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[寝るだけでいいのか]と質された。己自身に質されたような気がした。 寝るだけでいいのだろうか、本当に。あの方自身を本当に欲しいとは一片も思わないのだろうか。 思えないのだ。身体だけでいい。寝るだけでいい。心なんて不確かなもので己を満たせない。己は不安で寒くて堪らない。それで欲しいのは身体だけ。 [そういうの寂しいよ]と云った人がいた。苛立った接吻をくれた人。今日だけでいいからと云った己を戒めた人。 でも寂しいのは変わらない。変わらないからこれでいい。一夜限りでもその場限りでも己に触れてくれる人が欲しい。 刹那くていい。抱きしめてくれる貴方を[愛してる]から。
どうしようもなく己の頭を占めるので、鬼畜なことを考えている。どうしようもなく鬼畜で、哀れな策略が己の中を占めるので、馬鹿だと罵りながら日がな一日妄想に耽っている。 [世の中にはこんなにもたくさんの人がいるのに誰一人アタシを見ない]んだと思っている少女のようだ。イイ歳した人間の考えることじゃない。何もかもが馬鹿馬鹿しくて刺激が欲しいのかもしれない。 馬鹿馬鹿しいのも刺激が無いのもすべからく自分自身の所為であり、誰の所為でもなく、まして世界の所為でもない。何処へも行けないのは己が己を縛るから。
子供。なのに大人。身体だけでもいいから愛してなんて思ってしまう己はどうかしているに違いない。
解り合えないことが辛いのではない。解り合えないと思ってしまうそのことが哀しいのだ。解り合えないということは、それは自明の理であって、全く当然のことであって、だから解り合おうとすることで苦しむよりは解り合えないんだと知ってそう云う方が辛くない。 でもそういう苦しさとか、嫉妬に似た感情とか、無ければどうやって人は人の営みを繋げていくのだろうか。解り合おうとしないなら、どうして人は人と繋がっていたいと思うのだろう。恋人も友人も、家族も解り合うことは無いと知りながらもそれでも側にいることは辛くは無いのだろうか。物理的な距離が、精神的な距離に近づかない。それは物理的な距離があるよりもずっと寂しくて切ないように思える。 我々は互いに理解しあうことなんて在り得ない。それは泣きたいくらいの真実だ。すべての理解は妥協と錯覚の上に成り立っている。だから理解したいと思うのは間違ってる。貴方を理解したいと云うときに、それは同じことを相手にも求めているのだ。己を理解して欲しいと本当は云っているだけなのだ。己にとって都合のいいように理解して欲しいと思うのだ。
そんなことは解っている。解っているのに囚われたままの己の心が哀れだ。
ひたすら眠い。夜更かしをしているわけでもないのにこれは何故なのだろう。朝起きて昼出掛けるまで何となくうとうとし、一時間ほどは本格的に眠っていた。 夢を見た。久々に夢を見たようだ。 今はいない人がいた。話をして自転車に乗った。彼が泊まっている何処かに行った。甘くて柔らかくて在り得ない光景に苦笑しながら涙が出そうなほど嬉しかった。抱きしめて躊躇いがちに接吻してくれるその感触に泣きそうだった。 己はこの人を求めていたのだろうか。己はこの人を欲していたのだろうか。本当の所など一つも分からない。今はもう過ぎ去ってしまった過去だから。
本当の夢はもう少し可笑しくて、奇妙だ。薔薇色の花が付いた網のようなストールとか犬とか携帯電話とか大学の同年とか自転車とか古めかしい部屋とか。そういうものが妙に現実的で、在るようで無いようなその光景に懐かしさを憶える。 夢は妙な現実味に溢れていて、時々錯覚する。これが現実ではないかと。こちらこそが真実だと。 そういうのもいいかもしれない。
何にせよ寝言を聞かれなくて良かった。
自覚症状は無い。生きているのが辛いほど人生過ごしてきたわけではない。それでも時々ふと脱力を憶える。不意に全身の力が抜けていく感覚。 享楽的に生きている。それだけのために生きている。先を見ることなく、後を振り返ることなく、ただ今この瞬間だけを見て生きている刹那さ。
足下を掬われる。その寒々しさがより強い快感を求める。正直云って、自分がいつまでもつかと考えている。
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