KENの日記
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2007年09月29日(土) 日本酒 雪椿


 「越の雪椿、純米酒」です。

醸造元:雪椿酒造株式会社(新潟県加茂市)
使用米:新潟早稲、精米比率60%

雪椿酒造では特別純米酒としては、酒米「五百万石」を使用したもの、「山田錦」を使用したものを作っているそうですし、吟醸酒の種類も豊富なようです。この「新潟早稲」を使った純米酒も主張がはっきりしていて好感の持てる味わいです。少しとげとげしいのですが、米が変り、作り方が丁寧になるとまっと「丸み」があるのだろうなと想像しています。ぜひ違うランクの酒を飲んでみたいと思いました。



2007年09月28日(金) Montgras Reserva Merlot Wine



チリの「コルチャガ・バレー」にある「Montgras」社のレゼルヴァです。1990年代前半に作られた若いワイナリー。
醸造元のホームページ ⇒ Vina MontGras

この「レゼルバメルロー」は2007年の国際ワイン品評会で金賞を受賞したワインだそうです。

On May, in the International Wine Challenge 2007, the best and biggest blind tasting in the world, our Merlot Reserva was awarded with a Gold Medal among 40.000 wines participating in all categories.

この値段(1500円)にしては非常にバランスの良く香りも高いのでお徳感があります。こういうワイナリーのものは「レゼンヴァ」あたりから飲んでいくと失敗がないのかもしれません。赤のレゼルヴァには以下の種類があります。

Cabernet Sauvignon
Cabernet Sauvignon - Cabernet Franc
Cabernet Sauvignon - Syrah
Merlot
Carmenère

さらに「クアトロ」という赤ワインは、「Cabernet Sauvignon, Merlot, Carmenère and Malbec」という4種類のワインから造られているそうです。一本ずつ試してみたい試してみたいですね。



2007年09月27日(木) NHK交響楽団80周年

1926年に創立されたNHK交響楽団は昨年創立80周年を迎えました。私が小学生・中学生の頃にはクラシック音楽といえば、NHK教育テレビで放送されていたN響のコンサートでした。そのNHKの80年の歴史を紹介した本が出版されました。「N響80年全記録」(佐野之彦著)です。

この本はその時々の「指揮者」を軸に、NHK交響楽団の悪戦苦闘・成長の歴史を綴っています。その指揮者招聘に際しては事務方の有馬大五郎事務局長の役割が非常に大きかったとのこと。こうした裏方の話は新鮮でした。

指揮者でいうと、「スウィートナー、ホルストシュタイン、マタチッチ、スベトラノフ、ブロムシュテット」当たりの印象が深いです。マタチッチ、スベトラノフの演奏は本当に豪快であったと思います。変った経験では、ゲルギエフが振った「展覧会の絵」。途中までゲルギエフにしっかり食らい着いていったNHK交響楽団は「木管の気持ちの入っていない演奏」を契機に全体が崩れていって「いつものN響」にもどってしまった様には呆れてしまいました。

また1995年の阪神大震災直後の今は亡き「ロストロポーヴィッチ、小沢」との「ドボコン」も忘れられません。32年振りの再会でした。演奏自体は緊張感に満ちたものでした。阪神大震災の犠牲者を悼む「ロストロポーヴィッチ」のメッセージに小沢・N響も昔の「しこり」を少しの間忘れたようでした。しかしN響の緊張した演奏は「愛情」というより「警戒心・競争心」という方が当たっているような感じでした。小沢も必死に全能で振ったのでしょうがそれはN響に「心からの共感」を醸し出すものにはなりませんでした。このコンビが別れて既に12年が経過しました。

この本は「指揮者との関係」を軸に話が進んでいきます。私としては「コンマスの指導力」あるいは「木管トップ」あるいは「弦楽器主席奏者」を軸に話を展開してくれるともっと面白い話になるだろうと思われます。特に弦楽器の合奏力は世界一流だと思われますが「木管トップ」が奏でるソロには不満を感じた経験が少なからずあります。この本では「オペラ経験」の不足という指摘をしていますが、将にその通りだと思います。それも日本人のオペラ伴奏ではなく、世界の超一流歌手の伴奏経験が必要だと思いました。



2007年09月26日(水) 静岡出張

火曜日から行っていた接続試験の結果が思わしくないので、今日急遽お客様を訪問して現場の状況を調査・把握してきました。行き先は静岡市です。お客様から頂いている接続試験の時間が今日の正午までだったので、朝出発すれば1時間程度の調査時間が確保できるのでした。

