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2002年11月17日(日) 自業自得

 疎外感とか無気力感とかそういうものが己を取巻いている。
 複数に所属するというのはその深さや強さに何処と無く頼りなさがある。所属する複数のそのどれにも確かに所属しているという感覚が乏しい。
 問題は己にある。雑用や面倒を避けているからこうなったのだ。何処からも必要とされない人間になったのだ。そんなこと分かっている。まさしく自業自得。責任転嫁なんて出来る筈も無い。
 負の感情の生成が非常に簡単なことに驚いてしまう。単純に簡単にどうしようもないくらい湧き出てて来る言葉を止めようが無い。どうしてなんだろう。


2002年11月16日(土) 眠りの中で目覚めを識る

 目覚める。

 慌しいのは己自身の所為で、でもいつものことだと自他共に諦めてしまっている風情がある。
 何も考えられないくらい忙しいのはいいことだ。深く深く堕ちて行く眠りを愛しているのは眠りが己を受け入れてくれるから。眠ることが苦痛だったら、それ自体が厭わしい。忙しさはそれ自体が苦痛ではない。それに付随する雑多な揉め事が苦痛なのだ。多忙であるということは、何かに夢中であるということに近い。それゆえに集中できる。それ以外考えなくて良い。思考しないことと、無の境地は、まったく異なるものであろうが、幻覚としての無の境地が其処に在ると思う。それが幻覚であっても構わない。悟りなど必要無い。暫しの眠りは休息と忘却のためにある。


2002年11月15日(金) 深紅

 息が詰まる。狂おしいというのはこういう気持ちなのか。[待たない]と呟いて待っている自分を見る。苦笑さえもう出来ない。





三月は深き紅の淵を/恩田陸/講談社文庫
2001
ISBN4-06-264880-6
読んでみたいと思うと同時に書いてみたいと思う。それが生涯ただ一冊の本でもかまわないと思うくらいに熱狂してみたい。


2002年11月14日(木) 暗闇に紛れて

 絶大なる喪失感をどうやって慰めようか。



火刑都市/島田荘司/講談社文庫
1989
ISBN4-06-599005-X
派手ではない。華麗ではない。むしろ地味なその雰囲気が好きだという人が多いのかもしれない。


2002年11月13日(水) 深淵

 [期待する]ことが罪悪なら、[期待させる]こともまた罪である。期待は失望を生む。より深い奈落が其処には在る。[期待するな]と云うのなら期待させるような言動をするな。貴方の呼吸も、手も、指も、膚も、髪の一筋さえも、この上ない苦痛なのだから。その口唇を塞いで吐息をも奪って閉じ込めてしまえたら、この苦さも痛みももどかしいくらいの愚かさも消すことが出来るだろうか。
 それはある種の甘えだ。他人の所為にすることで己を正当化する。そうすることで何とか自分が生きている意味を見出そうとしている。否定されるのが怖いのだ。
 己はもう何年も前から、ひょっとしたら十年以上も変わっていない。変化していない。それを怖がっているから。[固まるのが嫌だ]と誰かが云った。己もそうだ。でも同時に変わることも嫌だと思う。
 人は変わらずにはいられないのだ。それは環境的な要因が大きい。閉鎖されない空間において変わらないでいることの方が難しい。なぜなら周囲は確実に変わっていくからだ。人は生まれ、生き、そして死ぬ。物もまた同じサイクルを辿る。永遠なるものは存在しえず、常に変化が求められる。その中において己も変わることを強いられる。

 深い闇が其処には在る。闇は白い。何処までも白い。目の前を覆い尽くすそれに己の意識が塗りつぶされるのを感じる。
 暗闇よりも恐ろしいのは光。


2002年11月12日(火) 眩惑

 どうしようもない嘘に身を浸していたい。己が消滅するくらいの強烈な何かに惹かれる。それが己を壊してもいいから、その存在の確かなるところを見たいと思う。


2002年11月11日(月) 約束/真実

 どうして己はこんなにも要領が悪いのだろう。よりにもよって一番見つかりたくない人間に見つかってしまった。何故他の誰かでなかったのか。どうして今此処に彼女がいるのか。疑問符は己を埋める。
 事実は覆らない。二度と消すことの出来無い記憶の中に瞬間に取り込まれた。もう二度と何をしたって取り返しは付かないことを事実と云う。

