薔薇抄 *Rose Show*
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2008年07月30日(水) |
たぶん でもね 私は |
そう だから、女の子ってかわいいよね とか かしゆかってかわいいよね っていうのも、同じ話な訳だよね。かしゆか超かわいい 大好き って言うときの、責任の軽やかさは、彼女の抽象性と具象性を顕しているからにほかならない。 だいたい、男子をキミと呼ぶ女子がいるのはどんな世界? そこに生きていいのは、だからぱひゆむであり、ヤスタカなんですね。
おしゃれってなんだろうね。おたくっぽさってなんだろう。 ツンデレーションのギリOK加減がほんとにわからない。それが大丈夫なのは何故だよ。ビブラートのなさか。歌姫に歌い上げることを禁じたからか。 まあテクノポップっていうハイセンスでおしゃれな音楽形態の構成要素としては、中学生男子気質といけめんであることが不可欠であるようなんですけどね。我々の研究結果としては。まあ中学生男子としては、恥ずかしいものを廃除し尽くしたいって気持ちはわかるよね。潔癖で気高いよね。ね、ふじーさん。
元来おんなというものは、現実に則した夢しか見れないのではないでしょうか。だから少女漫画はありそうな世界でなさそうな物語が展開する。 おとこはもっと制約のない夢を見るから、その世界がありそうかどうかなんてどうでもいい。 その差。 そこで生まれた世界は故に理想然として、1語でも聞いたようなキーワードを含んでいれば、おんなのこを騙すことなんて簡単。そうそう私もそう思ってたの。それぐらいの共感でいい。 だってななめから恋をしているんだもん。Say love me girl。
そこで多用されている単語が「たぶん」だっていうのがすごくない?え そんなには言ってないか? たぶん、でぼかされてしまうこと、許されてしまうこと、広がってしまうこと。そして逆説的にリアリティを帯びて聞こえてしまうこと。 その抽象性と具象性は、そのまま彼女(たち)の魅力になるから。 抽象のインパクトが強すぎてもうできあがりきったイメージを前にしては、多少の具象はスパイスやアクセントとして、チャームの一端を担うことはあっても、負の感情には働き掛けない。イメージと違うってことになんか問題があるのかどころじゃなくて、イメージと違うってことにすら気付かないほど完璧な彼女とその世界。てん とう むし。イメージ通りだよね。だからパーフェクトだって言ってんのに。 そう、ね この彼女に対する情報知識イメージくらい彼女がしあわせならいいなあとは思うよね。
2008年07月28日(月) |
君はいつでもシークレット |
そうですよ。かしゆかファンですよ。それしかないじゃないですか。当たり前じゃないですか。すべて。 つまりそういうことだと思っています。かしゆかしかない。一目瞭然で。 それは「かわいい」とは何かを論じるようなもの。
テクノポップはクリィミーマミで、だからつまりアイドルにのみ許された音楽。感情移入の必要なんて感じないまま、かわいいの一言に集約されるすべてが、心地良いとは思いませんか。彼女たちの血も汗も涙もアイコン。非現実的な表現方法で、なんでこんなに女の子の気持ちがわかっちゃうんだろーvって言いながら、男脳が生み出す女の子を歌い踊ってくれるなんて、本当に夢みたいにかわいくて夢みたい。 だからもうこちらは成す術もなくかわいいかわいいと繰り返すだけ。娯楽。 頭が良くて、ちょっと間抜けで、プラスティックでセラミックでコンピューターで、シティで生きてる。ショートカットとストレートロングと巻き髪。パンツとミニとフレアスカート。できすぎのプロデュースに本人たちが何を思ってるか知りませんが、それを知りたいかどうかも怪しいくらい、そのまんまでいい。ほんとは全然素朴で一生懸命で広島から出て来て力を合わせて頑張ってるとか一瞬で想像できても、それを知る前と後で彼女たちに対する好意が深まる訳でもない。つまり登場したときから既に完璧。パーフェクトスター。全てパーフェクトなスタイル。あの衝動はまるで恋だね。 だってマジ本気かしゆか。なんかもう かしゆかって形容詞とか動詞とか、なんか言葉になっちゃえばいいのにってくらい、かしゆかしかない。ポリループ。かわいいをリサイクルしてもう永遠にかわいい。なんだろうこのかわいさ。女の子ってかわいいよね みたいな。ハムスターってかわいいよね みたいな。もうかわいくって当たり前な。存在理由 かわいい。異議なし。みたいな。顎が外れ放題に口を開けてもうぽかーーーーーんとかわいさにうつつを抜かすのが正しい愛で方とか安心する。 みんなかしゆかが好きか。そうか。 ずっと見てたい。
パークパクチュッギュッ だけでいいのにね。 つまり、「今度お食事でも」等と言うのは、社交辞令レベルで言って良い台詞であるはずがなく、食事はちゅうとかぎゅうとかしたいくらい好きな人としかしたくないですよね って話ですよ当然じゃないですか。 だって真理。世界中の素だ。
