KENの日記
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2005年07月31日(日) ムンバイ大荒れ

今週火曜日からの大雨(風も強いのです)で、ムンバイの一部はこのような状態になりました。写真の場所はムンバイ南部のダウンタウン(私も住んでいる)から20Kmくらい北部の飛行場近辺です。広い幹線道路に水が出て首まで浸かるほどの洪水です。この付近は貧しい人たちが沢山住んでいる場所でもあります(いわゆるスラム)。そういう人達に大きな被害がでました。


新聞報道では今回の大雨はこの100年間で一番集中豪雨だそうです。飛行場の滑走路の一部も水に浸かり飛行機の離着陸が出来なくなりました。BCO演奏会に招待していたギターソリストがネパールから来れなくなりましたし、バンガロールに出張してもらって会社の社員が二日間ムンバイに戻れませんでした。


私も飛行機を使っていて今年はどうも飛行場付近が雨が多いとは思っていました。というのも飛行場付近が大雨でもムンバイ最南端は雨が降っていないことがよくあったのです。


ところが、昨日(土曜日)からムンバイ南部でも雨の量が多いです。今日の日曜日は大荒れです。夜中からそして朝も土砂降りです。本当に良く降ります。どこからこれだけの水分が供給されているのか不思議です。世界の乾燥地帯でどんどん水分を吸収しインド中部に戻しているような錯覚を覚えます。雨ですがこれから日曜日のBCOの練習に向かいます。


(追加)

大雨は偶に小降りになりますが、殆ど一日中大荒れの状態でした。BCOオケの練習への自分で車を運転するのは危ないのでタクシーで行きました。といってもムンバイのタクシーの運転が「安全」かどうかの保障は全くないのですが、少なくとも車が「ダウン」してしまうようなことになったらかなわない。
幸い練習への行きかえりは少し小降りでした。でも夜になってから、また土砂降りが続いています。明日から8月です。夏休みを取って久しぶりに日本に帰ります。



2005年07月30日(土) 演奏会の曲目訂正

昨日コンサートの宣伝をしたばかりですが、やはりネパールのギター奏者が来れなくなったのだそうです。従ってギター関連の曲目は急遽中止。


新しい曲目は、
○ヴィヴァルディ 3台のバイオリンのための協奏曲
○Domazlicky 無言歌
○ピアソラ オブリビオン

だそうで今日楽譜が配られました。バイオリンは誰が弾くのかな。指揮者のいティモシーもバイオリンが弾けるそうだけど。いよいよ演奏会まで1週間ですが波乱含みです。



2005年07月29日(金) コンサートのお知らせ

BCO(ボンベ室内管弦楽団)演奏会


時:8月7日 6時30分から
場所:ボンベイ市 Experimental Theatre(ナリマンポイント)
演奏:ボンベイ室内管弦楽団
指揮:ティモシー・(?) 英国の指揮者
入場料 Rs150、Rs100

演奏曲目
○メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲7番ニ短調
○ヴィヴァルディ ギター協奏曲 ニ長調
○ロドリゴ ギター協奏曲から ニ楽章
○エルガー 弦楽のためのセレナード 作品20
○ブリッジ 弦楽のための組曲

ギターソロはネパールから来る予定。(大雨洪水による飛行機欠航でまだ到着せず)ということで、BCOコンサート情報を公開しました。コンサートチケットは劇場のチケット売り場で入手できます。


といってもインドのムンバイ市ですから、日本から聞きに来る可能性はゼロに等しいのですが。BCOはインド唯一の「常設」オーケストラです。インドで西洋クラシック音楽を「生」で聞けるチャンスはめったにありません。従ってチケットは殆ど売れない。でもムンバイの「パルシー社会」では親しまれています。


実質的なオケ代表の「ジニ先生」がパルシーで色々な楽器を私費で揃えているのです。かのズビン・メータもパルシーなのです。今回の演奏会はイギリスから「ティモシー」さんという指揮者を呼んでいます。従って、イギリスのエルガー、ブリッジという作曲家の曲がメインになります。