私のオフィスは小石川後楽園にあるのですが、後楽園から東京駅までは丸の内線で一本。新幹線に乗るには非常に便利です。10時過ぎの「ひかり」にのって11時には静岡に着きました。静岡に来るのは10年振り位でしょうか。一家で住んでいた「清水市」は静岡と合併して「政令指定都市の静岡市」になっています。

目指すお客様のオフィスは静鉄の新静岡駅前にありました。JR静岡駅と新静岡駅は目と鼻の先です。11時20分過ぎにお客様のオフィスに着いて、お願いして午後2時まで設備の調査をすることができました。東京と回線を繋いで接続試験やら、負荷をかけての動作確認を行いましたが、やはり不具合の原因の究明はできませんでした。現場調査を終えてから直ぐに東京に戻り、東京のオフィスで模擬環境での試験を継続して行いました。とことん苦しむと「神様」は解決のヒントを与えてくれるようです。最新の設備の設定と回線の何らかの拍子によって、端末が不自然な動きをすることが分かってきました。この設定の修正を試してみることになりました。今の所これで不具合は解消されそうです。

政令指定都市静岡市はどんどん整備されています。JR静岡駅北口から新静岡方面に向かっては地下街が整備されつつあります。次はゆっくり来て見たいものです。



2007年09月23日(日) 彼岸花・・・曼珠沙華



今日はお彼岸。朝方から急に涼しくなりました。朝から天候ははっきりしなかったのですが、妻の提案で高麗川の「曼珠沙華」を見に行くことにしました。車でいくか電車で行くか迷いましたが、母が疲れそうなので止めて置くというので車を止めて電車でいくことしました。これが結果的に大正解でした。我が家から高麗川までは、埼京線で川越までいって、そこから川越線に乗り換えです。思いのほか連絡が良かったので高麗川までは1時間あまりで到着しました。

高麗の「巾着田」は自然に群生する「曼珠沙華」では国内有数の規模を誇っています。高麗川が」巾着状に蛇行した「巾着田」の外側一帯は見事なほどに曼珠沙華が咲き誇っていました。早咲きの花と遅咲きの花があるのですが、早咲きの花が満開の状態でした。お彼岸ぴったりに咲くのですね。今日は天気が悪く、高麗は雨模様で時々激しく降ることもありましたが、観光客の数はたいしたものでした。「巾着田」の歩道は数珠繋ぎの状態でした。



2007年09月22日(土) カテリーナ・イズマイロヴァ

ガリーナ・ヴィシネフスカヤが主演したオペラ映画「エカテリーナ・イズマイロヴァ」のDVDを通信販売で購入して今日通して見終えました。まずDVDですがインターネット状においては3000円弱で買える店と、5000円を超える店があります。銀座の山野楽器で聞いてみるとやはり5000円以上だと言う返事がありました。安い方でもきちんと日本語字幕がついているので、当然安い方を注文したのでした。二日程で到着しました。(このDVD購入といっしょに「ガリーナ自伝」もインターネットで購入し2600円で買うことが出来ました。

ショスターコーヴィッチがこのオペラを書いたのは1932年で1934年にレニングラードのマールイ歌劇場で初演されました。題名は「ムツェンスク郡のマクベス婦人」。1936年にはモスコワへの引越し公演が行われました。しかしこここのオペラがソ連当局から批判されます。「不健康な唯美主義・形式主義音楽で全てが下品で低俗だ」とされました。ショスターコーヴィッチは1950年代にこのオペラを買い直しました。この書き直し版をベースに「カテリーナ・イズマイロヴァ」が映画化されました。様々な修正が入っているとのことですが本当に暗い映画です。

ガリーナ・ヴィシネフスカヤのページ

オペラを映画化したという作品では稀な傑作ではないでしょうか。我が家にあるドミンゴが出ている「椿姫」の映画でも、歌と映像の絡みが適切ではないので何か不自然な感じがします。オペラの舞台を意識しすぎているのかもしれません。「カテリーナ・イズマイロヴァ」では歌と映像が本当に一体化しています。演技力もさることながら、監督・演出家が良く考えて作ったのだと思います。「ガリーナ自伝」の中でヴィシネフスカヤは場面ごとに良く考えて歌い分けたと書いています。モノラル録音ですがヴィシネフスカヤの歌をタップリきくことができます。