包容力っていうのは、成長過程において育まれる場合もありましょうが、包容力がある人っていうのはもう、5歳児であってもそうあるんですね既に。 誘われて、乗り気じゃないとき、それどころじゃないときは「後でね」。これ以上スマートな対応はないんじゃないでしょうか。 好きな子が乱暴だったり自分の常識外だったり予想を裏切る振る舞いをしても「あっ…」と言うだけで容認、即対応。こんな甲斐性を持っているのは、世界広しと言えども、世界の恋人だけ。
えっと、ぽにょを見ました。 いつもより色数が少ない気がして(気のせいじゃなかった)期待してなかったんですが、いやあ、映画って本当にいいもんですね(はるお)。 つまり、これしかないってことなんだよね。これだけでいい。これだけあればいい。 貪欲過ぎて欲に溺れて目が見えないわたしには、まぶしすぎるから不安になったり嘘だと思ったり照れたりするけど、そういう世界がどこかにあるなら、嫌悪しないでいいなとうらやましがれるくらいにはいたいし、単純にあははって見れるのはいいし、ずっと泣いてんのは予告で見たウォーリーのせいだと思いました。眠くなんない映画はいい。 はやおはすごいよ。そりゃあのぞみちゃんに傅く勢いでしょうよ。だってこれでもう完成してんだもんね。5歳だって人生は決まる。決まることが終わりではない。 恋愛映画しか見たことないし、見たくないです。 ぽにょの顔だけでずっと笑える。
出会う順番に意味はあるのか。 なんてことを思う。 あの人ともっと早く会えていたら、わたしの人生はどう変わっていたか。 でも例えば10年前の自分と10年前のあの人が、今よりもっといい関係を築けたとは思わない。 だからきっと、出会えたのが今でよかった。 じゃあ、あの人より先に、この人と出会っていたら? あの人がいる位置にこの人がいるとは思えない。 だって、あの人もこの人も別の人で、あの人はこの人の変わりにはならず、この人はあの人の変わりにならないのだから。 先に出会ったあの人への気持ちは変わらず、後で出会ったこの人に対する気持ちは新たに生まれる。それを基盤にして、関係性は発展していくけれど、例えばそれまで一番仲が良かったあの人より、今はこの人とのほうが仲が良くなったとしても、あの人への気持ちは変わるわけじゃない。宝物の様に、ちゃんと残るはず。 ひとりひとりに対して、固有の気持ちと固有の関係性。 この人が、わたしとあの人の関係性を羨ましいと言っても、あの人とこの人と、同じ気持ちで付き合うことはできない。 どっちが好きかとかいう問題じゃない。 あの人はあの人で、この人はこの人で、わたしはわたしで、あなたはあなた。 そこに環境とか、状況とか、タイミングとか、気持ちや感情だけじゃないものが加わっていくから、先のことに不安にならずに、今このタイミングでできることを、生まれた気持ちを、大事にしていきたいだけ。あなたと。
そうだったね。 現ちゃん死んじゃったんだ。
昔、バクチクファンと筋少ファンと ジュンスカファンと ジキルファンと ユニコーンファンが、何故か共通して聴いてたレピ。レピのインタビュウとか、あっちゃんの名前出てくるかもだから読んだり、下心で。あんまり昔のこと覚えてないけど、そういうのは忘れないんだね。曲とともにそのときの気分。なんだか好きだと思う曲は、現ちゃんの曲が多かった。 現ちゃんは当時から見た目がもう説明いらずに年上で、レピメンバがいちいち彼をじーさん扱いするのがかわいくておもしろかった。 だからって先に死んじゃうのなんてひどい。 アルバムどこ行ったのかなあ。友達に貸したまんまかな。 バクチクとはツートップを中心に、まぐみと、まあ、きょういちくらいが仲いいのかなって思ってたけど、そうか…。人の縁ってそうですよね。そりゃあそうですよね。 20年くらい経つと、赤子が大人になったりするくらいだから、人が死んだりしちゃうんですね。10年一昔が二回。年月ってなんだろう。 一度生まれて 一度死ぬ。
ファンタジィ。
しかもハーメルン。
思い通りにならなかったことは、自分のせいにしてしまった方が楽。
他者に委ねるなら文句を言ってはいけない。
オリジナリティと実行力、実現化するノウハウと応用力 センス そして勇気、判断力、決断力
それを持たない者に他者を批判する資格はない。
だから衣装デザインをするがいいよね。
って話。
で 全然違うんだけど、だいごが好きです。 おもしろい。 あのね、彼の良さは品。嫌味のなさ。 ハングリー精神とか野心と、やる気とか向上心て別物なんだね。 今井さんもだけど。
ところでどころじゃなく全然違う話題ですが、どっちもわざわざ書くもんでもないのでドッキング。
それ以外に価値はない
10何年前から聞いてる曲が、なんだか最近急に日本語に聞こえて来た(日本語)。びっくりした(日記)。パーラドックス パーラドックス(歌唱)。
