Kyoto Sanga Sketch Book
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2003年09月06日(土) 【磐田戦2nd第3節】

※日付けとは違い、一週間前の前節分です


今の京都に「ベストメンバー」の概念はないかも。
その時々の相手やチーム事情に合わせて、必要なタイプの選手を起用。


スタメン発表に観客が小さくざわめいた。
なんとピッチ上中盤は全員「守備的」MF可能者。
ピムの作戦がスタジアム中に知らされたようなもの。

天皇杯王者のプライド?何それ?しらん(笑)



試合が始まった。
磐田が中盤で名波を中心に「魅惑のパス回し」を始めようとしたその隙に、
京都の全員守備的MF達が寄って集ってぶっ潰す。
それをポンと前に出す。すると攻撃的MFに変身したビジュと中払が全力で走り出す。
その隙にDFがラインを押し上げる。・・・こうして磐田の中盤は消滅。

磐田は焦りが酷くなる。
不注意なミスが多くなり、無理めの体勢で体を寄せて奪おうとする。
ファールを取られて苛々、審判の心証を悪くしてまたもらう。
(気持ちは判るんですが・・・)
・・・これから後は磐田の自滅のオンパレード。福西、ジレが退場。

9人になった磐田。菊地君や成岡君という若手に代えました。
(菊地君はいいオーバーラップもありました)

J始まって以来、リーグで一度も勝った事のない磐田。
だからこそ9人になっても油断しちゃいけない、と思いつつ、
さすがに大丈夫だろう・・・と小さな高揚感のもとで見ていました。弛緩と緊張で頭はボーッ。


ただ、結局サンガはビジュの1点しか取れなかった
(ビジュに関しては名鑑参照)
決定力は未だ復活せず。また得点後の消極性に賛否両論。
不思議な勝ち方。でも、ある意味予定通り。私達は初めて勝った磐田を前に涙。



でも、あの時の勝利のホイッスルは忘れない。
私がこのサイトの休止のタイミング決めた理由の一つです。


2003年09月05日(金) DF手島和希〜穏やかでクレバーな輝き(つことで)

元旦。黒部の両手で天皇杯優勝の杯が掲げられる。
湧く7万の観客。幸せ一杯の光景。
チームを代表してインタビューに答える黒部達。

・・・でも、ここで他チームのサポータは疑問に思ったみたい。
「なぜ、キャプテンの手島が持たないの?語らないの?」

その答えは簡単。彼だから。




フリューゲルスの消滅で京都に来たばかりの2年目にデビュー。
「もう守備については何も教える事はない」という清水監督の言葉と共に
ピッチに現れた少年はマッチ棒みたいでした。ポジションは4バックの左サイド。

「・・・大丈夫かいな。」

案の定、すぐ倒された。ポキっと折れそうな体。
やる気があるのかないのか判らないこの青年は、カバーリングに才を見せる。
が、「”守備については”教える事がない」の意味がすぐにわかった。
プロレベルでは攻撃力がなさすぎ。デビューしたてのSBはサポーターの批判の矢面に。

でも早くもその2ヶ月後、ナイジェリアユース世界大会。
彼の才能が開花。それは怪我の金古の代わりに「CBとしてラインを操ること」。
そして彼らは準優勝。
準決勝進出時トルシエのキスの嵐を嫌々ながら受けていた選手達。
その中に余裕の笑顔の手島を発見!反対にショックで青ざめていたのは高原・・・(笑)



こうして、帰国を「待ち構えていた」弱小クラブに、
そのままDFラインを任されます。まだ御年19歳のこと。

サンガのDFはいつしか彼の為にか、トルシエ式のフラット3になった。
守備を固めたサンガは勝ち続ける。1位が目の前に迫ったことも。
手島クンの太いコーチングの声が西京極に、アウェイに、練習場に響き渡りました。




で、その後5年のサンガの成績ですが、毎年、全く彼の調子次第。。(ハァ)


帰国後の2ndステージ。手島好調。チームは連勝。
翌年2000年、左SBに戻った手島が大スランプ、サテ落ち。チームは降格。
翌年2001年、完全復活。21歳ながらキャプテンマークを巻き続け、チームはJ2優勝。
2002年。手島欠場の為開幕4連敗。その後彼の復帰で5位。天皇杯優勝。
・・・そして怪我の為、彼抜きだった今年の1st。チームは最下位。

