Probe report on Subhash Chandra Bose 'death' tabled.
New Delhi: The findings of the one-member commission that probed the alleged disappearance of Netaji Subhas Chandra Bose was tabled in the Lok Sabha Wednesday, along with the government's action taken report. Minister of State for Home S. Regupathy tabled the report of Manoj Mukherjee, a retired judge of the Supreme Court, who was asked in 1999 to probe the alleged death of Subhas Chandra Bose, following an order of the Calcutta High Court, which wanted a vigorous inquiry to put an end to the controversy. The United Progressive Alliance government has, however, rejected the report. The report says Bose did not die in a plane crash in Taiwan in 1945 as has been believed for over six decades and that the ashes in Renkoji temple near Tokyo did not belong to the founder of the Indian National Army. The report also wants a thorough probe into the so-called Rssian connection in the controversy, which says Bose had survived the Second World War and had, in fact, been detained in a Siberian camp thereafter. This was the third panel constituted to probe the disappearance of Bose. 2006年5月17日のインドの新聞記事の勝手な抜粋です。「スバーシュ・チャンドラ・ボース」の死に関するインド政府の報告書です。これは3回目の正式な調査報告書なのです。これによると、東京杉並区「蓮光寺」に安置されているボースの遺骨は、全くの偽物で、ボースは実際にはシベリアに渡ったという結論になっています。日本とインドを結ぶ「最大のキーパーソン」のチャンドラ・ボースですが、インド政府のこうした報告書によって、日・印の架け橋にはなり得ていないのです。チャンドラ・ボースは終戦直後(1945年8月18日)に台北の飛行場における飛行機事故でなくなったとされています。インドで買ったボースの伝記にもそのような記載があります。
日本ではこれが真実と信じられています。確かに終戦前夜のドサクサの出来事なので証拠品などが失われているのでしょう。しかしそろそろ政治的な結論が出されても良いと思われます。ボースの役割とか、東京裁判の「バール博士」の意見とか、日・印を結ぶインド人のことが日本でもっと知られて良いと思います。
2006年05月24日(水) |
マンションの防災訓練 |
21日の日曜日、マンションの防災訓練がありました。小さなマンションですが、こういうことは真面目に取り組み人が多いのです。今回も多くの住民が参加しました。実は妻が初代「防火管理者」となって頑張って伝統を築いたとも言えます。 今回の訓練の目玉は「救急救命」の訓練でした。消防署から、人工呼吸用の人形とかAEDを持ってきてもらって、心臓マッサージの方法等の訓練を受けたのでした。私は、人工呼吸と心臓マッサージを実際に体験練習させてもらいました。せっかく、少し勉強したので、妻と一緒に市役所の講習を受けようと思っています。妻をさそったのは私だけ覚えても私の助けにならないからです。 AEDも非常に有効だということですが、使い方を知っておくと役立つと思います。しかし、マンション近くには「AED」はないようです。
今日は久しぶりに晴れました。というより非常に暑かったです。午前中にしっかり泳いだので昼ご飯は外食することにしました。運動不足の母の散歩と子供達を「うなぎ」で釣り出したということ。家から少し離れた「別所沼公園」内にある「うなぎや」さん。 散歩した後、軽くビールの飲んで、昼食にうなぎを食べる・・・これはかなり満足度が高い。美味しく昼食を頂きました。その後、しっかり買っておいた食パンを鳩とアヒルの昼食として提供。少し風が強かったけれど、別所沼は気持ちが良いです。ゆっくり歩いて帰ってくると3時過ぎでした。 それから少しお昼寝。家族全員でウトウトしていると息子が「雨だ」と騒ぎ出しました。物凄い風と雨。直ぐに洗濯物を取り入れました。とんでもない天気でした。しかし、非常に暑い日だったので寒がり妻から「ストーブをしまう」許可がでました。