それとギター協奏曲。ネパール最初のプロ音楽家というギターソリストが来印予定。しかし今週の大雨被害でネパールからの飛行機が欠航になってまだ来ていません。まにあうのかしら・・・。


因みに私は昨年の7月30日に同じホールでBCOの演奏会を聞いたのでした。その時はまだインド出張中のことでした。それから1年してインドに赴任して、アパートに引っ越して、日本から楽器を運んで「BCO」に入り込んで演奏会に出る予定になりました。感慨無量です。大雨で中止にならなければいいのですが、それが心配です。



2005年07月26日(火) BCO追い込み

BCO(ボンベイ室内オケ)が追い込みに入りました。来月7日の演奏会に向け指揮者のティモシーが来印。日曜日の練習から彼の指揮です。非常に分かりやすい指揮です。それにしてもイギリスの指揮者が来てすぐにコミが取れるインドの人はやはりすごいです。


日曜日の練習にはビオラの「ハイク(若いドイツ人女性)」さんも参加。実は彼女は弦楽器の調整が商売。休憩時間に私にチェロの調整を頼みました。彼女曰く、「演奏会終了後直ぐにドイツに帰るので、9月半ばにならないと仕事にかかれない」とのこと。それまで待つことにします。


そして、今日月曜日から「朝練」が始まりました。学校の始業が7時30分で、インドの人は朝も強いです(学校は、昼間・夜間の2部制)。オケの練習は、朝の7時から8時30分まで。今日から演奏会まで土曜日を除いて続きます。それくらいやらないと纏まらない気がします。指揮者のティモシーは1959年生まれ。でも見た目は30歳くらい。とても躍動的な指揮をします。本番まで、BCOがどれくらい上達するか楽しみではあります。



2005年07月24日(日) モティ・マハールのカレー

オールドデリーにある「Moti Mahal」(北インド料理)レストランは小粋なレストランです。この奥に、屋外席と一応冷房の効く屋内席があります。インターネットとか店の人の話をまとめて少し紹介します。


この「Moti Mahal」はタンドーリ料理の発祥の地であるそうです。
ナンとかロティを焼くタンドーリで、チキンとかマトンを焼くという料理法はそれほど古いものではないそうです。少なくとも、デリーでそうした「タンドーリ料理」を最初に始めたのが、この「Moti Mahal」だったのです。


現在パキスタンに属するインド西部から「Kundan Lal Gujra」という人が1947年にデリーにやってきて、ここでその料理法を始めたとのこと。それが、現在インドを代表する「タンドーリ料理」になっているのです。北インド料理では欠かせません。


焼き鳥のコンロの代わりにタンドーリを使った感じでしょうか。ここの店の名刺には「支店は一切ございません」と書かれていますが、実際には、デリー市内には多くの「Moti Mahal」があります。


しかも有名なチェーン店の「Moti Mahal」は「Kundan Lal Gujral」の息子さんが大々的に経営しているとか。この本家「Moti Mahal」と何か悶着があったのかもしれません。


とにかくこのレストランに行ったらタンドーリ料理を注文することです。チキン、マトン、フィッシュ、シュリンプをなど注文し、ビール(キングフィッシャーしかありません)を飲む。3人以上で行くとシェアできてOK。ひとりだと1種類で十分です。これはいけます。


そしてメインは名物のバターチキン(クリーミーなチキンカレー)と、ナン・ローティの盛皿。バターチキンは「ボンレスとウィズボーン」があるので、ボンレスにするのと手間が省けます。でも昔からの名物は「骨付き」です。薄く焼く「ロマニ・ロティ」も美味しいです。


夜8時頃からは、民族音楽の生演奏があり、言葉は分かりませんが結構上手な歌が聴けます。店の奥の調理場は非常にオープンなので、気軽にタンドーリを見学することが出来ます。調理場に多くの調理人がいるので、聞いてみたらそれぞれ調理するアイテムが決まっているのだそうです。


