2013年10月31日(木) |
レアルのベイルが初先発・初ゴール |
史上最高額の移籍金でイングランドプレミアリーグのトッテナムからスペイン・リーグのレアルマドリードに移籍したガレス・ベイルが30日のセビリア戦で初先発、フル出場し2得点2アシストの活躍を見せました。移籍後怪我による欠場が続いていたのですが、漸く本格的にスペインデビューを果たしたことになります。
ヴェイルはウェールズ代表に選ばれている24歳のミッドフィルダー。ウェルーズなのでワールドカップに出場するチャンスは殆どありませんが、オリンピックならイギリス代表で出場することが出来ます。次ぎのオリンピックまではスペインリーグ、クラブチャンピン戦等で存分に活躍して欲しいと思います。
レアルマドリッドにはスーパースターの「クリスティアーノ・ロナウド」がいますが、走って局面を打開し得点まで持っていけるベイルが加入したことによって左右どちらからでも得点可能となりました。30日の試合ではベイルが2点、ワントップのベンゼマが2点、ロナウドが3点を叩き出し、強力な得点力を見せ付けました。強力なミッドフィルダーの存在は、バイエルンミュンヘンのロッペン、リベリーのコンビに匹敵すると思います。
スペインリーグのもう一方の雄のバロセロナはパスサッカーで一時代を築いたスーパースター揃いです。戦い方の違うレアル・バルセロナとの頂上決戦は益々面白くなりそうです。
2013年10月29日(火) |
スリランカコロンボの高速道路 |
10月27日コロンボの北部カトナヤケ(Katunayake)にあるバンダラナイケ国際空港と首都コロンボを結ぶ高速道路(Colombo-Katunayake Expressway)が開通しました。コロンボ市内北西部のキャンディロードのケラニヤ橋付近を基点にして、従来のコロンボ・ネゴンボ道路に沿うような形で長さ25.8Km、片側2車線の高規格の高速道路です。最高時速100Km/hで走ると20分で空港に到着するのだそうです。一般の乗用車の料金はコロンボ−空港間で300スリランカルピーだそうです。
これまでコロンボから空港に向かう時には渋滞の激しい「A3国道」(コロンボ・ネゴンボ道路)を通らなければなりませんでした。この道は周辺住民の生活の場と化している一方で、コロンボに通う通勤客を乗せたバス・マイカーが集中する道路でもありました。幸い日本人が良く使うシンガポール航空便は深夜の出発なので道路が空いた頃に出発すれば良かったのですが、それより早い便に乗る場合には相当早めにコロンボを出ないと、渋滞に巻き込まれた車の中で「ヤキモキ」することとなるのでした。
この高速道路完成のお陰で空港へのアクセスは格段に良くなるでしょう。この高速道路を利用した空港−コロンボ市内を結ぶリムジンバスが運行されるようですから、空港に到着したスリランカ観光客にとってはコロンボまでの交通手段が非常に便利になります。
スリランカでは2011年にコロンボ郊外南部からゴールに至る「南部高速道路」(Southern Expressway)が開通し、その高速が今年度中に更にマータラまで伸びて総延長126Kmとなるようです。将来はコロンボ環状高速道路ができて、この南北の二つの高速道路を結ぶことになるのだそうです。スリランカもいよいよ高速道路時代に入りました。
2013年10月21日(月) |
スカラ座の「アイーダ」 |
ミラノ・スカラ座の日本公演の「アイーダ(演奏会形式)」をNHKの放送録画で聞きました。指揮はグスタフドゥダメル。歌手陣は以下でした。
エジプト王:ロベルト・タリアヴィーニ(バス) アムネリス:ダニエラ・バルチェッローナ(メゾ・ソプラノ) アイーダ:ホイ・ヘー(ソプラノ) ラダメス:ホルヘ・デ・レオン(テノール) ランフィス:マルコ・スポッティ(バス) アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ(バリトン) 使者:ジェヒ・クォン(テノール) 巫女:サエ・キュン・リム(ソプラノ) 合唱:ミラノ・スカラ座合唱団 管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団 指揮:グスターボ・ドゥダメル