内戦の拡大が懸念されるスリランカ。そのスリランカの外務大臣等が17日から来日中なのです。ちょうど、国連のアナン事務総長も来日していて会談を持った模様。 ちょっと予想はしていたのですがスリランカ政府の方が、我が社の幹部と会いたいと言い出したのが17日。大慌てで資料を準備などして18日午前中の面会をアレンジされ無事終了しました。幸い「帝国ホテル」は会社からも近かったので助かりました。さらに今日の19日の夕方にももう一回の会談。 スリランカ大使館の「M」さんにはスケジュール調整で大変お世話になりました。ありがとうございました。外務大臣やスリランカ政府関係者の皆様はとても気さくな方達でした。我が社との関係もありますが、とにかく個人的には内戦が収まることを期待しています。せっかく日本に来たのに、雨の日が続くので少しかわいそうでした。
今日愛用のボールペンを見ていて思い出しました。実は愛用のボールペン(モンブラン)はインドのムンバイのレストランで落とし(忘れ)諦めていたのに出て来たのです。郊外のレストランで昼食した後にオフィスに帰り夕方頃ボールペンがないことに気がついたのでした。色々考えてレストランに電話したのですが、最初はそういう落し物はないとのことでした。 「だめかな」と思っていたところその後レストランから電話があって床に落ちていたとの連絡。後日取りに行ったのでした。店の人には大感謝でした。店の係りの人に礼を言うと「It's our duty」という「かっこいい言葉」が帰ってきたのでした。 その他の例でも、私は「落し物が出てくるタイプ」のようです。高校生の頃信州のスキー場のゲレンデで時計を落としたのです。下まで降りてきて時計のないことに気づいたのでした。同じリフトでもう一度上まで上り先ほど滑ったコースを探したのです。そしたらゲレンデの中程で私の時計を発見したのでした。これは奇跡に近いと思っています。この時計まだ現役です。 スリランカではもうひとつ。「地球の歩き方」の本を「ダンブッラ近郊のレストラン」に忘れました。ダンブッラはコロンボから100Kmほど離れた石窟寺院で有名な町です。コロンボに帰ってきてから気づいて思い当たったそのレストランに電話したところ、それらしい本があるとのことでした。それから3ヶ月程して再度近くを通ったので寄って回収してきました。 「とんま」でも少し気が利いている「とんま」なのでしょうが、忘れないに越したことはないです。
先週辺りから挑戦していることがあります。それは朝の通勤列車の赤羽駅で階段近くに止る混雑する車両に乗ること。ホームで並ぶ時後ろの方では乗れません(乗り切れない)。乗る「コツ」は列の真ん中くらいにな位置を確保して、後から乗る人に推してもらって車両に入ること。すごい圧力なので簡単に乗れます。 その車両に乗ると降りる時に非常に便利なのです。ダッシュで階段を上れるので混雑に巻き込まれず通勤時間が5分くらい短い気がします。上野駅での乗り換えは時間がかかるのですよ(東北・高崎線から京浜東北・山手乗り換え)。 しかし同じように考える人が多く想像を絶する混雑なのです。今のところ混雑に耐えています。(赤羽から上野の10分ちょっとですが)我慢強い人達がいるものです。混雑でもみくちゃにされた後上野駅の階段を駆け上る人もいます。私は多分暑くなったらやめると思います。なぜ続いているか。超満員の圧力の中にいると通勤時間が短く感ずるからです。
今日は母の日でした。昨年までインドで暮らしていて日本に帰ってくるにあたって「したいこと」を考えていたのでした。もっと正確に言うとこれをするために日本に帰ってきたとも言えます。 (その1)母と一緒に暮らすこと。 私の母は私が日本を離れている間、小田原の弟の家にいました。別に特別な病気があるとかではないですが、信州の冬は厳しいし一人暮らしは大変なので弟と私で面倒を見ることにしているのです。弟の家は戸建なので小さな庭があって広いですが私の家はマンションで狭いのです。それでも母と同居することを予定して4LDKと少し無理をしたのでした。「さいたま」は小田原のように気候が良かったり、魚が美味しかったりしませんが唯一の利点は「信州」に近いこと。新幹線を使えば大宮から1時間30分程度で長野に着くし車でも3時間程で家に帰れます。これから夏になったら少し頻繁に帰ろうかと思っています。母はだいぶ体力が落ちましたが、まだしっかりしています。 (その2)家族とできるだけ有意義な時間を過ごすこと。 子供二人はあまり親をかまってくれませんので妻と過ごす時間が多くなります。良い音楽会を選んで二人で聞きに行くようにしたいと思います。4月の「マタイ」は非常に感動的な演奏会でした。11月に「アイーダ」を予定しています。それまでにひとつか二つ追加したいです。高い外国演奏家ではなくてもOK。できれば「歌」がいいですね。これから探します。 更に妻の伴奏で曲を仕上げようと考えています。昨日フォーレの「シチリアーノ、エレジー」を合わせました。まだまだ先は長いですが少しずつ目標を持ってやっていくべきでしょう。ムンバイで調整してもらった楽器は良い音を発してくれます(自分がそう思っているだけ?)。これはマンションのご近所さんとか子供達には顰蹙です。昨日私達が合奏を始めると息子は早速家から逃げ出していきました。娘は部屋の戸を締め切り我慢していました。
ここまでは「母の日」関連。感謝しています。 (その3 少し妻と関連) 美味しい日本食を食べること。インドの厳しい食事環境に耐えてきた自分へのご褒美。しかし、帰国早々から食べすぎで太り気味です。 (その4 殆ど個人的な事) 運動をすること(水泳):一週間に一回のペースをほぼ確立。ほんとうは「ヨガ」でもやりたいのですが場所と時間がない。献血をすること:一ヶ月に一回のペースを確立しようと思っています。
2006年05月12日(金) |
スリランカ北部の海で衝突 |
LTTE sea attack: 17 Sri Lanka Navy personnel killed, one Dvora destroyed It is believed that nearly 50 Sea Tigers were killed in retaliatory fire.