Aさんは「ナン焼き専門」、Bさんは「ロティ焼き専門」、Cさんは「バターチキン専門」のように。こんなところにも細かく分業が成立しています。伝統の味を今後も守って欲しいものです。担当の人間が休むと、その料理も休みになるのです。



2005年07月23日(土) サイ・ババ

今日は「シルディ・サイ・ババ」について記録しておきます。サイ・ババが「シルディ」(ムンバイから焼く300Km北東)に現れたのは1872年だとのこと。上のような服装はイスラム教修行者のものです。


彼はヒンズー教の教えを説いたりコーランを引用したりしたとのこと。つまり、イスラム教、ヒンズー教両方の知識を持っていて、どっちの宗教に属するか決めらることができないのです。「サイ」というのイスラムの言葉で「神聖な」「ババ」はヒンズーの言葉で「父親」のことです。


サイ・ババは1918年に亡くなっていますが、存命中もすでに有名になっていたそうです。有名になっても、最後まで托鉢を続け、貧しい人、弱い人を助け続けたのでした。今では、インドの各都市にサイ・ババ寺院があり、「故郷シルディ」は、イスラム教徒、ヒンズー教徒双方の巡礼地になっています。


サイ・ババは一生托鉢の生活を続けました。そして、手に入れた食べ物は、貧しい人、近所の動物などと分け合って食べていたのだそうです。サイ・ババの不思議な力については、沢山の逸話がありますが、3つ紹介します。


その� ,△襪箸�サイ・ババ火を点す油を得るために、シルディの町を托鉢して回ったのですが、油商人は意地悪をして油を与えなかったのだそうです。油商人達が悲しそうなサイ・ババの後を追って、サイババの住む古いイスラム寺院に来て、サイ・ババの様子を見ていると、サイ・ババはランプに「油」のかわりに「水」を注ぎだしたのでした。サイ・ババがおかしくなったかと油商人達が考えていると、なんと「水」のランプに火が点ったのだそうです。
 
その�◆.汽ぁΕ丱个良垰弋弔蔑呂鮹里辰紳漆傭�は、病気や怪我の時にサイ・ババを頼るようになったのでした。最初サイ・ババはハーブの薬を調合して与えていたのですが、そのうちに「灰」を与えるようになったのでした。この「灰」が不思議な力があって、難病をも直してしまったのだそうです。(この辺が、サティア・サイババの「灰」に繋がるようです。)サイ・ババの点していた火は今もシルディで燃え続けています。「火」が重要な役割を果たすのは、やはり拝火教の影響だと思います。

その�� 猛烈な豪雨がシルディを襲い、村中大洪水になってしまった時のことです。これ以上雨が続くと村が全滅してしまいそうなので、村人はサイ・ババに助けを求めました。村人の話を聞いたサイ・ババが棒切れで、寺院の柱を叩いた途端、嵐が止んでしまって、美しい月を見ることが出来たそうです。


不謹慎かもしれませんが、厳しい非暴力主義を説いた「ガンジー」より、人々に慕われている感じです。



2005年07月22日(金) ニュー・デリーから

ホテルで予定していた面接を済ませ、大急ぎでインド舞踊を見に行ってきました。面接が終了したのが7時でホ−ルについたのが7時30分ですから、まあ効率よく動けた方です。インド舞踊は、オールドデリーに程近い、デリーゲート交差点にあるパルシーホールで行われています。


デリーでは「パルシー」といっても殆ど通じません。(ムンバイとは大違い)
その一角にはホールと拝火教寺院があって、ホールを借りて伝統ダンスショーが行われているのです。基本的に毎日夜7時から8時まで。入場料Rs200。今日は後半だけ見ました。インドには地方によって色々なダンスがあるのですが、今日の出し物はそれほど練り上げられたものとは思えませんでした。


というのも、北インドのカタックの日本人ダンサーの「Sさん」の踊りを知っているので・・・。でも民族衣装は非常にカラフルでキレイだし、踊っている人が楽しそうなので気楽に鑑賞できました。


