薔薇抄 *Rose Show*
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2004年06月30日(水) あの日恋を知った

抱きしめて
離さない

Lucy見ました。名古屋で。

この気持ちに名前を付けるなら、間違いなく、疑いなく、恋だ。





































え?イタイ?やあねぇ、さすがに解ってるわよ(笑)


2004年06月17日(木) 日常の1コマ。

先日、ラグシーに行こうと、渋谷を歩いておりました。
マルイの本館前の三叉路、渡ろうとした瞬間信号が赤に変わり、無理に渡らずに待つことにしたわたしの
斜め左前に滑り込んで来た、今時と言うには少しこぎれいな高校生のオトコノコ二人組。
聞くともなく聞こえてきた会話は、どうやら先の中間テストについてだったらしかった。
「あ、信号赤。」一方がそう言って彼等も止まる。
刹那、右の彼が左の彼に言う。
「ね、手ェ繋いでい?」
「ええ?!やーだよ!!」
即答で左の彼。
「なんで?いーじゃん。信号変わるまで。つーか繋ぐし。」
実力行使で恋人繋ぎ(笑)
「やだって!なーんで」
「いいじゃん。でさあ、」
そのままさっきのテストの話題へ。結局手を繋がれたまま答える左の彼。
ほほう。と思って見ていると、信号が青になった瞬間、
「ほら青だから!」
と、振払うように左の彼が手を解いて、右の彼も逆らわずに一般的な友達との距離を保って
横断歩道を歩いて行きました。
ふうん。なんだか微笑ましいものを見たね。
そんな梅雨の合間の夕暮れ時でした。



そして場所は変わって名古屋。
名古屋駅近くの百貨店にて勤務を終え、最早行きつけのセレブリティスーパー(笑)に向かって
歩いておりました。
ふと気付くと、わたしの前を歩く、中年というより、最早初老のおじ様二人。
右の彼は身長160cmくらい。白いもののかなり目立つ髪は、きれいに手入れされている。
左の彼は身長155cmくらい。右の男性と同じに、きちんと梳かし付けた髪は襟足で綺麗に揃えられていた。
そして、この二人はラブラブだった。
左のおじさんは右のおじさんの腕にぶら下がるように、身体を擦り付けるようにして掴まっており、
絡まる勢いなもので、二人してものすごく歩き辛そうだ。
でも、そんなことよりくっついていたい、二人の全身からその意志が見て取れた。
お揃いの様に、グレーの夏物のスーツ姿。お仕事帰りなのかしら。
そして、やおら伸び上がった左の彼、右の彼の頬にたっぷり5秒のキス。
やってくれます。
思わず素で「あらら」と言ってしまうわたし(笑)。
まあ、そうね。いいわよ。
♪ふ〜たり〜のため〜〜〜、世〜界はあるの〜〜〜。
そんな初夏の夜更けでございました、


2004年06月04日(金) 許されるなら君の

いそがしい。
つーか5月長かった。長過ぎだ。
後半、怒濤の出張大サービスに、あっちゃんのシングルリリースで多いに揺らぎ(良い意味でね)、
雑誌には軒並みご登場なさるもんでチェックに大わらわ、今井さんのはしゃぎっぷりに「かわいいvvv」を
連呼しつつもB-Tを求める心は満たされず、上と下を行ったり来たり、出張から帰れば、注文していた通販が
届くし、月末だから恒例の豆千代さん(毎月26日から月末日までの営業のキモノ屋さん、ROSAご執心)
にも行かなくちゃ行けないわ、6月3日は三上さんのお芝居を観に行く予定はあるわで、もともと予定が
たくさんで、そうなると、そういう事象に引っ張られて、精神的な振り幅も大きくなることは必至だった。
そんな中、祖母が亡くなった。

父方のおばあちゃんで、88歳だった。
おばあちゃんは痴呆症で、わたしが誰なのか、10年近く判らないままだった。
わたしが生まれてから3歳くらいまでは、近所に住んでいたし、引っ越したその後も、月に一度くらいは
逢いに行っていた。かなり、かわいがってもらった。
わたしが成人式を迎えた頃から、おばあちゃんはいろんなことを忘れ始めて、わたしが結婚する頃にはもう、
わたしのことは、その存在すら完全に忘れ、どんどん子供に還って行った。
寂しくないわけじゃないけど、そんなの本当はどうでもいいんだよ。
惚けちゃってからのおばあちゃんは、結構楽しそうだったから。
誰が好きだったかも、誰が嫌いだったかも、誰と何をしたかも、何処で何をしたかも、自分が何故ここに
居るのかも、どうして生きているのかも、全て忘れ、判らなくなり、全てから解放されたおばあちゃんは、
とても自由に見えた。
足腰は最後まで丈夫で、自分でどんどん歩いた。目を離すと何処へ行っちゃうか解らない程、
ひとりで必死に歩いていたおばあちゃんは、いつも何かを捜してるみたいで、誰かを、何処かを必死に
捜してるみたいで、そんなおばあちゃんを見る時だけ、せつなかった。
そんな状態が何年も続き、それでも丈夫なおばあちゃんで、手術も何回もしたのに、その都度生き存えて
ここまで来たんだけど。最後は、まあ、老衰。
みんな、ほっとしていた。
とても和やかなお葬式だった。
「しょうがないよね」「よくがんばったよ」泣いてる人はほとんど居ず。
こういう、見送られ方もあるんだね。
わたしが最後に逢った時より、二周り以上小さくなったおばあちゃんの亡骸は、それでもとても綺麗な顔を
していて、本当に眠っているみたいな、解き放たれたような表情だった。
ほとんど苦しまずに。本当によかった。
そして、おばあちゃんは白い物質になってしまった。
炉から出て来た途端、人間が物として扱われる。あれはすごいね。拍子抜けするくらい呆気無く、
おばあちゃんはこの世のものではなくなってしまったらしい。
さようなら。またね。「また」はないのかな?じゃあ…元気でね。「元気」って言わないか。
ありがとう。どうもありがとうございました。今なら通じるかな?

そして日常は変わりなく。
お芝居も観に行った。豆千代さんにも行ったよ。お通夜の前日ね。お葬式の帰りには、久々にあった両親と
ショッピングセンターへ出掛けたし、明日からは仕事で、四十九日の法要も、きっと仕事で行けないと思う。
わたしは冷たいんでしょう。冷たいとは思うけど。でもね、まだ、居る気がするんだもん。
死んじゃっても、わたしとおばあちゃんの距離感は変わらないから。これもまた、愛しいものの気配。
ねえ?おばあちゃん。好きだったよ。

愛しては死ぬ
日々が過ぎて行く
許されるなら
君の手に抱かれていたい


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