2007年09月18日(火) アジアのオケを東京に呼ぶこと

スリランカ交響楽団が日本に招待されて演奏することになったというニュースは本当のようです。演奏会は10月4日、東京オペラシティコンサートホールです。懐かしい人達に会えるのは嬉しいことなのですが・・・。

私はスリランカ赴任中に何回かスリランカ交響楽団(SOS)の演奏会に参加させてもらいました。このことはホームページに書いています。彼等の演奏会は女子高等学校の講堂を会場に行われていました。みっちり練習しても発表の機会はたった一回きりでした。クリスマスコンサートなどは同じ会場で二回行う場合がありました。コロンボにはクラシック音楽会を開くしっかりした会場はまだないからです。

「他の都市(例えばスリランカ第二の都市キャンディ)に演奏旅行することはないのですか」とチェロの「ドュッシー先生」にきいてみたことがありました。他の都市に遠征するお金がないとはっきりと言われたことがありました。コロンボの演奏会も非常に安い料金でやっています。演奏者達は全てアマチュア(他に仕事を持っていると言う意味)なのです。

日本政府(文化庁)はそのような交響楽団を東京に招待して演奏会を開きます。確かに一部のSOS演奏者には楽しい演奏旅行かもしれません。しかし、同じ10月4日東京都内では少なくとも「11」もの音楽会が開催されるのです(「ぶらあば」より)。日本の聴衆が本当のところSOSの音楽をどれほど楽しみにしているのか。私など本当に例外中の例外でしょう。日本政府がいかに現地の事情を知らないか。本当にスリランカのことを考えるなら継続して「支援」すべきです。スリランカの他の都市で演奏会を開くことができるような支援をすべきです。スリランカの多くの人々自国のオーケストラの演奏を聴く機会がないのですから。

インドのムンバイには毎年夏休みの時期に音楽大学の学生が数人やってきます。これはイギリスやオーストリアなどの国の援助の基に、インドの演奏家に演奏を指導したり、一緒に練習したりするためです。音楽が好きな子供達はこれを非常に楽しみにしています。学生達もインドの生活を楽しみます。学生達が基本的に英語が話せて、インドの人々と簡単にコミュニケーションが取れるのですが、日本だって音楽大学生がそれこそ沢山いるはずです。現地に喜ばれる援助を真剣に考えるべきです。

スリランカ滞在中、スリランカ交響楽団の演奏会直前の練習の日(当然夜ですが)、スリランカに派遣されている日本の海外青年協力隊の方の演奏会がありました。最近は音大出身の方の派遣も多いようです。SOSメンバーは私も含めて当然練習があるので聞きに行くことは出来ませんでした。その数日後のSOSの演奏会でその協力隊の方々に会ったのですが、協力隊の方々は「なぜ自分達の演奏会を聞きに来なかったのだろう。必ず勉強になるはずだったのに」と話してくれました。その時すごく悲しい気持ちになりました。



2007年09月17日(月) パバロッティの「ラ・ボエーム」

先日亡くなったパバロッティの追悼番組として、本日ババロッティの当たり役のひとつのラ・ボエームの放送がありました。1988年にサンフランシスコ歌劇場で収録されたものです。「ロドルフォ」はパバロッティのデビューの役であったとのこです。

50歳代のパバロッティはまだそれほど太っていないので動きが軽いですね。キチンとした職業にあり付けない「詩人」が太ってぶくぶくしていたらストーリーが狂ってしまいます。ぎりぎりセーフの感じでした。若いパバロッティのデビューの時はどんな感じだったのでしょう。

さすがに歌は素晴らしいものでした。ミミは「フレーニ」。パバロッティと同郷だそうです。パバロッティとフレーニのやり取りはさすがでした。細かい部分の扱いがとても丁寧に作られているという感じでした。「恋愛」と「愛する者を永遠に失う」という感情表現には控えめである必要はないと思いました。更に脇役も見事です。今年の春に見た「日本人」だけで演奏された「ラ・ボエーム」は辛いものだっただけに今日は大満足でした。

これまで歌手(歌い手)が演技するのは大変だろうと考えていましたが、歌の内容に深く没入できなければ感動を与える「歌」も歌えないのだと思いました。一部の日本人のオペラが退屈してしまうのは、演技力の問題ではなくて、「心」の問題なのではないだろうかと思いました。

(追伸)
スリランカ交響楽団(SOS)に連絡を取ったところ、日本公演は本当だとのことでした。どういうメンバーが来日するのか楽しみです。嘗て「ハノイ交響楽団」の日本公演を聴きましたが、今回のSOSの演奏会も同じ催し物のようです。



2007年09月16日(日) インド・スリランカ交響楽団来日?