この舞踊ショーをみて感じたことなのですが、少しずつ付加価値(というかどうかは難しいですが)をつけていけば、観光名所になるのに残念な気がします。まず宣伝が足りない。ホテルでは全く案内していませんし、地図にも載っていません。ホテルとしては、自分のホテル内のレストランに案内したいから、外部のアトラクションなど興味がない。


ニューデリーの街として観光開発しようという考えは全くない。会場も非常に分かりにくい。ホールといっても名ばかりで体育館に椅子を並べた程度。もちろん冷房なし。舞台は結構高いので近くからだと踊り手の足元は見えない。伝統舞踊は有名なのだから、専用ホールでも作って大々的に名所にすればいいのにと思います。ニューデリーには夕食の後に案内できるような場所はないのだから。外国人観光客にとってはこの無愛想なインドが魅力なのかもしれませんが、それだけでは観光客の裾野は広がらない。


ベトナム・ハノイの水上人形ショーを見習うべきです。それほど伝統ある芸能ではないですが、宣伝が上手なので重要な観光ルートになっています。団体旅行ではひとつの場所に固めて収容できる「催事」が欠かせません。この伝統舞踊ダンスショーを、専用ホールで行い、お土産さんを完備する。ついでに、気の利いたレストランなどを併設すればそれこそ数時間稼げます。インドの人はそんなこと考えないのだろうな。



2005年07月21日(木) ニューデリー引越し計画

実はムンバイからニューデリーに引っ越す予定なのです。会社の仕事上、ムンバイより首都のニューデリーの方がずっと便利であるからです。ニューデリーの新オフィスは、9月に改修を終えることができそうなので、そのタイミングで引っ越す予定。問題は新居を探すことと引越し。


住宅事情は、ムンバイより首都ニューデリーの方が上のようですが、単身赴任用の便利なサービスアパートメントがあるかというとそうでもない様子。単身だと、昼間家に居ないので、お手伝いさんをやとっても中途半端。住宅も単身用の狭いアパートを探すのは大変みたいです。今、日本の都会でどこでも見られる「ワンルームマンション」をひとつでいいから持ってきて欲しい。それと、引越しも不安です。


日本から持ってきたチェロは、日本できちん梱包してもらい、マラッカ海峡を経て、ムンバイまで無事到着しましたが、ムンバイからニューデリーまで大丈夫かしら・・・。日本国内での引越しはベテランの域に達していますが、インド国内の引越しは不安です。あすから、オフィス契約などのために、ニューデリーに出張します。



2005年07月16日(土) ムンバイの動物

インドの町では、ムンバイに限らず、「犬、猫、鶏、牛、はと、カラス」はどこにでも居ます。しかも、インドの町や人間を何の違和感もなく共存しているのです。歩道に寝ている犬は、人間の交通に邪魔ですが、人間が除けていきます。偶に道で牛の行列に出会うと、車は徐行したり迂回したりして、「牛」が優先されます。


こういう光景を見ていると世の中の主人公は人間だけではなくて、他の動物達も社会の一員だと思えます。野良犬、野良猫の去勢手術は結構進んでいるし、「はと」・「からす」の餌場は沢山あります。


話は飛躍しますが、私には「ベジタリアン」の気持ちがだんだん分かってくるようなきがするのです。人間も含めて、世の中に色々な生命があり、その生命は非常に貴重で尊重されるべきだと考えたらどうでしょう。なぜ、人間だけの生命、生活環境だけが尊重されなければならないのか。他の動物だって、同じ創造主「神」から生命をあたえられた仲間ではないのかと。


命を大切にするジャイナ教では、植物でも「地下で取れる」植物は「命の元」だとして食べません。インドにベジタリアンの多いのは「命」を大切に考えている人が多いからなのです。野良犬、野良猫はどんどん減っていき(捕獲され)人間のためだけのコンクリートの町がどんどん増えていく日本。