・・・本当にこの人の調子・出場ととチームの成績は連動・・・(ハァ)。


ファンサービスができない彼が、どうして女の子達の人気ナンバーワンだったか
当時の彼ですが・・
頼りげない笑み。破壊的に口下手でやる気がなさそう。
が、一端ピッチに立ったら変身。大人達を前に男っぽいリーダーシップを発揮する頭脳。
まぁ、そのギャップは「反則」というか。←けっこう筆者もやられてたくち
(サンガでルーズソックスを流行らした、ファッションリーダでもあるらしい(笑))



しかし変化が訪れた。J2開幕前の事。
「なんか手島がおかしい。むしろ変!」という噂が。
なんだかやる気満々らしい。
シーズン前、キャンプでもチーム得点王を狙う勢い(DFなのになぜに得点王?)
しかも・・・「ひぇ〜、手島がキャプテンマークを巻いているぅ!!!!」

あの幼めの面影はその年からワイルド系に変わりつつあります。
でも、今もたま〜に遠くをみてニヤニヤ機嫌のいいあの「手島クン」をみる事ができます。
ただ、そんな時もけっして「テッシー可愛い!」なんて言ってはいけません。
だって九州男子だから(笑)。






彼の仕事は、最後尾からDFラインをコントロールする事によって、
イレブン全体のポジショニングを方向つける事。
3バック時代のコンパクトサッカーを支えていましたが(ゲルト自身彼のチームと)
ピム監督の4バックになって、より臨機応変な判断が求められている・・・はず。

パスコースを消すのも巧い。クールな守備好きにはたまらない!
ただ迫力ある守備が好きな人達にとっては、まだ地味目な若手DFかも。
最近は一対一にも強くなり、華も加わりました。

そんな彼も今年はA代表。
オールスターでSBの攻撃が見事だったから、とジーコが代表に呼んだ理由を言う。
なんだかいつも不憫な人(笑)。
日本を代表するDF。





元旦の日。
キャプテンマークを巻いた23歳は壇上に上がる時、
「優勝杯はクロさんが受け取ってよ」と言ったらしい。
それが私達にとって愛すべきDFリーダー「てっしー」。



2003年09月04日(木) MF松井大輔 〜京のファンタジスタ For reachs of da sky

Get your hands up wanna be!
Get your hands up Fantastic!
For reach of da sky

(Fantasista/Dragon Ash)


あの時、鹿実の赤い10番が
サンガの10番になり、いつしか代表サックスブルーの10番になる事を願った。
あの頃、それは突拍子もない夢だったかもしれない。








1999年冬。高校選手権に1人のファンタジスタがいた。
家の事情で鹿児島からそれを見る事ができた。
その繊細で優雅なテクニックを「京のみやび」と名づけたのは関東の友人。

彼がボールに触れると、ボールの重力は半減する。
走るとたった1人で相手イレブンの全てのリズムを崩す事ができる。
味方との短いパス交換、敵の入れて来た体さえまるで自分の呼吸の中。
田原がマスコミの集中的な視線を集める中、
メディアはこのMFともFWととも言えない少年をどう扱っていいか困っていた。

鹿児島実業の10番は京都出身でした。それは大層珍しい事。
(後で彼に九州の血も流れている事を知ったのだけど)。
既に京都に内定していた。
解説者の李が呟いた「京都ですか・・・。そうですか・・・。」←何か納得がいかったらしい。。




その半年後、Jリーグ柏戦。テレビに映った彼を見て唖然。
その彼は、プロを相手に意気揚々と楽しげに高校時代と全く同じ事をしていたから。

迫る洪明甫の身体が彼の呼吸の中に吸い込まれていた。
襲って来る三人の敵を、柔らかい体と球がすり抜ける。
パスを引き込むような位置で球を受け取り、南のいるゴールに何度もシュートを打つ。

Tricky & Freaky breakin' Who da beat!
Up and down
Lily is in da "Run and Gun" Go!

でもチームは勝てない。この日も延長負け。
高校時代とは違い、守備に追われる事も増えていました。

・・この頃は「田原がいれば」と思ったり。本当に揃ってしまうってねぇ。


高校生達でさえ続々と選ばれるユース代表にも招集されず、取り残されました。
評価するのは、サンガのサポーター、対戦チームのサッカーファン達、
そして俊輔ファンの一部だけ。

ユース代表合宿を途中で返される彼に「その方がいい」と言うサポーター達。
(地元出身の彼は「京都の王子」として迎えられていた。しかもレギュラーだし。)
思わず「松井を第二のグっさんにするつもり?」と文句。
野口ファンの失笑を買った覚えが。