10月4日ですが、インド・スリランカ交響楽団が来日して演奏会を開くというニュースを知りました。文化庁芸術祭主催公演だそうです。今回は韓国のKBS交響楽団、中国の昆明交響楽団、そして「インドースリランカ」の合同交響楽団が招待されるようです。

英語の案内文では確かに「スリランカ交響楽団(SOS)」となっています。インドの方は「デリー交響楽団」だそうです。昨年来デリーの「プロの」交響楽団ができたような話を聞いていました。ムンバイのBCO(Bombey Chamber Orchestra)ではなさそうです。

今日コロンボの「ドュッシー先生」にメールで問い合わせをしました。もしSOSから誰か来るのであれば、懐かしい顔に会えるかもしれません。



2007年09月14日(金) 阿部首相降板

阿部首相が終に辞任しました。参議院選挙で歴史的な敗北をしたのに辞めなかったのに、国会で所信表明演説をした直後の辞任でした。本当にタイミングが悪いです。周囲の環境からするとこれまでも辞めるタイミングは何度かあったのですから周囲の環境からではないでしょう。自分の「心身」が持たない・判断を誤るかもしれないということを自ら認識したからだと思います。一国のリーダが自分の判断力に自信が持てなくなった時に、何が何でも直ぐに辞めるというのはある意味「健全」なことです。

自分の判断力が狂ってきているのに「自分で気づかない」ということの方がまずいことです。そういう場合に周囲がきちんと対応しないととんでもないことになります。「キチン」と表現したのは結構難しいと思っているからです。なにせ「本人」が正常だと思っていて「辞める」という考えなど全くないからです。その際には反乱とか・テロとかに訴えるしかないのです。「正常だ」と信じている人を強引に「異常」あるいは「病気」にでっち上げなければなりません。

しかし「正常」と「異常」の区別など殆ど不明確です。ヒトラーは正常だったのか「狂っていたのか」。「狂っていた」と定義する方が人類の誇りをもてます。しかし過去に遡って「狂っていた」と定義するなら、過去の非常に多くのリーダを「狂人」にしてしまうでしょう。

ひとつの反省として「リーダ」の選出過程が重要だと思います。長い期間かけてじっくり選ぶということも重要です。アメリカの大統領は非常に長期間かけて選ばれます。日本の首相の任期よりずっと長い時間をかけて国民が選びます。その長い期間の間に「化けの皮」が剥がれたり、心身の健康状態がチェックされます。非常に慎重な選出過程を経るから、ある程度の大統領の「質」が保たれているのだと思います。

これと比べる時、日本の議員内閣制の首相選出過程は非常に短期間で間接的です。国民の直接選挙ではなく政党が首相を選出する仕組みなので、選出された首相の質は、ひとえに政党の選出方法・「人」を見る目に頼ることとなります。こう考えると自由民主党は阿部首相を選出した責任を負う必要があると思います。



2007年09月12日(水) 佐賀県の酒「鍋島」



佐賀県の酒の「鍋島」を飲んでいます。

特別純米酒「鍋島三十六万石」
富久千代酒造有限会社(佐賀県鹿島市)
原料米 山田錦(24%)、佐賀の華(76%)
精米歩合 55%
杜氏 飯盛 直喜

フルーティで「しっかりした」味わいです。引き締まっっていて緊張感があります。蔵元・杜氏の意気込みが感じられる酒です。この「鍋島」は平成18年度の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した酒だそうです。これから人気がでるのではないでしょうか。

佐賀鍋島藩といえば「葉隠」です。確か三島由紀夫の解説もありました。「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名です。佐賀県は行った事がありませんが何か引かれるところがある県です。この「鍋島」という酒も非常に「芯」がしっかりしているので非常に魅力的です。若い杜氏が作っているということですが、これからも注目していきたいです。



2007年09月07日(金) パバロッティが亡くなりました。

テノール歌手のルチアーノ・パバロッティが膵臓癌で亡くなったそうです。パバロッティを聞き始めたのは「3テナーズ」からです。ドミンゴ、カレーラスとの「3テナーズ」の何回かのコンサートはオペラファンを随分増やしたのだと思います。私もそのひとり。とにかくオペラの美味しいところだけを、それこそ現代最高のテノール歌手が歌ってくれるのですから人気がでるはずです。3人の中でもパバロッティの歌にファンは注目していました。但し好調・不調の波が大きく、マイクの使い方も上手くないので、高額な入場料に対して不満が残る公演もありました。