舞台で演じている歌手がそのまま演奏会形式になると「舞台版より冷静に音楽に神経を集中できるだろう」という見方と「やはり演技があるから歌も良くなるので演奏会形式は舞台版より劣るのでは?」という見方があります。その見方は両方正しくて場面によっては舞台が欲しいという場所もありまいした(最後などはその例)。総じて演奏は非常に引き締まっていて歌手陣の充実もあって非常な名演だったと思います。(それにしてもマエストリの存在感は凄い)
世界屈指の伝統を誇るスカラ座が「ドュダメル」という若い音楽家にその指揮を任せたというところに感動を覚えました。そうした姿勢こそが「伝統」なのだと思いました。過去にどれくらい演じたのか分からないほどのレパートーの「アイーダ」ですが、スカラ座ました。ならではの歌手・オケ・合唱の総合力にドュダメルの清新な才能が加わりました。スカラ座も暫く「全盛時代」が続くだろうと思わせる充実振りでした。
「再現」芸術である音楽において演奏家には書かれた音符から「感動」を表現することが求められます。その感動は自らは音を出すことが出来ない「指揮者」の感動が「音を出すことのできる演奏者」に伝わり、「演奏者」が再現する音楽に「感動」が織り込まれることによって始めて聴衆に伝わるのです。演奏者が過去の栄光に縋ってばかりいて、新しい才能に対して謙虚な態度を取れなければ「感動」が生まれることにはなりません。伝統の怖さ(成功体験の怖さ)はそこにあります。
音楽でもサッカーでも同じだと思います。ヨーロッパの伝統国の強さは「新しい能力」を発掘し、その能力に存分な活動の場を与えることによって自らを革新していくという自己変革力に秘密があるのだと思いました。
島忠ホームセンターが武蔵浦和に出店するという広告が掲示されていました。駅前に既にオリンピックとビバホームがありますが更に大型のホームセンターがやって来ます。消費者にとっては選択の幅が広がるので大歓迎です。この道順表示はあまり正確に書いていないので、最初見たときには「駅前のケーズ電器撤退後の空き家」に出店するのかと思いました。他の場所の看板を見て良く分かりましたが、その場所は武蔵浦和駅の南側の少し離れた場所でした。「ケーズ電器」の跡はどうなるのかいまだに不明です。
2013年10月14日(月) |
エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカスのこと |
遥々千葉市にある千葉県文化会館まで「エル・システマ・ユース・オーケストラ・カラカス(以下:エルシステマ)の演奏を聞きに行って来ました。今日の演奏会は千葉県少年少女オーケストラとの交流コンサートということで、入場料1000円。エルシステマの演奏が1000円で聴けるのですから安いものです。
千葉県少年少女オーケストラの演奏(井上道義の指揮) コントラバス:エディクソン・ルイス ディッタースドルフ曲目:コントラバス協奏曲 変ホ長調 ファリャ作曲:バレエ組曲「三角帽子」より “Scenes and Dances”“Three Dances”
エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス 指揮:ディートリヒ・パレーデス チャイコフスキー作曲:交響曲第5番ホ短調
合同演奏 指揮:ディートリヒ・パレーデス ショスタコーヴィチ作曲:祝典序曲イ長調
曲目は上の通りで、エルシステマは常任指揮者の「パレーデス」の指揮でチャイコフスキー交響曲第5番を演奏しました。兄貴分のシモンボリバルも得意としているだけあってヴェネズエラ気質にあっている曲のようです。ステージ一杯となったエルシステマ全プレーヤーがパレーデスの丁寧でダイナミックな指揮に鋭く反応して大変な熱演・名演でした。
12日(土曜日)の夜に東京芸術劇場で「ショスターコーヴィッチ7番」をメインとするエルシステマの演奏会を聞きました。偶然ですが13日(日曜日)の夜は「グスターボ・ドゥダメル」指揮のミラノスカラ座ガラコンサート番組を途中から聞きました。そして今日のエルシステマのチャイコフスキーの交響曲を聴くこととなり、「ヴェネズエラ」にタップリ浸る連休となりました。どうして「ヴェネズエラ」の音楽家がこのように脚光を浴びることとなったのか少し考えてみました。