だって、京都の中だけで終わらせたら今までの選手と同じになってしまうもの。
代表経験はチームにも還元されるはず。






・・・でも、夏が過ぎ、期待の新人は勢いを失う。
サテライトの試合の背番号は、登録とは関係なくつけられる。
夕暮れの光の中、偶然紫の10番をつけた選手が異常な存在感でした。
ファンタジスタの番号が今までの全ての記憶を呼び起こす・・・。

何故か涙が出てきそうになった。
彼に涙した訳じゃない。彼の背中に涙した。

大袈裟?そうだよね。
でもその時日本にいる、世界にいる10番達が心に押し寄せて来た。
私自身は守備的な選手の方が好き。でも彼らは皆特別だった。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。
唯一無二のファンタジスタたち。

なぜか重なった。
今まで好きな選手はいる。でもそんな問題じゃなかった。

このサテライトの少年が、クラブの10番になり、
いつしかそれまで超えて代表ブルーの10番になって欲しいと初めて願った。






翌年2001年。事態は急展開。
J2サンガの平均年齢は20歳。19歳の指令塔にその番号が回って来た。

「本人重荷になってないだろうか・・・」
「大丈夫じゃない?」
本当に大丈夫そう。明るい男。やる気はあったはず。


しかし、引いてくる「格下」相手のリーグで多用したのは中盤省略のサッカー、
そして監督が求めたのはよりシンプルなサッカー。
勝ち続けるチームの中で、若き「10番」はチームの中の居場所を探す事に。
主力になりきれないエース。


ところが2002年。U21招集。
いきなり世界の強豪国の集まるツーロン国際大会で
「ベストエレガントプレーヤー賞(準MVP)」受賞。
あまりに相応しい賞(笑)。万歳!というより、
「でしょう?でしょう?」と嬉しくてニヤニヤしてしまう。

黒部・朴との3トップはリーグ最高レベルの攻撃陣でした。
彼のドリブル、局地的な判断力は冴え渡る。
立命館大学経営学部入学。御大層にも!10月10日10時10分に入籍。
そして天皇杯優勝。
サンガにとって、松井にとって、何もかも順調な年。

だから言ったじゃん。代表で強敵と戦えば逞しくなれるって。
ナイジェリア帰りの時の手島達や、代表に招集される毎に逞しくなる智星と同じだって(たぶん)。


そして迎えた2003年。
海外クラブの為招集を見送られた俊輔に代わり、
ついにA代表の10番になってしまわれた。

全部正夢になった。どうしようか。。

雑誌に彼の名前や顔が踊るようになり、全国で彼への評価が高まる。
海外チームからの照会が続く、と報道される。
サンガの記事は彼の取材が中心になり、ニュースでは彼の視点で試合が流れる。

気が付くと、「世間」と「私達サンガサポ」の評価は逆転していた。
「松井大輔っていうのは凄く才能がある選手なんだよ」
代表サポ達が言う。

彼の才能を、いろんな人と共有できるのは嬉しい
以前の事を考えるとね。
しかし、時々セレッソ戦のような光をみせるけど、
今年、彼はサンガにとって攻撃のオプションの一つでしかなくなってしまっている。

実は、J2降格自体はそれ程問題じゃない。それより選手が抜けるのが辛い。
しかし今、黒部手島が抜けるのは痛いが、松井が抜けるのはそれ程痛くない。

それって彼を京都に迎える時に求めていたものだろうか。。。



A代表戦の国際中継。
まだ飛び入り新人の彼にボールは回って来ない。
しかし、遠藤が何度も何度も彼に渡そうとする。それはあのデビューの年と同じ。
彼はまた新しく動き出そうとしている。

「えっ?もう22歳?」「だよね。」

高校時代からほとんど変わっていないプレースタイル。
でも、今チームにプレーで溶け込めない中で模索しているよう。
J2の時とは違いちょっと遠い人になったけど、嘘か実か情報だけは多い。
そして内容は前向き。



相手を飲み込むのは1人じゃできない。
託されているのはもっと大きなこと。
真の意味で自立したサッカーがみたいよ。松井大輔。





サッカーダイジェストの付録、彼がたった1人映っているポスターをみてそう思った。
あの頃あんなに願った、
サックスブルー「10番」のユニフォームが眩しすぎる彼に。






2003年09月03日(水) お店紹介〜「カフェ Diego」&「蹴球茶屋 Wembley」

両店とも優先的にサンガの試合を流してます。
”さりげないサッカーマニア&ファン”なら開放的なスパニッシュカフェ「ディエゴ」、
”熱く語りたいサッカー馬鹿&その予備軍(?)”なら打ち解けやすい和風居酒屋「ウェンブリー」。





■cafe Diego(ディエゴ)