 理由なんて無いに等しいから訊かないでくれと思う。言い訳に過ぎないから訊かないでくれと願う。お願いだからどうしても今それ無しには日々を過ごしていけないから、ただそれだけが真実なのかもしれない。中毒であるということが真実なのかもしれない。
 お願いだから奪わないでと思うのは、それ無しには一瞬たりともあの方のお側近くになど居られはしないから。どんなに馬鹿馬鹿しくてもそれは真実の一端。
 その先に真実はあるかもしれない。無いかもしれないという可能性を否定することなど出来ないから、本当に真実を云い当てるまで真実はその曖昧さから抜け出せない。
 兎に角今分かっていることはあの方の側に正気で居るためには必要なものがあるということ。


 子供でもないのに自分で考えることも出来ないのだろうか。口ばかり動くのは他人のことなど云えないくらいだけれど、それにしても不可思議なのは[己がいないと出来ない]という言葉。何故そう思う。己は何か特別な物を作っているわけではない。彫金や裁縫やそういった特殊技能があるわけでもない。
 彼女らは考えることを放棄している。それは少なくともある一部分では確かに正しいのではないだろうか。

 愛しいとか可愛いとか嬉しいとか、思うよりも先に、感情的な憎しみが理路整然と投げ出される。




波 2002年11月号/新潮社
2002
第36巻, 第11号(通算395号)

図書 2002年11月号/岩波書店
2002
第643号

紅茶王子18/山田南平/白泉社 花とゆめCOMICS
2002
ISBN4-592-17238-8


2002年11月10日(日) 銀灰色散る天鵞絨

 星が綺麗だと思ったのを覚えている。

 好きだとか嫌いだとかそういった感情全部抜きにしてあの人は己によく似ている。己はそれなりに現実を見知ったほうだと思うけれど、あの浮世離れしているようにさえ見える、生まれる時代を百年間違ったような彼に共感する部分が非常に多い。
 彼は矛盾している。女性差別が嫌だと云いつつ、そういうことが女性差別の一つであるかもしれないという可能性に気が付きもしない。女性性を追い求め、母性に縋り、絶滅生物たる大和撫子を崇拝している(主観的に彼を観察するとそのように見える)。そのことで女性が傷付くかもしれないという可能性を知らない。
 問題は彼がおそらくは無意識だという点にある。そして彼が自分が矛盾しているということにさえ無意識だという点にある。
 彼の言葉は時々不躾に思える。男物のコートを着る女性に(男物が好きでよく着ている方に)当然のような顔で[似合わない]と云う。スカートを着た女性に(普段はあまりお召しにならない方に)心得顔で[やっぱり女の子はそういうのが似合うよね]と云う。それは個性や個人的な好みなどを無視して性別によって色分けしたに過ぎないのではないだろうか。
 仮令それが男物であろうが女物であろうが似合っていれば問題は無いと己は思う。顔見知り(本当に顔しか知らないが)の男性がロングブーツと白い短パン、赤いトレーナーという非常に可愛らしい格好をしているのを見た。一見女の子かと疑うばかりに可愛いのである。彼は冬には白のコートなどを着こなしているが、それも非常によく似合っている。[可愛い]というのは己の主観であるけれども、彼にそれらが似合っているというのは比較的客観的な意見だ。それが仮令女物であったとしても彼が気に入って着ているものを似合わないと云うことなど出来るはずもない。
 男物のコートを着た彼女にそれは非常によく似合っている。男のようにカッチリと決まるわけではないが[似合わない]などとは少しも思わない。男物のコートだと云わなければ気づかないほどにそれは彼女に馴染んでいる(ように己には見える)。
 彼はいつ自分の矛盾に気が付くのだろう。願わくばそれが出来るだけ早くであるように。悪い人間ではないのだから騙されてしまわないだろうかと要らぬ心配をしてしまう(ほんの少し冷たくなる視線で眺めたくなる)。
 共感と同時に生まれ出ずる反感。冷めた目と嘲る口。言葉がどんなにか役に立たず、無意味で、何一つ十分に伝えられないものであるかを知る。

 星は輝きを増す。冬の気配を伝える空気に触れて冴え渡る。月は無い。空は黒く沈んでいる。それは重さの無い水のように天球を飾る。縫い取られた金の粒、銀の粒、銅の粒は時に蒼白く、時に黄金に輝いて己を魅了する。
 吐く息の白さに、指先を染める冷気に、心までもが同化していえばいいと思った。いつまでもこの空を見つめていたいと思った。この生命が尽き果てるその瞬間まで。
 