「ヴェネズエラ」は他の多くの南米の国々と同様にスペインの植民地支配から独立を果たしました。非常に残虐で悪名高いスペインの「植民地支配」は今になってヴェネズエラの恩恵をもたらすこととなったのではないかと思います。
まず、南米に渡ったスペイン人は「メスティーソ」と呼ばれるスペイン人と現地住民の混血を生み、今やこの「メスティーソ」が国民の大半を占めるほどに拡大したという事実は見逃せないと思います。アメリカに上陸したプリグリム達は基本的に家族で移住し「白人」による独立国建国を果したのに対して、スペイン征服者は基本的に男性戦闘員が住み着いて植民地を経営することとなり現地女性と結婚して「混血」がどんどん進んだのだそうです。
植民地時代から数百年が経過して「メスティーソ」による国の建設・運営が進んでいるのです。「メスティーソには美男・美女が多い」と言われていますがシモンボリバルでもエルシステマでも美男・美女のプレーヤーが沢山いることはそのためです。千葉県文化会館で若い女性客がプレーヤーを「カッコイイ」とコメントしていたのは印象的でした。「メスティーソ」にとってはスペイン・ポルトガル・イタリアなどは自分達の祖先に繋がる血筋なのです。北米はメキシコを除いてイギリス・フランスの植民地であったことから英・仏の文化的影響が強いと思いますが、メキシコ・南米諸国は宗主国スペイン・ポリトガルの文化的影響が色濃く残っているのだとと思います。
その代表例は「言語」でヴェネズエラの公用語スペインです。ヴェネズエラのサッカー選手はスペインリーグに直ぐに溶け込めるでしょうし、スペイン語はイタリア語と近いのでヴェネズエラの音楽家はイタリアオペラに比較的容易に入っていけるのではないかと思います。英語教育を長期間受ける日本人が音楽を学ぼうとすると「イタリア語・ドイツ語」を別に習わなければならなくなることに比べて大分状況が違うのだと思います。
サッカーにおいて南米のサッカーチームが発祥の国々を凌駕するような発展を遂げたと同じように、音楽においてもヴェネズエラの音楽界がその母国に優秀な音楽家を逆輸出するような時代になったのだと思います。一方で優秀な者・優れた者を素直に受け入れる「本家」の方も非常に度量が広いと思います。
2013年10月12日(土) |
エル・システマ・ユース・オーケストラ・カラカス演奏会 |
池袋の東京芸術劇場で行われている「エル・システマ・ユース・オーケストラ」の演奏会に行ってきました。今日のプログラムはモーツアルトの協奏交響曲とショスターコーヴィッチの交響曲第7番という非常に魅力的なプログラムなのですが、妻が所属する合唱団の発表会と重なったいたので前売り券は買わずにおいたのでした。目黒パーシシモンホールでの発表会を聞いた後「体力・気力」も十分だったので当日券を買って聴くことにしたのでした。
6時開演の演奏会にギリギリ間に合って座席に就くと、オーケストラメンバーがほぼ全員ステージに上がっていました。物凄い人数です。芸術劇場のステージの客席側には空きスペースが無いほどファーストバイオリンが迫り出していて、ス前列だけで9プルート。コントラバスは16本!この弦楽器集団に対抗するように管楽器は2倍・3倍の陣容です。最初の「音あわせ」からかなり基本をしっかり押さえた、引き締まったチームワークが感じられました。
最初の「運命の力」から素晴らしい演奏が展開していきました。金管楽器は音が均質なのでパイプオルガンのような響きです。決して荒々しくならず、しかも力強い。弦楽器の合奏能力には脱帽しました。後ろのプルートまでボーイングは弓を長く使うので音が分厚くしかも音程がぶれない。これだけの弦楽器の合奏を直接聴くのは初めてでした。
二曲目のシンフォニックコンチェルタンテでは管楽器の能力の高さを証明してくれました。特にクラリネットの「カルム・ソマサ」さんの音楽性はオケ全体をリードする程のものでした。音は「稜線」の美しいクラリネットらしい音でフレーズはとても長い。指使いは「モラゲス」を彷彿とさせるような優雅さ。10日にはモーツアルトの協奏曲を吹いたのですが聞いてみたかったと思いました。弦楽器群はかなり絞りこまれた精鋭軍のようですが、少し精細がなかったみたい。あくまでも管楽器の引き立て役に徹したようでした。
