11月に埼玉に帰省したときに年末年始の長崎ー羽田の飛行機チケットを予約しておいたのでした。年末年始休暇の29日から新年3日までさいたまで過ごすこととして、29日に羽田に飛び新年3日に長崎に戻るチケットでした。
当時は12月初旬にドックから長崎に戻って12月中は長崎に停泊する予定だったのでした。しかしその後急遽予定外で北海道で工事することになったため、年末・年始の埼玉帰省はほぼ諦めていたのでした。その工事が予想外に天候に恵まれて進捗して27日に長崎に戻ることができました。ということで予約の便でさいたまに変えることができました。
23日に退避していた陸奥湾を出発して、4日間日本海を一路南下して今日27日に長崎に帰港しました。低気圧の過ぎ去った日本海は大変静かで、往路に比べて非常に順調な航行でした。東北地方で本土から離れて、再び山口県で陸地に近づくまでは携帯電話の電波は全く入りませんでした。
21日に工事が終了しました。今回の工事は驚くほど天候に恵まれ工事は予定以上に順調に進みました。昨日22日小樽港に寄り「工事要員」が下船しました。天気が良かったならば既に日本海を南下して長崎に向かっているところですが、日本海の低気圧が非常に発達しているため、今日一日は「陸奥湾」に入って低気圧をやり過ごすことになりました。
船から見ても山がどうなっているのか良く分からないのですが、東側・北側が下北半島、西側が津軽半島です。両半島の間の遠くに函館が見えるということです。
陸奥湾の中は波は静かでうねりも小さいので穏やかです。一方で昨日下船し空路で長崎を目指した人達は「爆弾低気圧」の低気圧の影響をもろに受けたようです。22日の千歳空港は午後からの便は殆ど欠航した模様です。更に今日の飛行機を大きな影響を受けているようです。飛行機が飛ばないので函館から長崎まで「JR」で帰った人がいると聞きました。北海道新幹線が「函館北斗」から走ってはいますが、ものすごい列車の旅となったようです。
利尻・礼文の工事に着手しました。この時期としては非常に天候に恵まれました。利尻富士の風景は大変素晴らしいものでした。工事は順調に進みました。
本日午前9時に小樽港に到着しました。小樽港では工事要員を乗船させ、午後工事海域ぬ向けて出港しました。小樽は雪景色でした。
今日午前10時に北海道に向けて出発しました。船は長崎港を出てから佐賀・福岡のお気を通って日本海に入り、直線的に「稚内沖」の利尻島を目指して進んでいます。下関辺りの陸地に近い所では携帯電波を捉えますが日本海に入ると携帯電波は入りません。携帯が使えなくなると少し寂しい気持ちになります。
山陰沖の日本海は「うねり」が大きいので、久しぶりの「大揺れ」にとなりました。引き出しが開いたり、机の物が落ちたり、コピー機が揺れたり大変でした。こういう時には「パソコン作業」は殆ど不可能です。スクリーンを見ている最中に大きな揺れ一回来ると「船酔い状態」となってしまいます。早速船酔い薬を飲みました。
長崎市街地の西側には稲佐山があります。頂上からの湾を挟んで見える長崎市内の夜景は世界3大夜景の一つだとして観光名物の一つになっています。この稲佐山の麓に嘗てロシア人街がありました。幕末ロシアから日露戦争開戦までの間長崎はロシア極東艦隊の越冬地として役割を果たし、西欧外国人街・中華街のある長崎市街地の反対側にある「稲佐地区」にロシア軍人の生活拠点が築かれました。
この稲佐の街に日路戦争の旅順軍港攻防戦で乃木対象率いる日本第三軍に敗れたステッセル旅順要塞司令官の上陸記念碑が建てられています。以前大連・旅順を旅行した際に203高地に登り、旅順港攻防戦の現場を回り、水師営の「乃木・ステッセル面会場所」だという小屋も見学しました。その一方の主役ステッセルの足跡が長崎にあろうとは思いませんでした。
ステッセルは1904年(明治37年)12月31日旅順港攻防戦でロシア軍の負けを認め降伏を申し出ました。年が明けて1905年1月2日に旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結されました。そして1月5日には水師営でステッセルと乃木大将の歴史に残る会見が行われたのでした。
そのあと敗軍の将ステッセルは1月11日に旅順を出発してロシアに戻ることになります。1月14日に経由地の長崎に到着するとヨーロッパに向かうフランス郵便船の出発は17日ということなので3日間長崎に滞在することとなりました。ステッセル夫婦とその子供三人は14日に長崎の稲佐に上陸し「道永ゑい」経営のホテルに宿泊することとなりました。この「道永ゑい」こそ海軍越冬のためにやってきたロシア軍人を相手にレストラン・ホテルを経営して喜ばれた長崎の女傑なのです。ステッセルとその家族は束の間の日本滞在を終えてロシアに帰っていきました。故国ロシアでは1月9日に「血の日曜日事件」が勃発しロシア革命への動きが始まっていました
今日ドックから長崎に戻りました。今年の仕事は「ドックで終了」だと想定していたのですが、北海道稚内近海の「礼文島−利尻島」の工事が急遽発生したため、12月15日に長崎を出港することになりました。今回の工事は天候が良く海が荒れていなければ短期間で終わり、年内には長崎に戻れるのですが、悪天候で工事が延び延びになると年明けに持ち越す可能性もあります。長崎から稚内近海まで行くためには日本海を北上して「4日間」必要となります。
ドック作業が終了しました。本日午前9時30分に下関を出港しました。長崎入港は8日朝の予定です。
会社の同僚家族に不幸があり葬儀参列のために急遽長崎に戻りました。下関→長崎間は十分日帰りが可能です。しかし前から予定し準備していた夜の忘年会には参加できませんでした。
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