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己の中に言葉が無い。書こうとしても書けない。言葉が浮かばない。渇いている。こんなにも書きたくて堪らないと云うのに、己の中に何の言葉も湧いていこない。胸の奥に、石が埋まっているかのようだ。
己がここに来るのは、ここに何かを書き記し、綴るという行為は、一種の逃げであり、甘えであり、はけ口である。己が精神的に充足していたり、或いは現実的な問題や物事に追われていたり、そういう時には必要ではない。或いはそれに割くだけの時間がない。 以前、書くことは己にとって非常に重要で、絶対に必要だと思っていた。でもそれは違うのだ。ここは逃げ場。[顔の見えない誰か]が己を見ていてくれる事の安堵、そのいっそ素っ気無い程の距離が己には丁度良いように思えた。 己はドロドロとした感情、それらを吐き出すだけの何かがほしかっただけなのかもしれない。友人に吐露するには醜すぎて、恐ろしくて、でも溜め込んでいるのも辛過ぎて、己には書くという事しか思いつかなかった。 書くことは己を冷静にさせてくれる。悲劇の主人公ぶった飾り立てた言葉や、上っ面の愛の台詞や、そういう諸々の嘘に気付かせてくれる。醒めた頭で興奮して書いた文字を消すと、少しだけ落ち着ける。自分がどれだけ馬鹿なことを考えていたかということを思い知る。
必要なんだ、この脆弱な精神の為に。
>2003/09/16 二ヶ月。 この二ヶ月、更新をしていなかった。 二ヶ月間の中で、その最近の数日で、己が如何に馬鹿かということを、己が如何に考え無しかということを、しみじみと思い知った。己は沢山の事を間違えて、沢山の人を傷つけて、不快にして、そうしてきっと一番大切な人を永遠に失ったのだろうと思う。永遠に貴女を失った。決めていた筈の覚悟は、快楽に押し流されて、己は貴女を忘れた。そうして、己は自ら貴女の手を離したのだ。 [いつか]という可能性。それはきっと無いけれど、ゼロではないかもしれない。その可能性に賭けられる物ならば賭けてみようと思う。貴女を好きだということ、その思いが少しでも本当になるならば、貴女の云う恋になればいいと思う。
陳腐。それでも。失った瞬間に解る本当の思い。
酷く安堵した。痛み。それをこんなにも安堵したことがない。
女であるということのその痛み。何故こんなにも女には苦しみが多いのだろう。女にはこんなにも苦痛を味わい続ける。力を持たず、速さを持たず、苦痛だけを抱かなければならない女という生き物。それはあまりにも理不尽だ。 理不尽な痛みを抱えている。その理不尽さに見合うだけの、或いはそれ以上の幸福が女にはあるというのだろいうか。己はまだそれを知らないだけなのか。 男になりたい訳ではない。出来る事なら性別という枠を超えたい。それだけだ。性差を縮めたい、ということは肉体的、能力的な差を縮めるということではないのだと最近は思う。そんなものは個人の差であると言ってしまえる。男とか女とか、それだけで何かを判断する。そのような先入観を打ち破る思想、思考こそが、性差を縮めるということなのではないかと思う。
理不尽さ。 それでもやはり女であるということを嫌だと思うときがある。この弱さに、女であることに甘える己の弱さに、嫌悪する。
それは己の体が変わるということだ。己が意図しない、己の思考の範囲外で、己が変化していくということだ。 己はそれに恐怖を覚える。それは現実的な様々な面倒事に対するものではなく、変化に対する恐怖。己自身が如何に保守的であるかということを実感する。 変化は怖い。それが己の意識の範囲外であるから余計に怖い。これは誰にも肩代りの出来ないことだから、誰かに助けを求めることが出来ないから、とても怖くても叫び出しそうでも、何も云えない。言葉すら出てこない。無感動になる。胸の奥に冷たい水が流れ出す。 変化への恐怖。
久々に泣いた。不安とか恐怖とか孤独感。そういうものに押し潰されそうになって、動く気力もないくせに死にそうになった。車の中から動けないまま、苦しくて苦しくて涙が止まらなかった。 大丈夫だと囁いてくれるその言葉さえも空虚で、[もういい]と云ったその言葉は本当で、それくらい何も響かなかった。 貴方である必要なんてない、きっと。それでも助けを求めてしまった。それはおそらく甘えなのだ。 でもそれに甘えて、泣いて、己は少し浮上した。簡単な人間なのだ。
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