パバロッティの声は素晴らしい「高音」にありますが、私は低音から高音へのスムーズな発声法、ピアノからフォルテへのスムーズな変化が他に類を見ないと思います。とにかく「エンジンの排気量の違い」を感じます。国産大衆車が高速道路を時速100Kmで走っているときに、外国の高級車が後ろから軽々と抜いていく感じですね。ギアの変化だとか回転数の変化を感じません。低い回転数から高速回転まで一気にしかもスムーズに上り詰めるのです。歌い回しも素晴らしいです。歌そのものだけを聞いていると本当ににくい程上手い。しかし体格が体格なだけに視覚的には辛いものがありました。飛行機の移動も大変だったと思います。あの体格で世界中飛び回ることは苦痛だったでしょう。

残されたのテノール会には「ドミンゴ」が大御所として残りました。声・容姿・才能に恵まれたドミンゴは最近は指揮もするので、まだまだ現役で活躍できます。テノール会の新人では「ロランド・ビラゾン」が飛びぬけていると思います。テノールのビラゾン、バリトンのホロストフスキーが共にソプラノのネトレプコと絡んでいます。



2007年09月02日(日) 「アレキサンドラ」という映画

ガリーナ・ヴィシネフスカヤの関するページ

「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ」に関するホームページの記事を書いているのですが、インターネットで調べている中で、彼女が昨年映画に主演していたことを知りました。今年のカンヌ映画祭に出品されたロシア・フランス合作映画の「アレキサンドラ」という映画です。

チェチェンに駐屯する軍隊の孫に合うために老婆がチェチェンを訪問するストーリーのようです。監督は「ソクーロフ」。ロストロポーヴィッチとガリーナのドキュメンタリー映画を撮った監督です。ソクーロフの次の作品がガリーナを主演に迎えた「アレキサンドラ」なのです。

このドキュメンタリー「Elegy of Life」(ドキュメンタリの本当のタイトルです。「人生の祭典」とは少しニュアンスが違いますね) の中でソクーロフがガリーナにインタビューするシーンがありましたが、ここが非常に印象的でした。ロストロポーヴィッチとの話では、ベートーベンとかプロコフィエフとかブリテン、ショスターコーヴィッチなどの音楽家・音楽に関することばかりなのでした。ところがガリーナへのインタビューの最初は「最初の息子のことを憶えていますか」というものだったのです。

ガリーナは下積み時代18歳で長男を生みました。もちろんロストロポーヴィッチと結婚するずっと前のことです。レニングラード封鎖の最中でその子供は幼くして亡くなってしまったのです。ガリーナとのインタビューはそんな悲しい話ばかりなのです。私の想像ですが、このインタビューをきっかけにして、ソクーロフはガリーナの映画を撮る気になったのだと思います。ソクーロフはガリーナのために「アレクサンドラ」の脚本を書いたと言っています。是非見てみたいと思います。

あらためてドキュメンタリーの解説本を読んでみて思い出したのですが、ロストロポーヴィッチはロシアの偉大さを「長さ、雄大さ、無限」と表現しています。ガリーナは同じような意味でしょうが「すべてが過剰」と言っています。日本語がそうなっているだけでロシア語の意味がそうなのか不明ですが。とにかく「ロシアの魂」というものに非常に興味をひかれるこの頃です。



2007年09月01日(土) アカデミアミュージック

現在の勤務先は地下鉄有楽町線の「後楽園」です。実は輸入楽譜専門店の「アカデミアミュージック」が近くにあるのです。昔のアカデミアは「本郷三丁目」と「お茶の水」の中間ほどの場所にありました。ところが数年前に引越して、本郷三丁目と後楽園の中間に来たのでした。春日からは真砂坂を上って直ぐのところです。

今日会社の帰りに寄って見ました。現在探しているのは「シューベルトのピアノソナタD960」。別に弾けるわけではないのですが楽譜を見ながら演奏を聴いて見たいのです。既に池袋のヤマハは既にチェックしたのですが高い楽譜しかありませんでした。見るだけなので安い楽譜で十分なのです。できれば「ドーバー」版の「ベートーベンピアノソナタ全集」みたいなものがあれば最高と思っているのです。しかしその種の安い楽譜はありませんでした。どうしようか悩んでいます。




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