2002年11月09日(土) 夢の夢こそ儚けれ

 夢に見てしまってそれが酷く痛かった。
 昔に似たような夢を見たことがある。5年近く想いを寄せた人の夢だ。随分と昔の話だ。その夢さえも昔の話。去っていくその人を追いかけることも出来ずにただただ泣いていた。[待って]という声も嗚咽に掻き消される。目覚めた現実でも泣いていた。
 想いは恋と呼ぶには幼すぎ、また醜悪で、執着とでも云ったほうがまだ近い。己はその想いが遂げられないと知っていた。何故なら彼は己を嫌っていたから。
 遂げられない想いを抱え続けることが出来ずに己はそれを放棄した。その人を嫌いになることで忘れようとした。それは成功したと云えるだろう。今その人のことを思い出しても胸が痛むということは無い。現実に遭ったら分からないけれどもとにかく思い出す程度では恋に似た感情は湧き起こらない。
 高校時代には誰も好きにはならなかった。それは平穏だったと今になって思う。友人すら満足にいない状況でもそれは確かに平穏だったのだ。
 大学で恐ろしくなるほどの人間関係を持ってしまった。心を許すことも、誰かの事情に立ち入ることも、そんなことはしてはいけないことだったのに。
 感情はいつまで経っても子供のままだ。忘れるためには嫌いになるしか出来ない。未だ周りも顧みず切り捨てるしか出来ないでいる。

 転寝で見た夢は恐ろしいほど現実的だった。返し忘れてたCDを返してほしいと眠っている肩をを揺さぶられる(それはあの方ではなかったけれど)。現実と思い違えるほどの感触。寒さに首を竦めて歩く己の後ろから、肩に触れたあの方の手の感触に振り向くと、もうそこにはいない。何故今日来ているのかと疑問が浮かぶ。真逆と疑う。紛れも無いあの方の後姿に追いつくことが出来ないで、身震いをした。
 恐怖に近い感情で身を起こした。悪夢のようだと思った。夢だと知って苦しかった。
 苦しいのは夢なのか、それとも夢見てしまった己自身か。

 直後に10日ぶりのメール。泣きそうになったっておかしくない。


2002年11月08日(金) 卑怯者

 不安が霧のように己に纏わりついている。捨てられてしまうのではないかという、常に己の中に在る不安が外に流れ出しているのだ。外であり、内である己が身から離れないまま、纏わりついている。何が云いたいわけでもないのに己を焦らせ、不安にさせる。

 相変わらず無気力感は拭えない。それを上回るような忙しさがかろうじて己を動かしている。

 不自然な身体。不自然な精神。一体どっちが正しいのだろうか。それすらも判らないで彷徨い続けるのだろうか。


 [女の子は煙草を吸わないほうがいい]と男たちは云う。それは一種の男女差別だと己も思う。しかしながら己もその言葉を頻繁に使う。そして女性の前では絶対に吸わない。非喫煙者の男連中の前では吸っても、たとえ喫煙者であろうと女性の前では吸わない。
 彼女らはいつか子供を産むのだ。今口でどんなことを云おうとも将来的には殆どが子供を産む。或いはそれを願う。望むと望まざるとに関わらず、子供を産まなければならない状況に陥るかもしれない。どういう状況だとしても大半は子供を産み育てることになるのだ。女性は子供を産むべきだなんてことを云っているのではない。その可能性を多分に秘めた身体をしているというだけの話だ。
 だから差別的であろうとも己は云う。[女の子は煙草を吸ってはダメだ]。

 健康を害するからという理由で止めてくれる貴女を悲しませている。[御免なさい]とも[もう吸わない]とも云えない弱くて強かで卑怯な己にどうか気が付いてくれ。それを許して呉れとも云えない、己は。




不安な童話/恩田陸/祥伝社文庫
1999
ISBN4-396-32677-7
愛と憎しみは一体どうやって判別できるのだろうか。


2002年11月07日(木)

 髪を撫で付け、耳に穴を穿つ。痛みはいつもほんの少しだ。穴を穿つ時よりも、その前の瞬間の[間]が己は躊躇う。それは痛みへの躊躇いであり、変化へのためらいである。
 これで何かが変わるのだろうか。こんなことでは何も変わらない。そんなことをつらつらと思う。


