〜〜〜〜
1stステージ エンゲルス監督→木村総監督 3−4−3 前シーズンと同じ、縦へのスピーディな攻撃を目指す。 層の薄いまま補強に失敗。その上攻守の両主力を怪我で欠き大量失点が続く。
2ndステージ ピム監督→木村総監督 4−4−2 対戦相手によってがらりと変える戦術。 基本的には、高いDFラインを攻撃の起点とし、 両サイドを使った組織的サッカーを目指す。
しかし戦術が浸透し、攻撃のバリエーションも見られ始めた頃、 新監督についてある小国の来期代表監督に就任する事が海外メディアから伝わったり、 納得のいかない同国人FW起用が続いたりで、選手の不満がスポ記事で伝えられたり) その後、悉く下位対決に負ける。(今期2度目の監督解任)
特徴的なのは2nd、敗れたのは、何故か7位以下のチームだけ。 (上位6チームには全て勝つか引き分けるかできた) 戦術及び個々の選手のタイプとしてカウンター戦術に弱い上、 「去年のような挑戦者の気持ちになれるチーム」と「そうでないチーム」 のモチベーションの差があった…らしい。
どうも自分らの実力を某紙予想と同様「7位」と踏んでたよう(笑)。 (せめて勘違いでも8位か9位にしてたら…残留できたのに)
選手個人に目を向けると補強が現チームに合わず、 外人助っ人は質、若しくはコンディションに問題が。 (使えたのがビジュだけなんて)
しかし、サンガの歴史の中では”名目上”選手が一番評価された年。 今年はA代表にサンガ育ちの三人、 黒部が3回、松井が2回、手島3回と次々と初召集された(黒部と松井は出場も)。 五輪代表でも松井が10番に定着。 ユース代表の角田も飛び級で五輪代表戦(U22)に出場。
タイトルホルダーとはこういう事か、と実感した(も〜色んな立場を経験しすぎ〜)。 クラブとしての他からの注目度。代表選出、メディアへの露出。 チームを問わないサッカーファンからの多くの激励。 そして…各メディアによってバラバラなサンガの印象(笑)。
(その辺すごく複雑な気分。 タイトルをとった翌年のチームだからこそ気付いた事を暇ができたら書いてみよかな)
年間総合16位。J2に再度降格。
よく海外サッカーファン達に慰められる。 「世界的に見れば、上がったり下がったりのエレベーターチームも珍しくないって。」
……だから、ウチのチームが”それ”だとは思わなかったんだってば。
今年の元旦が益だったか害だったか判るのは、多分あと数年後。
2003年11月27日(木) |
メッセージ for all 〜万博に行こ。 |
とにかく最後まで見届けよ。
管理人、情けない事に、 直接対決の相手に全て勝ち点3与えるなんて予想してませんでした。 実は今の状況は休止前は考えてなかった。 (少しは覚悟していたけど)
三年前と違って腹は立つけどスタンドには悲壮感は全然ないですね。 昔スケッチした、前回降格で見た風景とは全然違う。 不思議。
それに当時、二部制の始まったばかりだった頃の J1とJ2をとりまくイメージ、チームの状況とも全然違う。 いろんな意味で。
J2は過去実績のあったチームの「再生」の場、 新しいパワフルなチームが「生まれる」場。 (今そんな事してる場合か!と怒っているんですが。積み上げた積み木を壊すようなことを)
でも「クラブチームは最低10年見続けないと、面白さはわからない」 そう言われました。
降格を回避できる僅かの可能性にどこまで近づけるか。 それを確認に行きます。
ただ新しいファンの事が一番心配。。大丈夫ですか?元気を出して。
選手の残留に関しての意見をあえて言うなら…
万が一の場合、本人のことを考えて、出て行く事を許す、なんて言うのは 一般的に生活感覚から言っても「愛」としてはまだまだ青い…と。 (大人は経験上、自分の気持ちを認めて、ある時は正直になるもの。 それは案外、相手を困らせないよ。) フロントは来期の青写真を早く示し、残るメリットを計算して相手に説き、選手をまとめるべき。 そんな内外の状況の下で、仕事人たちは自分の事を決めるはずだから。 (後で人格批判だけをする事だけはないように)
しかし…チームに対しても選手個人のファンでも、 愛するということは大変だべ。ほんと。
そうそう。鹿児島から来る新人の二人の話を。 地元の新聞をファックスしてもらいました。 もう地元で記者会見があったのかな?
二人ともそれぞれの高校でキャプテンを務めているようです。 (残念ながら、選手権全国大会でで二人の勇姿を見ることはできませんが) 中学時代は同じサッカースクールに通っていたとの事。 親しいかどうかは不明(笑)。
■鹿児島城西高校 MF中山博貴 177cm 70kg■
U18の司令塔。 横浜マリノス、浦和レッズ、ガンバ大阪を蹴ってのサンガ入団。
国分キャンプでU22と試合をした時、 松井君の代わりにサンガで10番をつけて参加した選手。 (その時の高い評価はいろんな所で聞いた人も多いと思います) 京都は「即戦力としても期待できる」とコメント。
(なんか松井君が来た時と似てる…)
城西高校は鹿実ほどまだネームバリューはないけれど、 若い監督を中心に目覚しく伸びている高校、と数年前から噂を聞いてます。 (あえて鹿実を選ばす、成長目覚しい高校で一年生からレギュラーを取る。 そんな彼の姿勢が京都入りを決めさせたのかもしれません。。)
■樟南高校 DF牧本泰山 185cm 70kg■
大型センターバック。 DFラインを統率し、長身を生かしたヘディング、競り合いに強いそう。
…では、最終戦および翌日のアワードを少しだけ楽しみに。。 予想以上に今までのテキストを手直ししなきゃ、なんですが、 ここまで書いて、また腕に来ました(涙)。
とにかくぼちぼちとですが、復活はします。。
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