昨日11日、スリランカ北部の海でスリランカ政府軍とLTTE(反政府タミール人組織)の衝突がありました。スリランカ海軍の「Dvora」という船が自爆船によって沈められ、LTTE側(Sea Tiger)の方も5隻の船が破壊され、両者に60名以上の犠牲者がでたとのこと。 先月25日のコロンボにおける陸軍幹部への自爆攻撃以来の大規模な事件です。ジュネーブでの第二回和平会議の目処は全くたっていないし、日本の明石大使の調停努力も何の結果も生んでいません。一昨年の津波の災害の復興が進んでいないのに、かわいそうなのは一般国民です。今日は敬虔な仏教徒のスリランカ人にとって最も大切な日。「仏陀の命日」です。
Sri Lanka bans open display of meat in the market in view of 2,550th anniversary of Buddha's death スリランカの新聞記事の見出しです。5月12日金曜日が仏陀没後2550年の満月の日だそうです。でこの記事ですが仏陀の命日には商店での肉類の陳列を禁止するのです。懐かしく思い出されます。 スリランカのコロンボに住んでいる時の経験で満月の日、隣のスーパーの酒類売り場、肉・魚売り場が閉鎖されました。従って満月の日の前日のスーパーはビール売り場が繁盛するのでした。12日の金曜日スリランカでは休日ですが、多くの人が寺院に参拝にでかけます。 これがインドだと更に厳しくて、肉・魚を食べない人酒を一切飲まない人が周囲にごろごろいました。
一大イベントの連休が終了。最後の土曜・日曜は家でゆっくりしました。土曜日はいつもの午前中水泳。連休のせいかプールは普段より空いていました。その分ゆっくり泳げました。というのも私のクロールは人一倍遅いのです。平泳ぎの人にも離されます。従って出来るだけ空いている時間帯を見つけて泳ぐことにしていたのです。でも昨日はそんな心配無用でした。今日の日曜日は天気が崩れたのでパソコンに向かっている時間が長かった。暫く更新しなかったホームページを触りました。スリランカ関連、インド関連の思い出を記事にしています。
2日火曜日から信州に帰省してきました。信州須坂には私の実家と妻の実家(共に基本的に誰もすんでいない)があります。私の実家は近くに住むおばさん(母の妹)が時々見てくれています。妻の実家は誰も面倒を見ていない。つまり「荒れ放題」。昨年の夏の草取り(インドから草取りに帰った)以来の妻の実家でした。今年の冬は雪が多く久しぶりの厳しい冬だっとのですが、それもあってか二箇所の水道がだめになっていました。水道屋さんが昨日きてれて応急修理が済みました。水洗トイレのタンクは別途工事です。 妻は草取り私はごみ焼きで1日潰しました。妻の実家の近くには温泉ランド(?)みたいな施設があります。都会のその種の施設は非常に高価ですがそこはの値段は銭湯なみ。午後5時30分以前の入浴料は500円、それ以降は400円です。広い施設には色々な種類の風呂があって本当にのんびりできました。露天風呂は外の空気が美味しいので格別です。関越道・長野道が整備されたので、約3時間で帰省できます。便利になりました。今日の埼玉にもどりました。途中、横川SAで昼食の「釜飯」。みんながする事をするのが大型連休ですね。
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