 苦いのは煙ではなくて、咽喉の奥から流れ出る血。


 [性の弱肉強食]で云うならば己は一体何処に類されるのだろう。サディストにはなれないように思う。だからといってマゾヒストとも云えないように思う。
 大学に入ってからバイセクシャルなのではないかと思うようになったけれども、それは女性相手の性的な行為に抵抗を感じなかったからだ。ただそれだけのことで、恋愛対象と見るのは結局のところ男なのだ。FtMなのかもしれないと思うけれども、それほど強く思うわけでもない。
 一体何なのだろう。己は一体何だ。
 性交でそれが分かるというのなら誰かに抱かれてしまいたい。抱いてくれるというのなら誰かに身を預けてしまいたい。それで己が何者か分かるというのなら。
 こういう考え方は一般に[女性的]なのものの最たるところではないかとも思う。




球形の季節/恩田陸/新潮文庫
1994
ISBN4-10-123412-4
高校生の時に読めていたら、と思う。[小夜子]も同様だが、学生(大学生では無いその他の学生)でなければ分からない感覚というものが確かに存在していると思う。


2002年11月06日(水) 超えられない壁/閉じられた扉

 [貴方に会えて本当に良かった]
 そう云えるまでに己はあと幾つの時を必要とするのだろうか。今はまだ云えない。思うことさえ出来ない。

 感情は脳に依存して、思うことと考えることは極端に云えば同じことなのではないかと思う。感情が一体何処に在るのかということを己は明確に示すことが出来ない。心臓の在る位置に[ココロ]は存在していない。人間のすべてを脳が司っているのならば精神もまた脳に依拠しているのだと思う。
 人間の脳は未知なる領域である。自身の内部に在りながら未だ解明されざる部分である。それ故に脳は興味の対象であり、かつ恐怖の対象でもあるのだと思う。己の一部分であり、己を司るものでありながら、解せない不可思議。
 何の根拠も無いが、記憶は生涯消えないものなのではないかと思う。記憶は神経回路によって表層まで伝達されるが、その繋がりが途絶えても蓄積された記憶は生涯消えないで残っているのではないだろうか。表層意識に上らなくなっても消えてしまうことなく脳の容量を喰い続けている。使用者である己自身にすら消去する権限は無い。そうして何かの折に、何でも無い契機で、不意に表層に浮かび上がる。水死体のように。





鬼流殺生祭/貫井徳郎/講談社ノベルス
1998
336p 18cm
NDC913
ISBN4-06-182035-4
世界という謎に取り込まれ、その一部となって生きている。


2002年11月05日(火) 目眩のような白

 久々に朝から活動する。

 己は躁鬱病ではないかと考えるようになる。
 感情の波というものが存在する、と己は考えている。その波の振幅がその人間の性質や性格を表している。
 己はその波が非常に狭い間隔で上下に動く。母親に[瞬間湯沸かし器]のようだと云われたことを思い出す。最近はその間隔が更に短く、上下の差が激しくなったように思う。眩々する頭を押さえつけながら、そうでもしなければ壊れそうな自分を感じる。
 不安定な人間は不安定な人間を支えることなど出来ない。当然ながら己は思う。即ち己は誰かの支えになど決してなれない。壊れた心を更に砕いて、己も一緒に壊れるしか出来ないだろう。