動物は人間の疲れを癒す「ペット」ととしてしか存在し得ない環境は、インドからすると異常です。かつて日本も仏教の教えで、動物の命を大切にしていた時代はあったと思います。しかし、今は宗教が生活から遠い存在になってしまったと同時に、人間中心の考えにかわってしまった。日本人が「なぜ、宗教が必要なのか」と問うとすれば、インドでは「なぜ、宗教が必要でないのか」とといます。


約一年のインド滞在で、大分インド人的になってきた感じです。(もともと若干その気配はあったのですが)



2005年07月15日(金) 大胆な猫

この写真はムンバイ市内の歩道で出会った「大胆な猫」です。ムンバイの町の道では、いたるところで「犬」がごろごろしている光景を見かけます。暑さが苦手な「犬」は、全般的に動きが鈍く、怠惰に見えます。しかし、同じような格好の「猫」は始めてみました。


この猫は、歩道の真ん中で、こんな姿でずっと眠っているのです。触ってもびくともしません。猫までこんな無防備な格好で寝ていられるということは、人間からいたずらされてり、蹴飛ばされたりしないからだと思います。(他にはあまり見かけないので、この猫だけが大胆なのかもしれませんが)歩道を歩いていく人は、ちゃんと除けて通っていきます。



2005年07月14日(木) そろそろ夏休み

日本では、そろそろ夏休み計画の頃ですね。常夏のインドにいると冬の厳しさがないかわりに、夏の楽しさもない感じです。こちらムンバイでは、一年中で一番暑い5月から6月中旬くらいまで、夏の感じです。それからモンスーンが3ヶ月くらい続いて、また、天気の良い乾季を迎えるのです。7月、8月はモンスーンなので、休みをとっても観光もできないので仕方がないのです。


私は1月に引越しのために帰国して以来、すでの半年があっというまに過ぎてしまいました。この間、有給休暇をとったのはたったの二日。今回、BCOのコンサートが終わったら、まとめて休暇をとって、帰国しようと考えています。今年の後半は、また大きなイベントが控えているので、(詳しいことは、そのうちに日記に表れてくるとおもいますが)日本でエネルギーを補給してこようと思います。



2005年07月13日(水) フランク・ブリッジ

BCO(ボンベイ室内オーケストラ)演奏会の曲目が一応全部決まったみたいです。日曜日に最後の新曲の譜面が配られました。曲目は、フランク・ブリッジ作曲の、「弦楽オーケストラのために組曲」。ちょっと難しいそう。終曲が「Allegro Molto」で大変そうです。


一応日本の妻にCDを探してもらうこととしているのですが、今のところ見つかっていません。しかも、演奏会の最初に演奏するという、メンデルゾーンの弦楽のための交響曲も仕上がっていない。ジニ先生の悩みの日々が続きそうです。ビオラ・チェロの練習参加人数はごく少数。ビオラ一人、チェロ二人(私を含め)。これも心配です。



2005年07月12日(火) 良くある話?

先々週のチョンボ話の続編が発生しました。私の勉強した事柄を中心に記録します。私はこう考えました。(私が日本人的なのか、それとも私は日本人としても変っているかはこの際議論はしない)


Aさん(インド人インテリです)は自分達がミスしたことを最後には認め、そのミスをリカバリーするためにAさん大変な努力をし、1日遅れ(日曜を除)ですが工事は終了させた。


Aさんは今回のことで十分私達(日本企業)の要望が真摯なものであるか分かったはずだ。今後はこのようなミスがないように配慮してくれるに違いない。


しかし、実際Aさんは以下のように考えたのでした(推測ですが)。


日本の会社の要求はインドの常識を外れている。今回できないかもしれないけれど、いつものインド流で「Yes」といってしまったが、それを日本人からやってきたインド知らずの「Mr.K」は本気にして実行を迫ってきた。