言葉の刺さり方って、人によって違う。残る言葉、って言うか。だから伝えたかった部分より、全然別の箇所で相手が引っ掛かってしまうのは、仕方のないことですよね。話の内容そのものより、そのときの言い回しとか単語が妙に気になったりとか。気にされたりとか。
面と向かって話をしてるとあまり感じないのに、メールになると意志疎通が計れないって言うのは、文章力のレベルの低さのせい以外の何物でもないと思うんですよね。 それはもう誰に言われるより前から、そうなんだと思います。 それをカバーするのって、やっぱり…愛 なのかなあ?文章力の向上が即座に叶わないのなら。
愛で全て串刺し それは無知を覆い隠す あとは自由と平和で 不滅の幻想
言わなくても伝わる なんて だから奇跡。伝わってる 通じてる と双方同時に思い込んでて実は誤解してた とかは茶飯事。
だから心して言葉を選ばないと。
と思うんだけど、相手もわたし同等に言葉に対して力を見てないと、わたしばっかり過敏になりすぎても失敗するんだよねえ。難しいよねえ。 人間が小さいですか。
例えば意見が対立したりして、まあ喧嘩とかして、相手のせいにするのも楽だけど、自分のせいにしちゃうのも楽だよね。電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもみんなおいらが悪いのさ ぐらい背負っちゃいたいときあるよね。開き直り具合として。 先に謝った方が勝ちっていうのは絶対あると思う。謝られたらそれ以上言えないよね。だって謝られたところでこっちの気は納まらない場合が多いじゃん(わたしだけですか)。それをこっちの言い分半ばで免罪符のようにごめんなさいを提示されて、戦線離脱を宣言されたらもう、それまでの戦況無関係で、何を言っても負け犬の遠吠え。後の祭。 勝とうと思ったら、先に謝ることだね。出鼻をくじけます。 謝った方が負けってときもたまにあるけどね。フランス人の文化とか、うちの社長の文化的にはそういう世界もありますね。謝った時点で、自分の過失を認めることになるから、と。 でもそれは、よっぽどの自信と精神力と対応力がないとできない気がする。 戦う気がないときは、謝ったほうがいいよね。逃げるが勝ち。負けるが勝ち。 謝らせたくて延々戦い続けることもありますし。 …言っとくけどそんなに勝ちにはこだわりません。見た目と違って。
え。なんの話したかったんだっけ。 忘れちゃった…けど、そう、ねえ、思っても無いことを言う って成立すると思う?思考を通さず喋ることはできないじゃん。嘘とか誇張とかお世辞とか言葉のあやだったりしてもね、その人の中に無いことは、言葉となって出ては来ないんじゃないかな、と思うんですよね。言葉だけ、っていうのは…実行が伴わなかったときに言うんじゃないかな。一般的に外見の造作が基準値を上回らない男子が超頑張って仕事してるときに、かっこいいねって言うのも、会社のそれほど好きでもない上司が病気になったときに、大丈夫ですか?って言うのも、全然子供好きじゃないのに親戚の子にかわいいねって言うのも、別に。ちゃんと伝わるよね、とりあえず、気持ちは。その場しのぎだったとしても。雰囲気悪くしないだけでも、ちゃんと言葉の役割果たしてるよね。社交辞令でも、何にも出てこないよりマシだよね。
逆に、…逆でもないかな、自分の発言を誤解されて、そんなつもりじゃなかったのに、とかもね、そう誤解される要素があったのは、果たして言葉だけだろうか?って思うの。たまにね、思いもよらない新発想で誤解されることもあるけどね。そう来たか!っていう新鮮極まりない驚きでもって、発言者に興味が湧くよね。もしくはあまりの世界観・価値観の違いに、絶対的決別を思うか。 誤解ってさ。 誤解だと気づいたら、解かなくちゃだめだよね。相手を大事に思うなら。誤解されてもやり遂げないといけないときが人生にはあるような気もしますが、まず誤解をされないことが大事ですよね。だれかわたしに上手い言葉を。日本語力を下さい。
果たして言葉でついた傷は、言葉で癒されるのでしょうか。 言葉にできない思いを伝えるのは、不可能なのでしょうか。
どんな言葉にも勝る抱擁があるとわかっているようにも思いますが、なんかそれに頼りたくないのは個人的なあれかしら。だって、ぎゅうとかちゅうとかできない距離が存在したらどうすんの?その前に、そんな接触が許されない間柄だったらどうすんの。
なんかやっぱり、ちゃんとがんばんなくちゃな。 やさしくね。ていねいにね。 何度も。何度でも。
絶望から始める。 それ以外に価値は無い。
いきものはあたたかくて動いてる。 生きてる。 呼吸してる。
さよなら。
悲しみを癒すものがたくさんありますように。
やさしい気持ちだけに 早くなりますように。
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