そしてメインのショスターコービッチ。パイプオルガン演奏席の左右にホルン4本、トランペット3本、トロンボーン3本。ステージは溢れんばかりの弦楽器軍団。最期までエネルギーの満ち溢れた演奏でした。この長大でギラギラするような「レニングラード」交響曲をヴェネズエラの若者が自分達の音楽のように演奏する姿に非常に感動を覚えました。技術があって成長意欲に燃えていて且つ仲間と演奏することが好きでたまらない若者が大勢集まることで成し得た稀有の演奏だと思いました。
レニングラード封鎖を自ら経験したガリーナ・ヴィシネフスカヤはロシア芸術を言い表す際に「過剰さ」という言葉を使いましたが、まさしく「レニングラード交響曲」はロシア芸術の典型的なものです。それはドストエフスキーの小説にも言えるのですがさまざまな意味で「過剰」なのです。これは「侘び寂び」を知る日本人の芸術感覚とは対極的なものでもあります。こう考えながら演奏を聞いていると、ベネズエラの若者達は日本人の感ずるのとは別な共感を抱いて演奏しているように思えました。特にアンコールの「ヒナステラ」を聞くと南米の音楽も結構「過剰な」音楽の洪水であることが分かります。しかしその音楽の断片ひとつひとつは基礎がしっかりした確信に満ちた音で表現されるのです。そしてこのような名演を実現した指揮者「レオン・ボットスタイン」の存在を忘れる訳にはいきません。彼はこの日の演奏会を振るためだけに来日したのでした。この日以外は常任指揮者の「パレーデス」が振るのですから。
プログラムに書かれた曲目が全部終了し、熱烈なスタンディングオベーションの中で指揮者が何回か楽屋とステージを往復した後に、突然場内の明かりが全て消されホール全体が暗闇となりました。1分程度のあと再び明るくなったステージでは楽団員・指揮者全員がベネズエラ国旗の色の派手なヤッケに身を包んでいました。恒例の賑やかなアンコール開始です。この日は「ヒナステラ」のバレエ曲一曲でしたが、若者達のエネルギー・若さに圧倒されるステージでした。
音楽コンクール入賞とか有名演奏家と競演するとか海外の名門ホールに呼ばれるとかプロ音楽家としての人生は大変な競争であることには違いないです。しかしそれと同時に仲間同士が集まって励ましあい、良い指導者に全幅の信頼をおいて心をひとつにする時に生まれる「素晴らしい瞬間」を共有する演奏者の喜びは観客を感動させる基本的な要素であることも事実です。
戦略対話のために来日しているアメリカのケリー国務長官・ヘーゲル国防長官が10月3日「千鳥が淵戦没者墓苑」を訪れて戦没者に対して献花したというニュースが話題になっています。今回の戦没者墓苑訪問は日本の招待ではなく米国側の意向によるものだそうで、同墓苑を訪問した外国の要人としては1979年のアルゼンチン大統領以来最高位の政府高官とのこと。両長官「日本の防衛相がアーリントン国立墓地で献花するのと同じように」戦没者に哀悼の意を示したと述べたそうです。
千鳥が淵戦没者墓苑のホームページ(http://www.boen.or.jp/)では戦没者墓苑について以下のように紹介しています。「千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。今から約68年前の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外地域の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、ご遺族にお渡し出来なかったものを、 この墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。 現在、35万8千2百60柱(平成25年5月27日現在)のご遺骨がこの墓苑に奉安されております。」
ニクソン大統領が電撃的に北京訪問を発表してから米中関係が急展開しましたが、アメリカがそれをワシントンの日本大使館に通報したのは発表直前だったの日本政府は大混乱したそうです。アメリカからの「方針転換サイン」はそれまで幾つかあったのでしょうが日本政府は全く気付かなかったのでした。尖閣列島問題・慰安婦問題・靖国に関する問題でもアメリカは日本の立場を理解し支持しているように見えますが、国際情勢次第ではいつ態度を変えるか分かりません。親しい友人がそれとなく示す忠告は貴重なものだと思います。香港の新聞はこの関連の記事で「nudge」(To push against gently, especially in order to gain attention or give a signal)という動詞を使っていました。