仕方がないので今回は特別に各方面手配してほんの「1日送れ」で要求は満たしてやった。こんなことインドでは例外中の例外だ。


「Mr.K」は私達の努力に敬意を払うべきだ。今回私達は特別な努力を払ったのであるから「Mr.K」は私達に感謝すべきだ。従って、当然今後の約束ごとにおいて「Mr.K」は我々の譲歩するのはあたりまえである。


そうして再びアクシデント発生。彼女は最初のチョンボの時にどれだけの人間が「すっぽかし」を食ったかは知らないのですが、でもその人数を彼女に知らせたところで彼女が実感するとも思えません。1日の遅れで、天地がひっくり返るのではないけれど・・・。



2005年07月07日(木) 懸案ひとつ解決

故障していた電気浄水機が直りました。「48時間以内に来る」といって電話を切った「浄水機メーカ」の修理部門から、連絡してから2週間経って、修理の人が来ました。


最初に来た人は、「トランスが壊れているので、修理代はRs1000くらいかかる」と言い張って帰りました。彼に、トランスの1次側と2次側のコイルが切れていないことを、通電装置で確認させたのですが、それでも彼は「トランスが壊れている」という主張は変えませんでした。


翌日別の修理人が来て、同じようなことを言うので、今度は、コンセントを入れて、トランスの2次側の電圧を計らせました。彼は納得して、二次側のコイルの先端の処理をやり直しました。それで修理完了。彼の修理代要求はRs100。


多分トランスを変えていれば、トランスのコイルの接点もやり直すので、浄水機は動き出していたはずです。本当の原因は闇の中ですが。トランスを変えた人は自分の判断が正しかったことを確認していたはずです。こういうことって良くあるのだろうと思います。



2005年07月06日(水) メンデルスゾーンの「弦楽のための交響曲」

BCO(ボンベイ・チェンバー・オーケストラ)次回演奏会のメインのメンデルスゾーンの弦楽のたの交響曲第七番。日本で妻にCDを買って貰って出張者に届けてもらいました。素晴らしい曲です。


CDの解説から少し紹介します。


メンデルゾーンは、1809年に生まれて、1847年に38歳の若さで亡くなりました。弦楽のための交響曲全12曲は、1821年と1823年に作曲されました。実に12歳、14歳の時です。13番目の曲は、管楽器パートが追加されて、交響曲第一番(作品11)になったのだそうです。


弦楽のための交響曲は、バッハ、モーツアルト等を題材にした音楽の勉強の結果を良く反英しているということです。今回演奏する7番(ニ短調)も十分、モーツアルト的ではありますが、非常に洗練されていて、颯爽としていて、メンデルゾーンが天才であったことをはっきり示しています。


CDはナクソスのもので、演奏はニコラス・バルド指揮のノーザンチャンバーオーケストラ。引き締まった素晴らしい演奏です。こういう演奏にどこまで迫れるか。私としては、早いパッセージを出来るだけ「弓」を長く使って演奏すること。これって、とても難しいです。



2005年07月05日(火) 週末分をまとめてアップ

二日の記事は、土曜日に会社に出勤した時にアップしたもの。


今日(月曜日)にわかったことなのですが、先週から月曜日の夕刻まで、契約している「カード」のインターネットプロバイダは故障していたとのこと。ニューデリーでインタネットの繋げなかったはこれが原因のようです。何回も故障するので頭にきています。実名を公表します。


私の契約しているプロバイダは「TATA」です。一流の会社なのですから、しっかりして欲しいです。二日に書いたように、ニューデリーでちょっと「粋な」レストランを発見したので、これからニューデリーに行くときには利用しようと思います。


インド土産ではまず「紅茶」が思い浮かぶのですが、日本からのお客様に紹介されて、ニューデリーの紅茶屋さんに行ってみました。紅茶についてはスリランカで少し勉強したので、試しに「ゴールデンチップ」「シルバーチップ」があるか聞いてみました。店のセールスマンが、「当然あるよ」といって見せてくれたのは、どうみてもスリランカのとは違うもの。葉が開いていて「新芽」とは言いがたい。先方は、これがゴールデンチップだと言い張るのですがどうも「定義」が違うみたい。