 死出の途を貴方と逝けるなら、とあの時思ったのかもしれない。





六番目の小夜子/恩田陸/新潮文庫
1998
ISBN4-10-123413-2
少年少女と呼ばれた頃に読んでいたら、と思う。


2002年11月04日(月) 描くことと書くこと

 思いもかけなかった休日。

 描くという行為は己を無心にする。白い紙の上で鉛筆を動かし、線を重ね、色を塗り、透かして見て、修正する。時に思いつきの言葉の羅列を添える。それらは己を夢中にさせる。
 否、[夢中]とは少し異なっているかもしれない。何もかもを退けて夢中になっているという感じではない。
 描くことに集中することで雑音が消えるのである。描くこと自体が目的なのではなく、それが手段であるとでも云うかのようだ。描くことは外的な雑音、内的な雑音の両方から己を解き放ってくれる(解き放つというよりは庇うだろうか)。
 最高の暇つぶし。
 そう云うのが一番適切なのだろうか。描くという行為によって己は何かを昇華させているのかもしれないけれど、今はまだそれが分からない。書くという行為とはまた違った何かを己に与えてくれる。
 一方で書くことは己の精神安定剤のようなものだということに最近気が付いた。
 心情を吐露する。一種の捌け口としての文章を作成する。何かの形になることによって己の中でもその感情や出来事や曖昧だった様々な事に形が見えてくる。それが真実であるか否かはその時には分からない。今この瞬間の感情や心情やそういった諸々を書き留めておく。そのことによって整理される。整理された事柄の中に真実が見えることも在るだろうと思うのだ。
 言葉にして初めて意味を得るものもある。そういうことなのだろう。
 意味を見出すために、己を振り返るために。目的はどうでもいい。文字を知り、言葉を持ってしまったときから己は書くということから離れられない。離れたくない。たとえその天分を持っていないとしても、書き続けることが己のアイデンティティ。


2002年11月03日(日) 憧憬

 ゆっくりと時間が流れる。ゆっくりと思考は流されていく。己ですら予想のつかない遠くへ流されて戻れない。そう遠くない未来で壊れてしまうことさえ出来ない自分を見ている。

 怖いと思うことがある。"何も感じなくなる自分"が存在することへの恐怖が歴然と横たわっている。

 乾いている。女の子たちの華やかな輝きに違和感を感じる。高く澄んだ声も身振り仕草の一つでさえも、異質である。己にそぐわないものである。己が焦がれて止まず手に入れられないと諦めてしまった何もかもがそこにある。彼女らのすべてが己とは異なっている。
 怖いというよりは畏怖の念とでも云うほうがしっくりくる。己の異質さを自覚しながらも共通する肉体的要素を思い知らされる。恐怖ではない、それらに違和感を感じない彼女らへの強い憧れにも似た感情だ。この肉体を素直に受け入れ、[女の子然]として生きていくことが出来る強さを焦がれている。


2002年11月02日(土) 燃えるような身体を抱いて

 記憶が途切れているのではない。思い出す気力に欠けているのだ。思考が極端に遅い。それに伴って感情までもゆっくりと流れている。

 目覚めるのが女性の声なのは少し気分が良い。己を頼ってくれるのが嬉しい。彼女は己が唯一話を聞ける人だ。稀有な存在、それは心が似ていて非なるものだから。

 抱きしめる温もり。常よりも高い体温を感じながら、犯したいと思うのは鬼畜の考えなのだろうけど。

 意志の弱さを再確認する日々。歌わないと決めたのに、声を出さないと決めたのに、待たないと決めたのに、脆くそれらは崩れ去る。空しい期待を抱いたあの日から痛いほど脳裏に刻まれたことなのに。


2002年11月01日(金) 万聖節

 半月越しの悩みの種が消えた。
 この2週間彼のことばかり考えていて、擬似恋愛に陥りそうな気分さえした。でももうそれも終わりだ。酒の上での乱行はこの日本では水に流すべきものなのだ。
 既に終わってしまったことはどうしようもないから、後悔しても謝っても消せないから、それならばいっそ開き直ってしまおうか。
 どうせいつまで経ってもこの癖は変わらないだろうし、変える気も無い。だからそれは己の誘いを断らなかった報いなのだ。彼の温度も感触も、何一つ憶えていないのが残念なくらい。
 [哀れね]と己を見る彼女を思い出す。性質の悪い酒飲みの戯言。

 この眠さは何なのか。寝不足なわけでも、熱量が足りないわけでもないのに、この抗い難い睡魔。身体は未だ徴を見せず、これが前触れでないのなら一体何なのだろう。
 肉体の重さが己を縛り、死に程近い眠りへと繋ぐ。

 久しぶりにあの人の日記を読んだ。こうも己の気分を下げるような文章を生み出せるものだと、ある意味関心してしまう。それともたかがこれしきのことで揺らぐ己が不安定なのだろうか。
 この人は時々己に似ていると感じてしまう。この人の理論武装を解いて、何も無い状況にしたら、この人はもしかしたら己に似ているのではないかと思ってしまった。他人に云っても一笑に付されるだろうけれど、確かに何かが似ているのだ。本人はきっと己がこう思っているなんて夢にも思わないだろうけれど。


 好きとか嫌いとかもうどうでもいいから、己のことを抱いて温めてくれる腕が欲しい。接吻けて犯してくれる人が欲しい。


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