表看板には店名とボールを蹴る青い人影。彼が誰か、解る人には解るはず。
雑誌等には”一般客向け”に「スペイン系の少年の名」とだけありますが。
(まずここで、サッカーファンだけの優越感を味わえます)

階段を降りる。くすんだ白ベージュのテーブルやベンチ。軽快なインテリア。
地下のガラス越しに差し込む日光。明るさと暗さが微妙に溶け合う穏やかな空間。
店内は「南欧の小さな地方都市のカフェ」といった感じ。

広い白壁には海外のサッカーの映像が流れて、
海外クラブのユニが店内にオブジェのようにディスプレイさてれます

でも、一番目立つのは壁にかかった4着の「青色」の日本代表ユニ。
ふと見ると、テーブル上のメニュー、入り口の壁の一部、
店内のあちこちにかけられた小さな布、ユニフォーム達・・・
白いインテリアの中、それら小物達の色が目に沁みる。それぞれに「青色」。

「青・・・日本代表のファンなんですか?」
「一応、一番長く応援しているチームだからね」
(ちなみにこの日はサンガのアウェイ。だからスタッフの男の子は不在)

メニューも基本的に店名と同様スパニッシュ。
ドリンク付き(ワイン可)のLunch Plateは800円〜1000円
夜のPlateも気軽な1000円。デザートも豊富。
カクテルは個人的にはオリジナルのサングリアがフルーティでお薦め。

総ガラスの窓際では若いカップルがサッカーと関係ないおしゃべりに耽っていました。
ポエムリーディングや、映像イベント等もここで行われるよう。
一見ごく普通の「カフェ」。サッカーファンでなくても全然楽しめる。

白っぽい空間の店内。
でも店を出た後は、なぜか「青」のイメージばかりが残像のように心に残りました。
それを「日本代表へのオマージュ」ととるかどうかは、あなた次第、らしい。


営業時間 昼0時〜深夜0時
場所 京都市上京区河原町通今出川下ル東側ヴァンヴェール河原町ビル1
(今出川交差点から河原町通を南へ5分)
電話 075-257-3638


※数ヶ月行ってないので、変更がないか電話等で問い合わせてみて下さい。
内装も変わってるかも(汗)
一見海外オンリーに見えますが、Jリーグファン歓迎らしいです。










蹴球茶屋 Wembley ウェンブリー 2002■



河原町から木屋町側に入ると細い通りは酒場が一杯。
小さなシンプルな白い看板を見つけ、とあるビルの3階にあがる。
(正直まだあるか心配だったり。本当に趣味的な店だから。)

蹴球茶屋。サッカーファンなら心落ち着ける場。

小さな木製のカウンター。テーブルは一つだけ。
10人ぐらいで一杯になりそうな、小さな居酒屋。
カウンターの前のテレビモニターには、国際戦の中継が流れている。

注文を取りに来た店長に「まだあったんですね」なんて言えない(笑)。
口コミオンリーのはずなのに、いつも客が入っているから。

「蹴球茶屋」と和風に名うっているだけあって、メニューも基本は純和風。
料理は280円から。安いわりに味はかなり上。
お薦めは「手まりコロッケ」や「賀茂なるの味噌炒め」などなど。
お酒も日本酒や焼酎がメインですね。
(来たら安い予算でめいっぱい食べて飲めます)。

壁には心ときめくお宝がぞろぞろ。
麗しのアズーリの面々の並んだ青いタベストリーから始まり、
各国の代表、マンチェスターや店長が好きなフィオレンティーナ、
それにサンガのフラッグ等々が賑やかに張ってある。
天井も世界中のユニフォームやフラッグで溢れかえり・・・
そこにネパール代表のシンプルな赤いユニまで見つけ、目が点。
(実はこれには曰くあり・・・)

サンガ系のポスターもたくさん張ってもらってます。
サンガサポでなくても、ちゃんとサンガに詳しい客が多いので嬉しい。

「今大会は若手に育成のチャンスを与えるチームが多いからね」
「そう言えば、この前の試合のブラジルは・・・」

カウンターで料理を作る若い店長とその前で鈴なりに並んだ客達は、
深夜を過ぎても、サッカーやサッカー以外の話題でも盛り上がっている。

こうして今日は朝まで色んな蹴球ファンが行ったり来たりするらしい。
美味しいお酒と和風のつまみを手に、知らない人とも自然と蹴球談義ができる。

本当に不思議な店。


営業時間 PM 6:00〜AM 2:00 (試合等により延長あり)
場所 中京区河原町六角東入る六角ビル3階
(あじびるから北の通りに入り、少し歩いて左側)
電話 075ー211ー9590 (チラシより抜粋)


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