スリランカの「某」紅茶屋で買っていた「ゴールデン、シルバー・チップ」は、まさしく新芽の開く前に刈り取ったもので、産毛も生えていて非常に繊細な味がしました。それは太陽の陽にそれほど当たっていないので、葉っぱの味はしないのですが、お茶の木のエキスだけが搾り出される感じで、非常に上品な味でした(妻の談)。


しかし、もし太陽にさらされたお茶の葉が美味しい味がするのであれば、ゴールデン、シルバー・チップは邪道なのでしょう。詳しいことは分からないけれど、繁華街に土産物で紹介された「ゴールデン・シルバーチップ」は、新芽も少し入っている紅茶を総称しているみたいです。


スリランカで購入していた、ゴールデンチップ、シルバーシップは大変貴重だったのだと思います。土曜日に頂いた「USBメモリを」失くしたようです。車の中で一旦箱を開封し、またメモリを箱に入れてオフィスに行き、オフィスで再び箱を開けた後、どこかに措いた気がするのですが、どこにもないのです。自分の記憶をたどって、自分の動いた場所を探してもどこにもない。


従って車からオフィスまでの間で落としてしまったらしい。土曜日と今日の二日間探しましたがどこにもない。もしどこかから出て来たら、それはうれしいけれど、私の記憶力が鈍っている証拠です。最近、記憶力が鈍ってきたと感じています。出てきて欲しいですが、自分の老化が証明されるのも悔しい。複雑な気分です。


3日の日曜日のBCO(ボンベイチャンバーオーケストラ)練習のこと。管楽器も入って、ブラームスのスラブ舞曲第6番(アンコール用?)を練習。実はこの曲小学生時代の音楽会でやった記憶があるのです。懐かしかったです。BCOでは、オーボエに小学生くらいのかわいらしい女の子が座っていて楽しいです。金管楽器は軍楽隊のメンバーのようです。日本から持ってきてもらった「メンデルゾーンの弦楽のための交響曲」の」CDが早速活躍しています。こんなマイナーな曲のCDはインドでは売っていません。



2005年07月02日(土) デリー出張

6月最後の週に、会社関連で3組のインド訪問がありました。二組は、ムンバイから入って、デリーから帰る組。一組は逆にデリーに入ってムンバイからもの。この3組がデリーで重なりました。


というのも、私が何回もデリーに行くのが面倒くさいので、一挙に用を済ませようとスケジュールしたのでした。3組と対応するのは大変でしたが余裕を持ってスケジューリングしたので何のとかこなせました。後は、来週月・火とデリーからいらっしゃる最後の組みの対応です。


ムンバイだとレストランなどは色々知っているので、紹介するのは容易なのだけどデリーは殆どしらないので、案内するのは大変です。日本から来る客はインドに住んでいるのだからと、私が色々知っていると思うのでしょうが。そう簡単な話しではないのです。突然そう言う環境になってしまったので急いでデリーを勉強しました。安全に、しかも効率よく、食事を済ませるには一流ホテルのレストランが一番なのですが、「せっかくインドに来たのだから、もう少しローカルな場所はないの?」こういう要望が困るのです。


ホテル内だと英語が通じるのですが外に出ると英語で道を聞くのは大変です。
下町(オールドデリー)などに行くと一層英語は通じません。それに凄い交通渋滞なのです。今回はホテルのフロントで、伝統舞踊(ダンス)のパフォーマンスを教えてもらいました。


これはオールドデリーの入り口あたりで、コンノートプレイスからも近いのです。30日は時間が遅すぎてみる事が出来ませんでしたが、私がムンバイに帰ってから、デリーに残った人達が行ってみたそうでよかったそうです。30日には、オールドデリーのレストラン「モティ・マハール」に行きました。


北インド料理が美味しくて、歌のパフォーマンスもあって、案内するには良いところだと思います。これから少しずつこういう場所を探していきます。




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