インド各地にある「ヒンジー寺院」の中には「異教徒あるいはインド人以外」の参拝を拒否しているところがあります。マドライのミナクシ寺院、プリのジャガンナート寺院、ティルチのスリランガム等多くのインド人が押し寄せる有名所の寺院では、ヒンズー教徒以外は神聖な場所には立ち入ることが出来ませんでした。日本の神社・仏閣は参拝客ばかりでなく観光客も何ら差別無く受け入れるので多くの外国人観光客が訪れますが、インドの「ヒンズー寺院(拝火教寺院はもっと徹底していて異教徒は全く敷地内に入れません)は入場者(参拝者)を厳しく制限しています。しかし伝統ある寺院が「世界遺産」に指定されると、そこはキチンと保存されることとなる一方で外国人の入場もOKとなるようです。
世界遺産に立候補して外国人にもオープンすれば多くの観光客が訪れて寺院も潤うと思うのですがインドの宗教はそういう態度を採らないのです。もし靖国神社を現在のままの形で存続させるのであれば、基本的に日本人だけに参拝を限定すべきだと思います。日本人にしか理解できないような環境を外国に開放するのは無益な混乱を招くだけです。外国人に理解されないようなことは「ひっそりと」「自分達だけで」守り続けるしかないのだと思います。
2013年10月01日(火) |
上海「自由貿易地域」指定の影響 |
中国では経済改革の施策として上海市東部地域を「自由貿易地域」に指定し、税制だとか規制を撤廃した実験を始めようとしています。上海市の東には揚子江と東シナ海に接する広大な「浦東地区」が広がり、上海市はそこに産業を集積させようとしています。当初は28平方Km程度の広さですが。ゆくゆくは1200平方Km以上に拡大可能な地域なのです。
これに対して南の改革解放の先進地域であった広東と特別行政地域の香港地域おいては、一足先に深圳市のチンハイ地区(15平方Km)が自由貿易地域に指定されていました。広東市・深圳市・珠海市・マカオ・香港など珠江デルタ周辺の都市は連携を強め、更に「自由貿易地域」拡大を目指していたのですが、その指定は見送られたのでした。この地域全体の産業競争力は当然上海・北京を凌駕するのですが、その先進地域に大幅な自由を与えることができない現在の中国政府の思想的限界を示していると言えます。
1997年に中国に返還された香港(マカオも)は50年間それまでの制度を変えないと保障されています。北京・上海など中国の他の地域が現在程度の制度的な不便さが更に50年続くと想定すれば、香港(マカオ)の競争力・それに強く影響を受ける広東市・深圳市の競争力は抜きん出ているし、マカオのカジノの魅力は多くの中国人富裕層を集めることになります。
ところが「人口が集中し・富が集積している上海」が香港のように「制度的自由」を得てしまったら今後の図式は大きく変化してしまいます。既に香港の制度を目当てにして香港に進出しようとしていた中国本土の資本が上海経済特区に流れているという状況がでているようです。
現在・香港とマカオ・珠海市を結ぶ海上高速道路の建設が始まっており、これが完成すれば香港・マカオ・珠海市の東西交通網が整備されて、「広州・深圳」「マカオ・珠海」「香港」の逆デルタ交通網が出来上がります。東シナ海に面する広大広さの「横琴島」(マカオの隣)が整備されて「自由貿易地域」に指定されれば、そこに資本集積が進みマカオのカジノ産業もさらに拡大できることが期待されます。
しかし珠江デルタ地域への「自由貿易地域拡大」は見送られました。多分これは「香港の普通選挙導入の訴え」だとか、中国の他の地域では絶対に許されない中央政府批判などが原因しているのだと思います。香港始めとして北京から遠く離れた「珠江デルタ地域」では、成長著しい中国本土資本誘致のために政治的に「北京政府」に妥協するのか、「北京政府」が変化して香港・珠江デルタ地域の自由を認めていくのか、目の離せない状況が続きそうです。
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